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第五章


<青年がコミュニズムに向かった時代があった>
息子 おはよう。第2日目ということで始めましょう。昨日は親父が大風呂敷を広げて近代史を語ったわけだけど。元々書き残しておこうと思っていたのは何を書くつもりだったの?
親父 書くとすれば、やっぱり昨夜話したようなことになっただろうね。特に切迫して書こうと思っていたわけではないけれどね。キミが持ってきた中公新書の島さんの本に目を通したんだけど、当時起きたことを克明に掘り出して、記録として後世に伝えよう。そういう意気込みと意図で書いている。それはそれで非常に貴重な仕事だと思うんだけれども。
息子 ドキュメンタリー?
親父 であり、当時の心情告白も含んでいるね。
息子 じゃあちょっと堅すぎる?
親父 いや、そういうことじゃなくて、同じ昔話なんだけど、性格が違うんだっていうことをちゃんと言っておきたいんだよ。性格が違うっていうことはどういうことかっていうと、この対談は親子で話すっていうスタイルも含めて、今日ただいま60代になった元全共闘親父が、今から振り返ってあれは何だったんだということを、2008年っていうこの時点で、なおかつ死が遠くない先に迫っているという時点で、今から考えるとあの一種異様な時代は一体何だったんだったのかということを考えるって視点なんだよ。人類史っていうとオーバーだけれども、近代史とか、20世紀史を考えたとき、あれは何だったんだろうっていうこと。それを考えたかった。また、そういうふうに考えるのが、この俺という人間の個性でもあるわけだね。
なかでもポイントとして触れておきたいのは、ロシア革命の成功によって、社会主義というイデオロギーが人類の希望であるかのように見えた時代が、相当期間続いたってことだね。20世紀の前半を通じて、ずっとね。ソ連共産主義がナチスドイツを打ち倒すための決定的な役割を果たしたってことも入れて、ヨーロッパ文明の救済者であるかのように見えた時期があった。終戦から1950年代にかけて、イタリアやフランスでは共産党が30%の投票率を得ていた時代があったんだよ。社会主義とか共産主義とかいう思想が、青年にとって非常に魅力的であった時代があった。1920年代から30年代の戦前の日本、日本共産党ができたころ、その主力は東大とか京大の学生だったんだよ。
息子 それって今の若者が、公務員指向になっていることと似てるわけ、安定を求めるような感じ。
親父 全然違うよ。社会の変革を求めていたわけで、自己の生活の安定を求めていたわけではないよ。
息子 オバマみたいにチェンジっていうわけね。
親父 革命を求めていたわけだから、それはもう全然、公務員指向とかいう話じゃない。社会主義じゃなければ人類は救えないと、戦争や貧困は無くならない。社会主義革命こそが戦争を無くし、貧困を無くす唯一の道であるっていうことが、広く信じられた時代があった。特に知識階級の青年たちに信じられた時代。
息子 つまり、それは社会主義の支配階級が、ものすごく高い倫理観を持たないと達成できない目標を掲げたっていうこと?
親父 社会主義の支配階級って、実際上どこにもいないよ。社会主義国家はソ連しか存在しなかったんだから。1920年代とか30年代でいえば、スターリンをトップとするソ連邦だけしかない。日本共産党にしたって、コミンテルの日本支部なんだけれども、地下活動しかしていないんだから、彼らは支配階級でも何でもないよ、東大だとか京大の学生に過ぎないんだよ。
息子 うんそれは分かったけど、変革を求めるということは、何か現状に不満かあってことでしょう?
親父 現に、目の前にある不正があるわけじゃない。
息子 そのまあベトナム戦争とか
親父 いや、いまは戦前の話をしているわけだから、1920年代、30年代の話だよ。昭和初期だね。金融恐慌昭和恐慌と連続した経済破綻の下で、東北地方では餓死者が出るような状態があり、娘を遊廓に売らないと飯が食えないような困窮があった。これが当時の共産主義運動が直面した現実だったし、2.26事件のような軍のクーデタを生んだ基盤でもあった。
息子 それはアメリカの大恐慌の日本バージョン、世界恐慌の中で日本がそういう窮地に陥ったということだね。
親父 そう、その通り。アメリカも日本も悲惨な状況になった。「蟹工船」はまさにそういう世界を描いた。アメリカで言えば「怒りの葡萄っていう小説があるんだよ。
息子 全然知らないけど。
親父 これは必読だよ、1930年代のアメリカを理解するためには。「蟹工船」のアメリカバージョンなんだけど、小説としては「怒りの葡萄」のほうが、圧倒的に出来が良い。スタインベックっていう作家だよ。大恐慌の影響でオクラホマの農地を追われて、カリフォルニアに流れて行く農民一家の話だよ。
息子 はいはい、読んでおきましょう。
親父 1930年代の世界恐慌で、アメリカも日本も世界中が悲惨なことになっている。その中で、ソ連だけが世界恐慌と無関係で経済成長を続けていたわけだね。そのことが、世界的に共産主義に対するシンパシーを生み出した。この間に、じつは、スターリンが大粛清を行い、シベリアに強制収用所が至るところに作られていたんだけど、当時そういうことはほとんど分からなかった。
息子 今のロシアもそれほどサブプライムの影響を受けてない。資源国であり、石油があるからなんだけどね。当時はちょっと違うのかな。当時は資本主義を取ってなかったから助かったっていうのかな。
親父 そう、孤立した一国経済だからね。世界市場とはまったく繋がっていないからね。輸入もなし、輸出もなし。だから恐慌なんて関係ない。
息子 鎖国状態だね。
親父 世界中の恐慌状態をよそ目に、20年代から30年代にかけてソ連経済は大成長した。そして、その大成長が独ソ戦におけるソ連勝利の経済的背景になった。まあ、そういうことなんだよね。
息子 シンプルにいうとそういうことなのね。
親子 うん、シンプルに言っちゃうと、色々な理由があるけど、とにかくコミュニズムが魅力的だった時代があるわけだよ。それはずーっと続いたわけだよ、第二次世界大戦後もね。たとえば日本が戦争に負けたあとの昭和20年代なんて、コミュニストじゃない青年っていうのは非常に少なかった。有名な人物としていえば、読売の最大の実力者である渡邉恒雄氏、ナベツネでしょう。あの人は日本共産党の東大細胞のキャップだったし、彼の盟友である日本テレビの氏家薺一郎氏は、東大細胞において渡辺恒雄の右腕だった。西武百貨グループの堤清二氏も、当時の有力な共産党員だった。樋口広太郎さんっていう、経団連の副会長やっていた人も。
息子 アサヒビールの社長だった人?
