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2016年8月 アーカイブ

2016年8月20日 13時53分28秒 (Sat)

盆帰りは釣り三昧?

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妻の新盆のお墓参りと我が家の夏の旅行を兼ねて、秋田・新潟で一週間ほどを過ごしてきた。同年代のいとこたちが集まることもあって、息子は終始終日大はしゃぎで「夏休み」を楽しめたようだ。秋田・新潟への移動日こそ海に出かけなかったが、幸い、晴天に恵まれたので(関東では台風通過の影響もあったようだけど、日本海側は影響はほとんどなかった)、そのほかは連日、海へ出かけ、海水浴や「お手軽な釣り」に息子は夢中だった。その「お付き合い?」がてら、こちらも久々の小物釣りに興じ、改めて日本海側の海の豊饒さを感じることができた。

第一日目、息子が取り組んだ課題は「砂浜からのちょい投げ」。自分が中学時代、かなり夢中になった釣りである。

秋田の実家から、近くの砂浜の海水浴場へは15分ほどだ。実家には自分がかつて熱中した時に購入したグラス性のぶっとい投げ竿と投げ専用リールが何組かあったはず。しかし、作業小屋の中で見つけたそれらは、40年の歳月もあり、当然のことながら手入れなしに使える状態ではなかったので、子供には釣具屋で安売りしている「ちょい投げセット」2000円なりを、このたび購入して、持たせたのだった。

海水浴場脇、海水浴エリアを示すブイと旗から10mも離れていない場所で、波打ち際のシロギス狙いの二本針仕掛けで挑んだ。適当に海水浴をしながら、合間に釣りでも楽しめればと、弟家族と釣り+海水浴をスタート。

自分の小さいころの経験上、この浜では夏の時期、海水浴場にシロギスの群れが入り込むことがたびたびあったものだ。水深1~2mもない本当に波打ち際で、海水浴のさなか、指先をかすめるように泳ぐ「砂浜の女王」がゴーグル越しに見えたものだ。こちらが釣り道具のセットをしている間もじっとしているわけもなく、息子は波打ち際で泳ぎだし始めた、とたん、
「あー、魚、さかな、サカナ!」
なにがしかの魚群をみつけたらしいのだ。シロギスならいいが、クサフグかもしれない。まあいずれ、釣り道具を今出せば、なにがしかの魚からの魚信は頻繁にあるだろう、そう思った。

第一投はちょい投げのやり方を教えるべく、私が少し沖合に投げて見せた。息子に釣竿を手渡し、ゆっくりと巻き上げるんだぞ、といってたら、さっそく何かのあたりがあったらしい。真剣な表情で巻き上げ始める息子。その仕掛けの先には2匹のシロギスの姿が現れた。

「つれたーつれたー!」
「いるじゃん。群れが移動する前のチャンスタイムだよ!さあ、釣れてる時にどんどんやってみな!」

すぐに大興奮である。目の前、10mほど仕掛けを投げ入れることが出来さえすれば、魚がかかるのだ。初めて投げ竿を手にする息子やいとこ達でも、きちんと相手してくれるシロギスが、いい具合に目の前にいる。2投目、3投目、時折、定番のクサフグもピンポン玉のように膨らんで混じって釣れてくるけれど、シロギス主体で間髪なく1時間ほど釣れ続いてくれた。暑い日差しのもと、海水浴をしながらだったけど、昼下がりの小一時間で30匹ほどを確保して帰宅。

夕方、実家の庭先でのBBQ。シロギスに踊り串を打ち、塩焼きの一品としてグリル上を飾り、これを肴にビール。食後には満天の星空が頭上に輝き、さらには流星群が光の尾を引き流れていく光景。
 
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秋田の実家での墓参りを済ませ、一家+アルファというメンバーで秋田から新潟へ移動。途中、数キロにわたる向日葵ロードを通過で記念撮影。

息子が祖母の暮らす新潟で取り組んだのは「釣り堀」での金魚釣りと、秋田の砂浜で味をしめた投げ釣りの再挑戦、そして港からの豆アジ釣り。こちらには私の妹夫婦が小学生の子供を連れて合流し参戦した。

