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バリ島旅行記11 プセリンジャガッ寺院、クボエダン寺院

2016.10.17
 2度目のバリ島旅行です。宿泊地をウブドにして、前回には行けなかった所を見学することとHPを作りながら調べたことを確認する旅です。
 三日目は、ウルン・ダヌ・ブラタン寺院に行ってから、ペジェン3寺院を目指します。プラタナン・サシ寺院の次に、プリセン・ジャガッ寺院とクボ・エダン寺院を見学しました。旅の行程はこちらをご覧ください。
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プセリン・ジャガッ寺院 Pura Pusering Jagat

 プセリン・ジャガッ寺院のプリセンとは「中心」、ジャガッは「世界」で「世界の中心」という意味を持ち、シワ神を祀っています。ヌサペニダ島につながっているといわれる聖なる池、プリセン・ジャガッ王女の石像などを見ることができます。シワ神は破壊と創造神であり、子宝にめぐまれる寺院として崇められています。サロンでの正装でのお詣りをお勧めします。
 プリセン・ジャガッ寺院はゴワ・ガジャ遺蹟から車で5分程度。プラタナン・サシ寺院、クボ・エダン寺院とも近くです。プリセン・ジャガッ寺院とプラタナン・サシ寺院の距離は350m、歩いて5分です。
 プセリン・ジャガッ寺院地図にリンク
プセリン・ジャガッ寺院map ⇒ 

 プリセン・ジャガッ寺院はペジェンでもっとも古い寺院で、人々には創造、作物豊穣、子孫繁栄を与えてくれるお寺として信仰を集めています。
 プリセン・ジャガッ寺院は、9大寺院:シア・カヤンガン寺院 sia kayangan = 9方位寺院 の一つと称されています。すぐ近くに6大寺院:サド・カヤンガン Sad Kahyangan の一つと称される、プラタナン・サシ寺院があり、このように名刹が並んでいる例は他にはありません。
 どのような寺院がサド・カヤンガン、シア・カヤンガンと呼ばれているのかは、こちらにまとめてあります。⇒バリ島6大寺院へ
プセリン・ジャガッ寺院 Pura Pusering Jagat
プセリン・ジャガッ寺院 Pura Pusering Jagat
 プリセン・ジャガッ寺院は、ジャワ島のマジャパイト王国がバリ島を占領する(AD1342)以前の寺院であり、形態も古い寺院です。境内は外庭ジャバと内庭ジャロアンの2つで構成され、中庭ジャバ・トゥンガーを入れて3区画ではありません。
 中門コリアグンに掲げられているボマの彫りもゆるやかです。中門の両脇に通用門としての割れ門を配置しています。
 ※バリ島の寺院の構造や宗教施設の名称と役割はこちらにまとめてあります。
 ●外庭:ジャバ jaba → バリ・ヒンドウー寺院には外庭と内庭は必ずあり、人々が神と交流する領域。
 ●内庭:ジェロアン jeroan:内庭 → 神々の領域で、ヒンドウー教徒の参拝客であっても通常は入れない。
 ●中門:コリアグン → 神々の領域を隔てる中門。神の住むマハメル山の山腹を表す。中央の扉は御神体の出入り用。


象の石像 Pura Pusering Jagat
象の石像
 プラタナン・サシ寺院のように、こちらも内庭ジェロアンへの入口の前に象の石像がありました。ペジェン王国にとって象は大切な象徴のようです。ゴア・ガジャ遺跡のガジャは象の意味なのですが、そこに象の名を付けたのには意味があるのだと思います。
象の石像 Pura Pusering Jagat
象の石像
 写真の左隅にラクササの石像があります。プリセン・ジャガッ寺院には司祭になったラクササのお話が伝わっているそうです。Wraspati 神様のお坊さん、Suklacarya 巨人のお坊さんと呼ばれているそうです。ちゃんとした写真でなくて申し訳ありません。
闘鶏場 bidang sabung ayam Pura Pusering Jagat
闘鶏場 bidang sabung ayam
 プリセン・ジャガッ寺院の境内に入ると左手にコロシアムのようになっているところがありました。闘鶏場だそうです。屋根がついているワンティランや地べたで闘鶏をする所が多いので、このような施設は珍しいと思います。観客にから見渡せるようになっていて、さぞかし賑わうことでしょう。
 ●ワンティラン:wantilan → 舞踊舞台、会議場、闘鶏場等多目的ホール。三面解放型。屋根は瓦。
パドマサナ padmasana Pura Pusering Jagat
パドマサナ padmasana
 シワ神のパドマサナです。台座の上に亀神、その上に赤い帽子をかぶっている龍神。最上層の椅子には、シワ神が刻まれています。
 ●パドマサナ:padmasana → 太陽神スリアもしくはシワ神の玉座。最上部は椅子になっている。常にガジャの方角であるアグン山を背中にし、境内の奧・もっとも高貴な位置に建てられる。