親父 そう、アサヒビールの樋口さん。あの人は京都大学の自治会の委員長で、全学連の副委員長かなんかをやっていたと思う。もちろん、この人たちは後に共産党員であることをやめていくんだけれどもね。
息子 世渡りで共産党を辞めていったのかな。
親父 それは一人一人に聞いてみないと分からないよ。世渡りだけではないと思うよ。やっぱり、深刻な葛藤を経てコミュニストであることをやめていったと思うよ。渡辺恒雄も堤清二も、アサヒビールの樋口さんにしても、それは同じでしょう。

<コミュニズムの残照、1960年代>
何が言いたいかというと、若くて感受性があり優秀な青年たちが、コミュニストになることが当然だった時代があった。そういう時代がけっこう続いた。その後、日本共産党自体の魅力は失われているけども、共産主義自体の魅力はまだ失われてないっていう時代があった。それが1960年代だっていうことなんだよね。新左翼とか三派全学連というのは、そういう時代の産物なんだよ。つまり、日本共産党は堕落してしまってもうだめだけど、そうじゃないコミュニズムをちゃんとやろうじゃないかっていうのが昨日言った、三派全学連を形成した三派とか、革マル派とか、そういういわゆる非代々木系、非共産党系の運動なのね。こういう新左翼っていうのは、だいたい50年代の終りごろから出始めた。
その非共産党系の左翼組織が政治運動の前面に出てきたのが、60年安保だよ。キミが昨夜言っていたように、樺美智子さんっていう東大の女子学生がデモのなかで亡くなったんだけど、彼女が参加していたのは共産党系のデモではなくて、反共産党系の全学連のデモだった。彼女は日本共産党ではなく、日本共産党から分裂した共産主義者同盟、ブントっていうふうに呼ばれていた組織に属していたんだよ。その活動家だった。つまり、もう60年安保の時点で、日本共産党と新左翼は完全に切れちゃったわけよ。で、多くの学生青年は、傾向的には、日本共産党よりも、新左翼と呼ばれた三派を中心としたセクトに魅力を感じていった。
息子 メインの違いは何かな、共産党とその三派の新左翼
親父 共産党の官僚主義と議会主義。共産党はまあある時期から選挙運動の党になった。選挙で党勢を拡大するっていう党になって、それに対する強い反発があった。革命っていうのは暴力革命であって、議会主義とか選挙によるものじゃない。そういう議論だよ、基本は。
息子 まあそういう正式な手続きを経ずに、無理やり暴力で政権をぶん取ろうとしたのが新左翼というわけね?
親父 いわゆる暴力革命論だよね。ロシアでボルシェビキがやったことを再現しようということだね。事実、ロシア革命はそのようにして起こった。選挙で多数派取って共産主義になったわけじゃなくて、革命と称してはいるものの事実上のクーデターで政権を取ったわけだね。ソ連とはちょっと違うけれども、中国共産党も当然武力で政権を取った。蒋介石の政権と多年にわたって交戦して権力を取った。毛沢東の有名な言葉があるけど、「権力は銃口から生まれる」っていうんだよ。
息子 でも、実際問題として、左はベトナム戦争反対という点で世論を味方につけたわけだから。まともに選挙で闘ったら、勝てたんじゃないかなと思うんだけど。
親父 代議制民主主義における選挙というやつはそういうものじゃないんだよ。ベトナム戦争反対かどうかというシングル・イシューで投票するわけじゃない。例えば、「佐世保への原子力空母の寄港を認めますか?」というシングル・イシューで国民投票をすれば、反対派が勝つ可能性は少なくなかったと思うけどね。
息子 でも、そんなことはできないのか。
親父 そういう話ではないね。
息子 農協へのばらまきで取れる票とかのほうが強かったわけ。
親父 国政選挙というものは、シングル・イシューの賛否を問う制度じゃないんだよ。
息子 だって、政党は公約はするけれどもみんな嘘だからね。
親父 代議制の投票で選ぶのは、誰に統治させるかなんだよ。個々の政策ではないんだよ。基本的に。
息子 それはそうだ。
親父 誰に投票すれば自分の生活が良くなると期待できるか、自分の利益を守ってもらえるか。それを考えると、やっぱり自民党でしょうとか、あるいは労働組合の人間であれば社会党でしょうという話になる。で、統治者を選ぶ場合には、マジョリティは自民党になるわけだね。
息子 そうか、学生運動っていうのはベトナム戦争派反対のポリシーはあったけど、経済政策とかがしっかりあるわけじゃないってことね、実際問題として。
親父 現実論としてはその通りだね、単に革命をするって言っているだけの話であって、じゃあ革命の内実は何か、安全保障政策はどうするか、経済政策はどうやるかなんてことは、革命をすると言っている本人だってよく分かってはいない。権力からは遠い分だけ、リアリズムを欠いていたわけだね。
で、何を言いたいかっていうと、三派全学連ってなんだったのということを言いたかったんだけど、三派全学連っていうのは、コミュニズムが輝きを持った時代の最後だったということ。それを言いたかったのね。昨日もその話をしたと思うけど、三派全学連なくして全共闘はないんだよ。つまり、三派全学連の活動家が全共闘をオーガナイズしたってことはそのとおりなんだよ。三派に限らないけどね、フロントとか革マル派とかも全部全共闘に入るわけだからね。非代々木系のコミュニストであると自認する活動家たちが、全共闘運動のベースを作った。だが、しかし、全共闘は、明らかにこれらコミュニストの活動家たちを越えたんだよ。なぜならば全共闘はコミュニズムを前提としなかったから、全共闘を支配したのは、いや、支配したっていう言い方はおかしいな。
息子 別に戦争反対だったらオッケーと。

<全共闘の仮想敵は統治のシステム>
親父 うーんと、私の長年の友だちのT君なんて、コミュニスト的な要素なんてどこにも無いわけだよ。
息子 バリバリの快楽主義者
親父 快楽主義者だし、車は大好きだしさ、スカイラインGTに乗っていたし。そういう人間には、コミュニストの如く革命のために一身を犠牲にするなんて発想はどこにもないわけだよ、元々。そういうやつが、でも、全共闘だったんだよ。とってもお金持ちのお嬢さんで、外車を運転して大学に通っていた人もやっぱり全共闘で、彼女のビュイック・スカイラークにゲバ棒積んで、出来たばっかりの首都高速道路を通って、本郷まで助っ人に言ったこともあったよ。民青とのゲバルトだったけどね。
息子 彼や彼女は、ただ単に、運動が盛り上がったから巻き込まれたっていう感じ、それとも?
