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バリ島旅行記10 プラタナンサシ寺院

2016.10.17
 2度目のバリ島旅行です。宿泊地をウブドにして、前回には行けなかった所を見学することとHPを作りながら調べたことを確認する旅です。
 三日目は、ウルン・ダヌ・ブラタン寺院に行った後に、ペジェン3寺院を目指しました。まず、プラタナン・サシ寺院を訪れました。旅の行程はこちらをご覧ください。
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プラタナン・サシ寺院  Pura Penataran Sasih

プラタナン・サシ寺院は「ペジェンの月」と呼ばれる青銅の鼓があることで有名な寺院です。銅鼓は東南アジアに広まったドンソン文化の特徴的な遺物で、世界最大級の大きさ。お詣りにはサロンでの正装が必要です。無ければ、境内に入ることはできません。プラタナン・サシ寺院地図にリンクゴア・ガジャ遺跡から車で5分程度の所です。
プラタナン・サシ寺院map ⇒

 ペジェン3寺院で、まず訪れたのは、プラタナン・サシ寺院です。ウブド王宮から車で25分ほど。北からプラタナン・サシ寺院、プリセン・ジャガッ寺院、クボ・エダン寺院とRaya pejeng Tampaksiring通りに並んでいます。
 プラタナン・サシ寺院は、サド・カヤンガン・6大寺院と数えられている名刹です。どのような寺院がサド・カヤンガンと呼ばれているのかは、こちらにまとめてあります。⇒バリ島6大寺院へ
プラタナン・サシ寺院 社号標  Pura Penataran Sasih
プラタナン・サシ寺院 社号標  Pura Penataran Sasih
 看板に書かれてある「cager budaya」は文化遺産の意味です。サシ Sasih は「月」の意味です。
入口の象の石像 Pura Penataran Sasih
入口の象の石像
  プラタナン・サシ寺院の紹介では欠かせないのが、2体の門番の象の石像。割れ門を入ってすぐの庭にも象がいます。
ワンティラン wantilan Pura Penataran Sasih
ワンティラン wantilan
 プラタナン・サシ寺院のワンティランは、豪華な造りです。プラタナン・サシ寺院では、入場料が設定されていませんので、お布施(日本の神社のお賽銭ていど)をおいて入ります。お詣りですからサルンと腰紐を準備してください。サルンを貸してくれる寺院ではありません。
 ●ワンティラン:wantilan → 舞踊舞台、会議場、闘鶏場等多目的ホール。三面解放型。屋根は瓦。
象の石像、太陽と月の彫刻 割れ門傍 Pura Penataran Sasih
象の石像、太陽と月の彫刻 割れ門傍
 太陽と三日月、そして象の石像。次の写真の星形の水受けとは一続きです。この造形物の後が割れ門です。つまり、割れ門から入ってすぐに振り向くと見ることができます。
星形の水受け Chronogram Pura Penataran Sasih
星形の水受け Chronogram
 この水受けで、月・星・日が揃いました。
ガーネーシャの祭壇 padmasana of Ganesh Pura Penataran Sasih

ガーネーシャの祭壇 padmasana of Ganesh
 このプラタナン・サシ寺院で驚くのは、境内の中央に鎮座するガネーシャのパドマサナです。シワ神、もしくは太陽神スーリア神のパドマサナは別にあります。そして、階段がついていて上れるようになっています。象をここまで崇めている寺院は聞いたことがありません。境内の中央には、よく神が降臨する gedong paruman :クドン・パルマン というバレが建てられていますが、とすれば、象の神様が降臨する祭壇だったのでしょうか。
ガーネーシャの祭壇上部 padmasana of Ganesh Pura Penataran Sasih


ガーネーシャの祭壇上部 padmasana of Ganesh
 パドマサナの上部の椅子の両脇にはシンガが置かれています。多くのパドマサナ・祭壇はむしろシンプルな造りですので、これも不思議です。このシンガも初めは「犬?」と思ったくらい彫刻がゆるやかです。