アルチャ 石像遺蹟 Pura Pusering Jagat
アルチャ 石像遺蹟
 付近から出土した石器、石像が置かれています。
シワ神像 Pura Pusering Jagat
シワ神像
 シワ神の像です。なんで、シワ神が「赤色」で描かれるのか?と思いましたが、神像の色には確たる決まりはないようです。左手にもっている武器がパドマ・Padma(蓮)で、この武器で神の見分けに役立ちます。プリセン・ジャガッ寺院はシワ神を奉じる寺院です。
祭司の祈り Pura Pusering Jagat
祭司の祈り
 プリセン・ジャガッ寺院で奉じているシワ神は創造と破壊の神様です。よって「子作り」に御利益のある寺院としてバリ人に知られています。あるブログで、子どものいない若夫婦がジャガッ寺院をお詣りし、日本に帰ってたら子どもを授かっていた、というのがありました。ジャガッ寺院のシワ神の御利益は国籍を問わない、ということでしょう。

神への祈り Pura Pusering Jagat
神への祈り
 私たちが参詣している間に、3人の女性がお詣りにきました。足下に置いてあるザルは供物をもってきたものです。
プセリン・ジャガッ寺院の祭司 Pura Pusering Jagat
プセリン・ジャガッ寺院の祭司
 この方がジャガッ寺院の祭司の方。あるブログで流暢に英語を話す方だと紹介されていました。プリセン・ジャガッ王女の石像 Pura Pusering Jagat
プリセン・ジャガッ王女の石像 Ratu Pusering Jagat
 境内の奧中央のもっともいい位置に、プリセン・ジャガッ王女の石像が奉じられています。入口に龍神を配置し、まるで割れ門のような門を置きその奥に王女の像という、これ一つで寺院施設のような構成です。水を注ぐ王女の石像は、そこから流れ出る水が全ての作物を豊かに育む象徴として、もっとも重要な社・やしろです。
プリセン・ジャガッ王女の石像 Pura Pusering Jagat
プリセン・ジャガッ王女の石像
 ジャガッ王女のお顔を見えません。腰から下の文様がはっきりしていますから、顔は削られたのでしょう。滅ばされた国の悲哀です。

井戸 Pura Pusering Jagat
井戸
 この井戸と次の写真「聖なる池」はまぢかにあります。
ペニダ島につながっているという聖なる池 Pura Pusering Jagat
ペニダ島につながっているという聖なる池
 これが「池?」というのが第一印象でした。ペニダ島はデンパサール空港の東に位置する島。バリには「見えない世界」があり、この聖なる池・水も徳を積んでその世界が見える人には見えるとガイドさんが話してくれました。
 この池を通じて、マジャパイトの侵攻から国王が逃れたといういい伝えがあるそうです。
グドン・アグン Gudong Agung Pura Pusering Jagat
グドン・アグン Gudong Agung
 神聖な、高貴な建物の意味。ご神体などが保管される。
ラトウ・プルサ・プラダナの祠 Pura Pusering Jagat
ラトウ・プルサ・プラダナの祠 Gedong Purusa
 このラトゥ・プルサ・プラダナは、ご覧のとおり左が男根 Purusa、右が女陰 Pradana を象徴しています。子孫繁栄は太古からの人類の変わらぬ願いです。このようなご神体をもっているということは、この寺院の起源が古いということを表します。この祠には子宝に恵まれない人も参拝に訪れるそうです。
スダマラ・サングー sudamala sangku Pura Pusering Jagat
スダマラ・サングー sudamala sangku
 プリセン・ジャガッ寺院での見所として、このスマダラ・サングーは欠かせません。石にはサカ暦で1251年と刻まれています。西暦では1329年になります。 

