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50周年史

<調整中>
50年史
群 馬 県
歴代会長
初 代  大河原 字明吉(昭和21年〜)
第2代 笠原 秋雄(昭和45年〜)
第3代 出野 博(昭和49年〜)
<沿革>
群馬県重量挙のはじまり 
 本県のウエイトリフティング(以下「WL」という。)の祖は、大河原宇明古(本名:梅吉)である。号を拈鉄棒と称した大河原は、昭和5年頃には及さ2m、近き16貫の鉄棒を上下段及び縦横に振る独得の鍛錬法をあみ出し、赤城山などにこもって実践していた。そして平素は「コンクリートバーベルによる階梯式抵抗運動法を実践し、その普及に努めた」(「群馬県体育史」)と述べている。我が国ウエイトトレーニングの創始者といわれる若木竹丸氏は、「真に鉄の如き肉体の所有者。氏は又愛国者にして多数の名士と交はり、又、稀に見る人格の士なり」(「怪力法並に肉体改造体力増進法」昭和13年刊)と大河原を評しているが、正に大胸筋の発達した分厚い胸部とパルク感溢れる逞しく肩胸諸筋は、一目で怪力の持主と分るほど見事なものであった。この大河原も少年時代には虚弱体質で、徴兵検査は体重39kgで不合格であった。これが大河原を肉体鍛錬に邁進させた其の理由である。
 昭和8年3月、大河原は内務省及び東京市教育局の後援を得て、日本体育会体操学校(現:日本体育大学)において我が国初のWLの実技指導と講演を数日間にわたり行っている(前出体育史)。ちなみに、公式競技用バーベルが嘉納治五郎氏の手によってオーストリアから初めて我が国に導入されたのは、この翌年のことである。
 昭和20年8月、我が国は大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れ、国民は焦土の中で食に飢え、衣も住も欠乏し、人心は荒廃の極に途していた。こうした中、大河原は不眠不休で東奔西走し、「国家再建はスポーツの振興から」と叫び続け、私財を投じて公式バーベルやダンベルそしてプラットフォームなどの練習用具を揃え、空地や神社仏閣・河川敷等で時には寒風や雷雨にさらされながらWLの普及指導を続けていった。
 大河原の信念と行動力は、当時の県体育協会長桑原政栄、上毛新聞社長篠原秀古、高崎市民久保田宗太郎ら20数名の有力者を動かし、昭和21年5月12日、群馬県重量挙協会(当時名称)は呱々の声をあげた。終戦から値か9カ月後のことであった。初代会長(理事長兼任)には43歳の大河原が推挙された。発会記念式典会場となった前橋市の群馬会館では、有名選手による公開演技(重量挙、拳闘、レスリング)も人気を呼び、関係肴と観客で立錐の余地もを大盛況であった(大河原談)。

昭和20年代から30年代の国民体育大会群馬県選手団2例
(別紙1)
 
昭和26年第6回広島国体(広島大学三原分校)
監督 黒沢 理一 高崎
久保 清 高崎
佐藤 忠雄 高崎
Fe 湯浅 正太 高崎 
清水 源次郎 高崎
原口 宏一 館林
 
昭和34年第14回(国立競技場体育館)
監督 津久井 正治 館林
多胡 良男 高崎
長屋 清臣 前橋
Fe 外所 恒雄 高崎
根岸 信夫 館林
高山 一美 沼田
LH 富川 紀二 館林
瀬山 儀三郎 館林



初代会長・大河原亭明吉

協会創立後20年間の概況

 昭和23年には、高崎公園内の旧武徳殿が常設練習場兼試合場として市当局から開放され、念願の恒久的拠点が誕生した。これ以後、同所には高崎をはじめ館林、藤岡、沼田、前橋、桐生などから愛好者が集い大小規模の試合も催されるようになり、これを契機に競技としてのWLは急テンポで県内各地に拡大し、技術的向上もめざましかった。
それを裏書きするかのように、昭和24年の第4回東京国体では、M級正田文男(館林)が第4位と健闘し、本県初の国体入賞者となった。この正田が発掘指導した重量級の逸材瀬山儀三郎(館林)は、昭和28年の第8回愛媛国体から同34年の東京国体まで(第9回は不出場)連続上位入賞を果たし、うち優勝2回、同準優勝3回という輝かしいものであった。このほか、同選手は全日本選手権優勝4回、同準優勝1回という不滅の記録を打ち立て、この間日本新記録14を樹立している。
 瀬山は、本県初の国際大会日本代表選手でもあった。昭和33年の第3回アジア競技大会(東京)H級代表となった瀬山は、2位と同階級の3位入賞に輝き上州健児の意気を示した。
 この時代には、ほかにもLH級国体2位の清水源次郎(高崎)なども活躍しているが、国体参加選手数の年次差や出身地把握の参考として、僅か2例だが昭和20年代と30年代の本県国体代表チームの顔ぶれを別表1に掲げておく。
 この時期には、各地域に協会ないしクラブ名を付した組織の誕生がみられる。本家の高崎は、当初は事実上群馬県協会と同義語であったから、少なくとも武徳殿が開放された昭和23年には、現在の高崎市ウエイトリフティング協会の前身である高崎バーベルクラブは実質的に存在していた。現高崎協会長の湯浅正太は、昭和21年3月には既に大河原宅の二階で前述の重い鉄棒数種やダンベルを用いて鍛錬に励んでいたが、後に加わる高橋積雄(現高崎協会理事長)や外所恒雄らの協力を得て、草創期からの高崎協会の牽引車的存在であった。
 次いで昭和31年2月、東毛バーベルクラプの名称で館林協会が誕生した。初代会長には遠藤館林市長が就任し、上述の正田文男は、すでにその7年前から自宅で瀬山や原口宏一(現姓平野)らを指導していたが、この2人と共に津久井正治も正田を補佐し組織化に尽力した。これに少し遅れて根岸信夫(現館林協会顧問)岡住清(現同事務局長)らも加わり、発展に力を注いだ。
 昭和33年には北毛の地沼田にも組織が誕生した。現在の沼田ウエイトリフティング協会がそれである。昭和29年に大河原の門を叩いた高山一美が中心となり、少し後には望月豊司(現沼田協会会長)・望月督司兄弟が高山を補佐し、次いで小林智春が更には中村郡司らが同協会発展に貢献している。そして昭和37年には、前橋市ウエイトトレーニング協会の前身である前橋バーベルクラブが誕生した。組織化には長屋清臣(現前橋協会副会長)・長屋正臣兄弟そして柳沢天津雄(現前橋協会理事長)らの現役選手の奔走があったが、野木村浩、柳沢袈裟雄らの尽力なしには日の目をみることは困難であったろう。更に、翌昭和38年には、三木桂(現多野藤岡協会)らの努力が功を奏し、藤岡市にも待望の協会組織が誕生している。
 なお、別表2には本県選手による日本新記録樹立の歴史を掲げたが、紙数の関係から本文ではその多くを省略した。それから、昭和39年11月の高崎市民大会で石井誠一(高崎)がT305kgのFe級Jr世界タイ記録を樹立した快挙も、忘れてはならない。もう一つ、同年の第19回新潟国体には関東ブロック高校代表2チームという厚い壁を突破して本県高校チーム(監督長屋清臣:県庁)が史上初の国体出場を果たし、B級羽田晋(前工)の3位入賞をはじめ、Fe級関口脩(前工)の6位、L級石関四郎(前工)8位そしてLH級落合和夫(高工)7位に入賞し、これ又本県初の高校生の国体入賞記録となった。
 また、同年10月の束京五輪では、大河原県協会長がWL競技運営部長として重責を果たしている。

