第三章
<親父 とにかく抜け出したかった故郷>
息子 飯も食ったし、温泉にも入ったし、ということで、夜の部に行きましょう。ちょっとだけ67年10月7日のリンチ事件に戻って下さい、暴力行為は大したことなかったの?ただ単に殴られただけなの?
親父 まあ、大したことはなかった。やはり、殴っている側にもやっていることへの疑問があったからね。少なくとも当時はね。
息子 疑問というのは、仲間なのに何でかみたいなこと?
親父 うん、基本的にはそういうことだよ。だって殴っているやつも殴られているやつも、別に大きな差じゃないわけよ。さっきから言っているように、まあ似たような人間だからね。セクトは違うけど、目指していることはそう変わっているわけじゃない。それなのに、なんか党派の指導部の都合で殴ったり殴られたりするっていうことに対しては、やはりある種の後ろめたさがあったからからね。少なくとも、67年10月の時点ではね。息子 個人的な恨みではないからね。
親父 その通り。個人的に恨みも無いし、日頃だってしょっちゅう一緒にしゃべったりしていたわけだから
息子 そういう仲だったのね。
親父 当然でしょう。同じ学校で同じ年代で同じ学生運動やっていて、三派全学連のメンバーでデモに行って一緒に機動隊に殴られているわけからね。確かに、論争はしたよ、議論はしたけど、それはあくまで議論だからね。お前らの言っているこの部分は間違っているじゃないかとか、だから中核派はだめなんだとかさ、だから解放派は青いって言われるんだよとか、まあそういうような議論はしょっちゅうしていたわけだよ。革マルとの間でもね。まあ民青だけはちょっとそういうのとは違ったのね、共産党だけはもう生理的に敵対関係だったけど、共産党を除くいわゆる新左翼と呼ばれていたセクトの間の関係は、少なくとも俺が知っている65年から67年の夏ごろまで、特に暴力的でも敵対的でも何でもなかったと思うよ。
そういう関係が67年の10月7日の夜に、突如変質して敵対的になった。その引き金は単に中央部相互間の権力闘争だったのね。中央から始まって、その余波を食らったっていうことなんだよね。だからむしろ殴ったやつら、つまり東大教養の社青同解放派の連中に対して何か恨みに思うっていうことは、俺の中では全くなくて、そうなった原因を作った中核派の指導部に対して、どっか考え方がおかしいんじゃないかっていうふうに思い出したっていうことだよ。
息子 それで運動からちょっとの間引きこもったわけだ。
親父 そう、それで、引きこもったけど。しかし、どうしても反戦学生運動はやんなきゃいけないと思っていたからね。だから、佐世保のデモにも参加してデモ指揮をしたし、王子野戦病院のデモにも参加した。けれども、最終的にこれは中核派ではやっていられないなって決心して、セクトをやめたのが68年の5月ごろだったのね。
息子 大学入学のとこに戻るけど、熱い時代の運動に参加したっていうことで、イメージ的にはどちらかというと親父は文学派だと思うけど、高校時代にはサッカーを一生懸命にやってたわけでしょう。あんたは文武どっち派だったわけ?
親父 文武両道とか、そういう立派なことなんか考えていないよ。だって高校生のころに考えていることなんて、ガキっぽいことしかないでしょう。あんたもそうだったと思うけど。
息子 サッカーばっかりやっていて、なんも考えていなかっと?
親父 いや、色んなことをたくさん考えていたけど、しょせんはガキだったということ。あんたの高校時代もおんなじでしょう。
息子 まあ、ハンドボール部に没頭して、受験勉強から逃げていたということ。親父は、サッカー部やりつつ受験勉強で忙しかったのか?
親父 どうしようかな?どのへんのことからしゃべろうかな。ええとね、俺の肺がんを見付けてくれた従兄弟のS君という医者がいるんだよね。で、彼もやっぱり俺と同じ高校なんだよ。で、こないだ何十年振りかによもやま話をしていて、そこだけが見事に一致したのが、二人が受験勉強に励んだ理由だったのね。彼は慈恵医大っていう私立の医学部では非常に難しい医大に進学したんだけよ。で、なぜ一生懸命受験勉強したかっていうと、単純に岐阜という田舎街から抜け出したかったっていうことに尽きるっていうわけだよ。このことに関しては、もう2人ですごく意見が一致したんだよね。岐阜という地方都市の進学校であれば、地元の旧帝大に行く、つまり我々の場合なら、名古屋大学に行くっていうのが相場なんだよね。俺の高校の卒業生が当時毎年500人、500人のうち150〜200人ぐらいが名古屋大学に進学するんだよ。
息子 でも、名古屋だと自宅から通わざるを得ないから嫌だった?
親父 ちょっと違う。名古屋大学に進学すると、就職範囲とか仕事範囲では、名古屋エリア一帯に限られると思うわけだよ。幼い頭で。
息子 就職先はトヨタぐらいしかないの?
親父 トヨタだけではないけれども、名古屋大学を出ると、一生名古屋圏を出られないっていうふうに少年は思ってしまうわけだよ。実際にはそんなことはないんだけどね、でも少年は単純な頭でそう思うわけだよ。
息子 まあ、東京圏から見りゃ名古屋イコール岐阜みたいなところがあるからね。
親父 そういうことね。故郷を出たくてしょうがない少年としては、名古屋にしか行けないことは不満なわけだよ。
息子 だから500人中200人ではだめだと、それ以上に入ってないとだめって思ったと。つまり、京都か東京だと。
親父 京大か東大かどっちしかないっていうんだけど。京都は岐阜から近いから、なら東京に行ってみようということだね。それ以上のことははっきり言って、18歳の少年は深くは考えてない。ただ気質的に俺はやっぱり文学的、文学志向だから、法学部とか経済学部じゃなくて文学部、つまり文化V類っていうんだけど、文学部に進学するところがいいかなって選んだ。そういうことで、それ以上難しいことは考えていない。
息子 では、文学青年がなぜそんな学生運動に突っ込んでしまったのか
<親父 1965年日韓条約反対運動に参加する>
親父 それは、やっぱり時代としか言いようがないんだよ。学生時代とその後の一時期非常に仲のよかった一個下の学年の小阪修平がどこかで書いていたと思うけど、「時代にわしづかみにされた」という表現はとても正しいと思うよ。
俺は1965年に大学に入っているわけね。1965年って何があった年かっていうと、日韓条約が締結された年なんだよ。日本の敗戦後20年が経って、日本と韓国の間に初めて条約が結ばれて、日韓の国交が正常化したわけだよ。具体的には、両国に大使館が置かれて大使が交換されるようになったわけだね。この日韓国交回復に対する反対運動が日本でも韓国でも学生運動として大いに盛り上がったわけね。それが日韓条約反対運動。
息子 日韓条約反対ということは、日韓の友好関係がだめだっていうことになの?アメリカの指令だからダメってことなの。
親父 うん、アメリカを扇の要とした米日韓の軍事同盟強化という側面への批判もあったけれども、日韓国交回復によって日本がまた韓国を植民地化することに反対する。そういう議論だったね。韓国で反対運動をした学生たちの認識もそうだったし、日本で反対運動をした我々の認識もそうだったのね。そういう認識は結果的に間違っていたんだけどね。あんたも気付いていると思うけど、俺が在日韓国人・在日朝鮮人の問題に関心が深いのは、自分が大学に入って最初に出会った政治問題が日韓条約だったということがあるんだよ。在日韓国人なり在日朝鮮人に対する差別の問題などに、18歳の少年がいきなり関心を持つことになった。そして、当然のことながら、それは日露戦争以降の日本の近代史そのものに関心を持つことにつながるからね。
息子 日韓条約が特に日本に優位だった条約だということがあるの?
