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70周年史

(校正中)

群馬県ウエイトリフティング協会
設立   1946(昭21)年5月12日

戦後直ちに産声を上げ70年間の歴史、発展と隆盛期を経て力を合わせ未来にかける。

1 創設の経緯
 我が群馬県のウエイトリフティング(以下WLという)を語るうえで、生みの親である大河原宇明吉氏をおいては語れない。同氏は、号を拈鉄棒(ねんてつぼう)と称し、昭和5年頃には長さ2m、重さ16貫の鉄棒を上下段および縦横に振る独特の鍛錬法をあみ出し赤城山などにこもって実践していた。そして、平素はコンクリートバーベルによる階梯式抵抗運動法を実践しその普及に努めた。1933(昭8)年3月、大河原は内務省及び東京都市教育局の後援を得て、日本体育会体操学校(現:日本体育大学)において我が国初のWLの実技指導と講演を数日間にわたって行っている。(群馬県体育史)この時、まだ日本WL協会は存在せず。公式バーベルが嘉納治五郎氏の手によってオーストリアから初めて導入されたのはこの翌年のことである。
 昭和20年8月15日、我が国は、太平洋戦争に敗れ、国民は焦土の中、食に飢え、衣も住も乏しく、人の心は荒廃していた。こうした中、大河原宇明吉は、「国家再建はスポーツの振興から」と叫び続け、私財を投じ公式バーベルやダンベル、プラットフォームなどの練習用具を揃えWLの普及に努めた。その後、3競技団体発起人代表の大河原宇明吉は、東奔西走し、発起委員には、当時県体育協会会長の桑原政栄、上毛新聞社長篠原秀吉を筆頭に久保田宗太郎(当時高崎市長)、正田卯平その他20名の同志によって、1946年(昭21)年5月12日、重量挙げ、拳闘、レスリングの群馬県の3競技団体が結成された。

重量挙げの発動期
 この大河原宇明吉の元に入門者や見学者が訪れるようになったが、練習場所は、道路、神社仏閣の空き地を利用し転々とした。時には、烏川河川敷と久しい年月、茨の道を歩み苦難と戦ってきたが好機到来、それは1948(昭23)年の春であった。高崎市当局は、これらの活動に対して理解を示し、旧武徳殿を高崎市公園体育館と改称し、社会体育振興のために常設練習場として開放し、念願の恒久的拠点が誕生した。これにより、重量挙げは、急テンポで県内各地に普及され、市内はもちろん、前橋、桐生、館林、沼田の山間部からも多数の愛好者が集い、大小規模の試合も開催されるようになった。技術的向上もめざましかった。1949(昭24)年国体でM級正田文男(館林)が第4位と健闘し、本県初の国体入賞者となった。この正田が発掘指導した重量級の逸材、瀬山儀三郎(館林)は、1953(昭28)年の第8回愛媛国体〜1959(昭34)年の東京国体まで(9回は不出場)連続上位入賞を果たし、この他同選手は、全日本選手権で優勝4回、準優勝1回、日本新記録14個を樹立、不滅の記録を残した。瀬山は、本県初の国際大会日本代表選手として1958(昭33)年の第3回アジア競技大会H級で3位に輝いた。
 この時期には、各地域に協会ないしクラブ名を付した組織の誕生が見られた。高崎ウエイトリフティング協会の前身の高崎バーベルクラブは1948(昭23)年には、実質的に存在していた。湯浅正太は、1946(昭21)年3月に大河原宅二階で重い鉄棒やダンベルを用いて鍛錬に励んでいた。次いで1956(昭31)年には、東毛バーベルクラブの名称で館林協会が誕生した。初代会長には遠藤館林市長が就任した。1958(昭33)年北毛の地沼田にも組織が誕生した。現在の沼田ウエイトリフティング協会である。1954(昭29)年に大河原の門を叩いた高山一美が中心となり、少し遅れて望月豊司、望月督司兄弟が高山を補佐し、同協会発展に貢献した。そして、1962(昭37)年には前橋トレーニング協会の前進である前橋バーベルクラブが誕生した。組織化には、長屋清臣、長屋正臣兄弟、柳沢天津雄ら現役選手の奔走があった。翌1963(昭38)年には、三木桂の努力が功を奏し、多野藤岡にも待望の組織が誕生した。
 1964(昭39)年には東京オリンピックが開催され、大河原宇明吉がWLの競技運営部長の重任を果たした。同年11月高崎市民大会Fe級で石井誠一(高崎)がT305kgの日本ジュニアタイ記録を樹立した。また、1964(昭39)年新潟国体には関東ブロックの厚い壁の予選を勝ち取った本県高校チーム史上初の国体出場を果たし、羽田(前工)3位を筆頭に関口(同)、石関(同)、落合(高工)が入賞し高校の部12点を獲得した。