歴代日本記録樹立選手一覧表(別表2)
 
記録
区分
氏名 体重
階級
挙上
種目
挙上記録 大会名 樹立年月日
日本 瀬山儀三郎 MH 97.5 全日本選手権大会 S31.5.27
97.5
315.0
日本 瀬山儀三郎 MH 100.0 国民体育大会 S31.11.1
102.5
125.0
327.5
日本 瀬山儀三郎 147.5 全日本選手権大会 S34.6.14
日本 瀬山儀三郎 122.5 国民体育大会 S34.10.29
155.0
392.5
日本 瀬山儀三郎 125.0 全日本選手権大会 S35.6.5
160.0
407.5
高校 平沢 清志 92.5 前橋市民スポーツ祭 S42.11.23
高校 加藤 輝男 MH 115.0 前橋市民スポーツ祭 S46.11.23
112.5
137.5
365.0
日本 岩崎 賢二 52 132.5 全日本選手権大会 S53.6.24
高校 原   徹 52 98.0 前橋市民スポーツ祭 S54.11.23
日本 柴崎 恒二 110 183.0 全関東選手権大会 S55.8.31
日本 楡原 道雄 +110 140.0 群馬県選手権大会 S55.9.21
315.0
日本 佐藤 光正 100 150.5 群馬県民体育大会2部 S56.7.19
日本 佐藤 光正 100 152.5 全関東選手権大会 S56.8.30
335.0
日本 楡原 道雄 +110 180.0 全関東選手権大会 S57.8.22
日本 楡原 道雄 +110 181.5 国民体育大会 S57.10.7
大学 原   徹 56 141 全日本学生東西対抗戦 S58.12.4
中学 柳沢 偉雄 44 52.5 群馬県選手権大会 S59.11.23
67.5
120.0
中学 中條 桂良 52 95.5 群馬県新人大会 H3.12.8
中学 柳沢 偉雄 56 102.5 館林市民選手権大会 H4.5.17
180.0
中学 柳沢 偉雄 56 82.5 群馬県地域対抗戦 H4.6.21
103.0
185.0
中学 中條 桂良 56 105.0 群馬県民体育大会2部 H4.7.12
中学 中條 桂良 56 187.5 全国中学選手権大会 H4.8.19
中学 中條 桂良 56 83.0 群馬県選手権大会 H4.9.13
中学 中條 桂良 56 105.5 高崎市民体育大会 H4.9.27
中学 中條 桂良 64 95.0 全国中学選手権大会 H5.8.25
115.0
210.0
中学 宮崎 広勝 +83 82.5 全国中学選手権大会 H5.8.25
100.0
182.5
中学 山田 政晴 46 57.5 全国中学選手権大会 H6.8.15
82.5
140.0
中学 山田 政晴 50 70.0 全国中学選手権大会 H7.8.25
90.0
160.0

<年次別概況>
昭和40年代の概況


 昭和44年8月には、全国高校総体のWL競技大会が県立藤岡高校で開催されている。ただ、この時期はロシアスタイル・P(セット・P)と称する押しあげの新手のテクニックが国際的に是認されてはいたものの、押しあげの判定には微妙な相違が生じ、国内審判員の判定も動揺期にあった。選手・コーチ側と審判との判断にも一部認識のずれはあった。この大会の出場選手265名のうち、失格選手数116は異常な数である。3年後、国際連盟はP種目の廃止を決議する。失格者44%という同大会で、Fe級宇敷益夫(利農)、LH級柴崎恒二(前工)、MH級関ロ明(藤工)らが健闘し入賞した。同年の第24回長崎国体では、本県高校チームが県史上初の天皇杯種別6位入賞を果たした。M級3位の諸田孝夫(利農)、LH級3位の前記柴崎をはじめ、Fe級椿康憲(前工)、B級立川喜良(前工)らの入賞がその成因となった。
 昭和45年には、初代県協会長の大河原宇明吉が名誉会長に昇り、二代目会長には笠原秋雄(県議)が就任した。理事長も高崎の湯浅正太(上信バス)から前橋の長屋清臣(県体育課)へと代り、事務局も高崎の大河原宅から初めて県立前橋工業高校に移り、同校の長坂清美(県協会別理事長)が事務局長を務めることになった。
 昭和46年の和歌山国体では、本県チームが14年ぶりで天皇杯総合第4位に入賞した。第11回兵庫国体の6位、第12回静岡国体の同6位を上回る3度目の総合入賞であったが、成因は高校チームの種別第2位という活躍にあった。
 昭和47年、笠原県協会長の職務代行者として、同副会長の出野博(前橘協会長:大洋商事社長)がその任にあたることとなった。
 昭和48年6月12日、本県WLの生みの親である大河原宇明吉が逝去した。享年70歳であった。その偉大な功績に対し正六位が叙位され、勲五等双光旭日章が綬与された。悔んでも余りある悲報であった。
この年の1月より、県内においてもS及Jの2種目制新ルールが実施された。また、同月には前橋市に市営温水プール・トレーニングセンターが竣工し、WLの練習も可能なため中毛地の愛好者から歓迎された。
 さて、同年の第3回全日本学生東西対抗戦で小暮雅美(法大)がL級2位、全日本学生選手権で宇敷益夫(日体大)がL級3位、そして全日本大学対抗戦では小野光一(明大)がL級2位に入賞、彼は全日本選手権L級でも入賞した。また、柴崎恒二(マニハ食品)は、全日本社会人選手権MH級で第3位に入賞した。なお、8月の全国高校総体F級で岩崎賢二(藤工)が入賞した。
 一方、5月には県協会副会長の出野博が群馬県体育協会理事に選ばれている。初代会長に次いで2人目のことである。

