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バリ島の舞踊・悪魔祓いの踊り

 バリ島の魅力からバリ舞踊を外すことはできません。舞踊にかけるバリ人の思いや神・儀礼との関わり、昔のバリ舞踊、バリ舞踊の発達過程についてまとめました。 
 次は、地域で神のために奉納されてきたバリ舞踊、悪霊祓いの舞踊とワヤンを紹介します。
 contents → サンヒャン・ドゥダリ1930年代のサンヒャン・ドゥダリ踊り手が語るサンヒャン・ドゥダリチャロンアラン1930年代のチャロンアランワヤンとこれを演じるダラン
 
※人物、伝説や神々の情報は別なページにリンクして説明します。

バリ舞踊-発祥から分けてみると


 バリの舞踊には、宮廷で演じられてきたものと地域で演じられてきたもの、そして現代に盛んに演じられている創作された舞踊(元となる舞踊があるものも含む)という見方もできると思います。バリ島では神の力で災いを払拭するために神に降臨してもらう舞踊があり、踊り手がトランス状態(神がかり)になる、悪霊祓いの踊りについて見ていきましょう。

バリ舞踊-悪霊祓い サンヒャン・ドゥダリ Sanghyang Dedari

 サンヒャンは神(この場合は神を降臨させる)、ドゥダリは天女。
サンヒャン・ドゥダリとは、バリ島で見られる憑依舞踊。元来は、流行病や凶作を追い払うための奉納舞であり、初潮前の少女が踊り子になる。
 バリ・ヒンドゥーに根ざしたバリ島では、土着の信仰として、流行病や凶作といった天災が起こると、自然のバランスが乱れたことの現われとして受け取られ、見えざる悪を土地から追い払うべく、数々の儀礼、儀式が行なわれていた。
 サンヒャン・ドゥダリは、そのなかの一つであり、男性と女性の合唱にのってトランス状態の少女がレゴンの踊り子になり、村(デサ)の土地の浄化を行なうものであり、本来は、極めて秘儀性の高い舞踊であった。満月の夜、月がまったく出ない夜に奉納された。

 ※Sanghyang ⇒ 唯一神、サン・ヒャン・ウィディ・ワサ Sang Hyang Widi Wasa 、この場合、「サンヒャン」というが、悪魔祓い等の舞踊の場合、サンギャンと訳すと「神々の島バリ バリ=ヒンドゥーの儀礼と芸能」に書かれてあります。

ミゲル・コバルビアスが見たサンヒャン・ドゥダリ 1930年代

-サンヒャン・ドゥダリの儀式とサンヒャンの歌 グンディン・サンヒャン

 まちがいなく古い起源のもので、レゴンにもっとも関わりの深い舞踊がある。それは、サンヒャン・ドゥダリという呪術的舞踊で、レゴン衣装をまとった小さな女の子たちが天女の霊にとりつかれトランス状態になって踊ることを通じて、村に幸運と加護とをもたらすのである。サンヒャン・ドゥダリは、もっとも効果的な悪魔祓いのひとつである。

 サンヒャンのステップはレゴンとまったく同じであるが、驚いたことに、この少女たちは踊りの稽古をしたことがないのにトランス状態になったとたん、ふつうのレゴンなら何ヶ月も何年も練習のいる難しいステップを踊る事ができる。これはどうしてなのか、ふしぎなことである。だが、バリ人に言わせれば、少女のからだに入って踊っているのは女神なのだから、なんの不思議もない。

 トランスに入るための訓練を受ける二人の少女は、村の全少女の中から寺の祭司プマンクによって選ばれる。スプラバと青い蓮(トゥンジュン・ビル)という二体の美しいドゥダリ天女の霊をからだに受け入れる心の準備があるかどうかを見るのである。男女の合唱団がつくられ、練習が始まる。少女たちは何週間もの間、毎晩、寺に行く。
 酔い心地に誘う歌と香とプマンクの催眠力によって、だんだん少女たちは恍惚状態になりやすくなっていく。練習は少女たちが深いトランス状態に陥ることができるようになり、正式に上演できるまで続く。

 少女たちは準備ができると死の寺院に連れて行かれる。寺院にはサンガー・アグンという背の高い祭壇が建てられ、太陽に捧げる供物でいっぱんになっている。プマンクが三種類の香が焚かれている香炉の前に祭壇に向かって座る。少女たちは金の耳飾り栓と重い銀の足輪・腕輪・指輪をしている。祭司の両側で祭壇の前にひざまずく。女性歌手たちがそのまわりを輪になって取り囲んで座る。祭司の短い祈りの後、女たちがつぎのように歌う。