神聖な水の豊かさを象徴する石の聖水容器-古代遺物  Pura Pusering Jagat
神聖な水の豊かさを象徴する石の聖水容器-古代遺物
 聖水容器を巨大な石で表した物で、中の図柄は「マハーバーラタ」で、古代バリ語が書かれているそうです。

仏像 Pura Pusering Jagat
仏像
 プラタナン・サシ寺院でも紹介しましたが、このペジェン一帯は、ジャワのマジャパイト王国に支配される前のバリ島の中心地でした。多くの石器、石像が発掘されています。クボ・エダン寺院の近くに考古学博物館があり、そこでは発掘された石器、石像を展示しています。
 石像の中に写真のように仏像が出ることからも、バリ・ヒンドゥー教が全島で信仰される前の時代には、仏教も信仰されていたことがわかります。ペジェンに近い、ゴア・ガジャグヌン・カウィでもヒンドゥー教とともに仏教が信仰されていた形跡があり、双方の僧侶が共に信仰の中心となっていたことがわかっています。
バロン・ランドゥン Barong Landung Pura Pusering Jagat
バロン・ランドゥン Barong Landung
 境内に祠があり、中を覗くと、バロン・ランドゥンの人形・衣装がありました。このバロン・ランドゥンが活躍するのが、ニュピの時だということです。
 このバロン・ランドゥンの始まりが、ウルン・ダヌ・バトゥール寺院に関連して伝わる「ジャヤ・パングス王とカン・チン・ウィー王妃」の物語であり、王と王妃を失った国民が二人を人形として残したという説があるそうです。
ウルン・ダヌ・バトゥール寺院の話題にまとめてあります。

クボ・エダン寺院 Pura Kebo Edan

 クボ・エダン寺院は「踊るビマ像」・「踊るシヴァ像」で知られています。シヴァ・バイラワ像(Arca Bhairawa)です。3.6mという巨人像の両脇に水牛ナンディニ(シヴァ神の乗り物)があるのですが、丸い石にしか見えませんでした。寺院の境内は大きくありません。とても怖い顔をした女王の石像もありました。
 寺院のすぐ隣にインドネシア独立宣言後のオランダ進駐軍との戦いの記念碑があります。
プリセン・ジャガッ寺院とクボ・エダン寺院の距離は300m、歩いて3分です。クボ・エダン寺院と考古学博物館 の距離は250m、歩いて3分です。クボ・エダン寺院地図にリンク
クボ・エダン寺院map ⇒

 クボ・エダン寺院の名前は、「気違い水牛」の意味です。水牛はシワ神の乗り物。もとはヒンドゥー教バイワラ派 Bhaiwara という左の呪術を行う宗派の寺院だったが、現在その宗派はほぼ消滅しているということです。バリ島の宗教史にとっても貴重な寺院です。
クボ・エダン寺院の社号標  Pura Kebo Edan