親父 日韓条約を、韓国の政権を持っている側、当時は朴正煕大統領だけど、から見れば、目的はただ一つで、日本から戦時賠償金を引っ張って、それを韓国の経済成長に利用しようということだったわけだよね。今の金正日が日朝国交正常化を要求していることと、背景は同じなんだよ。金だよ。対北朝鮮では、日朝が国交を正常化すれば、日本が幾ら金出す、食糧幾ら出す、石油をどれだけ出すとかっていう話が出ているでしょう。1965年の日韓関係も、要するに賠償金だよ。何億ドルかの金を日本が払って、韓国に対して植民地支配をしたことを謝罪して、その代わり国交正常化するということ。
息子 でも両国の学生はそれを、日本による経済的侵略みたいにとらえた?
親父 侵略であるというふうにとらえたし、まあ事実そういう側面もあったわけだしね。
息子 何、タイドローンだったの、別にそういうわけじゃないの。
親父 タイドローンもあったし、無償のアンタイドもあった。いずれにしても、国交回復の条件が金であったっていうことに関しては変わりがない。それと当時の冷戦真っただ中の東アジアにおいて、日韓両国をバックアップしているアメリカからすれば、北朝鮮やその背後にいるソ連と対決するに際して、アジアにおいて共産主義勢力に対する防波堤としての韓国と日本が、このまま敵対的であり続けては困るという意図もあった。最低限国交を正常化してほしいというふうな要求がアメリカ側にあったし、そのアメリカのプレッシャーで日韓の国交正常化が成ったっていう側面があるわけね。
息子 ごめんちょっと戻るけど、日本がその韓国に謝罪するに当たって、別に謝罪することはそれでいいと思うんだけど、それはお金が絡んだからいやらしいと思ったの、それとも別に日本政府として正式に植民地化について謝罪すればそれはそれでよかったわけ。でも、謝罪だけでは済まないから、お金を入れたということなわけ?
親父 当然、そういうことだね。
息子 そこは学生側としては、どういう方法だったらオッケーだったみたいな、
親父 学生側ってどっちの学生
息子 どっちでもいいけど
親父 韓国で反対運動した学生たちの主張は、こんなはした金で、日帝36年の植民地支配が許せるはずがないっていうことだよ。日韓条約は対日軟弱外交だという主張だね、韓国側の学生はそういうこと。日本側の学生の視点から言えば、日韓条約をきっかけにして、またかつての帝国主義的支配への道が付けられるのかっていうことね。
息子 賠償の金が足りんということ?
親父 韓国側の学生からすればね。我々は韓国再植民地化への第一歩なんじゃないかっていう、そういう言い方を、当時の学生はしていた。日韓条約によって、日本資本の対韓投資ができるようになったわけだよね。日本資本による韓国再支配への反対ということだね。有償無償5億ドルの賠償はその呼び水でしょうということ。
息子 マネーによる支配っていうこと?
親父 マネーによって韓国市場を支配して、輸出市場と労働力市場として利用し、もう1度戦前と同じ形になるんじゃないのっていうことだよ。しかし、その後の日韓関係は実際には再植民地化というふうにはならなかったよね。むしろ、韓国は日本のコンペティターになったわけだ、1980年代にはね。だから、1965年当時に、日韓条約反対運動をした日韓両国の学生の認識は、明らかに間違っていたということなんだよ。幸いにしてね。
<親父の知る、ある野心とその敗退>
<親父の知る、ある野心とその敗退>
親父: 日韓関係に関して、俺1つだけ話しておきたいことがあるんだよね。それは何かっていうと、僕の大学のときのクラスの1期下に、L君っていう在日韓国人の男の子がいて、彼はとんでもなく頭のいい人なのね。それで1年下っていうことは、彼が高校3年生のときに日韓の国交が正常化されたってことなんだよ。彼の家は民団系で、お父さんは民団の有力者だったの。日韓条約が成ったときに彼が何を考えたかっていうと、俺は韓国人として、堂々と韓国の外務省に就職しようと考えたの。韓国の外務省に就職して、韓国のキャリア外交官になって、在日韓国人出身の初めての駐日韓国大使になろうという野心を抱いたの。これは俺すごいことだと思うのね。
息子: 立派な野心だね。
親父: ちょっと違うけど、J・F・ケネディの親父が貧しいアイルランド人としてアメリカに移民して、その後経済的に成功した。その成功を背景にしてアメリカの駐ロンドン大使になったんだよ。ケネディ大統領の親父は。
息子: イギリスの大使になったの
親父: そう、第二次大戦のときの駐イギリス・アメリカ大使になったの。イギリスとアイルランドの関係っていうのは日本と韓国の関係と全く同じで植民地として支配され続けていて、アイルランド人はイギリス人に対してもう恨み骨髄なわけだよ。アイルランド革命軍(IRA)は、今でもイギリスでテロを続けているよね。
息子: 革命が続いている場所だからね。
親父: ケネディの親父は、その仇敵イギリスにアメリカ大使として乗り込んだ。これはもうジョセフ・ケネディにとってはもうざまぁみろってわけね。それと同じことを、L君は考えたわけだよ。在日韓国人として韓国のキャリアディプロマットになって、でいつの日か東京に韓国大使として乗り込んでやろうっていう野心を抱いた。野心を抱いただけじゃないんだよ、実行するんだよ、彼は。東大法学部に入って4年で卒業して、今度はソウル大学法学部大学院に入り直したんだよ。そして後に韓国の国務総理に就任することになる東大帝大法学部OBの某教授に師事し国際法の勉学に励んだようだ。
息子: すごい人だね。
親父: 当時の韓国のエリートっていうのは、ソウル大学法学部卒で、奥さんが梨花女子大、日本でいえばお茶の水と東京女子大とか津田塾とかを集めたみたいな女子大学、とかその他いくつかの名門女子大学があって、ソウル大学を卒業してそういう女子大学の女性と結婚するっていうのが韓国のエリートの条件なの。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%A8%E8%8A%B1%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7
息子: ほう、予定どおり、エリートコースを進んだんだ。