「ワウ・ヌスドゥス」
かぐわしきは香の煙、白檀の煙、渦を巻き、高く高く三神の様のところへ向かう煙。
われら身を清め、天より下れと天女を招く。
スプラバならびにトゥンジュン・ビルに乞い願う、黄金の胴着をまといて美しく、われらのところに降り来たれよと。
天から舞い下り、らせんを描いて飛び、北東より下りて、家を建てよ。
庭は黄金の花に満ち、その花の脇にはタコノキ、サソリ蘭の花、ティガカンチュー、パイナップル、ソリ、セムポル。
やわらかい葉はしとやかにうな
だれ、うなだれながら芳香を庭中にばらまく。
われらの願いが煙りのように昇ってドゥダリに届きますように、ドゥダリが天から下りますように・・・・・


 まもなく、少女たちはまどろみ始め、突然気を失って倒れる。そのぐにゃっとなったからだを女たちが支え、座ったかっこうにさせる。しばらくすると少女たちはまた動き始めるが、このときから先は少女たちは目をつぶったままで、儀式が終わり、トランスから覚めるまで目を開かない。

 付き添っている女たちが、衣装を着せ、聖水鉢に入れておいた装身具が身につけられる。神聖な金の髪飾りが運び込まれ、少女たちは手引きをしてもらって自分で飾りをつける。
 その間に、女たちは髪飾りの美しさと衣装の優美さについて歌うのである。

「ニャルタ・ゲルン」
髪飾り、ジャスミンをぐるっと巻いて、後にはガルーダ・ムンクルの飾り、セムポルとガムビルの花をうずたかく、てっぺんにはかぐわしいサンダットの花にメラッの花の黄色いめしべの髪飾り。
帯をきつく締め、中庭のまんなかで踊る、しずしずと舞い、動きは左へ右へすべるよう、うっとりとしてゆらりゆらりと揺れる。


 それまでみじろぎもせず、精神統一していたプマンクがここで、清めるばかりになっている聖水が入ったココナツを手にとる。そして、祭司はサンヒャンたち(神がかりとなって踊っている少女)にこの水を魔除けに変えてくれと請う。

 サンヒャンたちは目を閉じたまま踊り始める。
 伴奏は「ケチャッケチャッケチャッ-チャッチャッチャッチャッ-ケチャッ!」と猛々しくうねり響くように歌う男たちの合唱と女たちのつぎのような歌が代わる代わる続く。

「マングナン・サンヒャン」
幸せを呼ぶメヌッの花、白い花、それは-それは-それは白く並んで、空の星のよう、星座のよう、きらめくカルティカ星座のよう、きらめいて、きらめいておぼろになり、おぼろになって消えていく、消えていく、月の光で消えていく。
レンキッ、レンキッ、レン
キッ、口にするのは、後に残されたひとりぼっちのダシー島の物悲しい歌。
おお、なんと泣くことか!喜ばせてやらねばならない、ドゥダリの踊りで喜ばせてやらねば。
泣きに泣いている。子どもが泣き叫ぶように。
レンキッ、レンキッ、うっとりとしてゆらりゆらりと揺れる・・・・・


 気まぐれな少女たちは唐突に踊りを終わりにしてしまう。すると、歌でトランスから覚ましてもらわなければならない。

「ウス・メンギガル、メケティス・トヤ」
美しい女神よ、お立ちください、女神よ、お立ちを。歌い手はもう来て、サンヒャンを歌っています。
おいでください、女神よ、女神、天女たちにお願いします。
われわれのもとにおいでください。いっとき、いてください。いてくださいと。
おお、美しい女神よ!祭壇から聖
水をおとりください。
フランジパニと白いマドゥリと白いハイビスカスと青いテレンの入った清らかな、澄んだ、汚れのない水を、金のココナツの中の水、解き放つ水、天でつくられた水を。
その水をご自身にふりかけ、歌い手のところに行って撒いてください。それから、お帰りを、インドラロカにお帰りを。
あちらの庭園で水浴びをして白い蘭で御身を飾り、お帰りを、女神様、お帰りを、もとの天へ、そして姿を消して宇宙に、宇宙の中へ。
風が吹きます。風とともにお飛びください、女神よ、からだは残り、また人間の姿に・・・・・・。