親父 そういう学生だって、大学当局がやっていることはおかしいだろって思って、全共闘に参加したわけだよ。
息子 ベトナム戦争はおかしい。
親父 ベトナム戦争はおかしいし、東大当局もおかしいんだよ、学生の目から見るとね。
息子 全共闘の仮想敵は、教育委員会みたいなもの。
親父 この辺が実は説明が一番難しいところなんだけどね、元全共闘の参加者に聞いても、何が敵だったかを語るのはそれぞれ違うんだと思うんだよ。で、俺の考え方を言えば、全共闘の仮想敵はシステムだったんだよ。エスタブリッシュされたシステムだったんだよ。俺の言葉でいえばね。統治のシステムそのものがはらんでいる悪。
息子 政治システム?
親父 政治だけでなく経済システムも教育システムも全部含めて、日本のシステムがおかしいという認識だったんだよ。少なくとも俺の場合はそう思っていた。で、おかしい日本のシステムの1つの表われが教育のシステムだよ。ここでシステムというのは非常に広い意味で言っているんで、教育制度というような狭い意味ではないよ。東大闘争というのはまさにそこから始まったんだよ。
息子 島さんも書いてあったけど、教育システムがおかしいって。
親父 教育システムっていうか、例えば、大学教授と学生との関係とかね。非常にオソリタリアニズムなんだよ。権威主義だね。間違った処分を平然と下してしまう。
息子 相撲協会みたいな感じかな。
親父 医学部の学生が、インターン制度など医学生の教育システムを巡って教授会と交渉をした。その交渉が教授たちの目から見ると反抗的であり乱暴に見えた、教授に対して学生たちが罵詈雑言を浴びせたっていうんだね。で、そのことを理由に、教授会は医学部の学生何人かを退学処分にした。だけど、退学処分にした学生のうち少なくとも1人は、そもそも交渉に出席していなかったんだよ。アリバイがあった。にもかかわらず、教授会はその処分を取り消そうとしなかった。
息子 間違いを認めなかったんだ。
親父 間違いを犯したことを認めなかった。
息子 警察の冤罪事件と同じだね。
親父 最後の最後にどうなったかというと、東大闘争のどん詰まりになって、「この際」処分は取り消しするものとするっていうふうに教授会が言ったわけ。「この際」っていう表現は、アリバイがあったことを認めて、教授会が謝るのではなく、お前ら学生がうるさく言うから、しゃあないから処分は取り消すよっていうふうにしか読めないわけだよ。
息子 仕方ないから取り消したと。
親父 教授会の声明にそういう言葉が出るというのは、システムの問題であり、システムが生み出している悪なんだよ。こういうシステムを拒もうとしたのが、全共闘だったんだと俺は考えるよ。三派全学連のセクトは資本主義を覆す社会主義革命を目指したけれども、全共闘はシステムに対する拒否を行ったわけね。当時の言葉でいうと異議申し立て、英語ではオブジェクションだよ。コンシエンシャス・オブジェクション、良心的徴兵拒否のオブジェクション。
息子 今の時代の学校の先生というのは、基本的に公務員だよ、彼らは別に教えることへの情熱もそれほどなくて、ただ単に文部省の指示通りに教えさせられているっていう形だし、モンスターペアレンツに逆に教えられているっていう、わけの分からん状況がある。俺から見ると、当時の先生のほうがよかったんじゃないかっていうイメージがあるんだけどね。一人一人の先生としてはレベル高いけど、システムとしてはダメだったってこと。
親父 学部によっても、教授個人によっても大きく違うとは思うし、素晴らしい教授もいたと思うけどね。だけど、当時からシステムの劣化がもう始まってたんだよ。60になった親父の多年の経験から説明するとね、システムの劣化の根源を突き詰めると、組織と個人の関係という問題に帰着するわけだよ。個人として付き合っている分には、知識は豊かだし、性格的魅力ももっているし、友達として申し分のない人が、彼の属する組織の公的立場が明らかにされた瞬間に、まったく別の顔になってしまう。そういうことがしばしば起こるんだよ。システムが劣化すると。
当時の東大医学部の教授だって、一人ひとりを取れば人格識見とも豊かな人がたくさんいただろうと思うわけだよ、そうでない人もいたとも思うけどね。でも、どんな魅力的な教授でも、一端教授会としての立場、例えば「アリバイは認めない。学生には謝らない」という立場を決めてしまうと、それに逆らえないし、逆らわない。内心でどう考えていようと、能面のような無表情で、公式声明を繰り返すだけになってしまうわけだよ。例えば、こういう状態が、俺のいう悪を孕むシステムということなんだけどね。で、キミもよく知っているように、こういう状況は、今日の日本のいたるところで起こっているわけだよね。
息子 しかし、今の教育状況と比べたら昔は全然いいよ。だって今は、円周率が3とか、わけの分からないこと教えるんだよ。真顔で。
親父 そうだろ、真顔で教えるんだよ。円周率は3だって教えるのは、間違っているとたいていの先生は思っている。それなのに、文部省がそう決めたから3だって言っている。究極のシステム劣化だよ。
息子 まあ、そういうことだね。

<異議を受け付けない権力は必ず腐敗する>
親父 全共闘は劣化しつつあるシステムに対して異議申立てをした。その異議申立てを、最終的に機動隊の力で叩き潰した。そこで何が起ったか、その後の歴史に大きな傷を残したと俺は思うんだよ。つまり、異議を申立てたやつは叩き潰されるっていうことを広く知らしめたんだよ。異議申立てをすれば叩き潰されるんだから、異議を申立てしてもしょうがないっていう諦めになる。いわゆる政治的無力感であり、政治的無関心になるわけだよね。その上に、昨夜いったような異議申立て者の末裔たちが引き起こした幾つかの芳しくない事件が重なって、無力感はますます深くなり、やがて異議申立てする奴が日本社会からほとんどいなくなっていった。キミが対談の冒頭で言ったように、暴動を起こす元気もなくなっていったわけだよ。で、何が起こったか?異議申立てをされない権力っていうのは必ず腐敗するんだよ。あるいは、異議申立てを叩き潰すことしかできない権力は腐敗する。現在の中国がその典型でしょう。異議を申し立ててもすぐ叩き潰されるか、役人たちの腐敗がすごいわけだよね。日本に関していえば、システム悪は1960年代よりよほどひどくなっている。あんたの言う通りだよ。
息子 そうなったのは、当時の学生がそのときに叩き潰されたからじゃなくて、当時運動した学生たちが40歳とか50歳とかになって、システムの悪をそのまま継承したということなんじゃない。当時学生運動した人たちが官僚のトップとか、政治家のトップとかになったときに、若いときを振り返って、異議申立てを引き受けられるシステムにしようとか、マイノリティを認めるようなシステムにしようということを、40代、50代になって考えなかった。それが問題だったんじゃない。若いころは信念を持ってやっていたけど、自分たちが実際に権力についちゃったら何もしなくて、システムをそのまま継承してもっとひどい世界にしちゃった。そこが問題なんだと俺は思うけどね。
親父 現在俺と同じ団塊世代に、自民党とか民主党の有力政治家がいるよね。谷垣とか、町村とか、鳩山兄弟、枡添とか。彼らは当時東大の学生だったと思うんだけどね。
息子 彼らも当時は全共闘にはいたわけでしょう、あっ、それは分かんないか。
親父 俺はよく知らないよ。彼らは全共闘じゃなかったんじゃないのかな。個人個人がどうだったか知らないけど、むしろ全共闘を叩き潰す側にいた人たちじゃないかなと思っているけどね。個人的に知っているわけではないから、無責任なことはいえないけどね。
息子 全共闘の活動家たちは出世できなかったのかな。警察のブラックリストに載ってた人たちは出世できないとか?
