バリ島旅行記8 クルンクン
2016.10.16
2度目のバリ島旅行です。宿泊地をウブドにして、前回には行けなかった所を見学することとHPを作りながら調べたことを確認する旅です。
二日目は、デンパサールに寄ってから、クルンクンを目指します。クルンクンはクルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡)とゴア・ラマ寺院を見学しました。旅の行程はこちらをご覧ください。
二日目は、デンパサールに寄ってから、クルンクンを目指します。クルンクンはクルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡)とゴア・ラマ寺院を見学しました。旅の行程はこちらをご覧ください。
contents → クルンクン・ププタン記念碑 - クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡) - ゴア・ラワ寺院 - ゴア・ラワ寺院の話題
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クルンクン Klungkung
クルンクン県 (Kabupaten Klungkung) は、バリ島東南部の県。県域は広くないものの、バリ島の南東にあるペニダ島およびその属島のレンボンガン島、チェニンガン島の全体を県域としています。
首都はバリ東部の最大の町、スマラプラ、クルンクン県の県庁所在地。この町はかつてはクルンクン王朝の都が置かれ、クルンクンと呼ばれていました。織物の町で、絹絣やソンケットsonketという錦織が有名。

クルンクン・ププタン記念碑
ププタン記念碑は、クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡)の向かいにあります。クルンクン・ププタン(死の行進)の慰霊碑です。ストーパ(仏塔)のような形をしています。クルンクンは、バリの王国の中でオランダの支配に最後まで抵抗した王国でした。⇒ププタンについてはこちらにまとめてあります。

クルンクン・ププタン記念碑
ご覧のように、中央に入口がありました。「中に入っていいのか。」とガイドさんに聞いたら、近くのオジさんにたずねてくれて「入れない」とのことでした。後で調べたら、ププタンクルンクンの資料が展示されているということです。事前に情報をつかんでおかないとダメですね、
Catus Pata-4方位神像
Patung CATUS PATA は、クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡)の向かいのロータリーに立っている神像です。4つの神を意味し、北がウィシュヌ神・WISNHU、南がブラフマ神・BRAHMA、東がイスワラ神・ISWARA、西がマハデワ神・MAHADEWA、です。いずれも方位神。
4色の布は、それぞれの神の色。黒はウィシュヌ、赤がプラフマ、白がイスワラです。黄色がマハデワです。バリ島の交差点によく立っているチャトル・ムカ神 Catur Mukaとは違います。

割れ門 チャンディ・ブンタル candi bentar
バレ・カンバンの入口には、割れ門がありました。
●割れ門:チャンディ・ブンタル candi bentar → 神聖な領域を示す門。中門より通りに近い。左右対称で内側の向き合う面は磨かれている。神の住むマハメル山の土台を表す。魔除けの意味も持つ。

女神サチ Dewi Sachi
バレ・カンバンの近くにたっている女神サチ。この像がなぜサチなのかがわからなかったのですが、ガイドさんがサチだと教えてくれました。よく見ると、左手の下に水鳥がいます。足元にあるのが水瓶なのかもしれません。

マハーバーラタ物語の壁画 バレ・カンバン
クルタ・ゴサ・裁判所の天井図は地獄図なのですが、バレ・カンバンの天上図は「マハーバーラタ物語」を描いています。⇒マハーダーラタ物語のあらすじへ

マハーバーラタ物語の壁画 バレ・カンバン
これらの絵画は、古典絵画様式として「カサマンスタイル Kamasan Style」と呼ばれています。クルンクン県のカサマン村を拠点とする最も伝統的な絵画で、テーマは「ラーマーヤナ物語」や「マハーバーラタ物語」他の古典文学や民話からのものが多く、影絵芝居の登場人物風のタッチが特徴的。絵の具は伝統的な自然の素材、例えば白は骨、緑は草の汁等を使うのだそうです。