グドン・プシンパンガン gedong pesimpangan Pura Penataran Sasih
グドン・プシンパンガン gedong pesimpangan
 寺院のご神体が格納されています。
10~12世紀の石像群 Pura Penataran Sasih
10~12世紀の石像群
 ジャワのマジャパイト国がバリに侵攻する時代以前は、ペジェン一帯がバリ島の中心地であったとされています。石像・石器も数多く出土したそうです。石像の中央は仏像のようで、ヒンドゥーが入ってくる以前、もしくは仏教とヒンドゥー教が同時に信仰されていた時代を表します。バリ島のものだけではなく、ジャワから持ち込まれたものとあるということです。
RATU BINTANG=女王の星 Pura Penataran Sasih
RATU BINTANG=女王の星

パドマサナ padmasana Pura Penataran Sasih



パドマサナ padmasana
 こちらは、スリア神(シワ神の現れのひとつともいわれる)、もしくはシワ神のパドマサナです。今回のバリ島旅行では、パドマナサを正面から撮影したいと考えていました。他の寺院では、ジェロアン jeroan:内庭(奥の院)に建てられていてので、堀の外から見ることができてもなかなか正面から、しかもまぢかに見ることはできないのです。
 台座の次に亀神(プレートの右に顔)、その上に2体の龍神があるのがわかりますか?これもガネーシャ神の祭壇のシンガのように、彫刻がゆるやかです。単に風化したのではなく、バリ島の石彫刻の技術がまだそんなに発達していなかったのだと思います。
 ●パドマサナ:padmasana → 太陽神スリアもしくはシワ神の玉座。最上部は椅子になっている。常にガジャの方角であるアグン山を背中にし、境内の奧・もっとも高貴な位置に建てられる。
バレ・パサラン Bale Peselang Pura Penataran Sasih
バレ・パサラン Bale Peselang

ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara Pura Penataran Sasih
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara
 境内の奧に世界最大級の大銅鼓「ペジェンの月」が安置されているりっぱな塔があります。インターネット等でよく見る写真は、このように銅鼓を正面から撮影していますので、私も最初は青銅製の円盤なのだろうと思っていました。
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara Pura Penataran Sasih
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara
 ネカラとは、巨大な太鼓という意味の古語です。青銅は銅と錫の合金ですが、その錫がインドネシアでは採掘できず、マレーシアからの輸入にたよっているそうです。よくドンソン文化の....と紹介されせていますが、ドンソン文化はヴェトナムを発祥とし、中国にも広がった青銅器を持つ文化です。銅鼓は催事用で雨乞いなど農耕儀礼に使われました。稲作文化もこの交易ルートで入ってきたものと考えられています。
 雨乞いの儀式はプラタナン・サシ寺院で現在でも行われているようです。
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara Pura Penataran Sasih
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara
 横から見た写真です。鼓状のものだということがわかります。そして、「ペジェンの月伝説」のとおり欠けているのも見ることができます。⇒ ペジェンの月伝説へ また、別の伝説で、バリの神話の月の女神・デウィ・ラティ Dewi Ratih のペンダントが nekara であるというお話があるそうです。
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara Pura Penataran Sasih
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara
 写真はクリックすると大きくなります。取っての下の部分に、人面が彫られているのがわかります。バリ島の東、アロール島でも「モコ」と呼ばれる青銅鼓が見つかっています。
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara Pura Penataran Sasih
ペジェンの月 Moon of Pejeng ネカラ nekara
 人の目で見える感じはこのようなものです。上の写真は隣のバレの台座の部分に上がらせてもらって撮したものです。このネカラを運んだ船というのは大きなものだったのでしょう。ネカラはすべてのガムランの先祖であると信じられています。
ペジェンの月に刻まれている人面







ペジェンの月に刻まれている人面
 大銅鼓のとっての間に刻まれている人面図を拡大しました。人面模様の上下に、トゥンバク模様  tumpbak design が刻まれています。バリ語のトゥンバクとは槍のこと。むかしは槍はクリスとともに大切な武具でした。その槍をシンボルとする∧∧∧∧∧∧の模様はトゥンバク模様と呼ばれています。
Pelinggih RATU MANCA Pura Penataran Sasih
Pelinggih RATU MANCA
 奧には、動物の木彫りの板が飾られています。プラタナン・サシ寺院では、建物にプレートを貼っていて名前がわかりありがたい。他の寺院もそうしてほしいものです。催事の際に供物を置くところだと思います。
ストーパのような社(やしろ) Pura Penataran Sasih
ストーパのような社(やしろ)
 この社は珍しい。まるで四角い仏塔・ストーパのような形をしています。催事に使う神具などを収納しているのだとは思うのですが。
シワ神のパドマサナ Śiva PADMASANA Pura Penataran Sasih