親父: 韓国におけるエリートコースに進もうとした。ところが、70年代の韓国っていうのは朴正煕大統領の時代なんだけど、政情不安、それも大統領を取り巻く政権中枢で大統領の信任を得ようとする者達の間の権力闘争がすごかったわけだよ。青瓦台っていうのが韓国のホワイトハウス、大統領官邸なんだけど、青瓦台の中で激しい権力闘争が行われていた。大統領を始めとして、青瓦台の住人はすべて軍人出身だからね、最終最後はピストルで撃ち合うんだよ。やがて朴大統領自身が大統領警護室長っていうボディガードのトップとともに中央情報部長にピストルで射殺されている位だよ。
息子: あーすげえな。
親父 そういう事件が頻々と起るほど政情不安定だったんだよ、70年代の韓国は。政権中枢の軍人たちの派閥抗争がすごかった。
息子: マフィアみたいな感じなんだね。
親父: マフィアというのとはちょっと違うけどさ。彼らは軍人出身だから、最終最後の決着は武力ということになっちゃうのかな。そういう権力闘争が激しい時代、L君の父親は韓国での事業に失敗し、L君は 密かに心の拠りどころとしていた彼の父親のパワーコネクションからの有形無形の引き立てを失ったようだ。それに加えて、韓国における当時の公務員任用令の下で外務省の上級職試験を受けるには特例を除き最低6年以上韓国で教育を受けるという要件を満足する必要があったようで、それを不覚にも後で知った彼の野心と数年間に渡る努力は その時点で意味を失ってしまった。韓国外務省に入る可能性は実質的に奪われてしまったんだね。
彼は俺にしみじみ言っていたんだけど、「まあいいや。親父のパワーコネクションが機能しなくなり 同時に韓国の法令が立ちはだかる中で『だからお前入れなくなった』よっていわれるのは、それはそれでしょうがない。運がなかったと諦めるよ。だけど、そのときの一部の韓国本国人からの言われ方がひどかった」って、彼が言うわけだよ。キミはそういう言葉を知っているかどうか知らんけど、「パンチョッパリ」っていうんだよ、在日韓国人や 在日韓国人と日本人の夫婦から生まれた子供のことを、韓国語で。チョッパリっていうのはさ、蹄の先が割れている豚、偶蹄類の足なんだよ。日本人は下駄や足袋をを履き足の先が割れているから、日本式の足袋や下駄をはかない日帝支配下の韓国人の間では日本人を暗喩・蔑称してチョッパリと呼んだんだよ。それで日本人の悪口を言うときに、チョッパリって言うんだけどね。
息子: パンっていうのは
親父: 半分なんだよ、半分。パンチョッパリは半分チョッパリっていう意味。つまり、韓国本国人から見た在日韓国人(日本の文化に毒され、植民地人根性が身についたという蔑みの対象としての)や 彼らと日本人との間に生まれたその子供たちに対する悪罵の言葉なわけだよ。「お前みたいな半チョッパリに我が祖国の大切な外交をまかせられるはずがない」って蔑まれたんだと、L君は受け止めたようだ。
息子: 差別なんだ、日本でも、韓国でも。
親父: そういう事だね。その直前まで、「頑張って是非 我が国(韓国)と国民・同胞の為に役立ってくれ」って言っていたやつが、手の平を返したように半チョッパリって陰口をきく。
息子: 『バック(パワーコネクション)』が 失われたらそんな扱いだと
親父: それがすごいショックだったって、彼が言っていた。
息子: 仲間だと思っていたやつが、簡単に手の平を返したと。
親父: まあ仲間ではないけれど、「パンチョッパリ」とまで言って蔑まなくてもいいだろうって。「残念だったね。期待していたんだけど、事情が変わってしまった。残念だけど、今後の人生頑張ってくれよ」っていう話なら、まあいいわけだよ。おとなしく諦めるしかないんだから。まあ、彼なりの当時の韓国人体質への批判なんだけどね、
息子: 韓国も日本と同じぐらいの島国体質だったということかな
親父: まあ一種の事大主義っていうか、その時々の、時々の権力者、権力闘争の勝者に尻尾をふって、敗者を足蹴にするということなんだろうね。だから何を言いたいかっていうと、それほどかように公民権を極度に制約された在日韓国人、在日朝鮮人が生きて行くっていうのは大変なんだよ。
息子: うん。韓国からもはじかれ、日本からもはじかれ。
<1親等か2親等かの選択>
親父 そう。地上の楽園を信じ込まされて北朝鮮に帰りゃ、金氏王朝にさんざん利用されて、ほとんど絶滅させられているわけだしね。もう1つこれに関連する話をすれば、関西の朝鮮高校を出たK君っていうやつがいたんだよ。彼は朝鮮高校を出たけど、金日成万歳教育がばからしくなって、当時の学生運動に関心を持つようになったんだよね。で、東京に出てきて、俺なんかと一緒にデモに行っていたりしたんだけどね。彼の家は総連系でね、5人兄弟なんだよ。彼が1番下なんだけど、上の兄貴がパチンコ屋で稼いでいて、真ん中3人が60年代初めに北へ帰っているんだよ。だから悲惨なんだよだよ。金、かね、金、かね、金送れでずーっとそれに付き合っているわけだから。ある意味では、典型的な総連系の在日家族なんだよ。総連は金日成思想のイデオロギー集団なんかじゃまったくないからね。親兄弟を北の人質に取られている人たちの集団なんだから。帰国した親や兄弟を押えられているから、そのために金貢がざるをえない集団、総連メンバーは、誰一人として金正日のことなんか尊敬なんかしていない。だけど、人質に金を送らざるを得ないから、総連をやめら止められないんだよ。
息子 しかも、北に送っても金は家族に届かずに全部幹部に取られてしまう。
親父 全部かどうかは分からないけど、少なくとも送らなければ兄弟がひどい目にあうだろうっていうことは分かっている。K君とは60年代の終りごろからずっとけっこう付き合っていたんだけど、そのうち疎遠になった。80年代の中ごろだと思うんだけど、突然K君から電話が掛かってきた。で、話を聞くと、彼はけっきょく日本人の女の子と結婚したんだよね。公務員の女性とね。で、関西は在日韓国人、朝鮮人に対して自治体公務員の職を提供しているんだよね。で、K君も公務員の職を得た。それで、子供も生まれて、だんだん大きくなってきた。そうすると子供に「説明がつかなくなってくる」っていうんだね。「うちは、お父さんもお母さんも働いているのに、何で家はこんなに貧乏なの」って、子どもに聞かれるだって。理由は簡単で、北朝鮮の兄弟に金を送ってるからなんだけど、それを子供に説明できないって言うんだよ。
息子 在日っていうことが説明できないの?