 昭和49年には、出野博の熱意と実行力が高く評価され、第三代県協会長に就任した。副会長も新たに吉原貞隆(藤工校長)、山口久助(高崎協会長)の2名が選ばれ、理事長は長屋清臣(前工定)が再選された。また、副理事長の増員を行い新設の専門委員会の長を兼任することになった。すなわち、長坂清美(前工:事務局長)に加え、中川豊美(育英:競技委員長)、金井泰樹(金井商店:選手強化委員長)がそれである。この年は、6月に第7回関東高校選手樋大会を上武高校で開催し、8月には第18回全関東選手権兼第29回国体高校関地区予選会が前橋育英高校で開催した。

 同年は全日本社会人選手権で柴崎恒二がMH級2位に入賞、茨城国体でもH級で入賞した。また、全日本学生選手権では小野光一がM級優勝、全日本大学対抗戦でもL級優勝とめざましい活躍であった。この年、日体大へ進んだ岩崎賢二は、全日本学生東西対抗戦F級第2位と好調であった。

昭和50年代の概況
 昭和50年には、小野光一(明大)が第1回日中友好大会日本代表選手に週選ばれた。瀬山儀三郎(館林)以来17年ぶりの国際大会参加であった。戦績は北京、杭州の両大会共L級2位であった。この小野は三重国体においてF級岩崎賢二(日体大)、MH級柴崎恒二(マニハ食品)らと共にL級で入賞している。また、岩崎は全日本大学対抗戦F級で見事優勝を飾り、同対抗戦三連覇の第一歩を蹄み出した。このほか、小暮雅美(法人)も全日本学生選手権LH級2位の活躍を見せている。
 一方、全日本社会人選手権に出場した屋良博之(高工教)はL級2位、H級柴崎も第3位に入賞した。
 昭和51年4月、小池務(前橋市TC)はタイ国バンコクで開催の第2回アジア選手権大会に日本代表として出場、L級で堂々第2位入賞(S3位、J2位)を遂げ、瀬山、小野に次ぐ3人目の国際大会出場選手となった。
 翌5月には県協会及出野博が第11回日韓親善大会日本選手団副団長に任じられ、ソウルへと飛んだ。更に7月、モントリオール五輪には、日本選手団コーチとして関口修(前橋:日体大講師)が参加した。関口は44総体前後の6年間、本県の強化コーチとして活躍し、日体大監督就任後は全日本大学対抗戦5連の実績を重ねており、昭和49、50年の世界選手権その他主要な国際際大会のコーチを歴任した秀れた指導者である。同五輪での関口の手腕は、日本チームの成績が如実に物語っている。
 11月、横浜で開の第2回日中友好大会には前年に引き続き小野光一(沼田市農協)が出場、L級2位であった。小野は、佐賀国体でもL級2位好成績をあげた。同国体ではF級岩崎賢二が3位、MH級柴崎恒二、M級小池務(板倉東小教)らが入賞し、少年の部ではB級福島明雄(藤工)が入賞した。福島は8月の全国高校総体ではB級2位の活躍を見せた。同総体ではF級横沢宇内(育英)、M級五味健一(藤工)らも人賞した。また、全日本大学対抗戦では岩崎賢二がF級で2連勝を飾った。全日本社会人選手権MH級では、柴崎恒二が3位に入賞した。なお、この年、県協会副会長として荻原安充(前橋)、中村有三(前橋)の2名が新任された。
 同年2月、高崎市体育館内のWL練習場が改築整備されそのスペースも広く愛好者増加に拍車をかけた。10月には沼田小記念体育館の一部に常設WL練習場が設けられ、北毛地凶愛好者の練習拠点となった。
昭和52年には、県協会長の出野博が(社)日本ウエイトリフティング協会副会長に選任された。文字通り例のない吉報に協会は沸いた。出野の初仕事は、7月ブルガリア・ソフィア市での第3回Jr世界選手権大会に日本選手団団長として参加することであった。
 3月、ソ連邦リトアニア共和国ビルニュスで開催のソ連国際友好杯大会には、岩崎賢二が日本代表選手として出場、52kg級7位入賞と奮闘した。7月には、福島明雄(日体大)が5人目の国際大会代表選手として、マニラでの第1回国際ユース選手権に出場、56kg級で3位入賞と善戦した。
 一方、青森国体では本県成年チームが天皇杯種別順位7位に入賞した。成因は67.5kg級2位の小池務、52kg級3位の岩崎賢二、110kg級3位の柴崎恒二らの上位入賞にある。少年の部では、高橋誠(藤工)が60kg級3位、82.5kg級森昭夫(藤工)も入賞した。森はこれより先の全国高校総体90kg級では2位に入賞した。また、前記柴崎は、6月の全日本選手権兼日ロソ友好大会において110kg級3位と敢闘した。
 それから、第23回全日本大学対抗戦では、52kg級岩崎がT220kgを挙げ見事優勝し、念願の3連覇を達成した。これに先立つ全日本学生選手権では、楡原道雄(法大)が110kg級で優勝、100kg級阿久津洋(法大)も3位であった。この大会では舟喜信生(日体大)も入賞したが、舟喜は第3回Jr世界選手権代表選考会で75kg級2位と健闘している。なお、全日本社会人選手権では、上毛クラブが初の団体3位入賞を果たした。
 この年の11月には、全国審判講習会が伊香保温泉を会場として開催されている。また、同年より大河原初代会及の功績を永く後世に伝えるため、大河原杯が新設された。同年2月12日、前選手強化委員長の金井泰樹(薮塚本町)が没した。金井所有の米国製の逸品ヨークバーベル一組が同家より県協会へ寄贈された。この年の県内公認審判員数は、全国2位であった。
 昭和53年1月には、日体協の新規事業である優秀選手巡回指導講習会が前橋育英高校を会場として実施された。
