バリ島の舞踊・主な踊り
バリ島の魅力から、バリ舞踊を外すことはできません。舞踊にかけるバリ人の思いや神・儀礼との関わり、昔のバリ舞踊、バリ舞踊の発達過程についてまとめました。
まずは、舞踊にかけるバリ人の思いやバリ舞踊の様式と主な舞踊を紹介します。
contents → バリ人にとっての舞踊団、バリ舞踊のあらまし、バリ舞踊の様式と主な舞踊紹介、寺院での舞踊を踊る領域
よい楽団ができたら、つぎにはよい舞踊団をというのが、地域社会の暮らしにとって精神的にも実際的にも自然ともいうべき欲求である。彼らは音楽や舞踊には夢中だし、舞踊団は儀礼で重要な役割を果たす。その上に、うまいと評判の舞踊団があれば村の小区であるバンジャールは鼻が高く社会的にも一目おかれるのである。
演劇集団は村人によって楽団組織の延長上につくられる。寄付金が募られ、楽器が調達され、楽団員が養成される。踊り手になる人は地域の少年少女のなかから、容姿、身体的適性、そして特定の舞踊に対する才能がありそうかどうかを考慮して選ばれる。
踊り手が集まると先生が招かれ、稽古をつける。先生はたいてい昔すぐれた踊り手だったか、あるいは踊りを細部にいたるまで熟知している楽団リーダーである。先生は何週間も何ヶ月もたゆまず働くのであるが、その労力に対して謝礼をもらえるとは限らない。授業料の代わりに先生は宴会でふんだんにもてなされ、賓客として待遇される。
舞踊団が衣装を買うのに充分なお金を整え、踊り手が人前に出ても大丈夫となると、村は吉日を選んで披露の祭典(マラスパシン)を行う。衣装は初めて身にまとう前に浄め、団は供物を捧げ、役者も踊り手も語り師もみな、魂に力を与えてもらう儀式を、祭司や呪術師にしてもらう。
まるで舞踊団がないという村はめったにないし、役者や楽団員には税金の支払いを免除するという昔の習慣がオランダ政府によって廃止されても舞踊や演劇への関心は減りはしなかった。また、個人的な祭りごとの際に受けとる少額のお金は衣装や楽器の新調、また村の祝祭用として団の基金に繰り入れられてしまうのである。
by ミゲル・コバルビアス Miguel Covarrubias
メキシコ生まれの画家。1933年から1年余夫妻でウブドに滞在、帰米して1937年『Island of Bali』を出版。バリ文化を欧米に知らしめた。
バリ舞踊は、元来は共同体の宗教儀礼、もしくは王族の祭礼に付随するものとして行なわれてきたものであるが、オランダ統治時代に初めて観光客に対して舞踊を見せることが始まった。また、当時バリに住んでいた外国人との交流により、観光客に見せるための舞踊(ケチャ)が創作されたり、同年代に新たにゴン・クビャールと呼ばれる舞踊・音楽・ガムラン編成が生まれたりして、観光のための創作活動が盛んになり、舞踊芸術が宗教儀礼・祭礼以外でも演じられるようになっていった。
また、1917年にバトゥール山噴火・バリ南部大地震が起き、合わせて疫病が全島に蔓延したことから、サンヒャン・ドゥダリやチャロンアランを各地で神に奉納演舞したことがバリ舞踊を再興させ、かつ西洋人の学者・文化人、観光客にバリ舞踊の価値を見いださせたことだろう。
※バリ舞踊・ガムランを活性化させたのが、観光客を運ぶ運転手だった。彼らの中には優秀なガムラン奏者がいて、各地の新しい動きを地域に伝えたという。
A ワリ舞踊 Wali タリ・スチ Tari suci
寺院で儀式の際に奉納される神聖な舞踊。ワリとは捧げ物の意味。
・サンヒャン・ドゥダリ Sang Hyang Dedari
バリ島で見られる憑依舞踊であり、元来は、疫病が蔓延したときなどに初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであった。現在では、一般に観光客用の観賞舞踊の演目の一つに組み込まれるようになっており、ケチャの上演の後にサンヒャン・ジャランとともに踊られている。