新潟のひたすら長い砂浜もまた、シロギス狙いで有名なところではある。ただ、ここで自身は真剣に投げ釣りをしたことがない(わずかな経験はフグが異常に多く、仕掛けの針が瞬時に噛み千切られるほどだった記憶がある)から、秋田のような幸運は、果たして起こるだろうか、疑問なのだ。ただ、新潟の家にはゴムボートを持ち込んで保管していたから、海さえ良ければ息子と海水浴場のちょっと沖合、水深5mほどまで漕ぎ出して「ボート釣り」で狙ってみようかと「保険をかけること」も何年か前から段取りしていたのだ。

息子は秋田でのちょい投げ釣りに自信を深めたのか、釣り具店が開店する時間前から、
「餌なしでいいから、早く海へいこう!」
せわしないのだ。「待て!」ができない犬よりもたちが悪い。ともかく、いとこも一緒だから、いとこの父親とともに海へ出かければ、基本、彼らに海水浴をさせといて、途中、釣具屋が開店したころに私が釣り餌を買い出しに行けばいい、と考えて、車にゴムボートを積み、家から5分もかからない海水浴場の駐車場へと朝早く出かけた。

海水浴場脇の砂浜でゴムボートを用意し、まずは子供二人を乗せてゴムボートで沖合に漕ぎ出した。少し沖には手漕ぎボートでキス釣りをしているだろうおじさんの姿もあって、状況を訪ねようかと海水浴エリア外側まで漕ぎ出した。岸から離れると子供たちは次第に心細くなったのか、
「岸からあまり離れないで!」
と、せがむところが、ちょっとかわいいように思えた。まあ、仕方ないな、とばかり岸へ戻る途中、海岸から声がかかった。見ると海水浴場のすこし沖にビーチボールと浮環が漂い流れてきた。どうやら海水浴を楽しんでいる家族のそれらが沖へ流されたものらしい。
「回収してください」
との要請だったのだ。子供達はその声に瞬時に反応、ビーチレスキュー隊、ヒーロー気取りでボートからこれらを回収し(漕いでいるのは私ですケド)、海水浴をしている家族へと届けたのだった。

そんなことで、そろそろ釣具屋も開店した頃合いかな、と思った矢先、「にわか雨」。浜でスマホで天候情報をチェックしてた義弟が、この後、大雨になる予報だ、と伝えてくれたのだった。沖合には黒い雨雲。これを見てこの午前は早々に退散、ボートから釣り道具を出すことなく終了となってしまった。だが、身を持て余した息子は、いとこ+義弟と近所の釣り堀へ「勝手知った」金魚釣りへと、午後に出かけたのだった。金魚は1時間でバケツ満杯だったと、息子は釣りあげた金魚のポイントと引き換えに得た駄菓子多数が入った袋を見せて語るのだった。

その日の夕方には雨はすっかり上がった。金魚釣りでは今一つ満足しないのか、帰ってからも海で釣りがしたいしたい、と、我が息子は小うるさいことこの上ない。母や妹が夕食の支度にとりかかってくれているので、こちらも手持無沙汰でもあったから、義父の墓地のある10分ぐらい離れた漁港に出かけてみた。息子は投げ釣りしたくてしょうがない状況だったので、とりあえず港の釣具屋でイソメを購入し、堤防先からちょい投げで再チャレンジさせた。息子はきちんと沖合へ仕掛けを投げ入れる技術は身に着けたようだが、どうも肝心の魚からの魚信はない。息子の投げ竿を借りて、試してみても、どうやって海底付近を引きずっても、イソメ餌に反応してくる魚の気配を感じることができなかったのだ。では、港内に魚の気配がこの時なかったか、といえばそうではない。ひっきりなしにボラが水面を跳ね回っているのだ。水面を泳ぎ跳ね回る魚は多数あれど、そいつらは息子のちょい投げ仕掛けで釣れる魚じゃ、ない。それでも、「投げる練習するんだ」とばかり、息子は帰ろうとしないのだ。その粘りも尽きたころ、ハゼが一匹つれてこの日は終了。