親父 在日は分かるよ。名前も違うし、関西だから在日は多いからね。北朝鮮に金を送っているから貧乏だっていうことが説明できないんだよ。
息子 親戚が人質に取られているからというしかないね。
親父 じゃあ、私たちと伯父さん、叔母さんとどっちが大事なのって、子供にいわれるわけだね。ストレートにいっちゃえばね。で、K君はいうわけだよ。「最後はね、兄弟は二親等だろう。親子は一親等だよ」って。「俺の経済力では、どっちを選ぶかっていう決断をせざるを得ない」っていうの。「兄貴はパチンコ屋で金を稼いでいるから、子供も養ったうえでさらに兄弟に送金もできるけど、俺と女房は公務員だし、そんな金があるわけじゃない。その中で、子供を育てて、向こうにも送金するのはできない」と、いうわけだよね。もちろん、もっといろんな事情が他にもあるんだろうけど、要するにそういうことで、「けっきょく俺は日本人になるしかない、国籍変えるっていう選択をしたんだ」って、言うのね。そういう電話が掛かってきて、それはそれで当然の選択なんじゃないって、俺は言っんだけどね。
で、これからが本題なんだよ。「でもね、帰化しようとしたけど、役所が日本人にしてくれへんねん」って、彼が言うんだよ。理由は学生運動に関与していたことなんだよ。ちょろっとだけだけど関わってたときに、彼は2回も逮捕されているんだよ。
息子 ああ、リストに載っちゃったの。
親父 K君はなんか不器用なやつで、デモが荒れたときに逃げ後れるんだよ。それで、2度も捕まっているんだよ。当然それは記録に残っているから、大阪の出入国管理局が帰化申請を許可しないんだよね。で、「お前みたいな非国民を、何で日本人にしたらなあかんのや。そのまま朝鮮人でおれ」って言われるんだって。でね、「もう俺は日本人になるしかないと決めているんだけど、日本人にさせてくれへんねん。なんかいい手がないかなあ」って言うのが、久しぶりの電話だったんだよ。で、俺は「分かった、ちょっと待って」ってある人物に電話したんだよ。それが君も知っているI産業のI氏だよ。これがまた大変な親父なんだよ。
<フィクサー登場>
息子 高校生の頃会った記憶があるけど、なんか怪しい人だったとおぼえている。
親父 Iの親父は俺より一回り年が上で、日本にまだ左翼は共産党しかなかった時代の共産党の人間なんだね。京都大学で共産党の学生運動やっていて。
息子 だから、すごいロシア贔屓。
親父 いやいや、そんな単純なもんやおまへんで。彼がソ連と取引していたのは事実だけどね。Iさんはレッドパージで大学を追放されて、東京に出てきて私大を卒業して、その後色んなことに手を染めていたんだよ。で、1960年代後半に対北朝鮮ビジネスをやったんだよ。
1960年代の終りころに重工業化を進めようとして、北朝鮮は日本から発電、鉄鋼、化学品などの重工業プラントを買いまくった時期があったんだね。その金の出元は、日本から帰国した在日朝鮮人が日本円を持って帰った、その金なんだよ。それで日本からかなりのプラントを買ったわけ。だけど、北朝鮮のあの政治経済システムの下では、近代的な工業プラントがキチンと動くわけがない。頭金は支払ったけど、全部ディフォルトした。プラントの代金を金でも払えなかったし、製品でも払えなかった。債務不履行で、日本から輸出したプラントの代金はほとんど未払いになったんだよ。北朝鮮貿易をするに際して、大手の商社は全部ダミーを使ってやった。ココムとか輸出規制に引っ掛かる可能性があるからね、ダミー商社を使ったんだよ。当時の言葉でいえば、北朝鮮の友好商社ということね。だけど、その実態は大手のダミーなんだね。I産業っていうのはそういうダミー商社の一つだったわけ。
そこで、北朝鮮がディフォルトした。大半のダミー商社はそこで会社を潰したんだよ。だけど、Iさんの偉かったのはそこで会社を潰さなかったことなんだよ。数億円だかの損を抱えていたんだけど潰さなかった。そこで会社を潰しちゃうと、その債務は本当の輸出元の大手商社に行ってしまう。そうすると、北朝鮮輸出を担当した連中のキャリアに傷が付いて、彼らが出世できなくなるわけだよ。だから、彼は頑張って潰さないで、彼らの出世の道を残したんだよ。
息子 顔を潰さないように?
親父 顔を潰さないっていうより、担当者のキャリアに傷付けないで、出世する道を残そうとしたんだよ。そのお陰で、彼らもその後順当に出世できた。だから、彼らはIさんに恩がある。
息子 だから、商売が続けられるわけだね。
親父 北朝鮮が債務不履行になってその仕事が無くなっても、今度は対ソダミー商社をやらせようということになったんだよ。
息子 ああ、だからソ連貿易か。
親父 対ソは、ココムの本チャンの規制対象だけど、しかし北朝鮮より市場は大きいわけだよ。70年代後半から80年代前半にかけて、半導体とかPCとかエレキ系分野だね。大手商社は規制リスクが怖くてできないから、やはりダミーを通していろんな手段を駆使してやっていたんだよ。
息子 ちゃんと、そういうのを陰でやっていたんだ。
親父 そういうこと。まあ、話を北朝鮮に戻せば、対北朝鮮貿易をやるってことは、そもそも日本の公安当局と親密に付き合うっていうことなんだよ。
息子 目をつけられるっていうこと?
親父 目をつけられるとかそういう生易しいレベルじゃなくて、公安当局と仲良くしなきゃ北朝鮮貿易なんてできないんだよ。
息子 そうなんだ。
親父 そういうもんだよ。
息子 ココムに引っ掛かることをやっているから、それで捕まらないためには警察と仲良くしておこうということね?