マハーバーラタ物語の壁画 バレ・カンバン

マハーバーラタ物語の壁画 バレ・カンバン

バレ・カンバンのシンガ singa
バレ・カンバンの屋根に取り付けられているシンガ。バレの屋根下には、たいていガルーダをつけてありますが、こちらはシンガでした。ガルーダは鳥ですから嘴ですが、シンガは牙があり首があります。このシンガは、大変質感のある作りです。

クルンクン・ププタン記念碑と園内
バレ・カンバンの回りの堀をめぐっていると、ププタン記念碑と園内がいっしょに見ることのできるポイントがありました。

クルクル kulkul
クルタ・ゴサにあるクルクル塔は、階段があって、登ることができました。黒白の格子柄の魔除けの布、ポレン布がクルクルに巻かれています。木柱であるクルクルの中央に刻みがあって、それで叩いた音を共鳴させて大きな音にします。
●クルクル塔:バレ・クルクル bale kulkul → 警鐘塔。堅い木に割れ目を入れてつくった木製ドラム。集会や緊急事態、公式行事等がある時にこれを鳴らして村人に知らせる。

クルクル塔からみたバレ・カンバン
せっかく、高いところに上がったのですから、そこから見えるバレ・カンバンの写真です。

セマラジャヤ博物館 Museum Semarajaya
クルタ・ゴサには、裁判所、バレ・カンバン(王の離宮)、博物館と3つの施設があります。バレ・カンバンを見てから、セマラジャヤ博物館に行きました。バリ博物館のように展示が近代的なわけではありませんが、ぜひ見てほしい物は次の2つです。

聖剣 クリス Keris
クリスはバリ博物館でも展示してあります。光線の加減でどうしても見せることのできる写真が撮れませんでしたので、ぜひ、この博物館でクリスを撮影したいと思っていました。
クリスは男子の懐刀で、祭の男子正装の際に、柄を右にして背中に差す。先祖伝来のクリスは祖霊の魂が宿っているとして、大切にされてきました。写真の刀よりも、もっと波形にうねっているものもあり、人を殺傷することが第一義であるものではないように見受けられます。ププタン・バドゥンの記念碑の石像でバドゥン国王が手にしているのがこのクリスです。

フプタン・クルンクン Puputan Klungkung を描いた絵画
ここの博物館で、ぜひ見たかったのがこの絵画です。ご覧のように、オランダ軍は鉄砲、対するクルンクン軍は刀。相手を殺傷しない内に撃たれていきます。ププタン・バドゥンでは、バリ人の死亡者は四千人ほど、オランダ軍は怪我をしたのが数名とのことでした。
クルンクンは、ジャワのマジャパイト侵攻以後の王国で、バリ島を全島支配したゲルゲル王国の直系の国。王様の称号も他国よりも格上でした。その国が滅びた、ププタン・クルンクンにより、1908年オランダのバリ全島支配が成立します。
⇒ププタンについてはこちらにまとめてあります。
コルタ・ゴサ(裁判所)は、入口を入って右手方向にあります。かつての王国時代の判事はクルタkertaと呼ばれ、クルタ・ゴサは裁判所としての役割を持っていました。当時の椅子がそのまま残っていて、天井画は地獄図です。バレ・カンバンとププタン絵画を目当てにきた私は、満足してしまい、寄りませんでした。
⇒link-クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡) bali.navi.com
首都はバリ東部の最大の町、スマラプラ、クルンクン県の県庁所在地。この町はかつてはクルンクン王朝の都が置かれ、クルンクンと呼ばれていました。織物の町で、絹絣やソンケットsonketという錦織が有名。
ププタン・クルンクン記念碑 Taman Monumen Semarapura
ププタン・クルンクンmap ⇒

クルンクン・ププタン記念碑
ププタン記念碑は、クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡)の向かいにあります。クルンクン・ププタン(死の行進)の慰霊碑です。ストーパ(仏塔)のような形をしています。クルンクンは、バリの王国の中でオランダの支配に最後まで抵抗した王国でした。⇒ププタンについてはこちらにまとめてあります。