飛躍前期
 昭和44年8月の全国高校総体(藤岡市)の開催決定を契機に1966(昭41)年県協会内に最初の選手強化委員会が組織された。この年高校の部で二度目の関東予選会を通過し、大分国体で初の高校の部16点獲得6位入賞となった。全国高校総体でF級3位の平沢清志は(藤工)は、前橋市民スポーツ祭で得意のP92.5kgの日本高校記録を樹立した。
 1969(昭44)年8月全国高校総体が藤岡市で開催された。本協会としても初めての全国規模の大会ということもあって県協会総動員し、地元の藤岡市の協力を得ての大会運営となった。競技成績は宇敷4位、柴崎・関口6位にとどまった。
 1969年長崎国体は諸田(利根農)・柴崎(前工)3位、椿(前工)4位、立川(前工)6位と活躍し高校の部で20点獲得6位に入賞した。このことは選手強化委員会の組織的計画的な強化策が実を結んだことに他ならない。
 1971(昭46)年全国高校総体では、小野光一(利根農)がL級優勝し団体で利根農が、準優勝に輝いた。個人でも7名が入賞した。和歌山国体高校の部は加藤輝男(利根農)がLH級優勝、小野(利根実)・小暮(藤工)2位、清水(利根農)・生方(利根農定)3位入賞し、36点獲得種別2位、天皇杯総合成績4位入賞の大殊勲を挙げた。さらに、前橋市民スポーツ祭で加藤輝男(利根農)は、MH級でP115kg・S112.5kg・J137.5kg・T365kgの4部門で日本高校新記録を樹立した。
 1973(昭48)年前橋温水プールトレーニングセンターが竣工し、WLの練習も可能の愛好者に歓迎された。6月本県WLの生みの親である大河原宇明吉が逝去され正六位勲五等双光旭日章が授与された。1974(昭49)年出野博が第三代会長に就任した。宇敷益夫が日体大を卒業、藤工に赴任し選手経験のある指導者が実現し期待が広がった。
飛躍中期
 1975(昭50)年小野光一(明大)が日中友好大会日本代表選手となった。この年、沖縄出身の屋良博之が高工定時制に赴任し、選手経験のある指導者が2人となり期待がさらに膨らんだ。
 1976(昭51)年アジア選手権小池務(前橋トレセン)がL級2位に入賞した。
 1977(昭52)年青森国体成年の部小池2位・岩崎3位・柴崎3位の25点獲得、成年種別7位入賞した。本協会では今年度より大河原宇明吉初代会長の功績を長く後世に伝えるために大河原杯を新設した。
 1978(昭53)年長野国体では柴崎恒二(マニハ食品)が総合開会式において栄誉ある群馬県選手団の旗手を努めた。成績は成年の部楡原2位、柴崎3位、岩崎4位、24点獲得、成年種別5位、天皇杯順位8位入賞した。岩崎賢二(藤高教)は1978(昭53)年全日本選手権の52級特別試技で132.5kgの日本新記録を樹立し、世界選手権では同級11位と善戦し本県初の世界選手権出場者となった。一方アジア大会(バンコク)出場の柴崎恒二(マニハ食品)は110kg級3位に入賞した。さらに、全日本社会人選手権で上毛クラブが団体の部で優勝に輝き、この年創設された内閣総理大臣杯を手にした。
 1979(昭54)年宮崎国体では成年の部楡原3位、柴崎4位、岩崎6位、20点獲得惜しくも9位、少年の部原(育英)が優勝したが得点が伸びず15点獲得11位だった。5月には、全日本選手権兼モスクワオリンピック候補第2次選考会が前橋育英高校で開催された。110kg級で柴崎が2連覇、+110kg級楡原が2位、52kg級岩崎が3位と健闘し地元は沸いた。
 1975(昭50)〜1979(昭54)の5年間の国際試合参加者数は、選手9名延べ18名、役員3名延べ6名となり群馬の力を全国にとどろかせた。
飛躍後期
 1980(昭55)栃木国体成年の部小池・柴崎・楡原が2位・舟喜4位、34点を獲得し県協会史上初の種別優勝となった。天皇杯順位3位と好成績を収めた。育英高校で開催された第2回日韓ユース大会では、52kg級南雲浩幸(育英)2位、67.5kg級佐藤幸雄(育英)3位に入賞した。全関東選手権で柴崎恒二(マニハ)は110kg級J183kgの日本新記録を樹立。翌9月の群馬県選手権で楡原道雄も+110kg級S140kg・T315kgの2つの日本新記録を樹立した。
 1981(昭56)年滋賀国体は成年の部小池・柴崎・楡原2位、舟喜3位で35点獲得、成年種別2位、天皇杯順位5位に入賞した。県民大会2部で佐藤光正が100kg級S150.5kgの日本新記録を樹立した。      
 1982(昭57)年島根国体は成年の部佐藤・柴崎・楡原2位、小池5位、33点獲得、種別優勝、少年の部星野(利根農)3位、寺本(藤岡高)4位、沢浦(利根農)6位、21点獲得、少年種別8位入賞、天皇杯順位史上初の準優勝に輝いた。全国高校総体では、沢浦、星野の活躍で利根農が団体7位入賞を果たした。
 1983(昭58)年群馬国体は県民待望の「あかぎ国体」に沸いた。WL競技会場の水上町当局や町民の協力もあり、競技運営等での支援協力体制も整い、2競技会場での開催となった。競技成績は、成年の部佐藤優勝、岩崎3位、柴崎・楡原が4位、成年種別2位、少年は、地元のプレシャーに押され入賞を逃したが天皇杯順位6位入賞した。この国体により柴崎恒二(マニハ食品)の12年連続入賞、15回国体出場は前人未踏の記録となった。
 1984(昭59)年奈良国体は成年の部楡原2位、原3位、岩崎5位、舟喜6位で28点獲得、成年種別8位入賞を確保した。1980(昭55)年〜1984(昭59)年の5年間の国際大会参加者数は選手6名延べ16名、役員として出野博、宇敷益夫、長屋清臣、中川清美の4名が参加した。