親父 最終的には、そういうこともあるけどね。でも、北朝鮮と貿易をやっていれば、当然お前はどういう奴なんだって、公安警察から聞きに来るわけだよ。「お前北朝鮮貿易やっているんだろう」、「はいやってます」。「お前やるのはいいけど、その代わり見聞きしたことは全部我々にしゃべれよ」。って言われる。そう言われて断れる?「ちゃんと情報出さなければ、お前の商売なんかすぐ潰すからね」って言われるわけだよ。
息子 スパイみたいなことをするわけ、要するに。
親父 スパイじゃないけど、スパイをやんない限り北朝鮮貿易なんてできないわけだよ。当たり前の話だけど。で、そうやって付き合っているから、今度は彼が公安に顔が効くようになったわけだね。
息子 おーおー。
<帰化問題の解決>
親父 分かる?北朝鮮貿易をやったことによって、彼は公安とか警察とかに、ルートが出来たわけだね。だから、K君の話が俺にあったときに、そのI氏に話を持っていったわけだよ。「実は俺の友人にこういうやつがいるんだけど、帰化申請をしても、大阪の入国管理局がちっとも下ろしてくれない」。なんとかなりませんかって。
息子 公安にちょっと口きいてくれれば。
親父 そしたら、「分かった。お前そこでちょっと待っていろ。俺が今すぐ電話してやる」って言って、ある国会議員のところに電話を掛けるんだよ。「先生ご無沙汰しております。実はこうこうこういう件がございますが、どうか先生なにとぞご処置のほどお願いしますって」っていうわけ。で、次に秘書と電話して政治献金の話をするわけだね。その電話が終わって、「そのK君な、100万ぐらい出せるだろう」って聞くわけだよ。「はい、出せると思いますよ」って俺が返事すると、「じゃあ明日100万ここに持ってくるように」言うわけさ。それで、俺がK君にに電話して「100万って言っているけど」っていうと、「ああ、100万でオッケーならもう御の字だよ」って言って、すぐ振り込んできたわけけだよ。で、次の日俺が100万持って、I氏の所に行ったら、またその政治家に電話掛けて、「いつもお世話になっております。ぜひ先生の政治活動のお役に立たせて頂きたいので、秘書の何々さんを通じて献金させていただきますのでよろしくご承知おきください」って言うわけ。それで、「お前ね、この100万だけど、これはこの世界の常識だから半分は俺がもらうからね」って言って50万パッと取って、残りは俺が献金してくるからって言って出て行った。そしたら、次の日だよ。K君から電話が掛かってくるのよ。「おお、ハンコ押してもらったわ」って。
息子 早い。それはすごいね。
親父 ハンコ押してくれたわ。で、入管の役人に言われたって。「K、お前な、なんやら東京のお偉いさんに筋があるらしいな、あの人に頼まれたら我々もハンコを押すしかないなと言って、パーンと押してくれたらしい。こうやってK君は無事に日本人になれたわけだ。
息子 公安当局と政治家でいえば、政治家のほうが強いのかな?
親父 政と官ということでいえば、やっぱり政治家のほうが強いでしょう。100万の有効利用だよ。
息子 50万でしょう。
親父 政治家にとっては50万。K君にとっては100万。間のやつが50万抜いたぞってK君にいっても、「なんてことない。お前に預けた以上それどうしようとお前の勝手だ」と言ってさ。
息子 親父は例によって取らなかったと。
親父 俺がそいつから取るわけにいかないだろう。青春時代の友達なんだからさ。
息子 アメリカでも、金さえあればグリーンカードは1日で下りるっていう話を聞いたことがあるけど。
親父 そうだろうね。
息子 電話一本で次の日におりるというのが、面白いね。あのIさんがそんな大物とは思わなかった。大物なのか小物なのか。
親父 大物っていうのかどうか分からないけど、一種のフィクサーだよね。その世界における、情報ネットワークに確実に入っていた人だよね、中心かどうかは知らんけど。
息子 高校生の俺には見抜けなかったけど。なんか怪しい感じはしたけ。そういう強いコネクションを持っていのに、彼の商売はうまくいってないような感じだったけど。
親父 それはまた別の問題。俺と同じで、若いころに正義感を振りかざして学生運動やるような奴は、金もうけが下手なんだよ。で、在日韓国人、在日朝鮮人の問題っていうと、そのさっき言ったI君の話とK君の話っていうのは、俺の中ではまあ非常に重たいんだよね。
息子 たしかに、親父の人間関係にはそういう人が多いよね。
<青年期にアイデンティティを問う>
親父 まあ、在日韓国人、朝鮮人が、日本人に60万人ぐらい居るんだよね。それに加えて帰化した韓国系日本人を加えて、おそらく100万人ちょっと越えるぐらいだと思うんだけどね。つまり、日本の全人口の1%でしょう。だけどその1%が、今の日本文化のどんだけを背負っているかっていうことを考えるべきなんだよ。
息子 パチンコと貸金業。
親父 そっち方面はあえていえばどうでもいい。大事なのは文化だよ。経済はまあどっちだっていいんでね。俺にとっては文化だよ。俺は文化至上主義者だからね。作家であったり、劇作家であったり、舞台俳優であったり、映画監督であったり、画家であったりね。
息子 帰化してる、名前からは分かんないけど多いんだろうね。
親父 なぜ、多いのかということを考えなきゃいけない。だって簡単な話なんだよ。最近は変わってきたかもしれないけれど、親父の若いころでいえば、在日韓国人、在日朝鮮人は、大企業のサラリーマンにはなれない。公務員にもなれない。だから、自分で飯を食うしかないのよ。経済面でいえば、起業する以外にないし、あるいは、スポーツとか、芸能とか、文化の世界で生きなきゃいけない。作家であったり、映画人であったり、スポーツ人であったり、芸能人であったりっていう、そういう飯の食い方しかできないんだよ。
息子 確かに多いね。
親父 非常に多いよ。いわゆる1代で会社を立ち上げたビジネスの成功者の中にも多いし、それと文化の世界、小説家とか映画監督とか、その世界でも多い。
息子 名前がそうか一緒になっているから分かんないけど、違う人もいるか、けど分かんない人も多い。
親父 韓国系の名前のままでやっている人もいるし、日本名を使っている人もいるし、帰化した人もいるだろうし、人口比率からいえば1%に過ぎないけど、日本文化の相当部分が彼らによって支えられているってことは間違いないんだよね。
息子 それじゃ俺は気付かなかっただけなのか。
親父 そう、だから彼らは嫉妬されるんだよ。だから、多くの人が嫌韓を口にするんだよ。彼らが日本社会のなかで、良いポジションを占めているっていうふうに見えるから。でも、簡単な話なんだけど、そういう道しか生きる道がないからだよ。普通のサラリーマンとか公務員とかになれないんだからね。だから、腕一本で飯が食えるように努力するでしょう。一生懸命やりゃ、その世界でちゃんとしたポジョションを占められるでしょう。当たり前のことだよ。
息子 選択肢がないことが、逆に彼らにとっては糧になっているというわけね。
親父 そう、そういうこと。欧米のキリスト教社会におけるユダヤ人と同じポジションなんだけどね。まあ、なんていうかな、「普通の人生」というものがあると信じていて、「普通の人生」を生きることがいいことだと思っていて、というよりはそう言い聞かせてきて生きてきて、人の足を引っ張ることが大好きな人間が、「あいつは韓国人だから」とか、嫌韓だなんて言っているだけの話なんだよ、俺に言わせれば。そういうこといっている暇があるなら、お前そんだけの努力をしろよっていうことなんだよね。
息子 それは非常に面白い現象だけどね。在日韓国人が活躍しているイメージが今の話で湧いたんだけど、本国は日本よりひどい経済であまりうまくいってないようだと思うけどね。
親父 本国っていうのは北朝鮮っていう意味?