対岸の岸壁には「磯竿」に網かごを付けたサビキ仕掛けで何か釣りあげている人たちもいたから、この港でやるべき釣りは「投げ釣り」ではなく、別のものなのだろう。帰りしな、そう思って帰宅した。

翌日の夕方、漁港脇の釣具屋で
「港で、子供を遊ばせるにはなにがいいですかねえ?」
率直に素人おとっつあんと化して店番のおばあさんに訪ねたところ、
「今ならトリック仕掛けで豆アジだね、この仕掛けがいいよ」
と教えてくれるのだった。「郷に入れば郷に従え」なのだ。車に積んであった短いのべ竿に(なぜか我が車には常時搭載されている)ごく小さな針の「トリック仕掛け」を結んで、アミコマセひとブロックを購入し、港の釣り人だかりに混じって釣り開始。

こちら同様、盆帰りの夕方のひと時、港で子供と釣りをしてみよう、そんな様相の人たちが、皆、それぞれ思い思いの道具、多くはスピニングリールと長めの投げ竿や磯竿を振って、港の船着き場をにぎわせていた。でも、それほど何かが釣れている様子はなかった。

こちらはごく短い2.4mの振り出しのべ竿である。船着き場だから2mほどの水深はある。この竿と仕掛けだと、岸壁際しか届かない。そこでアミコマセを足元に少しまいて、トリック仕掛けを海へおろしたのだった。コマセに寄せられたのか、それとも群れが回ってくるタイミングなのだろうか、やってみるとほどなく魚信。5-10㎝の豆アジが銀色に輝いて釣れ上がってきた。息子のちょい投げ用の竿にもトリック仕掛けを装着して同じようにやらせてみると、それにも次々と豆アジ、サッパとイナといった小魚が船着き場の護岸の脇で釣れたのだ。

釣り始めたのが夕方で、間もなく日暮れとなったので、終了。夕食の「から揚げ」にするには十分な数を確保して帰宅。

そして、その翌日。息子は朝からじっくり豆アジ釣りをやりたいとせがむので、再びこの漁港を訪れた。本当なら、この日、近くの漁港から早朝の乗り合いの釣り船を予約していた私である。だが、台風の影響で風が出る予報とあって、前夜に出船中止を申し渡されていたのだった。

港へむかう途中の海岸脇の道路から海を見ても、さほど大きな波はない。これなら堤防で囲まれた港なら問題なく釣りはできそうだ、と思いながら、まもなく漁港へ到着。少しばかり風があるけれど天気は上々、何よりも小魚の群れがそこここに湧き上がっているような「ナブラ」が漁港内にいくつも見えるのだった。これは、もしかして…
 
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早速、息子とともに昨日同様のトリック仕掛けで、道具を出した。今日は新潟の家に置いてあった少し長め(4.5m)ののべ竿も持ち込んでいる。息子と二人、やり始めると豆アジは昨日以上に次々と小気味よい魚信を送ってくれるのだった。10時半ごろからはじめ、お昼までには100尾を超えた、そんな具合なのだ。昼頃から水面を泳ぐサヨリの群れも見え、ためしに同じ仕掛けで水面を意識して狙ってみた。鉛筆サイズのサヨリではあるけれど、針がかりと同時にジャンプする面白さもあって、20尾ほどだが、夢中になって釣った。

この日、1時過ぎまでやって、総数160を超えたところで終了。サヨリは簾のように串を打って塩焼きにし、豆アジは唐揚げ用に何袋かに分けて冷凍保存。近所のスーパー銭湯で、コマセや魚で汚れた体を清め、帰宅。夕食にサヨリの塩焼き、ジンタ(豆アジ)のから揚げ。