 この年、タイ国バンコクで開催の第8回アジア競技大会には日本代表として柴崎恒二が出場、110kg級Sで132.5kgを挙げて見事種目優勝を遂げ、Jは172.5kgで3位入賞、Tも305kgで3位入賞とその健闘振りが光っている。アジアの五輪との異名をもつ同大会への参加は、往年の瀬山儀三郎以来、実に20年ぶりのことであり、種目別優勝は柴崎が最初である。同大会では関口脩がコーチを務め、柴崎の活躍を支えた。柴崎のこの実績は高く評価され、翌年には群馬県総合表彰(体育顕彰)の栄に浴している。もう一人、10月の米国ゲティスバーグにおける世界選手権に日本代表として参加した岩崎賢二(藤高教)は、52kg級11位と善戦した。岩崎は本県初の世界選手権出場選手となった。
 これに先立って行われた全日本選手権での岩崎は、52kg級J特別試技で132.5kgの日本新記録を樹立したが、T225kgは1位と同記録ながら体重差で2位に甘んじた。同大会には柴崎も出場し、110kg級で初優勝を飾った。5月、ソウルで開催の日韓親善大会110kg級日本代表となった楡原道雄は2位、矢張り同時期開催の日中友好大会日本代表の柴崎は、北京、南寧両大会共110kg級で優勝を重ねた。
 7月には、出野博県協会長が前年に引き縦き第4回Jr世界選手権大会日本選手団長に選ばれ、総務に任じられた中川豊美(県協会副理事長)と共にアテネに向った。
 一方、長野国体における本県チームは、天皇杯総合8位入賞を遂げ、天皇杯得点4点を獲得した。+110kg級2位の楠原、110kg級3位の柴崎そして52kg級4位岩崎らの上位入賞がその原動力となった。少年では、52kg級の原徹(育英)が2年生ながら健闘し、2位入賞を果たした。原は全国高校総体では6位であった。
 11月の第15回全日本社会人選手権では、上毛クラブが団体の部で見事初優勝に輝き、この年から創設の内閣総理大臣杯の初の獲得チームとなった。
 昭和54年は、第一に原徹の活躍が特筆される。原は兵庫全国高校総体52kg級の優勝と宮崎国体少年同級の優勝という至難の業をやってのけた。これは本県初のことである。この原は、ソウルで開催の第1回日韓ユース大会にもコーチの中川豊美(育英教)と共に参加したが、僅差で2位にとどまった。
 その第二は、第33回世界選手権大会における岩崎賢二の活踊が注目される。ギリシャのサロニキにおける同大会52kg級に出場した岩崎は、Jで130kgを挙げ4位と健闘し、T230kgで7位入賞を果たした。本県初の世界選手権入賞を支えたのは、コーチの関口脩であった。なお岩崎は、3月のソ連国際友好杯大会にも参加している。同年の日中友好大会大津大会では、柴崎恒二が110kg級2位、平賀大会110kg級では楡原道雄(前橋市TC)が優勝を飾っている。この二人は、同年の宮崎国体成年110kg級で柴崎が3位、100kg級で楡原が4位に入賞し、また56kg級岩崎6位に入賞している。
 5月には、第39回全日本選手権兼モスクワ五輪候補第2次選考会が前橋育英高校で開催された。110kg級で柴崎がT305kgで2連覇を実現し、2位も楡原であった。52kg級では岩崎が3位と健闘し、地元の観客は沸いた。なお、柴崎は8月東京で開催のアジア選手権大会にも出場し7位入賞であった。
 6月には、第6回韓国京畿道チーム対日本全関東チームの親善大会が韓国・平沢で開催された。本県の52kg級山田和広(山田木工)、82.5kg級舟喜信生、110kg級柴崎らが優勝し、全関東圧勝の原動力となっているが、コーチの湯浅正大(高崎)の陰の力も見逃せない。
 昭和55年8月、神奈川での全関東選手権110kg級に出場した柴崎恒二は、J183kgを挙げ見事日本新記録を樹立した。また、翌月の県選手権+110kg級に出場した楡原道雄もS140kg、T315kgの二つの日本新を樹立している。
 10月には、県協会史上初の国体成年種別優勝という快挙があった。栃木国体での成年チームは、67.5kg級小池務(前橋清里小教)の2位入賞を皮切りに、110kg級柴崎も2位、+110kg級楡原も2位、そして90kg級舟喜信生(県スポーツC)の4位がこれを実現させている。少年も52kg級南雲浩幸(育英)が3位、60kg級品川康幸(育英)の6位入賞もあり、本県は天皇杯総合第3位という好成績を得ている。この南雲は、愛媛全国高校総体では同階級2位と健闘し、他の選手の活躍もあって前橋育英高校は3位入賞を果たしている。8月、前橋育英高校で開催の第2回日韓ユース大会では、52kg級代表の南雲が2位、67.5kg級佐藤幸雄(育英)が3位であった。この年、日体大へと進んだ原徹は、第1回JOC杯全日本Jr選手権52kg級で優勝し、5月、カナダで開催の第6回Jr世界選手権大会に出場、6位に入賞した。翌年、原は県総合表彰(体育顕彰)の栄誉に輝いた。
 同年、国際舞台に雄飛した役員の筆頭は会長出野博であった。5月、ソウルでの第12回アジア選手権大会、そして12月ジャカルタで開催の第1回アジアJr選手権大会の日本選手団長としてよく大任を全うしている。ジャカルタでは、この時IWFコーチ&レフリングクリニックも同時開催されており、これには同選手団コーチの宇敷益夫(県協会強化委員長)が参加した。9月には、第15回日韓親善大会が開催され、長屋清臣(県理事長)が本県初の日本選手団監督としてソウルへと飛んでいる。県協会では同年より功労者表彰制度を設けている。