親父 いやそんなことはないと思うけど、少なくとも、我々の世代までは、全共闘の活動家であっても、いやあれは若気の至りでしたで通ったからね。
息子 けっきょく自分たちが上に行けば、自分たちの都合のいいようにやるっていうだけの話か。
親父 うん、ということもあるだろうしね。むしろあの時代に、昨日言ったと思うけど、クラス連合なんかにいた人じゃないかなって、個人的には思っているんだけどね。
息子 クラス連合は、卒業したい派ね。
親父 うん、卒業したい派だね、あるいは進学したい派。早くストライキ解除しろ、全共闘はスト止めろ、我々は大学で勉強したいんだっていうふうな人たちだね。その一点で、クラス連合と共産党は一致した。昨夜言った通りね。
息子 あっそう。後に体制のリーダーになる人たちと日本共産党が、当時は完全に一致したんだ。
親父 そうだよ。学生には学ぶ権利があるのに、ストライキを続けようとする全共闘は、学生の学ぶ権利を踏みにじっている。日本共産党はそういう論理だったんだよ。
息子 どちからというと、システム側についちゃったんだ。
親父 そうそうそう。我々は彼らのことを秩序派って呼んでいたんだけど。
息子 無秩序派って呼ばなかったのが面白いけど、まあいいや。
親父 要するに、既存秩序を尊重するっていう意味で、秩序派なんだよ。アメリカで言えばローアンドオーダー派だよ。アメリカの保守はローアンドオーダーって常に言うだろう。
息子 うん、俺から見ればそっちのほうが秩序を乱していると思うんだけどね。
親父 秩序派と共産党が野合した。本郷の場合は安田講堂は機動隊によって武装解除されて、バリケードを解除された。駒場の場合は、我々が立てこもっていた第八本館は、その回りを取り囲んだクラス連合と民青によって攻め落とされたわけだよ。
息子 民青って何だっけ?
親父 共産党だよ、共産党の青年組織。
息子 じゃあ機動隊は入ってないの?
親父 機動隊は入ってないよ、駒場には。
息子 おお。
親父 駒場はだから、学生たちの手によってバリケード封鎖が解除されたんだよ。学生とは言っているけど、その実、学生じゃないんだけどね。民青の場合は。民青の主力は、実は学生じゃなくて労働者だったんだよ。ここのところは、誰もがあまりちゃんと話していないと思うからキチンと言って置きたいんだよね。例によって話が長くなるけど、ゆっくり聞いて下さい。

<1968年春、赤坂警察署の夜は更けゆく>
昨日話したけど、親父が王子の米軍病院に飛び込んだでしょう。そのときは、逮捕されて赤坂警察署に拘留されたんだよ。国道246で赤坂見附から渋谷の方向へちょっと行った左手にあるんだよね。当時非常に有名だった西田佐知子っていう歌手がいたんだけどね、後に関口宏っていうタレントと一緒になった人。
息子 あーはい、関口宏は知っているよ。
親父 そう司会者の関口宏の奥さんなんだけど、その人が1960年代の流行歌手で、ヒット曲の中に「赤坂の夜はふけて」っていうヒット曲があったんだよ。で、俺が王子病院で捕まった時の赤坂署はもうすごい満員で、各部屋とも定員いっぱいでパンパンなんだよ。一部屋6人が定員で、全部で30人以上いたと思うんだけどね。で、晩飯を食い終わると、留置人がみんなで歌を歌出だすんだよ。それが西田佐知子の「赤坂の夜はふけて」っていう歌なんだよね。サビが「アカサカの夜は更けゆく」っていうんだけど、その部分になるとみんなで大合唱になるわけだよ。警察官も止められないんだよ。みんなで歌っちゃうからさ。
息子 まったくしょうが奴らだよね。
親父 それで、留置所にいる連中が、「美智子さまもご存じあるまい、こんな世界がすぐそばにあるなんて」って言いあうわけだよね。当時の皇太子夫妻、現天皇夫妻は赤坂離宮に住んでいたから、赤坂署のすぐそばにいたわけだね。
息子 もうお祭り状態で。
親父 そう、あんたのいうとおり、なんかお祭り状態だったね。入っていたのは学生だけじゃないよ、学生なんて、俺の他にもう一人いたくらいで、かっぱらいもいりゃ、すりもいりゃ、窃盗もいるし、やくざもいるし、詐欺師もいた。喧嘩して相手に怪我させた奴とかね。
息子 普通の犯罪者もいるわけね。
親父 で、俺みないな学生運動関係は、なんていうのかな、留置所ではよそ者なわけだよ。プロの犯罪者の間では、客人待遇なわけ。留置所で一番威張っていたのが、実は詐欺師なんだね。朝飯を食い終わると、「おーい」って看守を呼ぶんだよ。「六法全書とメガネ」って持ってこさせるんだね。大体、留置所では、メガネは取り上げられるし、本も読めないんだよ。差し入れの本が読めるのは拘置所だけなんだよね。でも、公判に関係がある書類は読めるらしいんだよ。だから、六法全書を持ってこさせて、分厚い牛乳瓶の底みたいなメガネを持ってこさせて、一日中六法全書を読んでいるだよね。聞くと、どうも高名な詐欺師らしいんだよね。次の詐欺に備えて、留置所で勉強しているわけだね。
息子 なるほど、親父は結構な社会勉強をしたわけだ。
親父 そう。そのへんの話は浅田次郎さんが小説に書いていて、読んだときに懐かしかったんだけどね。
それとね、もう一つ今となっては経験した奴も少なくなっているんだけど、この時は赤坂署に13日間いて、最後の10日間を巣鴨の拘置所、いわゆる巣鴨プリズンで過ごしているんだよね。東条英機たちが収容されていた拘置所だよ。69年に巣鴨拘置所は小菅に移転しているから、親父は巣鴨プリズンの最後を知っているわけだよ。で、巣鴨プリズンの跡地が、今は池袋サンシャインシティになっているんだよ。これは自慢話ね。

<若き警察官と若き学生の問答>
で、ここからが本題なんだけどね、ある夜の赤坂署の出来事なんだけど、夕飯が終わって、いつものように西田佐知子も歌ったし、寝ようかなってときだよ。俺はそのとき、部屋の廊下側に寝ていたんだけどね、コンコンって鉄格子を叩いて俺の注意を引いてから、一人の警察官が話しかけてきたんだよ。「K君、K君」っておれのことを呼ぶんだよ。看守の警察官なんだよ。「K君、ちょっと話がある」って。1968年3月、俺はまだ中核派に身を置いていた時期だよ。