充実期前半
 1985(昭60)年原 徹(育英教)は、1985年アジア選手権56kg級で3位に入賞した。また、その勢いに乗って1985年世界選手権同級T252.5kgで7位に入賞した。1985(昭60)年島根国体は成年の部原2位、楡原3位、岩崎5位、舟喜6位、28点獲得、成年種別4位、天皇杯順位6位となった。
 1986(昭61)年山梨国体は成年の部原2位、舟喜5位、岩崎・楡原6位で25点獲得、成年種別8位に入賞した。1986年アジア競技大会原徹(育英教)が56kg級出場したが、記録なしに終わった。この年、舟喜信生が利根農に着任し、屋良博之の後任の指導者となった。また、武者勝徳も日体大を卒業し、藤北高の指導者となった。
 1987(昭62)3月パンノニア国際大会に宇敷益夫がコーチとして参加した。1987年アジア選手権大会56kg級に出場した原 徹(育英教)は2位と健闘した。更に1987年世界選手権に出場し、56級T255kgを挙げ惜しくも4位とメダルを逃した。全日本選手権・日韓親善大会兼ソウルオリンピック第1次選考会を前橋市民体育館で開催した。日本チームは、JWA副会長の出野博が団長、岩崎賢二(県強化委員)コーチを務めた。56kg級の原は2連覇を果たし、舟喜・楡原・武者も入賞した。ここ数年女子やマスターズの試合が増え往年の選手などの参加がみられ、本県でも女子の選手が徐々に増えてきた。
 1988(昭63)年全日本選手権兼オリンピック代表最終選考会56kg級で優勝した原は、3連覇を成し遂げ、本県協会初のオリンピック代表選手に選考された。このことは県協会としても悲願であり、盛大に壮行会を行った。オリンピック(ソウル)では、健闘したが14位にとどまった。
 1989(昭64・平元)年世界選手権56kg級に出場した原 徹(育英教)は10位と健闘した。冒頭に記載した大河原会長愛用の三種の鉄棒(拈鉄棒)が湯浅正太(県協会副理事長)により復元され、県総合体育センター資料館に搬入安置された。
 1990(平2)年福岡国体少年の部藤巻(藤岡北高)S7位・J4位、堤(育英)S4位・J8位、三木(藤岡北高)S3位・J4位、25点獲得、9位と惜しくも種別入賞を逃した。
1991(平3)年アジア選手権大会原は56kg級で3位に入賞した。
 1992(平4)年全国中学校選手権では、56kg級中條桂良(高崎大類中)が優勝、前橋荒砥中の羽鳥・大沢・山田が上位入賞した。
 1993(平5)年水上観光会館で第1回インターナショナルフレンドシップトーナメントを開催。日本選手団長に出野博、長屋・望月・中川がレフリーとして参加、岩崎、舟喜、原が競技役員として参加した。同年全国中学校選手権大会を沼田市の利根実業高校で開催した。64kg級中條桂良(高崎大類中)2連覇、+83kg級宮崎広勝(高崎塚沢中)も優勝した。
1994(平6)年全国中学校選手権では、46kg級山田政晴(前橋荒砥中)が優勝し、中学記録のすべてを塗り替えた。50級木部充一(同)も優勝した。
 1995(平7)年日韓ユース大会60kg級に出場の中條桂良(育英)2位、コーチは原徹(育英教)が務めた。世界女子選手権大会コーチとして岩崎賢二(藤工教)が任じられた。全日本中学校選手権で50kg級出場の山田政晴(前橋荒砥中)が昨年に続き堂々優勝し、すべて日本中学記録を塗りかえた。
 1996(平8)年県協会創設50周年記念式典を開催した。広島国体少年の部2年生の山田54kg級(育英)S3位・J2位、64kg級中條(育英)S1位・J1位、99kg級畠山(利根実)S5位・J4位と健闘し、少年の部で38点獲得し、史上初の種別優勝となったが天皇杯順位は成年の成績が伸びず9位と入賞には一歩及ばなかった。この国体で少年64kg級中條桂良(育英)はS117.5kg・J145kg・T262.5kgで6つの日本高校新記録を樹立した。日韓ユース大会70kg級中條桂良(育英)・108kg級村山厚史(同)が共に2位、原徹(育英高校教)がコーチとして参加した。アジアジュニア選手権には中條桂良(育英)が参加70kg級で4位に入賞した。なお、同大会にコーチとして原徹(育英高校教)が参加した。全国高校総体は70kg級中條桂良(育英)2連覇、山村(同)3位、山田(同)が7位入賞、団体で育英が5位に入賞した。全日本高校選抜大会54kg級山田政晴(育英)が優勝した。高校生の活躍が光った。1985(昭60)年〜1996(平8)年までの12年間の国際試合の参加者数は、選手3名、延べ16名、役員7名、延べ18名と役員としての参加者が多くなってきた。