クルンクン・ププタン記念碑
ご覧のように、中央に入口がありました。「中に入っていいのか。」とガイドさんに聞いたら、近くのオジさんにたずねてくれて「入れない」とのことでした。後で調べたら、ププタンクルンクンの資料が展示されているということです。事前に情報をつかんでおかないとダメですね、
クルンクン・ププタン記念碑map ⇒

Catus Pata-4方位神像
Patung CATUS PATA は、クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡)の向かいのロータリーに立っている神像です。4つの神を意味し、北がウィシュヌ神・WISNHU、南がブラフマ神・BRAHMA、東がイスワラ神・ISWARA、西がマハデワ神・MAHADEWA、です。いずれも方位神。
4色の布は、それぞれの神の色。黒はウィシュヌ、赤がプラフマ、白がイスワラです。黄色がマハデワです。バリ島の交差点によく立っているチャトル・ムカ神 Catur Mukaとは違います。
クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡) Taman Kertha Gosa
クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡)は、バレ・カンバン と裁判所、そして博物館で構成されています。バレ・カンバンは、クルンクン王国のスマラプラ宮殿(王家の離宮、休息場所)を1940年に復元したもの。(※オランダの支配下、第二次世界大戦直前)池に囲まれたバレが美しい。天上は「マハーバーラタ」を題材にした絵で覆われています。
博物館には聖剣クリスやクルンクン・ププタンの絵画があります。

バレ・カンバン Bale Kambang (Taman Gili) Taman Kertha Gosa
スマラプラ王宮跡に復元した王朝の水の離宮、バレ・カンバンです。こちらは入口方向からの写真。
※bale :バレ → 建物の意味。特に宮殿、寺院にある建物。

バレ・カンバン Bale Kambang (Taman Gili) Taman Kertha Gosa
こちらは、バレ・カンバンを奧からみたものです。博物館には聖剣クリスやクルンクン・ププタンの絵画があります。
クルタ・ゴサmap ⇒

バレ・カンバン Bale Kambang (Taman Gili) Taman Kertha Gosa
スマラプラ王宮跡に復元した王朝の水の離宮、バレ・カンバンです。こちらは入口方向からの写真。
※bale :バレ → 建物の意味。特に宮殿、寺院にある建物。

バレ・カンバン Bale Kambang (Taman Gili) Taman Kertha Gosa

割れ門 チャンディ・ブンタル candi bentar
バレ・カンバンの入口には、割れ門がありました。
●割れ門:チャンディ・ブンタル candi bentar → 神聖な領域を示す門。中門より通りに近い。左右対称で内側の向き合う面は磨かれている。神の住むマハメル山の土台を表す。魔除けの意味も持つ。

女神サチ Dewi Sachi
バレ・カンバンの近くにたっている女神サチ。この像がなぜサチなのかがわからなかったのですが、ガイドさんがサチだと教えてくれました。よく見ると、左手の下に水鳥がいます。足元にあるのが水瓶なのかもしれません。

マハーバーラタ物語の壁画 バレ・カンバン
クルタ・ゴサ・裁判所の天井図は地獄図なのですが、バレ・カンバンの天上図は「マハーバーラタ物語」を描いています。⇒マハーダーラタ物語のあらすじへ

マハーバーラタ物語の壁画 バレ・カンバン
これらの絵画は、古典絵画様式として「カサマンスタイル Kamasan Style」と呼ばれています。クルンクン県のカサマン村を拠点とする最も伝統的な絵画で、テーマは「ラーマーヤナ物語」や「マハーバーラタ物語」他の古典文学や民話からのものが多く、影絵芝居の登場人物風のタッチが特徴的。絵の具は伝統的な自然の素材、例えば白は骨、緑は草の汁等を使うのだそうです。

マハーバーラタ物語の壁画 バレ・カンバン

マハーバーラタ物語の壁画 バレ・カンバン

バレ・カンバンのシンガ singa
バレ・カンバンの屋根に取り付けられているシンガ。バレの屋根下には、たいていガルーダをつけてありますが、こちらはシンガでした。ガルーダは鳥ですから嘴ですが、シンガは牙があり首があります。このシンガは、大変質感のある作りです。