警察官で看守をやっている人は出世コースに乗っているんだよ。警察官はまず最初に交番勤務をする。そのなかで成績のいい若い人が看守になる。そこで犯罪者の実相を観察してから刑事になるんだよせ。制服勤務から私服勤務になるわけだよね。看守になって犯罪者っていうのを良く見とけよと。それから刑事になる。で、その警察官が、「実は俺は今度刑事になることになった。それも公安の刑事だ」っていうわけよね。
息子 出世コースだよね。
親父 「そこで聞きたいんだけど、もし君らが政権を取ったらどうなるか教えてくれ。上司は、『君らが権力を取ったら公安の刑事はみんな殺される。お前らはみんな殺されるから、革命を起こさせないようにお前らは頑張らなければならない』って聞いている。で、君らが政権取ったら本当に公安の刑事をみんな殺すか」って聞くんだよ。つまり何を言いたいかっていうと、こいつらがひょっとして権力を取るんじゃないかっていう危機感を
息子 マジで持っていたんだ。
親父 若い留置所で看守をしていた現場の警察官が、真剣にそういう危険性を感じていたんだよ。まあ、警察の上層部がそういうことによって、若い警察官に学生に対する憎しみを植え付けようとした側面もあったんだけどね。
息子 お前ら殺されるから、一生懸命きゃつらを押えろということね
親父 そう。だけどひょっとして、こいつらが勝つのかもしれないという危機感も心の一部にあった。少なくとも、俺に話しかけてきた警官の心の中にはね。
息子 それは超オフレコの会話だね。
親父 もし権力を取れば、俺は東大なわけだから、彼らの目から見れば革命派のエリートのように見えるわけだよね。だから、もしこいつらが政権を取ったら、その政権の中枢にこいつは座っているはずだ。そういう奴に公安の刑事をどう扱うのかを確かめておこうっていう気持ちだったんだと思うよ。俺は元から権力中枢に座りたいなんて気持ちは無かったしね、その頃にはコミュニズムがいやになり、中核派がいやになっていた時期だったけどね。
息子 だから何て答えたの。馬で街中引きずり回すとかそういうことを言ったわけじゃないでしょう。
親父 革命が起きたとしても、警察は必要なんだよといった。治安維持は社会にとって必要なことだからね。革命派を弾圧したトップはともかく、公務で公安の刑事をやった人間を殺すなんてことはありえない、拷問するとかよっぽど悪いことをすりゃ別だけど、全員殺すなんてないよ。と、まあ非常に常識的な答えをしたけどね。事実、ロシア革命でも権力機構のメンバーが全員殺されたなんてことはないしね。
息子 あんたらは政権取れなかったけどね。
親父 その話はまたあとでするけど、俺のなかで政権を取るというような気持はなかったんだよ。組織の活動家でいた時期にもね。それについてはあとで話すけどね。
息子 とりあえず、彼の質問には極めてまともな答えを返したわけね。
親父 そうそう。真面目な質問だったから真面目に答えた。もう1つ、ここら辺になってくると非常に微妙な話になるんだけど、全共闘のメンバー、機動隊の警察官、それから民青の同盟員、この三者の間には、ある種の階層的な関係、というか差異があるんだよ。階層的な上下関係があったのね。少なくとも当時はね。当時、大学進学率は20%程度。だから、学生というのは恵まれた家の子供だったわけだよ。この俺が典型だけどね。
息子 お坊ちゃま。
親父 そう、お坊ちゃまなわけだよ。一言で言えばお坊ちゃまとお嬢様なわけだ。これに対して、キャリアを除く多くの警察官は、今は学卒の警察官も増えているみたいだけど、当時は高校を卒業して警察学校に入って警察官になるってコースだった。そういう意味では、恵まれた家庭とは言いがたいけど、まあ平均的な日本の家庭で育った人たちだった。だから、お坊ちゃまに対して、多かれ少なかれ憎しみを持っていた。
息子 憎しみというか妬み、お坊ちゃまに対する。
親父 ジェラシーもあるし、憎しみもある。さらに言えば、平均的な警察官が持っているお坊ちゃんに対するジェラシーや憎しみを、警察の上層部が意図的に扇動もしていたと思うよ。「世の中のこと何も分かってない金持ちのお坊ちゃまどもが、甘い夢を語って世の中を乱している。お前らは社会の中堅だけど、大学に行けなかった。悔しかっただろう。あいつらに社会の厳しさを分からせてやれ」とか言っていたわけだね。まあ、一種のイデオロギー的な洗脳もしたわけだね。
息子 しかも、あいつらに政権取られたら殺されるってね。
親父 そう、それに加えて、階層的な恨みに火を注ぐような教育をやった。だから、機動隊の学生運動に対する憎しみは、半端なものではなかった。間違いなくね。
その辺が、どうも親父が日本国を好きになれない理由なんだね。「あいつら学生は法律を犯している。だから、法執行者として警察は彼ら取り締まるんだ」と、簡単に言えばいいわけだよ。法治国家の警察のトップであれば。そうは言わないで、対立を煽り立てたわけだよね。で、そういう日本国の警察と、徴兵忌避者を守ったアングロサクソンの警察と比べるわけだよ。どっちが素晴らしいか。俺はこの一点で、アングロサクソン的リベラリズムに敬意を表したいわけだよ。

<階層を映し出す、全共闘、機動隊、民青>
この話には続きがあるんだよ。全共闘、機動隊と来て、その先に民青っていうのがあるんだよ。戦前から戦後にかけての共産党は、たとえば宮本顕治だとか、不破哲三なんて、東大出なわけだけよ。しかし、少なくとも1960年代後半には、日本共産党は最も感受性の豊かな学生たちにとっては、全く魅力的ではなくなってきたわけね。我々の世代で共産党に入ったという例外もいたけれども、1970年代の党内粛清で共産党を追い出されているんだよ。
じゃあ、1960年代の日本共産党が誰にとって魅力的だったかっていうと、それは社会の最も底辺に位置する青年たちだった。学歴でいうと中学卒で、集団就職で都会に出て来た青年なんだよ。本当に家が貧しくて、高校にすら行けなかった。1960年代後半には高校進学率は80%を越えていたと思うんだけど、高度経済成長の恩恵に預かれなかった、最貧層の家庭の子供たちなんだよ。高校を卒業していないから、警察官にもなれない、中学を卒業して、集団就職で大都会に出てきた。「ああ上野駅」の井沢八郎の世界だよ。あんたは井沢八郎なんて知らんと思うけど、
息子 知りません、蟹工船みたいな世界?