クボ・エダン寺院の社号標  Pura Kebo Edan
 クボ・エダン寺院の看板に書かれている「Cagar=保存する、Budaya=文化」ということです。
 クボ・エダン寺院は、高さ3.6メートルの巨大石像遺跡「踊るシヴァ像」があることで有名な寺院。一番奥の正面にあるラトゥ・マスには、善の象徴バロンと悪の象徴ランダが安置されているということです。
踊るシヴァ像 正面  Pura Kebo Edan踊るシヴァ像 背面  Pura Kebo Edan
踊るシヴァ像 正面 と 背面
 クボ・エダン寺院は「踊るビマ像」があるとガイドブックやサイトで紹介されています。でも、この像はシヴァ像だという説があり、私もそう思います。ちなみに「ビマ」はマハーバーラタ物語の主人公、パーンダヴァ五兄弟の次男である「ビーマ Bhima 」を差しています。左の呪術を使うキャラクターとして多くのワヤン劇に登場します。
 この像の背面の文様がはっきりしているのに対して、顔がわからないというのは不自然でけずられたのだろうと思います。腕に巻かれているのが、リンガ lingga で、バリではシワ神のシンボルで具体的に石の細長い形で表されることが多く、この像のリンガは足元にもあります。「蛇」にも見えますが、蛇だとすれば太さが均一で頭が見当たりません。
 この像はりっぱな男根を持つとのことです、サイトを調べていたら、地元の人が像の腰巻きをめくってくれて、見せてもらったという人がいました。ある写真を見たらまるで刀に見えます。
 それから、石像の足元は人を踏みつけているのだそうです。サイト写真に乗っていました。
バイラワ Bhairawa  Pura Kebo Edanバイラワ Bhairawa  Pura Kebo Edan
バイラワ Bhairawa
 3.6mの大像の両脇に、子どものように見えるバイワラの石像があります。バイワラはシワ神の破壊・悪・力を強調した神であり、またシワ神がりっぱな神になる前のやんちゃな時代という面もあります。
 右・上の写真のバイラワは頭蓋骨を杯にして血を飲むというモチーフです。バイラワのそばに丸まった大きな石がありました。それが水牛を表しているのだそうです。水牛はシワ神の乗り物でする。
 
Penatih女王の像  Pura Kebo Edan
Penatih女王の像
 これがPenatih女王の像。口から牙は出ている、腰のベルトは頭蓋骨というなんとも怖い女王です。
Penatih女王の像前にあるドクロの石像  Pura Kebo Edan
Penatih女王の像前にあるドクロの石像
 女王像の前に置かれていたのが、このドクロを重ねた石像です。女王の絶大な権力を表しているのでしょうか。それとも呪術の力を表しているのでしょうか。
パドマサナ padmasana  Pura Kebo Edan大地の亀神と龍神 Bedawang antaboga Naga Basuki  Pura Kebo Edan
パドマサナ padmasana、大地の亀神と龍神 Bedawang antaboga Naga Basuki 
 クボ・エダン寺院のパドマサナはシンプルな装飾です。土台の亀神の上に龍神、そしてシンガ。その上に神々を配置してあります。最上段の神が降臨する椅子には、シワ神のマークがあります。
 もう一枚の写真は、パドマサナの土台を支える亀神ブタワン神と龍神アンダカとバスキ神。ここの亀神は歯が大きく描かれています。
大きい供物 クボガン kebogan  Pura Kebo Edan
大きい供物 クボガン kebogan
 祭事用の供物、クボガン。果物を山の様に盛った神々への供物で、上の顔にみえる形はチリという土着のモチーフを模して飾りつけられています。儀礼が済むとまた家に持ち帰って、みんなで食べるとのことです。
パガルマン Pengaruman  Pura Kebo Edan
パガルマン Pengaruman
 祭司が祈りを捧げる場所。人が登り降りできるように作られ、供物や神具を置く祭壇がこしらえてあります。白い服をきた女性の祭司が祈りをささげていました。
警鐘塔 バレ・クルクル bale kulkul  Pura Kebo Edan
警鐘塔 バレ・クルクル bale kulkul
 クボ・エダン寺院のクルクル塔は大きさも小ぶりでいたってシンプルな装飾でした。

開放戦争記念碑  Pura Kebo Edan開放戦争記念碑の像  Pura Kebo Edan
開放戦争記念碑
 クボ・エダン寺院から出ると道路を背にして、左方向の隣の敷地に3人の石像が建つ祈念碑がありました。日本の敗戦から2日後の1945年8月17日、インドネシア共和国の独立宣言がなされます。次の年にオランダは再度バリ島を占領下におこうと侵攻してきました。この場所付近でも戦いがあったということです。ゲリラ戦による開放戦争はオランダ軍が勝利します。オランダは自らが作った傀儡政権「東インドネシア国」の一部にバリ島を編入し、オランダの間接統治が復活することになりましたが、1950年にバリはインドネシア共和国に入ることができました。
開放戦争記念碑のプレート  Pura Kebo Edan
開放戦争記念碑のプレート
 