クルンクン・ププタン記念碑と園内
バレ・カンバンの回りの堀をめぐっていると、ププタン記念碑と園内がいっしょに見ることのできるポイントがありました。

クルクル kulkul
クルタ・ゴサにあるクルクル塔は、階段があって、登ることができました。黒白の格子柄の魔除けの布、ポレン布がクルクルに巻かれています。木柱であるクルクルの中央に刻みがあって、それで叩いた音を共鳴させて大きな音にします。
●クルクル塔:バレ・クルクル bale kulkul → 警鐘塔。堅い木に割れ目を入れてつくった木製ドラム。集会や緊急事態、公式行事等がある時にこれを鳴らして村人に知らせる。

クルクル塔からみたバレ・カンバン
せっかく、高いところに上がったのですから、そこから見えるバレ・カンバンの写真です。

セマラジャヤ博物館 Museum Semarajaya
クルタ・ゴサには、裁判所、バレ・カンバン(王の離宮)、博物館と3つの施設があります。バレ・カンバンを見てから、セマラジャヤ博物館に行きました。バリ博物館のように展示が近代的なわけではありませんが、ぜひ見てほしい物は次の2つです。

聖剣 クリス Keris
クリスはバリ博物館でも展示してあります。光線の加減でどうしても見せることのできる写真が撮れませんでしたので、ぜひ、この博物館でクリスを撮影したいと思っていました。
クリスは男子の懐刀で、祭の男子正装の際に、柄を右にして背中に差す。先祖伝来のクリスは祖霊の魂が宿っているとして、大切にされてきました。写真の刀よりも、もっと波形にうねっているものもあり、人を殺傷することが第一義であるものではないように見受けられます。ププタン・バドゥンの記念碑の石像でバドゥン国王が手にしているのがこのクリスです。

フプタン・クルンクン Puputan Klungkung を描いた絵画
ここの博物館で、ぜひ見たかったのがこの絵画です。ご覧のように、オランダ軍は鉄砲、対するクルンクン軍は刀。相手を殺傷しない内に撃たれていきます。ププタン・バドゥンでは、バリ人の死亡者は四千人ほど、オランダ軍は怪我をしたのが数名とのことでした。
クルンクンは、ジャワのマジャパイト侵攻以後の王国で、バリ島を全島支配したゲルゲル王国の直系の国。王様の称号も他国よりも格上でした。その国が滅びた、ププタン・クルンクンにより、1908年オランダのバリ全島支配が成立します。
⇒ププタンについてはこちらにまとめてあります。
コルタ・ゴサ(裁判所)は、入口を入って右手方向にあります。かつての王国時代の判事はクルタkertaと呼ばれ、クルタ・ゴサは裁判所としての役割を持っていました。当時の椅子がそのまま残っていて、天井画は地獄図です。バレ・カンバンとププタン絵画を目当てにきた私は、満足してしまい、寄りませんでした。
⇒link-クルタ・ゴサ(スマラプラ王宮跡) bali.navi.com
ゴア・ラワ寺院 Pura Goa Lawah
コウモリ洞窟で有名なゴア・ラワ寺院は、真黒い玄武岩でできている寺院です。お詣りにはサロンが必要ですが、貸し出してくれていました。ゴア・ラワはコウモリ洞窟という意味です。洞窟の入口に沢山のコウモリが見えます。海(アムック湾)が見える寺院です。
ゴア・ラワ寺院は、高僧ウンプ・クトゥランが11世紀に現在の洞窟の上に寺を建てたのか、発祥とされています。1489年にジャワの高僧ダンヒャン・ニラルタがこのバリ東部を目指していた際に、この地で休息し瞑想した後に、それまでなかった洞窟が出現に村人たちが寺院を建てたという結われがあります。