サンヒャン・ドゥダリ
 これでサンヒャンたちはふつうの少女に戻り、髪飾りの花を魔除けとして配り、聖水を霧のように撒き散らす。
 儀式は二、三時間続くが、踊りの激しさにもかかわらず、少女たちは疲れを見せない。


by ミゲル・コバルビアス Miguel Covarrubias
メキシコ生まれの画家。1933年から1年余夫妻でウブドに滞在、帰米して1937年『Island of Bali』を出版。バリ文化を欧米に知らしめた。

踊り手が語るサンヒャン・ドゥダリ

ニ・クトゥトゥ・ルナル NI KETUT RENENG 1909年ごろの生まれ 音楽舞踊専門大学で教える 1987年談話

 踊りを始めたのは7つぐらいのとき。あたりの三つの村から子どもたちが150人集められて、ガンブ(古典舞踊劇)の踊り手となる子に選ばれた。
 そのころ、お寺でサンヒャン・ドゥダリ(入神状態に入った少女の踊りによる悪霊駆逐の儀礼)の踊り手としての務めもあった。ひと月に二回、月のない晩と満月の晩に巡ってくる儀式だった。
 大勢の女の人が「神さま、おこし下さい。われらは身を浄めてお迎えいたします。神さま、おこし下さい。今、この時にわれらとともに在られますように・・・・・」と唱和して、その歌にあやつられて踊るのです。その周りでは男の人たちが「チョッチョッチョ」とはやしたてます。
 この踊りは人に見せるためのものではありません。踊り手は二人で、プマンク(寺僧)が選びました。六ヶ月ぐらい続けたと思います。

ニ・チャワン NI CAWAN 1926年ごろの生まれ 日本軍政時代に日本人の人気を集めた。 1987年談話

 私が踊りを始めたのは、十歳くらいのときで、もうオランダ時代が始まっていました。
 正式に踊りの道に入る前に、踊り子の体に神さまが降りて下さるように儀式がありました。どうやって神さまが体の中に入ったのかはわかりません。自分では何も感じなかったから。でも、目を閉じているのに、まわりがちゃんと見えるんです。それにまだ踊りを習っていないというのに、目をつぶったままで踊れちゃうんですよ。
 そうやって踊り子に選ばれて・・・・満月と月のない日と次の満月と三回続けて神さまに降りていただく踊りをして、ようやくレゴンを習い始めました。
 

バリ舞踊-悪霊祓い チャロンアラン calon arang

善と悪あるいは聖と邪といったバリ独特の世界観を、ランダとバロンを象徴として演じられる劇。本来は死者の寺プラ・ダラムで儀礼として演じられる。

アナック・アグン・グデ・ングラ・マンダラ ANAK GEDE NGURAH MANDERA
 1905年ごろの生まれ マンダラ翁、グンカと呼ばれる。世界にバリ音楽・舞踊を知らしめた。1986年談話
マンダラ翁
 バトゥール山が大噴火(1917年)して、大地震が起こった。地震のあとにひどい疫病がはやって多くの人が死んだ。それで、村に古くからあるバロン・ランドゥン(大きな男女の人形)を出してお祓いをしたり、チャロンアラン(魔女伝説に基づく舞踊劇)をやったりした。本当にあの時は大変だった。

アナック・アグン・グデ・ラカ・バワ ANAK GEDE RAKA BAWA
 1930年ごろの生まれ マンダラ氏の長男 クンダン奏者 1986-1987年談話

 バリは目に見えない力に満ちています。何か悪いことが起こるのはそういう力の仕業だと考えられているので、災いが降りかからないように、豊かで平安でいられるように、常にそういう力に気を配っていなければなりません。
そのために、日ごろからお供え物をしたり、儀礼を欠かさないようにしていますが、不幸にして、大きな災厄に見舞われたときには、その荒れ狂う力を鎮める、特別な儀礼が必要になります。チャロンアランの劇を演じるのも、そのひとつです。

 チャロンアランの話というのは、かつて王妃だった森に住む老女が、恨みを晴らすため、魔力を用いて人里に災厄をもたらそうとするというものです。村に疫病が蔓延したり、事故が続いたりするのは、この故事の伝えるように、魔力を持ったものの怒りを買ったことが原因と考えられており、劇の上演によって、その怒りを鎮めようとするのです。

