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2017年5月 アーカイブ

2017年5月22日 11時52分48秒 (Mon)

隔靴掻痒

「暑すぎる!」

とうとう東京では30℃を超える気温となった5月下旬。梅雨前の一時、毎年のようにままあること、十分想定されやすい事象だけれど、想定できたところで体が「暑さ慣れ」していないせいもあり、結構なダメージを受けちまうものだ。つい先月まで暖房設備を使用していたし、朝晩の犬との散歩時にはジャンパーなどを着用もしていた生活だった。そこからまだ数週間しかたってないのだから、体が追従できないのも無理もない。4月の終わりごろ、地植えしたアサガオとヒマワリはそれぞれ芽を出して、ヒマワリは30㎝以上も茎をのばしてきたのだから、着実に夏に季節が変わっているのだろうけれど、ねえ。
 
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そんな気持ちと体が季節について行ってない吾輩だけれど、かろうじて連休前に子供の冬服を夏服に入れ替えておけたから、暑さに向けた予測と備えの意識はあったはずだ。活動的すぎる息子ゆえ、あっという間に汗と泥まみれにしちまう才能は、近隣界隈の子供の中でも秀逸すぎるから、着替えと洗濯の回転が早いからやっておかなきゃ間に合わないのだ。一方で、自身の身なりは(まあ、入れ替えるべきものがほぼない気もするが)「上着を取り去る」だけの対処ですませている応急処置的なもの。だから、家でも職場でも、いまだ目に付くところに「真冬用防寒着」が転がっていることになってしまっているのだ。昨日今日、玄関わきにつり下がっているジャンパーや仕事場オフィスの傍らに置かれたマイナス50度でも生き残れそうなダウンジャケットが、
「早く片づけてくださいまし、ご主人様」
と訴えかけているように見えてきた。だけど暑さの急襲に滅入ってしまった体と心のせいで、なかなか「タダシイ行動」がとれない。ただただ、鬱陶しく思えているだけという、体たらくさに甘んじていた。今後梅雨に入ると、ジメジメ感で益々鬱陶しさが募り、動く気力が増々減退する予報もできる。これらしまい忘れた「季節外れ軍団」には速やかなる撤収措置を適切に取らせなければ、菌類そのほかの生き物活動最盛期の夏を経て次の冬シーズン使いたくないモノに変じてしまう、そんな生物学上の知識もきちんとある。

的確な判断力があっても、ヒトは素直に動かない存在なのだ(私が普通のヒトの例として適切ならば)。
「そんな哲学的思考の帰結を得るより、さっさと片づけちまいなさいよ、全く」
と、妻に怒られそうだが、妻なき今は怒られもしないから、鬱陶しさの成長増大になかなか終止符を打てずにいた。
「これではイカン!」
なんとか鼓舞して、目についたモノ・気付いたコトを余計な思考を挟まず片っ端から片づける戦略を取ってみた。そしたら、あっという間に時間だけが過ぎた。処理対処すべきあまたの事象がありあまっているのか、いまだ作戦の終了の目途もたてられない。鬱陶しさを募らせていた目につきすぎる物品処理はかろうじてできたのだが。

こんな場合、
「日ごとにやることを仕分けして決めて徹底的に終了させ、それ以外は一切やらない」
という妻の教えに従った作戦行動がタダシイように思えてくるのだけれど、その作戦は「それ以外の一切の家事」を代行する存在(当時は私)が必要なのだなあ。隔靴掻痒、なかなかうまくいかないものだ。
 
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庭先の伸びてきたヒマワリ。実はなんだか大変なことになっている。展開しだした本葉が何者かに片っ端から喰われちまっているのだ。ヒマワリの茎や葉には目につくムシは全くみつからない。だけど、こんな喰い方をするのは、ウイルスやカビ、あるいは最近どうしょうもなく庭先で暗躍しながら駐車場の自動車にうんち爆弾を投下しているムクドリなど鳥の仕業には思えない。ムシだ。

記憶の引き出しから幼少の頃、亡き父との畑での思い出とともに
「ああ、ネギリ(根切り虫)だ。ヨトウムシだ」
という秋田訛り会話と日中は土に潜み、闇とともに地上で葉っぱを喰いまくる結構大型になる少々グロテスクな夜盗虫(漢字で書くとその行動性質が一目瞭然!極悪に思えてしまうでしょ?)の残像が転がり出た。

おそらくこのひまわり周辺の土を掘り返すと子供の指ぐらいの芋虫が数匹、出てくるに違いない。見えぬ敵の姿は地中にある。こいつらに食い尽くされる前にやっつけなければ盛夏の日差しに金色に輝くひまわりは鑑賞できないことになる(そして小鳥さんたちのエサの確保もムズカシクナル)。