充実期後半
 1997(平9)年県協会中興の祖である出野会長が、2月に逝去された。その功績が評価され「正六位勲四等瑞宝章」が授与された。4月県協会の総会で、原時夫会長代行が正式に第4代会長に就任した。全日本ジュニア選手権では70kg級中條桂良(育英)J・152.5kg、T・275kgの日本高校新記録樹立し優勝、108kg級村山厚史(育英)もS・127.5kg・J161kg・T287.5kgの日本高校新記録を樹立し優勝、同級宮崎広勝(群馬高専)もS126kgを挙げ日本高校新記録を樹立したが3位に甘んじた。全国選抜大会に続き全国高校総体でも、山田政晴(育英)が54kg級S・J・Tで優勝、この大会小渕(育英)も70kg級S3位、T8位に入賞し、育英が学校対抗でも6位に入賞した。大阪国体は少年の部54kg級山田S2位・J1位128kg日本高校新記録を樹立した。東アジア選手権大会には岩崎賢二(藤工教)がコーチとして参加した。世界ジュニア選手権に出場の中條桂良(中大)は、70kg級で12位と健闘した。日韓ユース大会山田(育英)は見事優勝した。
 1998(平10)年1月の関東高校選抜山田政晴は56kg級J132、5kg日本高校新記録樹立した。神奈川国体成年の部69kg級中條桂良S7位・J8位(147.5kg日本大学新記録)、少年の部56kg級で山田がS1位95kg、J1位130kg、T225kg(S・Tで日本高校新記録)で2連勝を果した。全日本ジュニア選手権では69kg級中條桂良(中央大)・+105kg級村山厚史(法政大)も共に連続優勝した。1998年世界ジュニア選手権は56kg級山田が16位、69kg級中條が22位であった。この大会には2人の恩師である原徹(育英高校教)がコーチとして参加した。全国高校総体56kg級で山田政晴がS・J・Tで優勝した。日韓ユース大会には2年連続山田が出場し、62kg級で2位になった。今大会の選手団の団長として中川豊美(育英高校校長)、コーチとして原徹(育英教)が参加している。
 1999(平11)年中川豊美(育英高校校長)全国高体連ウエイト部長、関東高体連ウエイト専門部会部長に就任した。全日本ジュニア選手権には山田政晴(育英)が56kg級に出場S97.5kg、J130kg、T227.5kgを挙げ(S・Jの日本高校新記録)初優勝した。1999年世界ジュニア選手権に選抜された山田は56kg級で5位に入賞した。この大会に原徹(育英教)がコーチとして参加した。1999年世界大学選手権で中條桂良(中央大)が選抜され77kg級で4位に入賞した。
 2000(平12)年舟喜信生が高体連ウエイト部会の事務局長に就任した。2000年全日本ジュニア62級山田政晴(日体大)が優勝した。2000年世界大学選手権に村山厚史(法政大)が選抜され、105kg級で7位に入賞した。全日本大学個人選手権では、中條桂良(中央大)が77kg級J165kgの日本大学新記録を樹立したがTでは2位となった。全日本大学対抗選手権山田(日体大)は56kg級で初優勝をした。
 2001(平13)年山田(日体大)は、2001年東アジア競技大会に日本代表として出場し結果は56kg級で4位入賞であったが、Jの2試技目に147.5kgを挙げ、4つの日本新記録並びに大学新記録を樹立した。また、山田(日体大)は全日本大学対抗選手権56kg級で連続優勝した。
 2002(平14)年山田政晴は全日本選手権56kg級2位T242.5kgが評価され、2002年アジア競技大会56kg級日本代表となったが8位入賞に留まった。わかふじ国体記念杯女子選手権75kg級で真下智惠美(日体大)が初優勝した。
 2003(平15)年全日本ジュニア選手権に出場した真下智恵美(日体大)が75kg級で優勝した。世界マスターズ大会は昨年に続いて参加した高橋積雄(高崎協会)が85kg級で優勝した。全日本選手権56kg級に出場した山田政晴(長沢林業)は、体重差により再び2位に甘んじた。2003年世界選手権大会56kg級に出場した山田は、得意のジャークで失敗し記録なしに終わった。
 2004(平16)年全日本ジュニア選手権75級真下智恵美(日体大)が初優勝した。成長著しい真下は、晴れの国国体記念女子一般の部75kg級でも2度目の優勝を飾った。オリンピック出場を悲願とする山田政晴(群馬県綜合GS)は、最終予選会となる全日本選手権の56kg級で初優勝(T255kg)を飾り、2004年アテネオリンピック(アテネ)に出場したが、大会の雰囲気に飲まれたのか記録なしに終わった。日韓中ジュニア交流(中国・長春)には宮下貴志(藤工)が出場したが、膝の悪化により105kg級で4位にとどまった。なお、この大会には恩師の舟喜信生(藤工教)が日本選手団長として参加した。全国選抜には、105kg級宮下貴志(藤工)が、本県としては8年振りとなる優勝を遂げた。この年の県高校総体の総合開会式で選手を代表して宮下貴志(藤工)が選手宣誓を行った。
 2005(平17)年日本WL協会の総会で原 時夫会長が監事に再選され、中川豊美副会長が理事(審判委員長)に選出された。日韓中ジュニア交流に舟喜信生(藤岡工業高教員)が昨年に引き続き日本選手団の団長として参加した。全日本選手権には山田政晴(群馬綜合GS)が56kg級で2位となった。全日本女子大学対抗選手権で真下智惠美(日体大)が69kg級で優勝、のじぎく国体記念女子一般の部75kg級でも3度目の優勝を飾った。全日本学生新人選手権は、大山恵理(早稲田)が63kg級で優勝した。本県で2度目のインターナショナル・フレンドシップをぐんま武道館で開催となり役員として原 時夫会長が日本選手団長に、宇敷益夫・原徹がコーチに指名された。地元の56kg級山田2位、女子75kg級真下3位と活躍した。また、県協会の多くの役員や選手が競技役員・補助員として大会運営に協力し、大成功のうちに無事終了することが出来た。
 2006(平18)年山田政晴(群馬綜合GS)は全日本選手権の56kg級で2度目の優勝(T258kg)を遂げ、さらに得意のジャークでは5年振りとなる151kgの日本新記録を樹立した。2度目の2006年世界選手権出場の山田は56kg級でS・Jの6回の試技を全て成功させ日本選手団最高の12位となった。わかすぎ国体記念女子高校の部の69kg級で石関紗愛(育英)が初優勝した。1997(平9)〜2006(平18)この10年間の国際試合参加者数は、選手6名延べ16名、役員5名延べ11名であった。