そして休日最終日、昨日出船停止となった船宿から、佐渡沖方面の「沖五目」に、一人出陣(いや、早朝、娘にバイト料をはずんで日中の息子の世話と私の港への送り迎えをしてもらった)。初めての船宿だし、水深300m前後での釣りのようだから、当方の経験値が少ない分野でワクワク。客は5名で、そのうち2名が「スロージギング」で、私を含めた3人が「餌釣り」であった。

「最初から、一発大物狙いでいきますか(どうも10㎏を超えるアラらしい)、それともまず、お土産確保しますか?お土産の場合、タラがいいですか?ホッケでいきますか?ここのホッケは50㎝以上がそろって、脂の乗りも極上だよ。それぞれ漁場が離れてるんで、走る前に、決めましょう」

船長から客への相談がなされたのだった。佐渡沖には何度か沖メバル狙いで別の船宿から出かけたことがあって、その際、「望まぬ外道」としてホッケを「鈴なり」で釣った経験はあったから、ここは、自分にとっての未知の魚、マダラ狙いでお土産確保、お願いします、と伝えた(一発、アラ狙い、と言えないところが庶民なのだ、なあ)。

船は1時間半ほど走って漁場へ。太くて短めの胴付き4本バリ仕掛けで、冷凍マイワシを一匹付けで狙うスタイルだった。水深300mほどだから、仕掛けを下す時間も、上げる時間もかなりかかる。ほどなく、他のお客さんや道具を出した船長さんに、魚信があったらしい。こちらはどんな感じのあたりなのかイメージできないまま、巻き上げ始めたみんなの様子をうらやまし気に見つめるのみ。せつない気持ち。

何となく、もさもさ動く竿先に、水深が深くて錘も200号と重いから、もしかしてこれがあたりなのかもしらん、と、とりあえず数分を要して仕掛けを回収してみた。それは、一つの針の餌がない状態で上がってきただけだった。食われたのか、エサのつけ方が悪くて落ちてしまったのかも分からない。周囲では1-3㎏程度のタラが上がり始めていたのに、である。一人、第一投目は蚊帳の外。空振りで、完全に置いてけぼり状態。

「あたりがあったら、おもいっきり、合わせてね。合わせないと針がかりしないよ。合わせたときには巻き上げないでね、棚がずれちゃうからね。合わせのアクションでほかの針の餌が踊って、次々に食いつくから」

と、船長の指導を受けた。さきほどの怪しい竿先の動きが本命の魚信で、合わせそこなって針がかりしなかったのだろうか?まだ、しっくりとはイメージがつかめないまま、第二投目を棚に合わせていたら、

「ガ、ガン、ガン!」

という感じで、明瞭な魚信が訪れた。こんなあたりなら、いかにこちらがどんくさくても間違うことは無い。なーんだ、先の怪しい微妙な竿先の動きなんて、何かの錯覚、勘違い、周りの人たちのあたりに焦らされた幻想だったにちがいない。これをはじめに、3-5㎏のタラが、仕掛けを棚に届ければ魚信を送ってくれたのだ。ただ、仕掛け投入と巻き上げにかなり時間がかかるから、じれったい。ひときわ大きそうな重さを感じさせた魚は100mほど巻き上げた途中で針はずれ。そうしたバラシもあったけど、何とか数尾を確保できた。そのうち、後ろのお客さん、ジギングのお客さんと3人での「お祭り」騒動に巻き込まれてもしまった。こちらの仕掛けは底まで降りたところで、魚がかかって取り込み寸前の餌釣り仕掛けのお父さんとジギングのお兄ちゃんの仕掛けの3つどもえのお祭りだった。15分ほど、魚のかかった仕掛けをほどくのに時間がかかってしまったが、その最中、明らかに自分の仕掛けに魚がかかっている感触があった。ようやく巻き上げにかかり、青く透明な水面を透して巨大な白い物体が見えた。

「ボコ、ボコッ」

と、3㎏、5㎏、6㎏のタラが3連で浮上したのだ。お祭り騒動のご利益なのか、しばらく仕掛けがタラのいる水深へ長時間とどまっていたためだろうか、4本バリに3匹という様相で針がかりしてくれていたのだった。