 昭和56年5月、茨城での日韓親善大会には+110kg級代表として楡原道雄が出場、見事1位となった。楡原は6月のハンガリーでのパンノニア国際大会+110kg級にも出場し6位に入賞、8月名古屋でのアジア選手権でも同級3位と健闘した。6月、イタリアで開催のJr世界選手権56kg級に出場の原徹は8位入賞と善戦した。同月、札幌での日中友好大会では、110kg級柴崎恒二が1位と活躍をみせた。8月、韓国での第3回日韓ユース大会には、中川豊美がコーチとして参加した。
 一方、滋賀国体では成年+110kg級楡原が2位、110kg級柴崎も2位、67.5kg級小池務(前橋桂中教)も2位、そして90kg級舟喜信生も3位入賞と健闘した。これで柴崎は、国体10年連続入賞及び同13年連続出場という至難の記録を打ちたてた。少年では、60kg級飯島勉(藤工)が3位入賞を果たしているが、この結果、本県は成年種別で2位、天皇杯総合では5位に入賞した。第41回全日本選手権では110kg級の柴崎が見事優勝し、通算3度目の覇者となった。同大会では+110kg級の楡原が2位、75kg級の小池も4位に入賞した。この年の8月には、全国高校総体を水上町で開催した。60kg級飯島の3位をはじめ、大山(前工)、小見(前工)、武者(藤高)らが入賞し、団体では前橋工業高校が7位に入賞した。
 11月の全日本社会人選手権兼実業団選手権では、上毛クラブが3位に入賞、そして実業団110kg級では柴崎が優勝を飾った。
 昭和57年の島根国体では、成年100kg級佐藤光正(県総合体育C)が2位、同110kg級柴崎恒二も2位、+110kg楡原道雄(前橋市体振公社)も2位、そして67.5kg級小池務も5位入賞を果たし、平井清監督(平井パッキン)率いる成年チームは、昭和55年以来2度目の種目別優勝を手中にした。少年も56kg級星野宏(利農)が3位、82.5kg級寺本敦義(藤高)も4位、75kg級沢浦彰治(利農)も6位と全員入賞を果たし、少年種別第8位入賞が実現した。その結果、天皇杯総合は史上初の準優勝に輝いた。
 8月、サンパウロで開催の第8回Jr世界選手権56kg級に出場した原徹は、T242.5kgを挙げ見事3位に入賞した。11月、ニューデリーで開催の第9回アジア競技大会90kg級には佐藤光正が出場、7位入賞を果たした。佐藤はこれに先立つ日中友好大会の杭州大会・上海大会に出場し、共に第1位と気を吐いた。同5月には、ソウルでも日韓親善大会が開催されており、+110kg代表の楡原道雄は第1位の活躍を見せた。また、ハンガリーのパンノニア国際大会52kg級に出場した岩崎賢二(藤高教)は、7位入賞と善戦した。一方、埼玉での全日本選手権では、100kg級佐藤が見事優勝を決め、110kg級柴崎は2位、+110kg級楡原も2位、67.5kg級小池3位そして52kg級岩崎も5位と健闘した。11月には、水上町で第19回全日本社会人選手権兼第10回実業団選手権大会を開催した。社会人110kg級柴崎、同+110kg級楡原、実業団110kg級阿久津洋(赤尾商事)らが優勝に輝いたほか、多くの入賞者を出した。
 なお、鹿児島全国高校総体では、75kg級沢浦4位、56kg級星野5位、82.5kg級寺本8位などの入賞を数え、団体でも利根農林高校が7位に入賞した。
 昭和58年は、県民待望のあかぎ国体開催に沸いた年であった。WL競技会場地となった水上町は、町当局と町民あげての支援協力体制が商い評価を受けた。また、初の2会場同時進行という競技運営も概ね好評であった。
 競技成績は、成年100kg級佐藤光正(県スポ振事業団)の優勝を筆頭に、52kg級岩崎賢二(藤北教)の3位入賞、110kg級柴崎恒二(マニハ食品)の4位、+110kg楡原道雄(前橋市体振公社)も4位入賞と、彼らは監督平井清(平井パッキン)の指揮のもと成年種別準優勝を手中にした。少年は僅差で入賞を逸し、その結果、天皇杯総合成績は6位入賞にとどまった。同大会で柴崎は、国体連続12年入賞と同連続出場15年という前人未到の記録を樹立した。 
 7月、埼玉での全日本選手権では、90kg級佐藤が2位、110kg級柴崎も2位、+110kg級楡原も2位、52kg級岩崎が4位、そして67.5kg級小池務も4位という成績であった。また、奈良で開催の全日本社会人選手権兼実業団選手権では、実業団52kg級で山田和広(東京濾紙)と110kg級柴崎の2人が見事優勝を飾っている。同年の全国高校総体では、100kg級長岡和陸(育英)が3位入賞し、高橋(藤工)も入賞している。8月、埼玉で開催の第27回全関東選手権で、本県チームは総合優勝を遂げた。なお、原徹はモスクワでのスパルタキアード56kg級に出場したが、記録は出ていない。原はその後の全日本学生東西対抗戦同級で、見事優勝を飾った。
 昭和59年の奈良国体では、成年十110級楡原道雄が2位、56kg級原徹(育英教)3位、52kg級岩崎賢二も5位入賞、そして82.5kg級舟喜信生(新里中教)も6位と全員入賞し、成年種別第8位入賞を確保した。少年は75kg級白石雅好(前工)、82.5kg西山信行(利農)の両者が共に5位に入賞した。白石は、秋田全国高校総体でも5位に入賞、同じく須藤(前工)も入賞した。また、鳥取での全日本実業団実業選手権に出場した山田和広は、52kg級で見事優勝し2連覇を達成、110kg級阿久津洋も優勝を飾った。一方、ソウルでの第19回日韓親善大会56kg級に出場した原徹は、第1位の活躍を見せた。なお、同年のロス五輪には、関口脩(日体大助教授)がエクストラ・オフィシャルコーチとして手腕をふるった。この年、県協会長の出野博は、前橋市体育協会副会長に選任された。昭和60年代から平成7年迄の概況昭和60年8月、スウェーデンで開催の第39回世界選手椎56kg級に出場した原徹(育英教)は、関口脩コーチのもと7位(T252.5)入賞と敢闘した。原は4月のアジア選手権(中国)56kg級では、3位に入賞する活躍を見せた。