 クボ・エダン寺院のすぐ近くにブドゥル考古学博物館があります。この一帯は石像・石器が大変多く出土した地域だそうです。さして、大きな博物館ではないので、私は立ち寄りませんでしたが、石棺なども展示しています。
  link-バリ考古学博物館 バリツアー.com

〇ブドゥル考古学博物館 Museum Purbakala
 先史時代の博物館。ブドゥル・ペジェン地区にある。ジャワのマジャパイト王国がバリにやってくる以前に栄えていたペジェン王国やブドゥル王国時代の考古学的出土品を展示。陶器や装飾品、文字盤他。

 ※ペジェンには、6大寺院のプラタナン・サシ寺院、そして9大寺院のプリセン・ジャガッ寺院、踊るシヴァ像で有名なクボ・エダン寺院が数百mほどで並んでいる他にはない場所です。前のページにプラタナン・サシ寺院をまとめていますので、ぜひご覧ください。 

両寺院の話題

プセリン・ジャガッ寺院 Pura Pusering Jagat

 ギャニャール県-ウブト・ペジェン JL. Raya Pejeng, DAP→38.6km:1h27m
 プセリン・ジャガッ寺院は、ペジェン村で最も古い寺でシヴァ神が祭られている。プセリン・ジャガッは「世界の中心」を意味している。芝生に覆われた広い境内には、様々な形のアルチャ(石像遺跡)を祀った祠がある。水を注ぐプセリン・ジャガッ王女の石像遺跡がある。男女のシンボルを表現した石碑があり、最初の神が創造したものを表している。11世紀に起源を持つだろうと考えられているが、確証はないようだ。プラタナン・サシ寺院の近くにあり、クボ・エダン寺院も近い。 

見えない世界と見える世界 ニスカラ/スカラ  niskala/sekala

 ニスカラとスカラはいわばバリ人の認識世界の領域をさしている。例えば、概していえばニスカラとは霊魂の世界のことで、つまり現実の目には見えない。一方でスカラは感覚でとらえられる有視の物質的な世界を意味している。スカラは見えるもの、ニスカラは見えないものであるが、これはわれわれの自然と超自然という区分には相当しない。ニスカラは神々、祖霊、邪術の力などだけでなく、人間の表現されない感情とか、時間も含む。今、見えないものも後に見えるかもしれない。見えるようになれば、それはスカラに入る。空間は見えるであり、スカラに入る。この二つのカテゴリーに相当するカテゴリーは日本にもヨーロッパにもない。

ペジェン Pejengの意味

 ペジェン Pejeng は傘を意味する単語「Pajeng」からきていて、当時の王国バリクナ王Bali Kunaの庇護の元にある愛に充ちた平和なところという意味がある。また、光線を意味するジャワ語から「光線の輝きが宇宙全体に放射された場所」であるとの考えもある。

プリセン・ジャガッ寺院の知見

 ロンタル文書クナ(古文書)では、プリセン・ジャガッ寺院は湖や海の中心地として知られている。このことは、ヒンドゥー教のアディParwa物語にある、シナラワ海Ksirarnawaでティルタアマルタ(生命の水)を見つけるの神々の闘いに関連深いと思われている。
 確かに、境内の中心に井戸があったり、聖なる池があったり、石造の聖水容器があったり、水に関連する史蹟が多い寺院である。
 

クボ・エダンの大石像は、なぜ、踊るビマ像ではなく、シワ神か

 「踊るビマ像」と紹介したのは、西洋人でしょう。あの神像に「踊る」をつける感覚は東洋人にはないと思います。この寺院がシワ神と関係深い寺院であるのは名称(水牛)や施設からも明らかです。大石像は、東の中央というもっとも格の高い位置に置かれています。その両脇はバイワラ派寺院の象徴であるバイワラ神の像。とすると、中央が神ではなく物語の登場人物であるというのには無理があります。例え、ビーマが風神ヴァーユとの子、左(悪)の魔術を使うとしてもです。
 中央に置かれるべき像は、シワ神しかない、ということになります。