ゴア・ラマ寺院 社号標
ゴア・ラマ寺院はバリ島東部の名刹です。看板に書かれてある「Pura Sad Kahyangan」とは、日本語では6大寺院と称されている名刹を意味します。どのような寺院がサド・カヤンガンと呼ばれているのかは、こちらにまとめてあります。⇒バリ島6大寺院へ

ワンティラン wantilan
ゴア・ラワ寺院は、山がせり出しているので、奧に深い敷地がとれません。道路を挟んだ向こうは海岸の砂地です。そのため、ジャバ(外庭:jaba)は道路と寺院の塀の間になっているようです。
そこに祭壇があり、お詣りをしている人たちがいっぱいいました。ガイドさんにお金を託し道端で売っている供物を買って祭壇にお賽銭といっしょに上げ、額に米粒を貼ってからお祈りをしてから入場しました。
※バリ島の寺院の構造や宗教施設の名称と役割はこちらにまとめてあります。
●ワンティラン → 舞踊舞台、会議場、闘鶏場等多目的ホール。三面解放型。屋根は瓦。

割れ門 チャンディ・ブンタル candi bentar
入場門の近くで、観光客用にサルンと腰紐を貸してくれていました。この割れ門には、「NG ERANJING MASUK」と書かれてあります。「信者以外は入ってはならない」といった感じです。
●割れ門 → 神聖な領域を示す門。中門より通りに近い。左右対称で内側の向き合う面は磨かれている。神の住むマハメル山の土台を表す。魔除けの意味も持つ。

黄金のコウモリ像
コリ・アグン(中門:kori agung)に、黄金のコウモリが飾られていました。ゴア・ラマ寺院は2005~2007年に大規模な修復がされました。ですから、寺院施設は美しく、はっきりしています。
●中門 → 神々の領域を隔てる中門。神の住むマハメル山の山腹を表す。中央の扉は御神体の出入り用。

中門をくぐり内庭へ
ゴア・ワマ寺院のジェロアン(内庭:jeroan)には、中門をくぐって入ります。多くの寺院では中門を開けず、その脇の通用門から入る例が多く、正装したといえど観光客が中門をくぐって入るということは珍しいことだと思います。
●内庭:ジェロアン jeroan:内庭 → 神々の領域で、ヒンドウー教徒の参拝客であっても通常は入れない。このゴア・ラマ寺院の場合は、洞窟内の祠がもっとも神聖な場所である。

11層のメル塔 meru
メル塔は仏教の須弥山を表し、神々の住むところを模しています。屋根は奇数が原則で、13層のメルは存在しないので、11層はもっとも高いメルです。

11層と7層のメル meru
メル塔は日本の五重塔のように中心に真柱があるわけではなく、中空でできているということです。

7層のメル meru
●メル:meru → 奇数層の屋根を持つ塔。高さは神格を表す。神の住むマハメル山を表す。砂糖ヤシの毛で屋根をふいている。中空で人が入ることを前提として建てられてはいない。

コウモリの飾りのつくメル塔の扉
他の寺院では、ジェロアンに入ることはできない(信者であっても、司祭が同行して拝むなどの場合のみ)ので、メル塔の傍に行くことはできません。ゴア・ラマ寺院では、近くまで行けますので、美しい装飾を施した扉を見ることができました。

神の降りる座

タクス神 jero Taksu
この祭壇はこれまで見てきたパドマサナとは違い、上の椅子の部分が膨らんでいます。サイトを調べていたら、大学生の研究レポートのサイトがあり、Sudamala寺院のページに同じように形状の祭壇を見つけました。それにより、タクス神の祭壇でと考えました。

洞窟の入口
この洞窟がジャワの高僧ダンヒャン・ニラルタの瞑想の後、これまでなかった場所に出現したという洞窟です。村人たちは、ゲルゲル方面に出発しようとしたニラルタにこの洞窟の寺院ができるまで、村に残ってくれるように懇願したそうです。