親父 蟹工船は戦前の話だから、それとは違うんだけど、蟹工船の戦後版に近い。
息子 女工さんとか。
親父 高度成長経済の一番下を担った人たちだよ。
息子 今でいう、期間工でベルトコンベヤーで働くような人。
親父 そう。だけど高度成長時代だから、期間工ではなくて正社員なんだけどね。地方から都会に出てきて、15歳で自動車会社のコンベアラインの前に立って仕事を始めた時に、どう感じるかってことだよね。
息子 おれが佐川急便の仕分けラインでアルバイトして、一生ここで働くんかよと思ったときに感じる絶望感だよね。
親父 そう。先に何も明るいことがないように思うわけだよ、金も無い、とにかく寮には入れて飯が出るから、食うには困らないけど、人生に何も面白いことがない。そういう人たちに手を差し伸べた組織が、当時2つあったんだよ。1つは「若い根っこの会」という組織で、早稲田の教授だった加藤さんっていう人が、どっちかといえば、イデオロギー的には民社党系の人だった人が組織した会があった。だけど、「若い根っこの会」運動はどちらかというとリーダーの個人的色彩が強くてあまり大きくはなかったんだよね。そして、もう1つが日本共産党だった。共産党の青年組織である民青、民主青年同盟というんだね。この組織が、若い10代の、金も無ければ何も無い、東京に親戚もいない、休日に遊びに行くところもない。そういう人たちをケアしたんだよ。
息子 格差社会は当時からあったわけだ。
親父 もちろんあった。当時のほうが現在よりよほど格差社会だよ。格差社会という言葉は使わなかったけどね。集団就職して大手企業の工場に配属された男の子は、男子しかいない職場で働いているから、女の子と出会う機会もないわけだよ。で、女の子のほうも例えば、テレビの組み立て工場なんかで働くと、男の子と知り合う機会もない。共産党はこういう人たちを組織して、休日に出会う機会を作ったりして行ったんだよ。集会で歌を歌ったり、ピクニックに行ったり、卓球大会をやったりってして。そういうふうにして日本共産党民青は、今日でいう格差社会の一番下の層に勢力を伸ばしていったのね。かつては学生出身者が中心だったインテリの党だったけれども、上は学卒者が占めているんだけど、下は中学卒の労働者、本当の下層労働者の党に生まれ変わっていった。それが日本共産党の1960年代だった。
で、東大全共闘に対する武力部隊は、当時はゲバルト部隊と呼んでいたけど、実はこういう中学校卒業生を主力とした民青の若い同盟員たちによって占められていたんだよ。指導者たちは大学生だったけどね。68年の11月頃から翌年の1月にかけて、全共闘は民青と、駒場でも本郷でも、暴力的な衝突を始終繰り返して居たんだけど、数百人単位の部隊が衝突すると、双方に必ず相手に捕まってしまうやつがでるんだよ。捕虜になるわけだね。双方に捕虜がでると、交渉して捕虜交換をするわけだね。その場合は、間に教授を立てるわけだよ。見届け人として。共産党系の教授は結構いたし、全共闘にシンパシーを抱く教授も少しだけどいた。そうやって、キャンパスの隅っこで捕虜交換をするわけだけど、捕まったやつは両方ともぼこぼこにされているわけだよ。衝突を繰り返しているから、両方とも憎悪が憎悪を呼んで、暴行が止まらないんだよ。日大全共闘から応援に来ていた人達がいて、彼らは大学で右翼や民青からひどい目にあっているから、捕まえた民青をぼこぼこにしてしまう。民青は民青で捕まえた全共闘の学生をむちゃむちゃ暴行してしまう。そういう状況だったんだよ。
で、そうやって捕虜になった民青の同盟員に聞くわけだよ、「お前、なんで民青になったの?」って。すると、「僕は卓球が好きだから、民青に入ると卓球ができる仲間がいるから。」っていうんだよ。「なんで、ここに来たんだ」って聞くと、「地区の指導者の人から、来いって言われたから」っていうんだよね。イデオロギーでもなんでもないんだよ。
息子 お金持ちのお坊ちゃま対下層労働者って対比なのね。?