息子 いやいや韓国、南です。
親父 韓国はどうだろう、まあうまくいっているんじゃないの。
息子 今はウォン安で目茶苦茶だよ。日本よりひどい。インフレが。
親父 あっそう。韓国経済はちょっと厳しいかもね。
息子 韓国は見栄の文化のような気がする、女性は整形やるでしょう。日本人以上にこだわりの美意識と見栄ぱりっていう、なんかローンで車をばんばん買ってるっていうイメージがあるかな、韓国には。だから、本質的な経済としてはすごい弱いと思うの。
親父 あっそう。俺は韓国経済のことはよく知らんけどね。
息子 だってアジア危機で思いっきり沈んだじゃない。
親父 それから回復したんじゃないの。回復してないのか?
息子 また沈んでいる感じがするね。アジア諸国はどこもインフレで厳しいけど、特に韓国がきつい。だから今暴動とか起こっているじゃない。あれもね、けっきょくは経済の問題が俺は深いと思うよ。
親父 ああ暴動って、例のBSE問題ね。
息子 あれは俺はBSEじゃなくて、やっぱり経済が悪いから不満が蓄積していると思うけど。
親父 まあ、そうだろうな。
息子 日本はどんなに経済が不安でも、誰もデモに立ち上がんないけど。
親父 そうだね。
息子 まあ日本も難しいね、徴兵制があるから彼らも根性あるよう気がするけど。とにかく日本人は腑抜けが多いというような印象。
親父 やっぱりね、人間のできが違ってくるんだって。もう少年時代からさ、自分のアイデンティティに関して悩みに悩み抜くわけじゃないか。自分の名前が普通の日本人と違うとか、学校で朝鮮人って呼ばれることとか。そこでアイデンティティを問い詰め、問い詰めて、自分はこの人生をどう生きるかってことを考え抜いていくわけだよ。そういうことは若者ならだれでも多かれ少なかれすることなんだけど、人一倍それを問わざるを得ない。そういう意味では、そんなことを深く問わなくて、ぼけーっと大人になったやつと違ってくるのは当然でしょう。
<息子 結局は俺は俺だとアメリカで発見した>
息子 俺は向こうで、アメリカでそれをやったけどね。
親父 そうだね、あんたの場合はやっぱり18か19でアイデンティティの問題はとことん悩んだと思うけどね。
息子 18でアメリカに行って、自分がどこにも属していないっていう感覚が実は1番悩ましい。日本語は満足にできない、英語も満足にできない、さあ、俺はなんなんだろうって。
親父 どうだろう、俺はまあ18歳は外国で勉強し始めるにはいい時期かなと思ったんだけど。本当は、日本の大学を出てからアメリカに行くべきだったかね。
息子 中学校。ベストは中学校からだと思う。
親父 中学校から?
息子 あるいは、高校かな、高校からアメリカがたぶんいいかもしれない。
親父 その時期に行くと、アイデンティティとしてはアメリカ人になってしまうだろう。
息子 英語だけで言えば、小学校からとももっと小さいころからがベストだけど。
親父 アメリカ人になることがベストであるならば、それはまあ小学校から行けという話になるだろうな。
息子 その語学力も入れて。難しいね。高校かな。
親父 高校からアメリカに行くとしても、多分アイデンティティがアメリカ人になってしまうだろう?
息子 うん、そうなる。
親父 でも、俺は息子をアメリカ人にはしたくなかったんだよ。
息子 だったら、日本の大学へ行かせてからアメリカに送れよ。
親父 でも、それをさせられる金は無かった。
息子 俺も、日本の大学に入れなかった。
親父 日本の大学卒業させることはなんとかできたと思うけど、それからアメリカの大学院に行くって言われたら、もう奨学金探して行ってくれとしか言いようがなかったね。金がないから。
息子 会社に入って、会社から金出してもらって行けっていうことになるね。
親父 うん、まあそういうことになるね。
息子 まあ、でも大学から行ってよかったのかなとも思うね。大学院にからアメリカに行く人は、発音がやっぱり中途半端なままかな。俺も中途半端だけど、まだましかな。一応日本人にはばれない。
親父 何が?
息子 日本人の英語だということが、日本人にはばれない。俺が英語しゃべると。だから語学力的にはまあ満足な状態。でも、ネイティブのアメリカ人には、外国人の英語だなってばれる。
親父 どういう意味かね?
息子 アメリカにスパイとしては送り込めないけど、日本人が聞くとネイティブと区別できない。
親父 コミュニケーションの道具としては十分だってこと?
息子 そう。
親父 なんかおかしい表現だね、それは。
息子 まあ、日本人に分かんないからいいかなっていうふうに思ってます。
親父 で、いま親父がしゃべった在日の問題と、あんたがアメリカで悩んだアイデンティティの問題は根っこでつながる問題でしょう?
息子 まあ、自分のアイデンティティなんてことは、日本で生まれて、日本で育って、日本にずっといたら一生気付かないというか、気づく必要もない問題だよね。
親父 そうだよね。だから俺からの質問として言うと、あんたみたいな人が、アメリカで学生をやっていても、別にそのこと自体は何てことないでしょう。回りの人間から見れば。
息子 うん、回りは全然気にしないもの。だってアメリカには、白人とは見かけが違う人間もいっぱいいるからね。ウェスト・バージニアはちょっと違ったかな、あまりにも田舎だったから。人種差別的なものはあったね。人種差別っていうよりか、田舎の日本人が突然現れた白人をジロジロ見るような感じ。つまり、東洋人が珍しい。
親父 黄色人種をほとんど見ない所だからか?まあ、黒人は見るだろうけど。
息子 話を聞くと、そう50年代か60年代の頃は、昔は日本人がなんか買い物の列に並ぶと何も売ってくれない。だけど、アメリカ人が来ると普通に買えるみたいな、そういうあからさまな差別を受けるっていうのは聞いたことがあるけど、俺はそういう体験はしなかったね。むしろ、白人の黒人への差別がウェスト・バージニアでは、まだまだひどかった。ウェスト・バージニアの恐いところは、バスケットボールとかの試合で、白人が黒人に対して石を投げる。そういう光景を見たんでびっくりした。
親父 何それ?バスケットボールの試合で石投げるってどういうこと。
息子 だからただの差別よ。黒人差別。
親父 バスケットボールの試合をしているわけでしょう、選手が黒人なの、白人なの。
息子 選手が黒人の場合に、白人の観客が石を投げるってこと。
親父 うそだろ?本当?
息子 本当。もっとびびったのは、白人も隣の町のバーにはいかないって話。よそ者だから危ない。撃たれることもあるとか。
親父 What are you talking?