洞窟のコウモリ
外から覗けるところで、この数です。中には何千匹のコウモリがいるというのもあながきウソではないことでしょう。
この洞窟はブサキ寺院の近くにある洞窟にまでつながっていて、メングゥイ王国の王子が洞窟を探検し、ブサキ寺院のあたりから出てきたという伝説があります。⇒コウモリ洞窟の伝説へ

3層のメル meru
形状はメルですが、洞窟前の祭壇に近い位置に立てられていて、プリンギー・イブのような祖先の霊を祀る神社なのだと思います。

洞窟入口の祠
洞窟の入口と神聖な祠の配置はこのようになっています。祠への階段の上には、もちろん立ち入ることはできません。

中門 コリアグン kori agung
最後に、漆黒の中門を撮しました。レンガ色のコリアグンが主流ですので、石造りのコリアグンは威容を誇ります。
ゴア・ラワ寺院は、1007年に聖人ウンプ・クトゥランによって建立されたのが始まりと言われている。 1489年にジャワの高僧ダンヒャン・ニラルタが、この寺に泊まり瞑想を始めたところ、それまでなかった洞窟が現れた。村人はその場所にこの洞窟の寺を建立し、寺の名前も「ゴア・ラワ(コウモリの洞窟)」寺院と名付けられた。
境内には11層と7層のメルがあり、一番奥に数千羽のコウモリが棲む洞窟がある。ゴア・ラワの洞窟で、1904年オランダ軍の侵略を阻止するための王族の会議が行われたという。
この洞窟は、遠く北に20kmも離れたバリ・ヒンドゥー教の総本山ブサキ寺院へ地下で通じているという伝説がある。アムック湾に面している。2005年から大々的に寺の修復が始まり、2007年4月に全て終了した。
ゴア・ラワ寺院map ⇒
ゴア・ラワ寺院は、高僧ウンプ・クトゥランが11世紀に現在の洞窟の上に寺を建てたのか、発祥とされています。1489年にジャワの高僧ダンヒャン・ニラルタがこのバリ東部を目指していた際に、この地で休息し瞑想した後に、それまでなかった洞窟が出現に村人たちが寺院を建てたという結われがあります。

ゴア・ラマ寺院 社号標
ゴア・ラマ寺院はバリ島東部の名刹です。看板に書かれてある「Pura Sad Kahyangan」とは、日本語では6大寺院と称されている名刹を意味します。どのような寺院がサド・カヤンガンと呼ばれているのかは、こちらにまとめてあります。⇒バリ島6大寺院へ

ワンティラン wantilan
ゴア・ラワ寺院は、山がせり出しているので、奧に深い敷地がとれません。道路を挟んだ向こうは海岸の砂地です。そのため、ジャバ(外庭:jaba)は道路と寺院の塀の間になっているようです。
そこに祭壇があり、お詣りをしている人たちがいっぱいいました。ガイドさんにお金を託し道端で売っている供物を買って祭壇にお賽銭といっしょに上げ、額に米粒を貼ってからお祈りをしてから入場しました。
※バリ島の寺院の構造や宗教施設の名称と役割はこちらにまとめてあります。
●ワンティラン → 舞踊舞台、会議場、闘鶏場等多目的ホール。三面解放型。屋根は瓦。

割れ門 チャンディ・ブンタル candi bentar
入場門の近くで、観光客用にサルンと腰紐を貸してくれていました。この割れ門には、「NG ERANJING MASUK」と書かれてあります。「信者以外は入ってはならない」といった感じです。
●割れ門 → 神聖な領域を示す門。中門より通りに近い。左右対称で内側の向き合う面は磨かれている。神の住むマハメル山の土台を表す。魔除けの意味も持つ。

黄金のコウモリ像
コリ・アグン(中門:kori agung)に、黄金のコウモリが飾られていました。ゴア・ラマ寺院は2005~2007年に大規模な修復がされました。ですから、寺院施設は美しく、はっきりしています。
●中門 → 神々の領域を隔てる中門。神の住むマハメル山の山腹を表す。中央の扉は御神体の出入り用。