 同年の鳥取国体では、成年56kg級の原が2位、+110kg級楡原道雄(前橋市体振公社)が3位、52kg級岩崎賢二(藤北教)が5位そして90kg級舟喜信生(新里中教)が6位と全員入賞を果たし、成年種別第4位、これが天皇杯総合第6位入賞につながった。少年は、90kg級の清水(育英)が8位入賞した。
 兵庫での全日本選手権では、原が56kg級2位と健闘、全日本社会人選手権兼実業団同兼マスターズ同(山梨)では、社会人が楡原、舟喜、吉井らの入賞、実業団は100kg級で柴崎恒二(マニハ食品)と+110kg級阿久津洋(赤尾商平)が共に優勝を飾り、山田、牧野、沢浦、利根川、大河原、前島、小林、今井、石山らが入賞、そしてマスターズでは高橋が入賞している。石川全国高校総体では、須永(藤工)が入賞した。この年、県協会長出野博はJWA副会長に再選され、6月にはロ中友好大会日本選手団長として鳥取に赴いている。
 昭和61年のアジア競技大会は、韓国のソウルで開催された。全日本選手権56kg級で初優勝を飾った原徹は、同級日本代表として同大会に臨み、Sは110kgで3位を確保、Jは140kgを拳上したものの判定は3回共1対2で割れ、惜しくも不成功に終わっている。これより先、原はソウルでの日騨親善大会56kg級では、2位であった。
 この年の山梨国体では、成年チームが天皇杯種別8位に入賞した。56kg級原の2位をはじめ、90kg級舟喜信生(利農教)が5位、52kg級埼崎賢二6位、+110kg級楡原道雄の6位入賞がその成因である。少年では、高山(利農)が6位に入賞している。また、沖縄での全日本社会人・実業団・マスターズ選手権では、社会人で吉井、舟喜、阿久沢らが入賞、実業団で柴崎恒二、阿久津洋が共に優勝し、今井、山田、小林、前島らも入賞した。マスターズでも岡住、真下らの復活した館林勢が久方振りで全国入賞を果たした。一方、山口全国高校総体では、90kg級新井一夫(藤工)が第3位と健闘し、高山(利農)、小内(育英)らも入賞した。
 なお、翌年3月のパンノニア岡際大会には、宇敬益夫(選手強化委員長)が日本選手団コーチとして参加した。
ところで、昭和45年以来前橋工業高校に置かれていた県協会事務局は、本年度から前橋育英高校へと移り、同校の中川豊美(県副理事長)が事務局長を兼任することになった。
 昭和62年4月、埼玉での第19回アジア選手権大会56kg級代表となった原徹は、小池以来11年ぶりの2位入賞と健闘した。更に9月、チェコでの第41回世界選手権に出場した原は、56kg級で堂々4位(T255)入賞と活躍している。
 7月には.前橋市民体育館で第47回全日本選手権兼第22回日韓親善大会兼ソウル五輪日本代表第1次選考会を開催した。日本チームはJWA副会長の出野博が団長を、岩崎賢二(県強化委員)がコーチを務めた。56kg級代災の原は2位であったが、全日本選手椎の同級では2連覇を遂げた。同大会では90kg級舟喜、+110kg級楡原が共に4位、56kg級武者勝徳(藤高教)も敢闘した。このイベントには県協会役員が総力を挙げて準備・運営に取り組んだが、特に地元前橋協会理事長の柳沢天津雄(県副理事長)を中心とする協会員の積極的な働きが大会を成功に導いた。同年の沖縄国体では、成年56kg級の原が2位、90kg級舟呰が5位、少年では56kg級柳沢偉雄(育英)が4位に入賞している。また、京都での全日本社会人選手権兼実業団兼マスターズ選手権では、社会人で吉井、阿久沢が入賞し、実業団では山田和広と阿久津洋が共に優勝を飾り、柴崎、利根川も健闘した。マスターズでは中條、高橋、瀬高ら高崎勢と真下、岡住、根岸ら館林勢の活躍が注目された。9月、第1回全同女子選手権に出場した鈴木昭世(館林市城沼体育館)は、67.5kg級で6位と善戦した。一が北海道全国高校総体では、56kg級で柳沢が2位入賞と健闘した。
 同年の第9回日韓ユース大会は韓国で開催されているが、上述の中川豊美が国際審判員として参加した。 なお、関口脩(日体大助教授)率いる日体大は、全日本大学対抗戦で10度目の最多優勝に輝いた。10月、副理事長の湯浅正太は、群馬県体育功労者表彰を県教育長より受けた。
  真下、岡住、根岸ら館林勢の活躍が注目された。9月、第1回全国女子選手権に出場した鈴木昭世(館林市城沼体育館)は、67.5kg級で6位と善戦した。一方、北海道全国高校総体では、56kg級で柳沢が2位入賞と健闘した。
同年の第9回の日韓ユース大会は韓国で開催されているが、上述の中川豊美が国際審判員として参加した。
 なお、関口脩(日本体大助教授)率いる日体大は、全日本大学対抗戦で10度目の最多優勝に輝いた。10月、副理事長の湯浅正太は、群馬県体育功労者表彰を県教育長より受けた。
 昭和63年9月には、韓国で第24回ソウル五輪が開催された。全日本選手権を兼ねた五輪代表最終選考会56kg級で見事優勝した原徹(育英教)は.同選手権3連覇を成し遂げると共に、五輪代表という栄光の座を獲得した。県協会創立42年にして初の快挙であった。本番での原は、関ロコーチの指揮のもとT240(S105、J135)を挙げ健闘したが、14位であった。この2カ月前、ソウルでの日韓親善大会同級に出場の原は、T255を総げなから2位であった。