息子 白人同士でも、あそこの村のバーに行くと撃たれるとかいう噂が流れる。そういう銃撃で友だちを失ったという話を聞いたことがある。
親父 それはexclusiveな世界だっていうことを言いたいわけ。
息子 田舎の超保守的な世界。
親父 俺が一時期よく行っていたのは、アトランタ・ジョージアだった。
息子 あそこも思いっきり南部だよ。
親父 ジョージア州にはステイトバナーがあるんだけどね、その旗は南北戦争の南軍(コンフェデレイション)の旗だったんだよ。20年前の頃は。今は変わったみたいだけどね。
息子 そうだね。黒人がいない席ではおおっぴらにニグロって言っていたらしいね。
親父 そう。それはもう露骨だったね。
息子 ウェスト・バージニアからニューヨークに行くと、今度はびっくりするんだよ。白人と黒人のカップルとかいるわけよ。ニューヨークはニューヨークで、アメリカじゃないみたいな感じの所だからね。
親父 ニューヨークシティはね。
息子 そう、特殊な世界だったけど。
親父 まあ、ニューヨークとサンフランシスコだろうな、そういう意味での特殊なアメリカは。サンフランシスコは何でもありだもの。
息子 そうそう。まあ親父の質問に戻れば、ニューヨークとかカリフォルニアでは回りの人間からみても何の問題もない、アジア人はたくさんいる。外見は関係ないんだけど、しかし、自分は何なんだと悩むわけ。日本人なのアメリカ人なのそれともなんなのって。ナルシストの人は特に悩む。
親父 ナルシストっていうのは、自意識が過剰な人っていう意味?
息子 自意識が過剰な人は、まあみんな若いころはそうだけど、それがいつも悩みなのよ。アメリカ人でもない、でも、日本人から見てもちょっと異端であるということで。日本に入りきれなかった人が、アメリカに出てきたような形が多かったからように思った。日本でおさまらない人たちが、アメリカに来る。はぐれ者が多かった。
親父 ニューヨーク州立大の学生が?
息子 まあはっきり言って、自分も含めてニューヨークにいる日本人は変人ばっかりだったって気がする。
親父 ニューヨークステイトなら、学力的にはみんなある程度のレベルだろう?
息子 学力的には悪くないんだけど、日本じゃ”普通”としてやっていけないっていう人ばっかりだった。なんかパーティー集団だった。
親父 パーティーって?
息子 お祭り集団のような感じ。ニューヨーク州立大学は学校自体がでかくて、学生だけで1万人ぐらいいたからね、日本人は50人ぐらいいた。まあ全員と会ったわけじゃないけどね。
親父 ウェスト・バージニアは何人ぐらいいたの。
息子 ウェスト・バージニアは10人ぐらいかな。それはまあ留学エージェンシーを通じて来ていたから。
親父 あっそうかそうか。1番入学が簡単なところだから?
息子 ニューヨークのほうはただ単に母体がでかかったから、必然的にアジア人の数も多かったしね。まあ悩むよ、まず、言葉で悩むから。その次に中途半端なアイデンティティが1番困る。日本にも属さないし、アメリカにも属さないし、じゃあ俺は何だって、それを考える。1人の個人ということで、他はどうでもいいというところに落ち着いたのが俺だったんだけど。まあ、アイデンティティなんて別にいいや、俺は俺だからっていうところに落ち着いた。
親父 うん,そこのところ、日本人なのアメリカ人なのっていうのは大きい問題じゃないだろうと、そういう経験をしたことのない俺なんかは単純に思っちゃうんだけど、
息子 まあ1人の個人でいいやってところで落ち着く。みんな大人になったら普通に気づくことなんだろうけど。
親父 そこで落ち着くしかないもんな。そうそう。親の目でいえば、そこに落ち着いてほしいよね。
息子 そりゃあね、回りのアメリカ人見ることでも助けられた。だいたい彼らイタリア系とか、ギリシャ系とか、ニューヨークに行けば人種はごちゃまぜだからね。
親父 アラブもいればアルメニアもいりゃ、トルコもいりゃ、何もいる、ギリシャもいればというふうな世界になっているわけだから、ロシア系だっているわけだし、やっぱりアイデンティティは当然悩むよな。
息子 まあそういう環境が逆にいいかなと。ああみんなばらばらなんだと。
<出社初日の行動でとことんいじめられた男>
親父 日本はばらばらじゃなさ過ぎるから困るんだよ。
息子 そう、空気を読まなきゃいけないし、いろいろ大変なんだよ、日本は。
親父 ばらばらなことが悪いことだと思っているからね。そこがポイントだと思うんだよね。俺ばらばらなことはいいことだと思ってるから。
息子 そう、だからたまにそういうばらばらな行動をやりたがるかな、俺は。だから問題児になるわけだ。
親父 ばらばらな行動って。あっ空気を読まないっていうような意味合いでね。
息子 そうそう。わざとね、こういう考え方もあるんだってことを見せつけるだけのために、
親父 奇矯なことするわけ。
息子 そう。みんなが忙しいっていうときにあえて5時半で帰ってくるとかね。もうちょっと休みを取れということね。仕事が全てじゃないぞということを言えばいいんだけど、そうは言わないで勝手に先に帰る。
親父 今の会社でも?
息子 今の会社でもやっている。
親父 今の会社は、ニューヨークが本社の会社だから、外人主力の会社じゃないの?外人比率どのくらい?
息子 あんまりいないかな、1割ぐらいかな。アメリカからたまに駐在員が来るだけで、今はほぼ純正日本人になっちゃったかもしれない。だからみんな協力して頑張ろうって言うんだよ。純正外資なんだけど、なんかこう変なところで日本人っぽい集まりなんだよね。
親父 日本人っぽいっていうのはどういう意味で?
息子 だからチームワークは大事にしなきゃ、チームの一員として働けというような意味のことをいうんだよね。で、俺のボスから「お前ちょっと浮いてない。浮いているよ」とか「上司を飛ばして報告するな」等言われた。彼もジャパニーズアメリカンなのに、なぜか日本人っぽいんだよね、そういうところが。
親父 ボスの国籍はアメリカンなの。
息子 うん、アメリカ人。カリフォルニア人なんだけどさ。そのわりにはなんかやけに日本っぽいっていうか。
親父 日本に長いんだ。
息子 いや2年ぐらいしかいないんだけどね。アメリカ人なのに、チームには個人はいらないなんていう言い方をする。それはおかしいだろっていうと、そもそも君が1番はずれてるじゃないかと逆に説教したくなったりして、まあ面白いやり取りはしています。
親父 ボスも暇だから、そういう会話を楽しんでいるんだろうということにしておこう。
息子 そういうことで。ただ全く違う文化に触るっていうのはやっぱり大事だなというのは思った。日本の中にいたら絶対分からないからね。ああ違うな、変だと思うだけで通りすぎちゃうからね、俺の場合は高校生のときのスタンダードにまだたまに戻れるけどね、でも、今の俺は完全に日本の普通という枠からはずれているっていうのがある。日本にいたら、普通という枠にはまって危険な状態になっていたなと思うから、それは恐いことだよ。
親父 これは時代の問題になっちゃうんだけど、我々の若いころは、あるいは高度成長時代はっていうふうに言ったほうがいいと思うんだけど、普通という枠にはまることによって、ハッピーになり得るっていう幻想があったわけなのよ。俺はそうは思わなかった、というか、感覚的にそれが非常にいやだったけどね。
息子 まあ、みんな同じように給料が上がって。
親父 そう、生活は豊かになって。
息子 親父の世代は、それが全部現実になったわけでしょう?