再出発期
 2007(平成19)年全日本選手権山田政晴は56kg級J152kgの日本新記録を樹立、T260kg(日本タイ記録)で優勝し、3度目の出場となった2007年世界選手権は、調整不足で記録なしに終わった。
 2008(平成20)年アジア選手権山田政晴は56kg級で5位に入賞した。また、オリンピック(北京)56kg級に出場9位と入賞には一歩及ばなかったが、J153kgの日本新記録を樹立し大活躍、県民を沸かせた。国体記念杯女子大会山嵜朱実が優勝した。アジアインタークラブ選手権で大山恵理が4位となった。
 2009(平成21)年全日本選手権山田政晴が56kg級で優勝し、世界選手権同級で8位入賞し意気をあげた。全国高校総体では105kg級舟喜誠生(育英)が優勝、+105級で林崇英(利根実)が2位に入賞した。ときめき国体少年の部舟喜(育英)S1位・J1位、林(利根実)S2位・J3位、29点と種別9位で8位入賞には一歩届かなかった。日韓中ジュニア交流大会に舟喜信生が団長、舟喜誠生が選手として親子での参加となった。
 2010(平成22)年日本ジュニア選手権鈴木匠平(日体大)が優勝した。全国高校選抜69kg級石関紗愛(育英)が優勝、下阪(育英)・利根川(育英)入賞と高校女子の活躍が光った。全日本学生選手権の+105kg級で鈴木(日体大)が優勝した。全日本選手権山田政晴は56kg級で優勝し2010年世界選手権に出場14位と健闘した。また、同年アジア大会(広州)山田は56kg級で7位と踏ん張りを見せた。日韓中ジュニア交流大会で石関紗愛は69kg級3位と中国、韓国選手の壁は破れなかった。鈴木匠平(日体大)は日韓中大会の代表となったが調整不足で記録なしに終わった。
 2011(平成23)年全日本ジュニア選手権で舟喜誠生(日体大)優勝した。全日本選手権で山田政晴が56kg級で優勝し、2011年世界選手権に出場したが19位と振るわなかった。全国高校女子選手権大会48kg級で下阪春菜(育英)が優勝し、日韓中ジュニア交流競技大会に出場48kg級3位と中国韓国選手の壁は厚かった。レディースカップは下阪春菜(育英)48kg級優勝した。大学生の鈴木(日体大)、舟喜(同)、林(平成国際大)、山嵜(立命館大)等が順調に記録を伸ばし今後の期待が広がった。
 2014(平成26)年全日本マスターズ選手権では原徹(育英教)がM50−62kg級J108kg・T193kg日本新記録樹立し往年の強さを披露した。
 2015(平成27)年アジアユース・ジュニア選手権大会(カタール)Y53kg級寺島奈穂(育英)が優勝、全国高校選抜でも53級で優勝した。レディースカップ・全日本女子選抜選手権は寺島(育英)が58kg級で優勝した。
 2016(平成28)年全国高校選抜選手権寺島(育英)が58級で優勝し二年連続優勝に輝いた。2007(平19)〜2016(平28)年3月までの国際大会参加選手数は6名延べ10名である。                                