・サンヒャン・ジャラン Sang Hyang Jaran
ヤシや竹、木などを使って作られた馬(ジャラン)の形態をした人形に、神が宿り、踊り手は、この馬を跨いで意識が無いまま踊りつづける。また、燃やされたヤシ殻炭の真っ赤に燃えている上などを走ったりするため、火渡りのサンヒャンとしても知られる。
・ルジャン Rejang
寺院の祭礼で神々が降臨した際に儀式として踊られる。女性によって踊られる奉納舞踊で、単調な動きと繰り返しの続くシンプルな舞踊。
・バリス Baris
槍(バリス・グデ)をもって踊る戦いの舞で儀礼用。成年男子による戦士の踊りで、もっとも高い技術を要するといわれる。貝細工を施したかぶりものや幾重にも重ねた上着など、豪華な衣装に包まれた男性が大きく脚を開いて踊り、力強さをアピールする。手や表情で戦士の心情を表現している。
・バロン Barong
バロンは、御神体として普段は寺院内に納められているが、オダランの際には海へ清めに行った後に、中に人が入って踊りを奉納する。現在、チャロンアランを観光客にも鑑賞しやすいようにしたものを「バロンダンス」と呼んでいるようだが、こちらの踊りとは異なる。
・ペンデット Pendet
寺院に降臨した神々への歓迎と信仰を表す舞踊。通常は3人以上の未婚女性で演じられる。
踊り手はボコルと呼ばれる縁が広い金属の皿を持って踊る。皿の中には花びらが入っており、舞踊中に膝をつき、神を拝んだ後、その花びらを指で挟み空中に飛ばすという独特な動作がある。現在は、客をもてなす歓迎の舞踊になっている。
B ブバリ舞踊 bebali タリ・サクラル Tari Sakral
宗教性が強い儀式のためのストーリー要素が入った舞踊と舞踊劇。ブバリは、寺院で儀式として奉納されるが、人前で観賞用に演じられる事もある。仮面を使うものも多い。
・トペン Topeng
仮面を使っての舞踊劇。仮面には、目と鼻だけに穴が開いて顔を全部覆うタイプのブンクランと、 顔の下半分が無く、踊り手の口が見えているタイプのシバカンという二種類のものがある。ブンクランの役者は高貴な身分の役柄が多く、言葉は言わず、シバカンが、庶民や家臣として道化役を演じ、 バリ語や古代カウィ語を使って話を進める。
・ガンブー Gambuh
古典的演劇法。物語は「マラット」からとられ、歌が多い。ガンブーは15世紀には既にあったといわれ、古代カウィ語を使用し、バリ芸術の文学、舞踊、音楽の原点ともいわれる奉納劇。上演の際には、ガムラン ガンブーという編成が使われ、巨大な竹笛が使われるのが特徴。
・ワヤン・ウォン Wayang Wong
トペン(=仮面)を着けた人間によってワヤン劇を上演する。クニンガンの日に奉納される。仮面をつけた役者の踊りと古典カウィ語の歌によって演じられる。使用人役のプナカワンによって バリ人の聴衆にもわかるようバリ語で物語の内容も解説される。
C バリバリアン舞踊 balhi balihan
芸術としての舞踊と舞踊劇。娯楽として人前で観賞用に演じられる。
・レゴン Legong
宮廷舞踊として踊られてきたレゴンダンスは、色鮮やかな衣装をまとった3人の女性たちが繊細な動きを見せる優美な踊り。ジャワ島に伝わるランケサリ姫とパンジ王の物語をモチーフにしており、伴奏のガムラン音楽はプレゴンガンというレゴンダンスのための伴奏音楽。
・アルジョ Arja
バリ・オペラとも言われ、対話形式で舞踊劇が進行する。劇中には道化役プナサールが出て来て笑いを取るのが特徴。唄によるセリフ、踊り、笑いで構成された歌舞劇。使われるガムランはガグンタンガンと呼ばれるシンプルな構成のもの。