中門をくぐり内庭へ
ゴア・ワマ寺院のジェロアン(内庭:jeroan)には、中門をくぐって入ります。多くの寺院では中門を開けず、その脇の通用門から入る例が多く、正装したといえど観光客が中門をくぐって入るということは珍しいことだと思います。
●内庭:ジェロアン jeroan:内庭 → 神々の領域で、ヒンドウー教徒の参拝客であっても通常は入れない。このゴア・ラマ寺院の場合は、洞窟内の祠がもっとも神聖な場所である。

11層のメル塔 meru
メル塔は仏教の須弥山を表し、神々の住むところを模しています。屋根は奇数が原則で、13層のメルは存在しないので、11層はもっとも高いメルです。

11層と7層のメル meru
メル塔は日本の五重塔のように中心に真柱があるわけではなく、中空でできているということです。

7層のメル meru
●メル:meru → 奇数層の屋根を持つ塔。高さは神格を表す。神の住むマハメル山を表す。砂糖ヤシの毛で屋根をふいている。中空で人が入ることを前提として建てられてはいない。

コウモリの飾りのつくメル塔の扉
他の寺院では、ジェロアンに入ることはできない(信者であっても、司祭が同行して拝むなどの場合のみ)ので、メル塔の傍に行くことはできません。ゴア・ラマ寺院では、近くまで行けますので、美しい装飾を施した扉を見ることができました。

神の降りる座

タクス神 jero Taksu
この祭壇はこれまで見てきたパドマサナとは違い、上の椅子の部分が膨らんでいます。サイトを調べていたら、大学生の研究レポートのサイトがあり、Sudamala寺院のページに同じように形状の祭壇を見つけました。それにより、タクス神の祭壇でと考えました。

洞窟の入口
この洞窟がジャワの高僧ダンヒャン・ニラルタの瞑想の後、これまでなかった場所に出現したという洞窟です。村人たちは、ゲルゲル方面に出発しようとしたニラルタにこの洞窟の寺院ができるまで、村に残ってくれるように懇願したそうです。

洞窟のコウモリ
外から覗けるところで、この数です。中には何千匹のコウモリがいるというのもあながきウソではないことでしょう。
この洞窟はブサキ寺院の近くにある洞窟にまでつながっていて、メングゥイ王国の王子が洞窟を探検し、ブサキ寺院のあたりから出てきたという伝説があります。⇒コウモリ洞窟の伝説へ

3層のメル meru
形状はメルですが、洞窟前の祭壇に近い位置に立てられていて、プリンギー・イブのような祖先の霊を祀る神社なのだと思います。

洞窟入口の祠
洞窟の入口と神聖な祠の配置はこのようになっています。祠への階段の上には、もちろん立ち入ることはできません。

中門 コリアグン kori agung
最後に、漆黒の中門を撮しました。レンガ色のコリアグンが主流ですので、石造りのコリアグンは威容を誇ります。
ゴア・ラワ寺院の話題
ゴア・ラワ寺院 Pura Goa Lawah
クルンクン県-ダワンKlungkung-Dawan, JL. Raya Goa Lawah、Klunkung、Bali 。デンパサール空港から→60.1km:1h29mゴア・ラワ寺院は、1007年に聖人ウンプ・クトゥランによって建立されたのが始まりと言われている。 1489年にジャワの高僧ダンヒャン・ニラルタが、この寺に泊まり瞑想を始めたところ、それまでなかった洞窟が現れた。村人はその場所にこの洞窟の寺を建立し、寺の名前も「ゴア・ラワ(コウモリの洞窟)」寺院と名付けられた。
境内には11層と7層のメルがあり、一番奥に数千羽のコウモリが棲む洞窟がある。ゴア・ラワの洞窟で、1904年オランダ軍の侵略を阻止するための王族の会議が行われたという。
この洞窟は、遠く北に20kmも離れたバリ・ヒンドゥー教の総本山ブサキ寺院へ地下で通じているという伝説がある。アムック湾に面している。2005年から大々的に寺の修復が始まり、2007年4月に全て終了した。
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