3.現状の課題と将来ビジョン
 本県協会70年の歴史で最も大きな出来事は、原 徹・山田政晴2選手のオリンピック出場であろう。これは本協会の悲願の達成であり、誇りともなっている。また、私たちが重量挙げを始めた40年ほど前には考えも及ばなかった女子への普及と女子選手の活躍である。今年度より国体の正式種目となった。女子選手の育成や上記の二人に並びまたそれを超える選手の育成も課題であるがさらに現状は厳しく、高校生の選手の減少、伝統校の前工高や、好選手を育成した藤岡北高に次いで、まさに黄金時代を築いて来た育英高も、部員不足による存続が危ぶまれるようになっている。選手強化の側面から高校での部員獲得の確保は欠くことができない。顧問や高校に任せるだけでなく各支部協会の組織的なネットワークが鍵を握る。一方指導者については昭和50年頃採用された高校・大学と競技経験のある指導者、特に高校の教員が定年退職やその年齢に近づき、今後高校の大会運営や選手の育成が危ぶまれる存亡の危機に際していると言っても過言でもない。高校での指導者の確保は喫緊の課題である。
 もう一つは底辺の拡大と選手強化のための小学生・中学生の指導教室やクラブの活動である。以前から試みているが12年後の2度目の国体に向け計画的に実施して行きたい。また、高校や大学卒業後、協会の会員(役員)として残れる支援や指導者としての指導力の向上、審判資格の取得など協会として指導体制を整えなければならない。今後の選手の育成と選手自身の成長、協会の組織としての力に期待が賭けられる。協会員のすべてが知恵を出し合い夢を語ることが肝要である。また、結びに日本協会並びに本協会が末永く益々発展することを心より願ってやまない。                 執