・ケチャ Kecak
50~200人の男性が円陣を組み「チャッ チャッ チャッ」というかけ声を基調とした詠唱をおこないながら、『ラーマーヤナ』物語を題材としたバリ舞踊の踊りが円陣の中央の空間に次々と登場し、舞踊劇の様式で行われる。かけ声は4つのパートに分かれ混ざりあっこれが全体として合わさると「ケチャ ケチャ ケチャ ケチャ」という16ビートのリズムのように聞こえる。男たちはコーラスだけでなく、劇の進行に伴って合唱や演技、手や体の動きで、劇の背景としての表現も行う。
→ラーマーヤナ物語あらすじへ
・チャロンアラン Calon arong
「ランダ・チャロンアラン物語」の悪霊祓いの舞台劇。対話、歌、舞踊が入る。バロンとランダの戦いをモチーフとする宗教儀礼。19世紀末に成立し、その後、観光客向けに、時間を短縮する、過激なトランス状態などの不快なシーンをなくす、ドタバタ劇を盛り込む、など演劇性を高めた形式となり全島に普及した。
・テレック Telek
テレックはトペン舞踊の一種で、4人~8人の偶数の女性が集団で踊る舞踊。使われるトペンは、美女の顔で透き通る白い肌をしている。テレックは、チャロナラン舞踊劇の一部として、ジャウックと一緒に踊られる場合が多い。
・オレッグ タムリリンガン Oleg Tambulilingan
マリオとマンデラ翁が1952年に創作した新作舞踊。バンブル・ビー・ダンスとよばれ、マルハナ蜂の求愛をモチーフにしている。最初は蜂が蜜を吸う、という意味の女性のみのソロの踊りであったものを、バレエのような踊りにしたいという欧米人のリクエストで、後に男性パートを加えたデュエットとなった。
・クビャール・ドゥドゥック Kebyar・duduk クビャール・トロンポン kebyar・trompong
マリオが1925年に創作。男性がソロで踊る舞踊。坐った姿勢で踊るところからクビャール・ドゥドゥック(坐る)と呼ばれる。時には座り込み、時には中腰の姿勢のままで移動しながら踊る。長い腰布と手にする扇が特徴で、女性的な優美な動きを必要とする踊りだ。(女性が男装して踊っているという想定。)素早い動作と、顔や眼の動きを急激に変化させなければならない難しい踊りである。
そして、クビャール・トロンポンは、それを発展させ、トロンポンと呼ばれる旋律楽器を前にして、両手にバチを持って踊る。踊りの途中でトロンポンのソロ演奏が入る。
→バリ舞踊紀行へ
※マリオ イクトゥットゥ・マリオ I Ketut Mario 1920~1930年代に活躍した天才舞踊家。当時流行していたゴン・クビャールのための数々の創作舞踊を生み出した。
「ブバリ舞踊」は、奉納としての舞踊で寺院中央の境内で演じられることが多い。
「バリバリアン舞踊」は、娯楽のための舞踊であり、3つ目の境内で催される。寺院によっては、寺院前の道や広場が3つ目の境内になることもある。
※バリ島の寺院は3つの領域に分けられていて、奥の境内は神の領域、中央の境内は境内は神と人の領域、外の境内は人の交流する領域に位置づけられている。寺院でのバリ舞踊を演じる位置は、その舞踊の神と人との距離感を表している。
舞踊の様式と主な踊り Next-悪霊祓いの舞踊とワヤン Last-宮廷での踊りと創作舞踊
まずは、舞踊にかけるバリ人の思いやバリ舞踊の様式と主な舞踊を紹介します。
contents → バリ人にとっての舞踊団、バリ舞踊のあらまし、バリ舞踊の様式と主な舞踊紹介、寺院での舞踊を踊る領域
※人物や寺院の情報は別なページにリンクして説明します。
バリ人にとっての舞踊団-歌舞団にかける地域の思い