この時までには、それぞれのお客さんのクーラーボックスに釣れた鱈が入りきらないほどの大漁になっていたので、狙いもの変更で船は大移動。しかし、その後はめぼしい魚は釣れることは無く、昼近くになって時化始めてきたので「早上がり」となって、帰港。

自身、初めてのターゲットのタラ。他のお客さんよりも出遅れ、要領が悪かった気もするけれど、75Lクーラーボックスにドカンドカンと居座った「夏鱈」を見て満足なのだった。

同日夕方、これらを土産に帰京。私が船へ乗っている間、なんと、息子は娘とともに行きつけの「釣り堀」で腕を磨き、金魚釣り水槽から緋鯉を釣り上げたと自慢してくれたのだった。息子の手にはスーパーバック二袋分の駄菓子が携えられていた。

 
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2016年8月4日 21時42分20秒 (Thu)

思いあたりすぎる!

どうも調子が悪い。自分の体調変化に気づいたのは、実は、家内の介護に24時間明け暮れていた最中の5月初めだった。いやいや、このところ5,6年ほど、自分の体の調子がいい、と思えたことなど、なかった気もする50代のオトコではある。その辺の問題はひとまず置いといて…。
 
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20代の頃は寝る間を気にせず遊び狂い、夜明けから深夜まで駆け回れたものだ(寝る間は受講時間が使えることを大学で学んだ)。新潟から東京ぐらいなら、自転車で1日で走りぬけるぐらいは(途中、昼食にパンを食っているさなか、パンクして修理というオチもある)、それほど気負わずとも、実際、できたものだ。さすがにイイオトナの現在はそんな無茶なことはまったくしてないし(月に二度ほど夜明け前に小田原の船宿に出かけるぐらいである)、できなくなってきたことを実感してもいるオトコなのだ。

真夏を思わせる気温が続いた5月初めのこと。3日ばかり前に自分が作って台所に放置してしまった麦茶を口にして、ちょっと
「ダメな方向に変わっちまった麦茶なのか、これは?が、ま、お茶だな。ちょっと酸味を感じはするけど。もしかして麦茶じゃなく、娘が入れてくれたルイボスティーとか、何とかベリーティーかもなあ?ま、麦茶だとしても重篤な何かにはならんだろ、タブン」
と、介護の合間に飲んでしまったのがいけなかったかもしれない。直後に、夕ご飯が食べられないぐらいの具合悪さに陥ってしまったのだった。いや、その少し前から、
「どうも、胃の存在感が尋常じゃないなあ…でも、そんなこと、言ってる場合じゃ、ないし、今は」
と、妻の介護に明け暮れていた5月なのだった。

介護は、自分の体力が限界付近に達するより早く、残念ながら妻の寿命が尽きてしまって終えざるを得なかった。介護疲れも人並みに出てしまったのか、その後も、胃のあたりは重苦しく、時折、うずくような鈍痛で夜間もしばしば起きてしまうような状況が続いてしまっていた。昼間でも、胃の重い存在感と鈍痛があった。そんな症状が梅雨入り、梅雨中休みと続き、梅雨明けになっても続いていた。

「コリャ、マジ、なにがしか、悪いもの、抱えちまった、かもなあ…」
4年前、妻の大腸がんの発覚、そして手術。引き続く転移治療のための化学療法と終末期の緩和ケアまで経験をした夫である。そればかりではない。妻の手術が終わった数か月後には(3年前)実の父親に胃癌が発覚。手術を受けるも、時すでに遅く、数か月で他界。そんな「癌の発病、そして死」ということを、ごく身近に複数回、それもごく短期間に経験した自分なのだ。
「なんかやばいなあ」
そう、思っていながらも、2か月以上も、特段、医者にもいかなかった。我慢というほどのものでもないし、きっと時間がたてばよくなってくるんじゃなかろうかナア、と、気休めにドラッグストアで処方箋なしに買うことのできる胃腸薬でごまかしたものの、何も状況が変わらないまま時間だけが経過していた。そんな時、このところ10年ほどはずーと音信不通であった、15年前に一緒に南極で越冬した仲間が、不意に仕事場のオフィスに顔を出してくれたのだった。