 劇の中で魔女チャロンアランは最後にランダというおどろおどろしい姿をした闇の世界の権化に変身します。それに立ち向かう聖人の化身として四つ足の獣の姿をしたバロンが登場するのですが、ランダもバロンも実は同じ目に見えない力の異なる表われなのです。
ランダの面も、バロンの面もつくられて後、一度力が宿れば寺院に安置して、丁重に取り扱われなければなりません。
ランダとバロン

ミゲル・コバルビアスが見たチャロンアラン 1930年代


 チャロンアランはふつうの芝居ではなく、レャック(妖怪・妖術使い)に対する強力な悪魔祓いなのである。ランダの勝利を劇化することによってバリ人は彼女の歓心を買おうとしているのである。

 この上演には満月がよいので、一座は呪術劇に絶好の自然の舞台装置ができるまで待つ。
つまり、月が黒雲の陰から出てきて、寺院の屋根やヤシの木、村を象徴するバンヤン樹の気根の影を浮かび上がらせ、長い触手がたくさん下がった黒い幕を空に懸けたようになる時である。
 ランダの怒りを買わないように、また上演しても差し障りがないかどうか確かめるため、おらかじめお供えをしてお伺いを立てておく。

 芝居は真夜中に始まり、魔女が登場する夜明けまで続く。この芝居はランダと大エルランガ王との抗争の話しをつなぎあわせたもので、魔女の弟子である少女6人の幕間舞踊と、王の家来がレャックと出会うドタバタ喜劇、それにランダを殺すために遣わされた王子の芝居がかった歌が交互に繰り返される。
 ランダは、魔女自身の危険な霊力をその身で耐えうるほど強い力に恵まれている老優によって演じられる。

ワヤン Wayang とこれを演じるダラン(演者) 


バワ ANAK GEDE RAKA BAWA 1986-1987年談話

 ワヤンは儀式のあるときに必ず演じられるが、それはワヤンが神さまや祖先の霊を呼ぶことができると考えられているからだ。疫病がはやったり、村によくないことが続けて起こるときもワヤンを行うこともある。その災いの元になっている力を鎮めるための、特別なワヤンがある。これはラーマーヤナやマハーバーラタを題材としたものとは違う、もっと古くからバリにあるワヤンだ。
 そういう力を相手にするのだから、これを演じるダラン(演者)には大変危険が伴う。だからダランには、僧侶と同じくらいの厳しい修行が必要とされている。
→ラーマーヤナあらすじへ
→マハーバーラタあらすじへ


ワヤン
イダ・バークス・プラウォ IDA BAGUS PELAWA 1930年代の生まれ ダラン・影絵芝居の人形遣いで語り手 1930年代の生まれ 1987年談話

 ダランには、勉強しなけりゃならないことがいっぱいある。それをダルマ・プワヤンガン(ワヤンについての道、教え)という。ダランになろうという者は、皆ロンタルで勉強する。そうしないと、(いい)ダランにはなれんし、危ない目に遭うことにもなる。

 ダルマ・プワヤンガンの中身は、例えばこういうものだ。
「ワヤンとは何か」-「ワヤンはすなわち、人間の中にあるものが影となって現れるのである。人間の中にある神の世界に通じるものがワヤンという形をとって現れたのである。
つまり、人間の腹の中にすべてがあるということだ。人間の体は、それ自体、ひとつの小宇宙になっている。それをひとつひとつ出してみせるのがワヤンなんだ。

 日ごろの鍛錬もある。たとえばダルマ・プワヤンガンには、病気のもととなるような誘惑に打ち克つ教えとか、自分をコントロールし、気持ちを集中させるための方法が説かれている。マントラを覚えるのも同じ目的だ。これらの修行によって、ダランは邪悪な力の攻撃から我が身を守れるようにもなる。チャロンアラン(魔女伝説)のワヤンをやるときには、危ない目に遭わないとも限らんからね。

 実際にワヤンを上演する際には、まず意識を集中して、想念を三界に通じるさせるようにする。三界とは、天界、自身、地界だ。それからワヤン(人形)を入れてある箱を三回たたく。こうやって初めてワヤンを取り出すことができる。
最初に出すのが、カョナンだ。これは山のシンボルであり、人間の体では肝臓に当たり、神ではイスワラ神に当たる。その後、他のワヤンをひとつひとつ取り出して幕の前に並べ、改めて脇へ置いてから、初めてワヤンの劇は始まるわけだ。


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