娘とすぐさま対策会議。おそらく巷の園芸店で「ヨトウムシ」防除の殺虫剤などが市販されているに違いない。数日後の休日、その手配に娘を派遣。しかし、かろうじて入手できたのは、数々の虫防除に効果があると記載があるなかに、ヨトウムシの名前があった万能殺虫剤系の噴霧薬だった。効果あるのだろうか?敵は地中。掘ればそこにいるのだから、ある意味、ピンポイントで攻撃できそうだ。が、土を掘り返してしまうと、せっかく伸びだしたヒマワリやアサガオごと掘り返すことにもなる。敵も守るべきものも一緒にやっつけることになる。噴霧薬剤を土壌や植物体にかけることが、果たしてどの程度ヨトウムシをやっつけるものだろうか、効果不明のままだったが、いま取れる作戦はこれだけ。隔靴掻痒。

おそらくヒマワリはもっと深刻に隔靴掻痒、いや、痛痒、早くなんとかして!と言っているに違いない。
 
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痒いということで、もうひとつ。

この冬、何か月かの間、「弁慶の泣き所」である向こう脛に発疹が生じていた。それは次第に拡大し、やけどした後のケロイドのような数センチの大きな湿疹にまで育ってしまっていた。入浴するとものすごく痒いので、かきむしっていた。それが傷になり、悪化したのかもしれないが、現状「痒いだけ」なので、そのうち治るかなとほったらかしていた。が、何カ月たっても一向に直る気配がない。そればかりか、悪化エリアが拡大してしまっていた。
「弁慶なら泣くのだろうが、オレサマ、掻痒だけだから、とうとう弁慶を超えた存在になったに違いない!」
などとうそぶいていても、やっぱり痒みは増大するばかりである。そのうち、青春時代の記憶の引き出し画像がパカッと開いて、股の間にできて拡大してしまったモウレツな痒さを伴う生物繁殖の痕跡画像と重なってしまった。向う脛にそんな痒い系菌類繁殖が生じるか否か、不確かではあった。けれど、記憶の中のケロイド様の湿疹画像と瓜二つに思えた。もし、「水」や「タ」で始まる虫系(菌系)繁殖なら、きちんと対処しなきゃ、家族中、感染が拡大して、父あるいはヒトとしての威厳を保てなくなっちまう。ひそかに菌系退治に効果を発揮するコザッ〇軟膏や薬用せっけんミュー〇などで患部を清潔に保つのを心がけ、入浴時の痒さと戦うことしばしだった。しかし症状は鎮静の気配すらないまま4月を迎え、なにかに負けた気持ちで皮膚科を受診した。

医師は一目見るなり
「乾皮症/皮脂欠乏性湿疹ですな」
と、その症状と対策を記したリーフレットを手渡し、軟膏を処方してくれたのだった。皮脂中の脂肪が欠乏することで引き起こされるかゆみで、グリセリンやヒルドイド軟膏といった「うるおい・保湿系クリーム」をまめに塗布すればなおるとのことだ。どうやら老化に伴って脂肪が減じてしまうことで生じることも多いらしい。こちとら老化は年齢的に仕方ないかもしらんお年頃だ。しかし全身眺めれば、向う脛以外の場所には、あまりある脂肪が蓄えられているのが誰にでもわかるナリなのだ。脂肪不足など、我が体に生じるとの考えに至るはずもない。まあ、人類の進化上、向う脛にも脂肪を蓄えて、攻撃され殴られようが痛みを感じない「弁慶を超えた」ヒトというのも寡聞にして知らないから、我が体の唯一ともいえる脂肪の無い場所を狙った症状だったといえる。気づきも想像すらもできなかった。

実際、軟膏を塗布して数日後には、嘘のようにかゆみは消失、湿疹も消失。『ああ、潤い不足だったのね、ワタシ』と、なぜかかわいらしさを伴った安堵感を感じてしまったのだった。ムシ系掻痒と勘違いして逆性薬用石鹸で洗う行為はといえば、まさに逆効果で、皮脂を溶脱促進させpHをも逆転させる行為だったのだ。まったくおバカだねえ。

 
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2017年5月12日 15時01分53秒 (Fri)

GWどたばた

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天気に恵まれた今年の5月のゴールデンウイーク。我が家は東京を離れ、新潟で3泊、秋田で2泊して7日の日曜日に東京へ戻ってくるという小旅行?へ出かけてきた。妻の一周忌の法要をお墓のある秋田で執り行うという、主目的なのだ。子供たちに加えて犬、鳥2家族?を引き連れての移動となったから(もしかして私は桃太郎で、鬼ヶ島へ出かけようとしていたのかもしれない)、自家用車出動必須、全員を乗せこんで走り回ってきたわけだ。普段の信心のおかげ、もしくは亡き妻の加護もあったのだろう、ぐるっとかなりの距離を走り回ったにもかかわらず、渋滞らしい渋滞には一度も遭遇しなかった。
 