「お、久しぶり!ずいぶんいい色に焼けてるじゃない!」
もともと痩せ柄ではある男だったが、真っ黒に日焼けし、痩せて引き締まったような姿に見えた。そんな彼との再開の際にかけた一番最初の言葉だった。

こちらは妻の49日の忌明けを済ませた後だった。きっと彼が南極仲間から私の妻の訃報を伝え聞き、当研究所への出張ついでに、私のオフィスにお悔やみに立ち寄ってくれたのだろう。

そんな彼、お悔やみの言葉のあと、
「実はね、顔が黒いのは…」
日焼けのせいではない、と彼は語り始めたのだった。自身も家内の「抗がん剤による化学療法のサイドエフェクト」で経験のある症状なのだ、と。彼によれば半年ほど胃がどうも重苦しい症状が続いてしまったので病院の診察を受けたら、胃癌と診察された。その後速やかに手術したが、すでに転移の恐れありとのステージであったから、現在、化学療法を続けている、と語ってくれたのだった。

彼のこの時の深刻な語り口と表情が、自分の背中を押した。

その会話の際、自身の最近の体調のことはまったく口には出さなかったのだけれど、彼が語る胃癌の発覚に至る症状と経緯は、今、自分自身が経験している症状とまったく同じに思えたのである。まして、自分の父親は胃癌でつい3年前に死んだばかりだから、自分には十分な遺伝的素養もしっかりあるのだ。妻をがんで亡くし、癌終末期のやるせなさを身に染みて体験したばかりではないか。子供はどうなるのだ。娘はたぶん速やかに自立できるまで育ってはいると思えるが、まだ小学2年生の息子は「人間としてあまりにも未完成」すぎる。家内の後を追うように、夫が死んでしまうというのは世の中よくあること、あるいは、時折、オシドリ夫婦の「美談」っぽくも語られることもあろうが、私がそんな評価を死後に受けても、それは子供にとっては何にも役立たないではないか。ここでガンで倒れちまうようものなら、そりゃ、あまりにも無責任だろ、と強く自覚したのだった。
 
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毎日、酒を飲む、喫煙習慣も断ち切れない、メタボ予備軍的によく食べ、太っている。南極観測の検診の際に癌は発見はされてはいなかったが、「逆流性食道炎」という、食道がん予備軍ともなる、いわば飲んだくれのレッテルのような症状があることは、5年前から指摘されていた50代のオトコなのだ。日々健康に留意し、水泳やスポーツクラブやヨガでの運動を楽しみ、玄米食や雑穀混ぜご飯など食品にも気を配り、人一倍健康に留意していた家内ですら、癌で死んでしまったのだ。そんなことに無頓着な自分に癌が発病し、直ぐに父親のように死んじゃう可能性は、家内以上に高い確率である、と推計できなきゃ、研究者の資質も疑われよう!自分には、あまりにも思い当たることが多すぎるのだ。

「胃の調子があまりよくないなあ」と、時折感じ始めたのは、ずーと秘密にしていたけれど、実は数年前からなのだ。それが、ここ二か月ばかり、途切れることなく重苦しさを抱えちまっているのだから、いよいよ、まずいことなのだろう。ああ、しまった、どうしよう?もしかしたら手術を受けて抗癌治療をしている彼よりも、自分のほうが進行しているかもしらん!