筆 小池 務

歴代会長
初代  大河原宇明吉 1946(昭21)年5月12日〜1970(昭45)年3月31日   
第2代 笠原 秋男  1970(昭45)年4月1日〜1974(昭49)年3月31日
第3代  出野  博  1974(昭49)年4月1日〜1997 (平 9)年2月 1日
第4代 原  時夫  1997 (平9) 年4月27日〜2016 (平26)年3月31日
第5代 岩上 憲司  2014(平成26)年4月1日〜                                              

現役員
名誉会長  原  時夫

会 長   岩上 憲司
副会長   野 洋一  上野 正雄  小池  務  小野 光一
理事長   小池  務 
副理事長  岩崎 賢二  舟喜 信生  原   徹  稲垣 則行
常任理事  宇敷 益夫  田部井英明  利根川 博  吉野 一則
      高橋  仁  竹内 悦朗  生方  勇
理  事  生方 啓之  松田  満  小林 逸人  阿久沢 保
      古澤  実  大津陽一郎  今井 正之  澤浦 彰治
      白石 雅好  山嵜 三男  坂西 成人  大熊 重信
      前島  進  吉野  徹

名誉顧問  高木 政夫
顧  問  長屋 清臣  高橋 積雄  竹渕  敏  中川 豊美  望月 豊司
参  与  柴崎 恒二  柳澤 天津雄

略年表
1946(昭21)年   県協会設立。10月第1回群馬県選手権大会開催
1964(昭39)年   大河原宇明吉が東京オリンピックの競技運営部長
1969(昭44)年   全国高校総体を藤岡市で開催
1979(昭54)年   全日本選手権大会前橋市で開催
1980(昭55)年   国民体育大会成年の部優勝、天皇杯順位3位
1981(昭56)年   全国高校総体を水上町で開催
1982(昭57)年   全国社会人選手権兼全国実業人選手権を水上町で開催
1983(昭58)年   国民体育大会を水上町で開催
1987(昭62)年   全日本選手権大会兼日韓親善大会を前橋で開催
1988(昭63)年   原 徹が初のオリンピック(ソウル)56級出場14位
1996(平 8)年   全国高校選抜大会を高崎市で開催
1998(平10)年   全日本マスターズ大会を水上町で開催
2004(平16)年   山田政晴がオリンピック(アテネ)56級に出場
2008(平20)年   山田政晴がオリンピック(北京)56級に出場9位

 

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