シワ神のパドマサナ Śiva PADMASANA
 こちらは、シワ神のパドマサナ。シワ神はインドではシヴァ、ポールモーリアの名曲「シヴァの女王」として名前は聞いたことのある神様でしょう。シワ神はバリ島では人気No.1の神様です。神が降臨する椅子にあるマークがシワ神のものです。先ほど紹介したパドマサナより新しい造りです。台座の亀神の上の両側に、2体の龍神がわかりやすいですね。
 その上が翼のある獅子、シンガです。その間の穴から動物が顔を出しています。牛に見えます。シヴァ神の乗物はナンディンと呼ばれる牛ですので、当たりでしょう。

メル MERU Pura Penataran Sasih



メル塔 MERU
 
簡単な、造りが粗末な、メルです。プレートに「MERU」と書いてありますが、プリンギー祠のたぐいでしょう。正面の電灯の上に張り紙がありました。ガイドさんに何が書いてあるのか聞いたところ「りっばな神になる前の神様だ。」といいます。バリ島の神様は生まれながらに、完璧な神様なのではなく、様々な修行や経験を積んでりっぱな神様になります。話しには聞いていましたが、物証を見ることができるとは驚きです。
 例えば、ブタ・カラは精液が海にこぼれて生まれたシワ神の子どもですが、何でも食べてしまうという困った子でした。その子もシワ神のさとしを聞き、行動を改め神になれた、というお話しがあります。
 

バレ・パガルマン bale pengaruman Pura Penataran Sasih
バレ・パガルマン bale pengaruman
 ここは、司祭が祈りを捧げる場です。高い所に人が上がれるようになっています。また、お祈りに使う道具も置かれています。

 クボ・エダン寺院の元の宗派「バイワラ」を調べているうちに、ガネーシャ(ガナ神)を信仰する教義があったことがわかりました。関連があるのかもしれないので紹介します。

 ガネーシャ
マジャパイト時代(1342年バリ侵攻)より古い時期の古代ヒンドゥー教の祭儀で、現在は消滅してしまった「動乱の攪乱者」ガナの信奉者である。この名残りをとどめるのは、象神ガネーシャの古い彫像、それに魔除けに見られるこの神の形だけである。バリ島 Island of BALI ミゲル・コバルビアス

 ところで、プラタナン・サシ寺院を 伝説の魔王、マヤ・ダナワ Maya Danawa が住処としたといわれ.マジャパイトが討ち取った、豚頭王プダウルはこの魔王マヤ・ダナワの子孫だといわれているそうです。滅ぼされた方が悪役にされるのは、いずこも同じということでしょう。マヤ・ダナワはティルタ・ウンプル寺院の聖水の伝説で、イスワラ神と戦うのでが....。⇒バリ島の伝説と神話でご紹介しています。

タマン・サリ寺院

祈りの場と7層のメル  Pura Taman Sari
祈りの場と7層のメル塔  Pura Taman Sari
 プラタン・サシ寺院の隣に、壁で分けられていますが「タマン・サリ寺院」がありました。せっかくですので、そちらも覗いてみました。祈りの場と7層のメル塔がありました。
 ●メル:meru → 奇数層の屋根を持つ塔。高さは神格を表す。神の住むマハメル山を表す。砂糖ヤシの毛で屋根をふいている。中空で人が入ることを前提として建てられてはいない。
龍神像  Pura Taman Sari
龍神像  Pura Taman Sari
 頭に冠をかぶった龍神です。けっこう大きくてなかなか見ることができません。背中に見える壁の上に円筒がうねるようになっているのが、龍真の胴体を表現しているものと思います。