オランダの統治により、寺院が王族のものから地域のものに変わり、歌舞団も地域で持つようになった時代-1930年代よい楽団ができたら、つぎにはよい舞踊団をというのが、地域社会の暮らしにとって精神的にも実際的にも自然ともいうべき欲求である。彼らは音楽や舞踊には夢中だし、舞踊団は儀礼で重要な役割を果たす。その上に、うまいと評判の舞踊団があれば村の小区であるバンジャールは鼻が高く社会的にも一目おかれるのである。
演劇集団は村人によって楽団組織の延長上につくられる。寄付金が募られ、楽器が調達され、楽団員が養成される。踊り手になる人は地域の少年少女のなかから、容姿、身体的適性、そして特定の舞踊に対する才能がありそうかどうかを考慮して選ばれる。
踊り手が集まると先生が招かれ、稽古をつける。先生はたいてい昔すぐれた踊り手だったか、あるいは踊りを細部にいたるまで熟知している楽団リーダーである。先生は何週間も何ヶ月もたゆまず働くのであるが、その労力に対して謝礼をもらえるとは限らない。授業料の代わりに先生は宴会でふんだんにもてなされ、賓客として待遇される。
舞踊団が衣装を買うのに充分なお金を整え、踊り手が人前に出ても大丈夫となると、村は吉日を選んで披露の祭典(マラスパシン)を行う。衣装は初めて身にまとう前に浄め、団は供物を捧げ、役者も踊り手も語り師もみな、魂に力を与えてもらう儀式を、祭司や呪術師にしてもらう。
まるで舞踊団がないという村はめったにないし、役者や楽団員には税金の支払いを免除するという昔の習慣がオランダ政府によって廃止されても舞踊や演劇への関心は減りはしなかった。また、個人的な祭りごとの際に受けとる少額のお金は衣装や楽器の新調、また村の祝祭用として団の基金に繰り入れられてしまうのである。
by ミゲル・コバルビアス Miguel Covarrubias
メキシコ生まれの画家。1933年から1年余夫妻でウブドに滞在、帰米して1937年『Island of Bali』を出版。バリ文化を欧米に知らしめた。
バリ舞踊のあらまし
バリ島では、バリ・ヒンドゥーの儀礼や祭儀には必ず舞踊が伴う。バリ民族にとってバリ舞踊は生活やバリ・ヒンドゥー教に欠かせない。バリの舞踊は高度にパターン化されており、静から動、動から静へと反復構造で進行する。その所作の全てがガムランの音楽と密接に連携する点が特徴となっている。バリ舞踊は、元来は共同体の宗教儀礼、もしくは王族の祭礼に付随するものとして行なわれてきたものであるが、オランダ統治時代に初めて観光客に対して舞踊を見せることが始まった。また、当時バリに住んでいた外国人との交流により、観光客に見せるための舞踊(ケチャ)が創作されたり、同年代に新たにゴン・クビャールと呼ばれる舞踊・音楽・ガムラン編成が生まれたりして、観光のための創作活動が盛んになり、舞踊芸術が宗教儀礼・祭礼以外でも演じられるようになっていった。
また、1917年にバトゥール山噴火・バリ南部大地震が起き、合わせて疫病が全島に蔓延したことから、サンヒャン・ドゥダリやチャロンアランを各地で神に奉納演舞したことがバリ舞踊を再興させ、かつ西洋人の学者・文化人、観光客にバリ舞踊の価値を見いださせたことだろう。
※バリ舞踊・ガムランを活性化させたのが、観光客を運ぶ運転手だった。彼らの中には優秀なガムラン奏者がいて、各地の新しい動きを地域に伝えたという。
バリ舞踊の様式と主な舞踊紹介
今日のバリの舞踊芸術は、宗教的な重要性に応じて、ワリ、ブバリ、バリバリアンの3段階に区分される。これら3つの様式が2015年に「Three genres of traditional dance in Bali」としてユネスコの無形文化遺産に登録された。A ワリ舞踊 Wali タリ・スチ Tari suci
寺院で儀式の際に奉納される神聖な舞踊。ワリとは捧げ物の意味。