 同年の京都国体では、60kg級の原はJ5位、S6位、90kg級舟喜信生はJ2位、S8位、そして52kg級山田和広もS5位、J7位の活躍を見せた。少年は、60kg級柳沢偉雄のS・J種目共2位人賞が光るが、竹内(育英)、石井(利農)も共にJ6位に入賞している。この年、北海道での全日本マスターズ選手権では、中條、高橋ら高崎勢が上位入賞、真下、岡住、根岸ら館林勢も入賞した。一方、兵庫全国高校総体では、60kg級2位の柳沢を筆頭に、高橋(育英)、石井、斉藤(育英)らが入賞した。
 この年、県協会長の出野博は前橋市スポーツ振興審議会委員の要職に就き、同会に新風を吹き込んでいる。また、県協会は湯浅正太(高崎)に対し、同年新設の大功労章を授与した。
  平成元年、ギリシャで開催の世界選手権56kg級に出場した原徹は、T255で第10位と敢闘した。8月、韓国で開催の第111回日韓ユース大会には中川豊美がレフリーとして参加した。
 北海道での国体では、少年75kg級の石田隆志(育英)がSJ共見事優勝に輝き、島田秀仁(育英)もSJに入賞した。成年、武者、舟喜、白石雅好(県体協)らが入賞点を得ている。石田は前月の徳島全国高校総体では同級2位、島田は5位であった。成年の白石は、福岡での全日本社会人選手権90kgでは堂々の優勝を飾り、兼ねて実施のマスターズ同では中條義則(高崎経大)と川島弘市(川島自転車)が2、3位に入賞した。また、柳沢偉雄(日体大)は全日本本学生新人戦第2位の活躍を見せた。
 この年、前橋立荒砥中学校に県内初の正式なWL部が誕生した。同校の教諭小池務の尽力がこれを生んだ。8月の第3回全国中学校選手権には、同校の高橋良行が県内初の出場を来たし、52kg級で6位に入徹した。11月には、第11回の群馬県中学校選手権大会を、前橋市民スポーツ祭WL入会と兼ねて実施した。
 ところで、ほぼ散乱状態にあった故大河原会長愛用の三種の鉄棒が、県協会副理事長湯浅正太の手によって復元され、同理事長長屋清臣と共に同年4月18日総合体育センター内のスポーツ資料館に搬入、安置された。長さ155cmの鉄棒の一つには「降魔之剱皇紀二千五百九十八年十月吉日 大河原拈鉄棒所有」の銘が刻まれ、製作者の名も見える。拈鉄棒が、重い鉄棒を指でひねってしまう程の怪力の主を意味するとするならば程の怪力の主を意味するとするならば、昭和13年、既にこの号を称していた大河原の意気軒昴ぶりが窺える。
 平成2年の福岡国体では、少年100kg級で三木紀行(藤北)がS2位、J4位に入り、67.5kg級藤巻(藤北)、堤(育英)らもSJ共に入賞した。成年では+110kg級の渡辺(藤高教)がSJ共に入賞した。第50回全日本選手権では、56kg級の原徹が2位入賞。宮城全国高校総体では藤巻、堤、三木らが4位、そして木暮(育英)も入賞した。また全日本実業団選手権では90kg級今井正之(沼田フィットネス)が3位、同時開催の国体記念杯女子では、久保田ひさよ(利実)が2位に入賞した。
 なお、同年の役員改選で20年間理事長を務めた長屋清臣(前橋)が副会長に選任された。翌年1月には長坂清美(前橋)が退任された。翌年1月には、第6回関東高校選抜大会を藤岡北高校で開催した。平成3年には、第23回アジア選手権大会が茨城で開催され、56kg級原徹は3位人賞と健閾した。また、岩崎賢二(藤工教)は第13回日韓ユース大会日本選手団コーチとして韓国に赴いている。
 この年の石川国体では、原徹が56kg級Jで優勝を飾り、Sでも2位と活躍し、白石もSJ共に入賞している。少年では67.5kg級工藤正行(育英)がJ3位、栗原(藤北)、中道(育英)らも種目入賞している。山形での全日本実業団選手権では、100kg級で有馬が3位、同時開催の国体記念杯女子では、高柳奈美(利実)、宮山英美(育英)が共に2位、久保田ひさよも3位と健闘した。
 一方、全日本マスターズ選手権では、Aの部82.5kg級で根岸信夫(館林BC)が見事優勝を飾り、Bの部52kg級でも真下昇(館林BC)が優勝、同82.5kg級の岡住清(館林BC)も2位、Cの部でも90kg級竹下照雄(館林BC)が2位と館林パワーを見せつけた。同Cでは、吉井実行(高崎市役所)も3位に入賞した。同時開催の全国女子選手権67.5kg級では、久保田が2位と健闘した。なお、徳島での全国中学校選手権では、68kg級赤見麗(前橋荒砥中)が3位に入賞した。
 平成4年、千葉での全日本選手権56kg級で原徹が3位、白石(上毛シルクP)も入賞した。山形同体での原は、60kg級J2位、S4位そしてTでは1位と活躍、白石もSで入賞した。少年は100kg級中道誠(育英)がJ2位、S3位と健闘、野村(育英)もSJ共に入賞した。同年の宮崎全国高校総体100kg級では、中道は4位であった。徳島での全日本実業団選手権では、90kg級で白石が優勝を飾り、有馬(日本電池)も2位であった。兼開催の全日本マスターズでは、Aの部で82.5kg級の根岸信夫(群馬塩業)が見事2連覇を遂げ、Bの部では真下が56kg級2位、同75kg級高橋積雄(高崎市役所)も3位、Cの部56kg級でも吉井実行が見事優勝した。