※ペジェン Pejeng は傘を意味する単語「Pajeng」からきていて、当時の王国バリクナ王Bali Kunaの庇護の元にある愛に充ちた平和なところという意味があるようです。
 ペジェンには、6大寺院のプラタナン・サシ寺院、そして9大寺院のプリセン・ジャガッ寺院、踊るシヴァ像で有名なクボ・エダン寺院が数百mほどで並んでいる他にはない場所です。次のページにプリセン・ジャガッ寺院、クボ・エダン寺院をまとめていますので、ぜひご覧ください。 

プラタナン・サシ寺院の話題

プラタナン・サシ寺院 Pura Penataran Sashi

 ギャニャール県-ウブド Gianyar- Ubud Jl. Raya Tampaksiring, Pejeng, Ubud、Bali 80571 デンパサール空港→40.0km:1h30m
 プラタナン・サシ寺院は、ウブド郊外のペジェンにあり、ゴア・ガシャ遺跡にも近い。ペジェンの月と呼ばれる青銅の鼓があることで有名な寺院である。プラ・プナタラン Pura Penataran ペジェン王国、王家の守護寺院。
 銅鼓は、中国南部からヴェトナム北部を発祥として、紀元前4世紀ころから紀元後1~2世紀にかけて東南アジアに広まったドンソン文化の特徴的な遺物である。 直径1.6m、高さ1.8m、長さ2mという青銅製としては世界最大級の大きさで、紀元前3世紀頃のものといわれており、バリ島の当時の交易・交流を物語る。 この銅鼓は正面からでは円盤に見えるが、青銅で出来た片面の太鼓であり、精巧な文様が刻まれている。 銅鼓は富や権力の象徴とされ祭器として使われていた。
 昔、ペジェン王国があったが、1343年にジャワ島のマジャパイト王朝との戦いに破れ、ワルマデワ王朝は壊滅した。「ペジェンの月」という伝説が残っている。

青銅鼓とプラタナン・サシ寺院

 ペジェンの月と呼ばれる青銅鼓(ネカラ nekara)があるプナタラン・サシ寺院の紹介には、「ドンソン文化」が合わせて書かれます。このネカラはいつどこで作られ、いつからサシ寺院にあるのでしょうか。
 ドンソン文化とは、紀元前5世紀から紀元1世紀頃までベトナム北部の紅河流域を中心に栄えた初期の青銅器文化であり、現在のベトナムの主要な民族であるキン族中心の文化です。青銅鼓は中国南部・雲南省のあたりで制作が始まり、キン族の住む北ベトナムで発達しました。
 研究では青銅鼓は他の青銅器と異なり、北ベトナムでしか制作されなかった。北ベトナムのドンソン文化に対して海側にサーフィン文化があり、その民が交易により青銅器を広めた。青銅鼓が北ベトナムで作られた最後は2・3世紀である。
 このことから、ネカラは北ベトナムで制作された。大きさ・装飾から、青銅鼓が多く作られ技術もしっかりしている時代であろうから、紀元前に作られたと考えるのが妥当です。青銅鼓の通常の流布ルートから、北ベトナムと直接バリが直接取引したのではなく、バリ島に来る前にどこかにあったことも考えられます。
 青銅鼓は祭事に使われるもの、権力を示すものでした。ネカラをバリに持ってくるにあたっては、多額の費用がかかったことでしょし、その頃のバリの王国は豊かだったことでしょう。

 インドネシア語のサイトを見ると、プラタナン・サシ寺院はドンソン文化の終わり頃にはあったと見ている識者がいるようです。そして、バリ・ヒンドゥー教寺院になったのは8世紀頃と、ゴア・ガシャ遺蹟よりも古いわけです。まさに、有史以前の寺院であり、バリ最古の寺院といわれるのもうなづけます。他には、青銅鼓は雨をもたらす儀式に用いられたとされ、プラタナン・サシ寺院でも雨乞いの儀式が行われること。儀式の際には、サンヒャン・ジャラン Sang Hyang Jaran(馬の衣装を着け、燃やしたヤシ殻の上を渡るトランス舞踊)が奉納されるようです。
 

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海外旅行でドイツ・フランス・ベルギー、バリ島、シンガポールを訪れました。
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