親父 ある程度ね。じゃあそれで満足するかどうかっていうのは、また別の問題。人間っていうのは複雑なものだから、俺みたいなへそ曲がりがいて、そうなることがハッピーだなんてちっとも思わないよっていうやつだっているわけだよ。ねっ。マジョリティは違うよ。圧倒的マジョリティはそれでハッピーだと思うから、NHKの「プロジェクトX」なんて、一億国民がみんな団結して頑張って、あの頃はハッピーでしたという。まるで幻想放送局だよ。でも、例えば、親父の長年の友達のTみたいなやつがいるわけだよ。結婚はするけど子供はいらない。それよりとにかく自由でいたいっていうやつだよ。だけど自由でいたいけど、そのために特別な何かをするわけじゃない。
息子 でも、1サラリーマンとして自由になろうとしてきた。
親父 サラリーマンなんだけど、サラリーマンとして最大限自由でありたいっていうふうに思って彼はやってきたんだよ。きっとね。
息子 だから、そういう会社というか、そういう社長に出会うまで転職することはいいことなのね。
親父 彼は大学出て某大企業に就職して、初日にネクタイ締めないで、ジーンズ着て出社した。その結果、1年間そのことでとことんいびられ抜かれたわけだよ。もちろんネクタイを忘れたんじゃなくて、意図的にそうしたんだよ。で、一年後に辞めて、外資に転職した。
息子 それは面白いやり方だね。俺さえもできなかったから。
親父 あんた同じことやったでしょう。フランス系企業のときに。ネクタイ締めないで。で、「あんたは外国人かもしれないけど、ここは日本ですから」っていわれたんじゃなかったっけ?
息子 そうだ。忘れていた。そういうこともあったね。でも、俺2日目からはちゃんと背広に着替えて行ったからね。
親父 Tも翌日着替えたどうか知らんよ。その後どうしたかは、彼からあんまり真剣に聞いたことないな。まあ、今度会ったらちゃんと聞いてみよう。
息子 でも、Tさんはいじめ抜かれたわけでしょう。
親父 やっぱり最初の1日目に背広着ない、ネクタイしないと、それがとことん祟るんだよ。日本の大企業って。終身雇用だから、周りがそれを忘れないんだよね。本人が忘れても。
息子 まあ、そうなのかな。Tさんの最初の就職先は、俺の元カノの職場でもあるんだけどね。
親父 そこは日本を代表するブルーチップ企業でしょう。給料も悪くないよね。会社に忠誠を誓う従業員であれば、つまり良い会社に働いて良い給料をもらうことが幸せだと思える人にとっては、日本の大企業への就職は良いチョイスなのかもね。
息子 だけど、元カノの話では、彼女の会社はうつ病が多いらしくて、2年間会社に来られないという社員がいるっていっていた。
親父 2年間来られないって、何それ。
息子 1カ月出社すると、次1カ月休んじゃうという。で、とうとう2年休んでいるんだって。なんか、男のくせに情けない奴だと思うんだけど、元カノのほうがよほどばりばり働いているよ。
親父 やっぱりよっぽど会社がサプレッシブなんだろな。抑圧的なんだろうね。
<息子の受けたエチオピアン・ショック>
息子 そうなんだろうね。でも、脱線し過ぎてる。アイデンティティの話。
親父 そうだな。
息子 日本にいたらみんな梅雨の季節には、とりあえずうっとうしいって言うわけね。雨ばっかり降って憂鬱だなって言うわけだよね。で、俺も同じことを言ったのね。でも、俺の最初のルームメイトはエチオピア人だからさ、それを言ったら大反撃を食らったわけだよ。「何を言ってるんだ、雨は天からの恵みだ」って。
親父 それは、ウェスト・バージニア州立大学で?
息子 そう。エチオピア人のルームメイトに「雨がゆううつだ」って言って怒られた時、あっ、日本人の価値観っていうのは何なんだろうって思わされた。雨は天からの恵みだろうと、まあそれは確かにエチオピア人、アフリカ人から見たらそれはそうだろうって。
親父 そうだろな。干ばつ、ドラウトが1番の問題だもんね、彼らにとっては。
息子 雨はやだというだけで、日本人の見識のなさが分かるという。平和な国だなって思った。雨が憂鬱、雨で憂鬱になれるってことは。アフリカはは食糧危機だっていうのに。
親父 雨が降らないと植物が育たない。植物が育たないと家畜が食うものが無くなる、家畜が食うものが無くなるとミルクが出ないし、チーズもできない。エチオピアは遊牧と牧畜の国だからね。
息子 そう。雨が降らないと肉も安心して食えない。雨が降らなくても食物の心配をしなくていい国っていうのは、日本は何ていう平和で恵まれた国だなって思ったよ。どうでもいいような日常会話から目茶苦茶学んだし、色んなことに気付いた。それは日本にいたら絶対あり得ない会話だから。
親父 そうだよな。雨か、ああ憂鬱だね、そうだね、いつ晴れるんだろうねっていう話にしかならないからな、日本だったら。
息子 いかに人々が脳死しているかっていうのが分かるわけだ。日本にいると。
親父 そうだね、刺激を受けないと思う。まあいいやちょっとこのくらいにしようか。疲れた。少し休もう。
息子 まだ全然やってないような気がするけど、確かに疲れた。
プロフィール
- 親父
- 1946年 岐阜県生まれ 1965年 県立岐阜高校卒業 1965年 東京大学教養学部文科3類入学 1669年 同大学中退 その後主として文筆関連業に従事して今日に至る。
- 息子
- 1974年 東京都生まれ 1993年 東京都立国立高校卒業 1994年 米国ウェストバージニア州立大学入学 1998年 米国ニューヨーク州立大学卒業 1998年 日系企業に現地採用で入社、米国CPA資格を取得 2003年 帰国、米国系IT関連企業に就職 2005年 フランス系化学関連企業に転職 2007年 米国系ヘッジファンドに転職 2009年 日系企業の欧州法人に勤務 現在ドイツ滞在中
- 手術結果
- 親父、2008年8月 肺がん手術 右肺上葉を切除。腫瘍の大きさは長径68ミリと大きかったが、浸潤・転移なし。2010年8月現在転移・再発せず。生存中。
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