 一方、小山での全国中学校巡選手権では、56kg級で中條桂良(高崎大類中)が優勝を飾ったほか、60kg級羽鳥徳靖(前橋荒砥中)が2位、64kg級大沢永(前橋荒砥中)が3位、68kg級山田将史(前橋荒砥中)も3位入賞と、中学生リフターの活躍も見逃せない。
  平成5年は、新体重階級制が実施された年である。さて、徳島国体では成年56kg級の原徹がJで1位、Sも3位と活躍、同108kg級渡辺孝(ワーナテック)もSで入賞した。少年は54kg級寺沢健二(育英)もSJ共に入賞し、柿沼克明(利実)もJで入賞した。愛知での全日本実業団選手権では、99kg級白石雅好(パーフェクトSP)が優勝を飾り、108kg級渡辺孝も3位と健闘した。同時開催の全日本マスターズでは、Aの部で根岸信夫が3位、Cの部で吉井実行と田部井英明(館林BC)が2、3位人賞を果たした。
 この年の8月、第7回全国中学校選選手権大会を沼田市の利根実業商校で開催した。地元勢は64kg級中條桂良が見事2連覇を遂げ、+83kg級の宮崎広勝(高崎塚沢中)も優勝、54kg級塩沢淳(前橋荒砥中)も2位と健闘した。同校体育館では、翌日から3日間、引き続き第37回関東選手権大会を開催した。
 これより先の6月には、水上観光会館を会場として日韓中3カ国の男女精鋭選手90名(選手団)が集い第1回、インターナショナル・フレンドシップ・トーナメントを2日間にわたり開催した。
 日本選手団長には県協会の出野博が任じられ、長屋清臣(県協会副会長)と望月豊司(同副理事長)がチーフレフリーを、中川豊美(同事務局長)がテクニカルコントローラーを務めた。第1回という意義深いこの国際大会を含め、3力月間に3種の競技大会を成就に導いたのは、出野会長の陣頭指揮に加え、北毛地区を束ねる沼田協会長望月豊司のの尽力、そして会場校の舟喜信生(利実教)の努力、更には水上町当局と町民こぞっての協力支援の賜物である。
 平成6年の愛知国体では、59kg級原徹がJで3位に入賞、108kg級の渡辺もSJ共に入賞した。少年では、54kg級寺沢と59kg級伊藤竜也(育英)が共にJ4位、S5位に入賞した。また、富山全国高校総体では寺沢が3位、伊藤も入賞した。福島での全日本社会人選手権兼実業団兼マスターズ同では、社会人59kg級の原徹が優勝、実業団99kg級でも白石雅好が2連覇を達成し、108kg級渡辺孝も2位と健闘した。
 マスターズでは、Aの部76kg級の高橋積雄(高崎市役所)が初優勝に輝き、同83kg級根岸信夫も3位、Bの部54kg級川島弘市(館林BC)も3位人賞、Cの部でも59kg級吉井実行が2位、54kg級松田満(三国コカコーラ)も3位、そして70kg級小池務(荒砥中教)と83kg級原沢順一(原沢林業)も3位入賞と健闘した。
 一方、大阪での全国中学校選手権では、46kg級の山田政晴(前橘荒砥中)が見事優勝し、SJTすべてにわたって中学新記録を樹立した(別表2参照)。更に、木部充一(前橋荒砥中)も50kg級で優勝を飾っている。
 この年の5月、県協会長出野博は功績大と認められ、群馬県総合表彰(教育・文化部門)の栄に浴している。
同年の協会役員改選で、新理事長に望月豊司(沼田郵便局)が選任され、長坂清美理事長は副会長に推挙された。又、事務局長も中川豊美から舟喜信生(利実教)へとバトンタッチされ、事務局も前橋育英高校から利根実業高校へ移った。
 平成7年4月には、第3回インターナショナル・フレンドシップ・トーナメントのレフリーに県協会理事長の望月豊司が巡ばれ、中国へと飛んだ。また、韓国での日韓ユース大会64kg級に出場の中條桂良(育英)は2位、コーチは原徹(育英教)が務めた。この年、中国で開催された第9回世界女子選手権大会には、日本選手権監督に関口脩(日体大教授)が、同コーチに岩崎賢二(藤工教)が任じられた。
 福島国体では、59kg級の原徹がJ3位、S8位、91kg級白石雅好もS5位人賞、少年では70kg級中條桂良がJ2位、S3位と健闘、91kg級畠山建二(利根英)もS6位に入賞した。また鳥取全国高校総体64kg級に出場した中條桂良は2年生ながら見事優勝を飾り、99kg級の村山(育英)も入賞した。
 一方、第13回全日本マスターズ選手椎Aの部76kg級で、高橋積雄は昨年に引き続き2連覇を達成、同54kg級真下昇も優勝、Cの部64kg級でも吉井実行が優勝を手中にし、更にBの部83kg級岡住清も2位入賞と活躍した。
 茨城での全国中学校選手権では、50kg級に出場した山田政晴が昨年に引き続き堂々の優勝を遂げ、SJTのすべてにわたり再度日本中学記録を塗り替えた。そして又、59kg級木部充一も2位、46kg級畑田亮一も3位入賞と前橋荒砥中の健闘が注目された。
 同年、県協会長出野博は、本県スポーツ界の模範とされる第21回上毛スポーツ賞(振興功労賞)を受賞した。
 おわりに光陰50年、これが平成8年を迎えた群馬県協会の歴史である。そこには、この半世紀に及ぶ足跡を刻んだ先達の艱難辛苦があったが、彼らはそれを乗り越えている。我々は、それを学ぶ。この貴い事実を略述せざるを得なかったことは、慚愧にたえない。

(執筆:長屋清臣)

<当時の役員体制>
会 長  出野  博
副会長  原  時夫  高木 政夫 長屋 清臣 長坂 清美
理事長  望月 豊司
副理事長 柳沢天津雄 高橋 積雄 小池  務 伊藤 喜友 原沢 順一
常務理事 上野 正雄 岩崎 賢二 根岸 信夫 中篠 義則 楡原 道雄

 

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