親父 お金持ちのお坊ちゃまたちにとって、日本共産党はもはや魅力的じゃなかったから、そこで三派などの非共産党系セクトにいっちゃった。そういう状況で、共産党は組織としてどう生き残るか、組織としての戦略的選択という問題だよ。その判断として、最底辺の労働者の組織化という方向へいったわけだよね。今日の日本共産党はその惰性で生き残っているような気がするね。
息子 でも、現在の共産党は、格差社会の最底辺の派遣の人たちに手を差し伸べてないような気がするけど。
親父 共産党には関心がないから、その辺りははよく分からない。1960年代から70年代にかけて組織した労働者の人たちが老いていく、そのプロセスと共に日本共産党も老いているんじゃないかと思うけどね。
息子 あーはい。
親父 で、何を言いたかったかっていうと、当時の全共闘、機動隊、民青っていう中に、日本社会の階層的構成が反映していたっていうことを指摘したかったんだよ。非常に単純化して、おおざっぱに言ってだよ、
息子 あー、けっきょくトップとミドルとローとね。
親父 そう。で、共産党・民青っていうのが実は全共闘に対して終始一貫、最も暴力的に敵対していたってことなのよ。
息子 1番下と1番上か。

<強大な敵を前に権力を争う、それが政治>
親父 まあそういうことだけど。大きく見ると、左翼運動の主導権争いだよ。共産党が左翼の全てではなく、三派全学連あるいは三派組織が主導権を持った全共闘っていうものが、急激に勃興した。そして、共産党の主導権を脅かしている。それに対する恐怖だよ。だから、東大だけじゃないよ、日大とか、早稲田でも、全共闘運動、特に東大全共闘に対して、終始一貫暴力的に敵対してきたのね。
息子 面白いね。同じ左翼と名乗っているけど、その存在が全共闘によって脅かされると、民青は潰しにかかったんだね。駒場共闘会議に対して、面白いね。
親父 うん、駒場に対してもそうだし、本郷でも同じだよ。本郷でも民青対全共闘っていうのは、もう全面的に暴力的対決をしていた。俺も何度となく民青とゲバ棒で戦いました。
息子 面白いね、対機動隊じゃなくて、対民青か
親父 まあそれはよくある話なんだよね。
息子 左同士の争いっていうこと。
親父 左同士っていうか、我々は彼らのことを左と思ってなかったし、彼らは我々のことを左とは思ってなかったからね。
息子 向こうは
親父 昨日も言ったように、トロツキスト挑発者集団、極「左」トロツキストであって、こっちは、彼らは単なる秩序派に成り下がった、議会主義者だと。
息子 極左、左よりも左だから恐かったのか。要するに、内部闘争だというわけね。
親父 たとえば、今のイラクでは、イラク人の最大の敵はアメリカだよね。もちろん、イラク人の一部はアメリカと結んでいるけど、いずれアメリカ軍が出て行くことは分かり切っているわけだね。では、アメリカ軍なきあとのイラクの主導権を誰が握るのかで、イラク内部は深刻に対立しているわけだよ。例えば、シーア派とスンニ派の対立があり、シーア派の内部でも勢力が対立している。で、政治っていうものは、必ずそういうふうに進むんだよ。アメリカ勢力に対立しつつ、シーア派の内部でも主導権を争っている。
パレスチナで起きていることも同じで、イスラエルという強大な存在を目前にしながら、ハマスとファタが激しく対立している。ガザストリップを統治しているヒズボラとウエストバンクを統治しているファタとの対抗関係だね。イスラエルという強大な敵との戦いでどっちが主導権を握るかでものすごい闘いをしているわけだよ、現実にね。そういうふうなもんなんだよ。
息子 それはビックピクチャーでいうと、宗教というものが人類を平和にできないということかな。あるいは、政治っていうものは人類を統治できないということ。
親父 統治できないというか、社会というものは、誰かがもしくは何かの集団が統治をせざるを得ないから、統治するんだよ。
息子 統治できてないじゃん、お互い同士で争っているんだから。本来の筋をはずしちゃっているわけじゃない。
親父 たとえば中国共産党が中国を支配していく過程で、党内で何人指導者が交代しているか。中国共産党は1921年に設立されていて、毛沢東は最初の党大会の出席者なんだよ。だけど、毛沢東がイニシアチブを取った遵義会議っていうのは、1936年なんだよ。いわゆる長征の途中で開かれた会議なんだね。つまり、毛沢東が最終的に中国共産党の主導権を握るまでに15年掛かっているわけだよ。そのプロセスで、共産党の書記長、つまり最高指導者は確か5人くらい変わっているわけだよ。
息子 大量の血が流れているわけね。
親父 その頃までの内部闘争ではそんなに血は流れてないけど、イニシアチブを巡る争いは非常に激しかった。最後に毛沢東が、党設立15年後に絶対的権力を握った。それは、当時中国の正統な統治者であった国民党の側だって同じであって、中国の辛亥革命が1911年に成功したんだけど、国民党の創設者の孫文が名目的な権力者になった。その後国民党の中で激しい内部闘争をして、蒋介石が最終的に権力を握ったのが1927年、やっぱり15年ぐらい掛かっているね。
で、1937年に、中国には日本軍という強大な的が出現するわけだね。中国の大都市は、重慶、成都、貴州などを除いて、ことごとく日本軍の手に落ちたわけだけど、その強大な敵を前にして、蒋介石の国民党と毛沢東の共産党が死闘を演じるわけだよね。
既存の統治システムの打倒を掲げた勢力内部でも、しばしば強烈な対立抗争が存在する。その抗争の勝者が次の統治の担い手になる。その争いがどの程度暴力的になるかどうかは別にして、政治ってそういうふうに進むんだよ。
息子 まあ、統治集団なんて本当は要らないのかもね。

<スーパーキャピタリズムは新しい中世か?>
たとえば政治システムが崩壊しました。無政府状態になりました。テロや金目当ての誘拐が至るところで起きていますっていうことになったとする。そうすると、お金持ちはポリスを自分たちで雇うでしょう。お金を出してセコムやアルソックを雇えば、警察はもう要らない、統治機構はもう要らないよってなるでしょう。
親父 アメリカでは一部そうなっているよね。民間の警備会社が守っている要塞コミュニティがいくつもあるよね。
息子 セコムとかアルソックとかたくさんあるんだからさ、そこにお金払えばいいでしょう、月3000円払えば、もう税金で養う警察は不要っていうふうにならないのかな。
親父 月3000円じゃあ無理だけどね。まあ、そういう社会を空想してみることは、思考実験として悪くはないよね。
息子 スーパーキャピタリズだね、それこそ。
親父 確かに、もともと国家とかいうのも、そもそもそこから発生しているわけでしょう。自警組織としての国家だよね。日本だって、中世には京都の権力なんてどこにも影響力がない。東北とか九州のみならず、近江も美濃も紀州も、幕府の権力なんか及ばないわけじゃない。そこに戦国大名が出て来て、無数の地方政権が成立するわけだよね。
息子 もう放任で、勝手にやれ主義みたいな