ここは、すぐにでも検査、最悪の事態でも手術まで躊躇せず、やらなきゃいかんだろ、親の責任として。そう、覚悟を決め、ようやく娘に打ち明けた7月下旬。
 
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仕事上、いくつか締め切りを抱えちまっており、自身のことを後回しにしがちの性格でもあったから、ここはダメ押しとばかり、月一回研究所内で案内のある「職場の健康相談」の機会に応募し、「あの人から体調不良の訴えがあった」ことを第三者的に認識してもらったのだった。その相談で画期的な何かを得ようと期待したわけではないが、わかりきったアドバイス、「職場の定期検査を待たないで、すぐに胃カメラで診察を受けるべき」という指導を「きちんと」いただきたかったのだった。自分の逃げ場所をふさぐために。

自宅そばに申し込み当日でも、空きさえあればただちに胃カメラ検査までやってくれるクリニックを見つけ、その扉をたたいた。胃カメラ自体は南極観測参加の度に何度も経験した「苦しいけどすぐに終わる検査」である。胃カメラ前に医師に症状を話した。家系に癌患者がいること(現在、日本人の死亡要因の5割程が癌だ、ということは、もしかして、遺伝的素養としては癌になりやすい家系だとか、という議論はしても意味がない気もするなあ)、逆流性食道炎を指摘されながら、毎日飲酒し、自堕落な男であること、四六時中具合が芳しくなくても、妻の癌終末期の介護もあって、自身の体調管理にまったく注意せず、数か月過ごしてしまったことを正直に伝えた。

胃カメラ検査は、自分も自身の消化管内を観察できる状態で進行した。記憶から3年前の自分の消化管映像をとりだして、何か、深刻な変化がないか、見落とさないように映像とにらめっこしながら行った。きっと医師は、途中で重篤な何かを見つけても患者に心理的不安を与えないよう配慮した発言にとどめるだろうが、こちとら生物学研究者なのだ。自分の疾患は自分で見つけ、指摘されなくとも気づいてやろうという決意で画像を凝視した。

鼻からファイバーを入れられ、食道へと降りてゆくと、見慣れた食道炎の症状を認めた。ここまでは仕方ない。3年ぶりの対面。やはりしっかりあるじゃないか。でも、以前と症状に違いはないようにみえた。しかし、問題はこの先。四六時中存在感のある胃は?ここに出血や潰瘍みたいなものが見つかっちまったら、どうしよう?たぶん出血には至っていないと、毎日の排便から推察はできるものの、微量にそれが始まっている場合だってあろう。ファイバースコープは胃のあちこちを行ったり来たりしながら、十二指腸に到着。その間、瞬きもせずに見つめたつもりだが、幸い、一か所の出血も、糜爛や潰瘍らしき姿も、自分には見つけられなかったのだった。もし、胃癌だったとしても、まだ表面に出ていないだろうから、発覚しても手術で転移なしに除去できるレベルだろう、と、ちょっと安堵。一通り観察を終えたファイバースコープで医者は胃の組織をちょっと切除し検査サンプルを摘出したのだった。

本日、その検査結果が出るということで、恐る恐る受診した。

「胃癌もピロリ菌もなかったですよ。ただ、逆流性食道炎は事実で、慢性胃炎ということだから、食生活習慣の管理をきちんとしなきゃ、食道がんのリスクを高めちまいますよ」
と、申し渡されただけで済んだのだった。

ふう、これで心底安堵して夏を迎えることができる、というものだ。やれやれ。

 

プロフィール

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プロフィール
極地で水の中とその周辺で生きている生き物を対象とした生態学を探究中。

北極や海が冬に凍るオホーツク、はたまた夏の南氷洋で氷とともに生きるアイスアルジー(海氷藻類)の研究に携わった後、これまでに日本南極地域観測・越冬隊に3回、夏隊に5回参加しながら南極の湖の野外調査研究を続けている。
性別
男
血液型
O型
自己紹介
極地研究所に職を得て以来、地球の北や南の極地でなぜか騒々しくドタバタ・ジタバタしながら動き回る生活を四半世紀以上続けてきたことに気づいてしまった。現在は、南極でひそやかに輝く湖たちと付き合ってきたせいか、年齢相応の落ち着いたオトナになっているような気がする。
趣味
釣りと料理、最近、家事一般雑事など、多趣味になりつつあるのが困ったところ
特技
自転車操業、せっかちで多動症のようなところで人生をやり過ごしているような技
職業
国立極地研究所 生物圏研究グループ・総合研究大学院大学 極域科学専攻 教授

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四季の釣り談義

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