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まずは2日。仕事や学校を終えて、自宅で夕食をとってからの出発で深夜の新潟到着。2日ばかり遅れたけれど、翌日に義母の「誕生会」を行えた。80歳を超えたにもかかわらず、気丈で、一人、気ままな独り暮らしを営んでくれている。なかなか、戻って世話をすることができないのだけれど、しっかり暮らしていけていることに感謝、なのだ。娘は新潟帰省の折には必ず小学校時代の友達と旧交を温めることにしている。そのたびに彼女たちは自宅を尋ねてくれ、娘の部屋で女子会を催している姿を拝見しているのだ。その娘さんたちも、すっかりきれいなお嬢と化しているのだ。確実に年月、流れているのだなあ。

4日には「新潟(寺泊)からの春のマダイ模様」探査に、早朝、出かけてみた。これは時期が早すぎたのか、船中不発!マルボウズの憂き目にあった。例年なら寺泊のマダイはGW明けから開幕なのだ。が、今年から、開幕の制限なしに、寺泊の船宿でも年明けから「海が良ければいつでも」出船できるようになっているのだった(おそらく上越方面の船宿の影響かもしれない)。そんな寺泊、この時期は沖メバル中心の釣果に加えて「早出のタイの模様も出ていた」ので、「もしかすると乗っ込みの千載一遇の模様」に出会えるかも、とかなり気合を入れて出かけてみたのだった。けれどマダイからのシグナルはおろか、付けエサがとられもしない状況だった。まあ、船中全滅だったから、「仕方ないなあ」ときっちり諦められるというものだ。かろうじてか弱いエサトリ魚のシグナルで、ウマズラハギ一尾を手中にしただけで、秋田へと向かった。
 

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新潟では妹家族が合流し、「プレ・一周忌」の会合というか宴席を二晩催した。そして5日には秋田の実家へ連れ立って出発。たどり着いた生家の周辺は、この時期ならではの典型的な「田植え準備に水を張りはじめた水田と里山に咲く満開の山桜」の風景が広がっていた。少年時代、こんな風景に囲まれて育ってきたのだけれど、今年、改めて眺めてみると
「山桜がこんなにも雑木林の中にあったのかなあ?」
と思えるほど山野を彩っていた。自身の記憶の「春の野山」には、山桜はポツリポツリとありはしたけど、「吉野の里」のように山を彩るほど多数であった、という記憶がない。

50年前、こんな集落の周りの山々は杉などの植林が主流、また山の雑木を利用した生活もあって、手入れされてた。柴箒など向かいのじいさんらが農作業の合間によくこしらえ、学校や村落の外掃除用に普通に使って(もしかして学校へ供出もしてたかもしれない)たものだ。現代、柴箒の材料はあるけれど、だれもそんな手間暇かけて山野の雑木を伐採利用するってことはほとんどないようだ。いまや秋田の田舎にも習慣としても残って、引き継がれてはいないのだろう。その後、山野は特に手入れなどされずに放棄、なすがまま。そんな半世紀という時間の中で山桜が多数自生、際立ったってきた風景なのだろう。

少年時代の5月連休といえば、「鮒や野鯉」の産卵でのっこむ季節だった。野池の岸辺の水草や葦などがユラリと揺れ、湖面にはアヤシイ水紋、あぶくが浮かび上がる中、釣り竿とバケツをもったワラシが思い思いの野池や小川の縁に陣取って、無我夢中、真剣なまなざしでウキを見つめる季節だった、なあ。もしかして、水面ばかり見てたから、頭上の山桜には意識を奪われることなく過ごしてただけなのかもしれない、けどね。

プロフィール

プロフィール画像
プロフィール
極地で水の中とその周辺で生きている生き物を対象とした生態学を探究中。

北極や海が冬に凍るオホーツク、はたまた夏の南氷洋で氷とともに生きるアイスアルジー(海氷藻類)の研究に携わった後、これまでに日本南極地域観測・越冬隊に3回、夏隊に5回参加しながら南極の湖の野外調査研究を続けている。
性別
男
血液型
O型
自己紹介
極地研究所に職を得て以来、地球の北や南の極地でなぜか騒々しくドタバタ・ジタバタしながら動き回る生活を四半世紀以上続けてきたことに気づいてしまった。現在は、南極でひそやかに輝く湖たちと付き合ってきたせいか、年齢相応の落ち着いたオトナになっているような気がする。
趣味
釣りと料理、最近、家事一般雑事など、多趣味になりつつあるのが困ったところ
特技
自転車操業、せっかちで多動症のようなところで人生をやり過ごしているような技
職業
国立極地研究所 生物圏研究グループ・総合研究大学院大学 極域科学専攻 教授

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