クボ・エダン寺院と大石像の正体

 クボ・エダン寺院をサイトで調べると色々なことが書かれています。例えば、1.最初は仏教寺院。2.寺院にある水牛はバリに攻めてきたジャワ王の大臣の化身。3.ジャワ王がイスラム教典アリランの「バイワラ」をバリ人に広めようとした、など。それなりの根拠はありそうですが、調べたことをお伝えします。まず、黒魔術・左の魔術を使う宗派の寺院だったのは正しいのですが、仏教ではなくヒンドゥー教の一派です。寺院とジャワ王が任命した執政との関わりは「あり」です。

 クボ・エダン寺院がバリ史に関わりをみせるのは、隣国ジャワに攻められたことによる。1284年、ジャワのシンガサリ王国のクルタナガラ王がバリ侵攻によりバリの女王を捕虜として連れ帰りバリを属国とした。クルタナガラ王は代理人として「Kebo Parud」をバリに送り込んだ。当時のバリ島の都はペジェン一帯であった。
 この時点で、クボ・エダン寺院は新たに建立されたのか、すでに寺院があったのかについては確たるものはないが、寺院の境内が狭いこと、シンガサリ王国は中国フビライ・ハーンとの戦いに備えていたこと、から考えて新設は考えにくく母体となる寺院があったのではないかと思う。
 シンガサリ国は、バリにヒンドゥー密教であるバイラワ派を広めようとし、クボ・エダン寺院はその時の中心となったことだろう。つまり、ある寺院が改宗させられた。
 寺院の名称とシンガサリ国から送り込まれた執政の名前の「Kebo」が同じことは着目すべきことである。Keboはジャワ語で「水牛」、Edanはジャワ語で「きちがい」。水牛の石像は大石像の両脇にあるシヴァ・バイラワ像の隣に1体づつある。クボ・エダン寺院の名称は宰相「Kebo Parud」が命名したという。大石像が作られたのは同時期と見られている。
 シンガサリ王国は1292年に反乱により首都が陥落して滅亡する。バリを支配していたのは10年に満たない。
 
 「踊るビマ像」については、インドネシア語サイトでは大石像をシバァ・バイラワ像と紹介しているのがほとんどであり、シバァ・バイワラ像とともに「ビマ像」との紹介はある、よって、大石像は「ビマ」像と呼ばれていたようだ。
 5本ないし4本あるという男根についてもよくわからないが、腰下には左に曲がった大きな男根がある。足元に細長い円筒石(リンガ)があり、それを数えてのものだろうか。インドネシア語サイトでは男根の数について言及していない。
 
 ともあれ、クボ・エダン寺院はバリ島の寺院の中で、日本においてもっとも正確に情報が紹介されていない寺院でしょう。

 ヒンドゥー教バイラワ派

 左の黒魔術に専念する宗派で、死の神を崇める。現在(1936年)、分派としては消滅したが、その要になっていた事柄は呪術行為や、レヤック(ランダに仕えるとされるバリ島に伝わる魔女)、ランダ、バロンに現れている。儀礼用語の大半は仏教の黒魔術につながるタントゥリ教の書物から来ている。バリ島 Island of BALI ミゲル・コバルビアス

 Bhaiwaraは、Shiva神の現れであるBhairava神からきたものです。Bhairava神は「恐ろしい敵、貪欲、欲望、怒りから彼の信者を守る」とされているようです。

踊るビマは踊るシワ神でした。

 クボ・エダン寺院の「ビーマ」、バレ・カンバンの天井図の「マハーバーラタ」から、マハーバータラを読み始めました。このサイトで「マハーバーラタ」を紹介するまでになりました。
 マハーバーラタの一節に、「ビーマセーナは象の血を浴び、血まみれの棍棒を持ち、恐ろしい死に神に見えた。--(ビーマは)踊っている(かのようである)のが見えた。それはあたかも、踊るシャンカラ(シヴァ)のようであった。」というのを見つけました。つまりは、双方は同じだったのです。
 バリ島でのワヤンは「マハーバーラタ」が主題だといいます。バリの人々はこの大石像をビーマへの愛情を込めて、踊るビマと呼んだのではないでしょうか。



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