池田名誉会長を貶める男子部教学室の歪曲

2026年8月9日

 二年前、私が『創価学会教学要綱』を批判した小著を出版した際、男子部教学室から反論文書が二回発表された。一回目は全く反論になっておらず、私に対する悪口罵詈に終始する名誉毀損まがいの代物だったので、公表は不都合と考えたのか、今は閲覧不能になっている。二回目のものは支離滅裂さがひどいので今まで放置しておいたが、池田名誉会長を貶める内容が見られるため、改めて破折することとする。
 その一つは「諫暁八幡抄」の解釈の問題である。一回目の教学室論考に対して私は「『諫暁八幡抄』では日蓮が釈迦仏に勝る存在であることが示されている。(中略)日蓮勝・釈迦劣の思想は日蓮自身の御書にうかがうことができる」(「『創価学会教学要綱』と日蓮本仏論の考察」126頁)と記した。
 「諫暁八幡抄」には「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給うべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給わざらん。月は西より東に向かえり。月氏の仏法の東へ流るべき相なり。日は東より出ず。日本の仏法の月氏へかえるべき瑞相なり。月は光あきらかならず。在世はただ八年なり。日は光明、月に勝れり。五の五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給わず。在世には無きゆえに。末法には一乗の強敵充満すべし。不軽菩薩の利益これなり」(新版747頁、旧版588頁)と述べられている。
 この御文は、西から東に伝わった釈迦仏法を月に譬え、東から西へと伝わる日蓮仏法を太陽に譬えて、釈迦仏法と日蓮仏法の勝劣を明確に示し、法華経誹謗の者を救済できない釈迦仏に対して正法誹謗の者をも救済する日蓮大聖人の卓越性を宣言した、学会員ならば誰もが知る有名な御文である。
 その御文について第二回の男子部論考は、池田名誉会長の名で発表された以下の文をもって異説を唱えている。
 いわく――「ここでは『仏が在世に法華経を説かれたのはただ8年である』として、月の光に譬えられています。一方、末法の『長き闇』を照らす太陽もまた法華経です。日月は共に法華経の譬喩であり、込められた願いも娑婆世界の一切衆生の救済で、その心は同じです」(「大白蓮華」2015年5月号「世界を照らす太陽の仏法」)
 この文章は「諫暁八幡抄」が譬えた月も太陽も同じ法華経であるとするが、池田名誉会長がこのような解釈をされたことはそれまで聞いたことはない。かつて名誉会長はこの御文を解釈して、「月は、出る位置をみると、日を追うにしたがって西の空から東へと移っていく。これは月氏(インド)の釈尊の仏法(月の仏法)が、東へ向かって弘まっていく相である。太陽は東から出て、西に入る。これは日本の大聖人の仏法(太陽の仏法)が月氏へとかえっていく瑞相である。(中略)月と太陽の光の強弱によせて、釈尊の仏法と大聖人の仏法との勝劣を述べられた一節である」(『池田大作全集』第69巻)と明快に述べている。この御文に関して、釈迦仏法と日蓮仏法の勝劣を示したものであるとする名誉会長の解釈は一貫しており、いささかも揺らいでいない。また、この解釈は戸田第二代会長が示されたものでもあった。
 しかし、池田名誉会長が公の場に出られなくなった2010年以降、名誉会長の名のもとに多くの教学書が発刊されたが、そこには従来の主張とは大きく異なる内容が示されたり、大幅な削除が見られるようになった。この「世界を照らす太陽の仏法」の文もその一例である。そもそも名誉会長が最晩年に至って突然、戸田第二代会長時代から堅持してきた従来の解釈を覆し、百八十度異なる新説を発表されたとは信じ難い。これでは自身が長年にわたって会員に指導してきた内容が誤りであったことになってしまうからである。要するにこれは、釈迦仏法と日蓮仏法の相違を曖昧にするために名誉会長の名前を使ってなされた捏造である可能性が高いと判断される。そうであるならば、これは会員を欺く悪質な騙しであり、名誉会長の信用を貶める行為となろう。もしそうではなく、この文が紛れもなく名誉会長自身の執筆によるものだと主張するのであれば、それを裏づける客観的な根拠を示すべきである。
 今や2010年以降に発刊された教学書の多くに重大な削除や改変がなされていることが明らかにされつつある。誰もが情報の真偽を検証できるようになった今日、ウソは必ず暴露される時代になっていることを知るべきである。
 

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