・サンヒャン・ドゥダリ Sang Hyang Dedariバリ島で見られる憑依舞踊であり、元来は、疫病が蔓延したときなどに初潮前の童女を媒体にして祖先の霊を招き、加護と助言を求めるものであった。現在では、一般に観光客用の観賞舞踊の演目の一つに組み込まれるようになっており、ケチャの上演の後にサンヒャン・ジャランとともに踊られている。
・サンヒャン・ジャラン Sang Hyang Jaranヤシや竹、木などを使って作られた馬(ジャラン)の形態をした人形に、神が宿り、踊り手は、この馬を跨いで意識が無いまま踊りつづける。また、燃やされたヤシ殻炭の真っ赤に燃えている上などを走ったりするため、火渡りのサンヒャンとしても知られる。
・ルジャン Rejang寺院の祭礼で神々が降臨した際に儀式として踊られる。女性によって踊られる奉納舞踊で、単調な動きと繰り返しの続くシンプルな舞踊。
・バリス Baris槍(バリス・グデ)をもって踊る戦いの舞で儀礼用。成年男子による戦士の踊りで、もっとも高い技術を要するといわれる。貝細工を施したかぶりものや幾重にも重ねた上着など、豪華な衣装に包まれた男性が大きく脚を開いて踊り、力強さをアピールする。手や表情で戦士の心情を表現している。
・バロン Barongバロンは、御神体として普段は寺院内に納められているが、オダランの際には海へ清めに行った後に、中に人が入って踊りを奉納する。現在、チャロンアランを観光客にも鑑賞しやすいようにしたものを「バロンダンス」と呼んでいるようだが、こちらの踊りとは異なる。
・ペンデット Pendet寺院に降臨した神々への歓迎と信仰を表す舞踊。通常は3人以上の未婚女性で演じられる。
踊り手はボコルと呼ばれる縁が広い金属の皿を持って踊る。皿の中には花びらが入っており、舞踊中に膝をつき、神を拝んだ後、その花びらを指で挟み空中に飛ばすという独特な動作がある。現在は、客をもてなす歓迎の舞踊になっている。
B ブバリ舞踊 bebali タリ・サクラル Tari Sakral
宗教性が強い儀式のためのストーリー要素が入った舞踊と舞踊劇。ブバリは、寺院で儀式として奉納されるが、人前で観賞用に演じられる事もある。仮面を使うものも多い。
・トペン Topeng仮面を使っての舞踊劇。仮面には、目と鼻だけに穴が開いて顔を全部覆うタイプのブンクランと、 顔の下半分が無く、踊り手の口が見えているタイプのシバカンという二種類のものがある。ブンクランの役者は高貴な身分の役柄が多く、言葉は言わず、シバカンが、庶民や家臣として道化役を演じ、 バリ語や古代カウィ語を使って話を進める。
・ガンブー Gambuh古典的演劇法。物語は「マラット」からとられ、歌が多い。ガンブーは15世紀には既にあったといわれ、古代カウィ語を使用し、バリ芸術の文学、舞踊、音楽の原点ともいわれる奉納劇。上演の際には、ガムラン ガンブーという編成が使われ、巨大な竹笛が使われるのが特徴。
・ワヤン・ウォン Wayang Wongトペン(=仮面)を着けた人間によってワヤン劇を上演する。クニンガンの日に奉納される。仮面をつけた役者の踊りと古典カウィ語の歌によって演じられる。使用人役のプナカワンによって バリ人の聴衆にもわかるようバリ語で物語の内容も解説される。
C バリバリアン舞踊 balhi balihan
芸術としての舞踊と舞踊劇。娯楽として人前で観賞用に演じられる。
・レゴン Legong宮廷舞踊として踊られてきたレゴンダンスは、色鮮やかな衣装をまとった3人の女性たちが繊細な動きを見せる優美な踊り。ジャワ島に伝わるランケサリ姫とパンジ王の物語をモチーフにしており、伴奏のガムラン音楽はプレゴンガンというレゴンダンスのための伴奏音楽。