親父 中世の法制というのは非常に面白いんだけどね。現代の警察は、例えば殺人事件があれば必ず出てきて捜査をするでしょう。人が殺されました。誰が殺されたか、犯人が誰かを、警察が調べて、犯人が見つかれば逮捕するでしょう。でも中世は違うんだよ。人が殺されました。
息子 仕返しに行きます。
親父 そう、その調子。かたき討ちね。報復は、国家権力が、例えば幕府がやるんじゃない。かたき討ちをするのは、あくまで肉親なんだよ。今日のように権力が代わってするわけじゃない。で、捜査や裁判をするためには、訴えがなければならない。中世の言い方を借りれば、訴人なければ検断(捜査・裁判)なしなんだよ。ここに殺された死体がある。この死体の関係者が訴えない限り、捜査は始まらないんだよね。この死体は私の家来です。明らかに殺されているんですが、誰が殺したか調べてくださいっていうわけ。分ったら、私が報復に行きますからっていうわけだよね。訴えた人が鎌倉幕府の御家人であれば、鎌倉幕府に訴えるわけ。朝廷とか摂関家の家来だと、朝廷とか摂関家に訴える。だけど、誰も訴えなければ、殺された死体が幕府の役所の目の前にあっても、捜査は行われない。
息子 下層の人間だったら放置されるのか。
親父 うん、誰も訴えなければ、あっ死骸があるねってだけなんだよ。坊主片付けておけで終りなんだよ。ヨーロッパの中世も同じだよ。で、何を言いたいかが分かる。
息子 うーん。
親父 中世においては、人はどっかの人間関係の中で生きているわけだよ。武士であれば、誰か仕える人がいるわけだよね。現代の日本人はすべてが日本国民として生きているんだけど、中世には、現代人が考えるような政治権力としての日本国というものがないんだよ。日本語が通じるという意味での文化圏としては、日本はあるけれどね。政治権力の根源は納税なんだけど、現代は誰もが日本国に納税しているけど、中世はそれぞれ納税先が違うんだよ。で、納税先が所属先であり仕えている権力者なんだよ。隣同士で住んでいても納税先が違う場合がある。
息子 ヨーロッパでも、騎士であるからには誰かに仕えている。
親父 職人であればどっかのギルドに所属している、商人であれば座って称するギルドに属している。例えば、大山崎八幡宮から許可を得て油を売っていますとかだね。で、売上の一部を大山崎八幡宮に払っている。例えば、斎藤道三だね。
息子 国家がないと、かなりコストカットができるっていうことを言いたいわけ。
親父 違います、コストカットとか何とかじゃなくて、個人が属する従属的な人間関係の網の目の中でだけしか、人間は生きられなかった。中世はそういう社会なわけだよ。
息子 今もうそれ無くなっちゃったからね。
親父 で、もし、あんたが言う、スーパーキャピタリズムの世界になったとすれば、国家が消滅して、スーパーキャピタリズムで金があるやつが、共同体を作って暮らすようになればね、それは新しい中世なんだよ。
息子 超格差社会だ。
親父 警察、即ち国家ではなく、アルソックとか総合警備補償に金払って
息子 月3000円で、民間警察に守ってもらってね。
親父 3000円じゃあ無理だって。で、民間警察のクライアントが殺されたら、犯人を探して犯人を私刑に処するわけだね。まあ、リンチだね。で、もしそういうふうな社会が来るとすれば、金が払えなくてどこにも所属できないやつはもうどうにもならない。殺されても殺され損という社会だね。
息子 それこそ組合を作ればいいんじゃない。格差社会の弱いやつは。
親父 超格差社会で国家が消滅すれば、弱い連中はそういう組織を作って自らを守るしかないよね。国家が消滅した中世はまさにそういう時代だった。だから、どこにも属せないものたちは、所属できる組織を作った。網野善彦という著名な中世史家がいるんだけど、彼は中世における正規組織に組織されざる人々の組織化を研究していた。一度読んでみると面白い歴史学者だよ。

<セーフティネットは誰が張るのか>
近代中国が、19世紀にアヘン戦争に負けて清朝の支配が解体されて行った。その過程で中央権力が無力化していった。そういう状況を背景に急激に成長していったのが、幇会という組織なんだよ。青幇とか紅幇とかいう組織があって、それがあんたのいう弱者の組合なんだよ。国家権力が弱い連中を守ってくれない状況のなかで、会員たちが自己防衛する組織なんだよね。失業者に仕事を紹介したりもするし、病気になれば世話をしたりする。その代わり当然のことだけど、会費を取るわけだね。会費すなわち税金なんだよ。税金を取るのが国家じゃない、私設団体だってことが違うだけなんだよ。で、今の中国でも国家権力があてにならなくなりつつある。多分、幾つもの幇が急速に出来つつあると思うよ。現在の中国では。
息子 中世も今の中国も、生きて行くのがつらそうな社会だな。
親父 そういう時代もあったし、これからそういう時代が来るかもしれないって理解すればいいんじゃないの。もう一度、中世が来るかもしれないって。なんか、東大の政治学者で「新しい中世」って本を書いた人がいたよ。彼は21世紀の国際政治という観点から書いているんだけどね。
息子 だから、軍事力とか土木工事とか、くだらん談合で金を無駄にするんじゃなくて、そういうお金をセーフティネットとして回せばいいのに。なんか政治はそれを邪魔して、お金を無駄にしているとしか思えんのだけれども。
親父 根本的な問題は、セーフティネットとか社会保障というものを、国家に丸投げしていいのかという問題なんだよ。例えば、家族や一族の相互扶養とか、あるいは慈善活動とか、地域社会とか、そういうセーフティネットの張り方もあるわけだよ。むしろ、人類はそうやって数千年生きてきたんだよ。国家が弱者のためにセーフティネットを整備するという思想は、高々近代以降の200年くらいの間に成立したに過ぎないんだよ。
だから、この思考実験は面白いと思うんだよ。近代国家の後にどういう社会構造や統治構造が成立するのか、あるいは成立しうるのか?高度に発達した技術の下で、果たして国家はいつまで生き残れるのか。それはとても面白い視角だと思うよ。俺はもちろん、多分あんたも、そういう社会を生きている間に目にすることはあり得ないとは思うけど、しかし示唆に富む話だよ。少し、ちゃんと考えてみようと思います。悪い、話がちょっと散漫になったね。

親父
1946年 岐阜県生まれ
1965年 県立岐阜高校卒業
1965年 東京大学教養学部文科3類入学
1669年 同大学中退
その後主として文筆関連業に従事して今日に至る。
息子
1974年 東京都生まれ
1993年 東京都立国立高校卒業
1994年 米国ウェストバージニア州立大学入学
1998年 米国ニューヨーク州立大学卒業
1998年 日系企業に現地採用で入社、米国CPA資格を取得
2003年 帰国、米国系IT関連企業に就職
2005年 フランス系化学関連企業に転職
2007年 米国系ヘッジファンドに転職
2009年 日系企業の欧州法人に勤務 現在ドイツ滞在中
手術結果
親父、2008年8月 肺がん手術
右肺上葉を切除。腫瘍の大きさは長径68ミリと大きかったが、浸潤・転移なし。2010年8月現在転移・再発せず。生存中。

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