・アルジョ Arjaバリ・オペラとも言われ、対話形式で舞踊劇が進行する。劇中には道化役プナサールが出て来て笑いを取るのが特徴。唄によるセリフ、踊り、笑いで構成された歌舞劇。使われるガムランはガグンタンガンと呼ばれるシンプルな構成のもの。
・ケチャ Kecak50~200人の男性が円陣を組み「チャッ チャッ チャッ」というかけ声を基調とした詠唱をおこないながら、『ラーマーヤナ』物語を題材としたバリ舞踊の踊りが円陣の中央の空間に次々と登場し、舞踊劇の様式で行われる。かけ声は4つのパートに分かれ混ざりあっこれが全体として合わさると「ケチャ ケチャ ケチャ ケチャ」という16ビートのリズムのように聞こえる。男たちはコーラスだけでなく、劇の進行に伴って合唱や演技、手や体の動きで、劇の背景としての表現も行う。
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・チャロンアラン Calon arong「ランダ・チャロンアラン物語」の悪霊祓いの舞台劇。対話、歌、舞踊が入る。バロンとランダの戦いをモチーフとする宗教儀礼。19世紀末に成立し、その後、観光客向けに、時間を短縮する、過激なトランス状態などの不快なシーンをなくす、ドタバタ劇を盛り込む、など演劇性を高めた形式となり全島に普及した。
・テレック Telekテレックはトペン舞踊の一種で、4人~8人の偶数の女性が集団で踊る舞踊。使われるトペンは、美女の顔で透き通る白い肌をしている。テレックは、チャロナラン舞踊劇の一部として、ジャウックと一緒に踊られる場合が多い。
・オレッグ タムリリンガン Oleg Tambulilinganマリオとマンデラ翁が1952年に創作した新作舞踊。バンブル・ビー・ダンスとよばれ、マルハナ蜂の求愛をモチーフにしている。最初は蜂が蜜を吸う、という意味の女性のみのソロの踊りであったものを、バレエのような踊りにしたいという欧米人のリクエストで、後に男性パートを加えたデュエットとなった。
・クビャール・ドゥドゥック Kebyar・duduk クビャール・トロンポン kebyar・trompongマリオが1925年に創作。男性がソロで踊る舞踊。坐った姿勢で踊るところからクビャール・ドゥドゥック(坐る)と呼ばれる。時には座り込み、時には中腰の姿勢のままで移動しながら踊る。長い腰布と手にする扇が特徴で、女性的な優美な動きを必要とする踊りだ。(女性が男装して踊っているという想定。)素早い動作と、顔や眼の動きを急激に変化させなければならない難しい踊りである。
そして、クビャール・トロンポンは、それを発展させ、トロンポンと呼ばれる旋律楽器を前にして、両手にバチを持って踊る。踊りの途中でトロンポンのソロ演奏が入る。
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※マリオ イクトゥットゥ・マリオ I Ketut Mario 1920~1930年代に活躍した天才舞踊家。当時流行していたゴン・クビャールのための数々の創作舞踊を生み出した。
寺院での舞踊を踊る領域
「ワリ舞踊」は神聖な儀礼の一部として、寺院の奥の境内で踊られる。「ブバリ舞踊」は、奉納としての舞踊で寺院中央の境内で演じられることが多い。
「バリバリアン舞踊」は、娯楽のための舞踊であり、3つ目の境内で催される。寺院によっては、寺院前の道や広場が3つ目の境内になることもある。
※バリ島の寺院は3つの領域に分けられていて、奥の境内は神の領域、中央の境内は境内は神と人の領域、外の境内は人の交流する領域に位置づけられている。寺院でのバリ舞踊を演じる位置は、その舞踊の神と人との距離感を表している。
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