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世界史専門書

世界史専門書

『人類がたどってきた道』  
2005 NHKブックス  著者 海部陽介
世界観の形成 2  実践への影響 2
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書評
人類の特徴を理解する上で、本書で初めて知った観点が「ヒトは、非常に幅広い気候・植生帯に、ほかの動物よりも柔軟に適応しているのだ」(第16頁)という言葉に代表される分布域の広さです。ヒトというものを、客観化し一生物として見たとき、確かにこの分布域の広さは、他の動物とは常軌を逸しているなぁ、と確かに思います。また、「ヒトは、ほかの陸上動物には越えられない自然障壁を越えて、現在、世界中に分布している」(第17頁)というのも、うなづけます。では、「我々ホモ・サピエンスが地球の隅々にまで広がることができたのは、どのような能力があったからなの」(第17頁)でしょうか。本書では、その答えを、精緻に人類の進化と拡散の歴史をひも解きつつ、「世代を超えて知識を蓄積し、置かれた環境に応じて、それまでの文化を創造的に発展させていく能力」(第92頁)があったからこそ人類は発展してきたという考え=「知の遺産仮説」に見ます。「過去五万年間に私たちの内面が全く進化しなかったかと言えば、そうではなかったかもしれない。しかしそうだとしても、その程度はわずかで、本質的なものではなかったろう」(第316頁)、「現代の高度な産業技術や複雑な政治社会システムは、旧石器時代の技術や社会と比べると全く異質に見えるが、後者から前者への移行は、おそらく知能の進化ではなく、基本的に過去五万年間の知識と経験の蓄積の末に実現されたものなのだ」(第317頁)という説です。五万年前と比べれば、精神面も身体的特徴も、大きな変化はない。では、現在の人類の変化は何によるのか。それは、「知」を継承してきたからに他ならない、という大きな提案です。その通りだろうなぁ、と納得します。また、人類の発展の歴史は、個々人の世界観を広げたり深めたりする営みにおきかえても、同様のことが言えるだろうな、と感じます。「知の遺産仮説」とは、世界史的な理解に止まらず、学問を教える一教師の立場からしても、知っておく必要がある仮説だろうと思っています。


『世界史Ⅰ 人類の結びつきと相互作用の歴史』  
2015 楽工社  著者 ウィリアム・H・マクニール ジョン・R・マクニール  訳者 福岡洋一
世界観の形成 5  実践への影響 5
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書評
まず、本書は、自分の世界史観に最も大きな影響を与えた書籍です。初めて読んだときは、世界史を体系的に大観して見事に描いている記述に感動的でした。その感動を少しでも紹介できれば嬉しく思います。まず、本書では世界史を、「人と人をつなぐ種々の結びつき」(第9頁)である「ウェブ」の観点から、考察していきます。人類の最初の大きなウェブの拡大は、古代文明です。大きなウェブが3つあったと分析しています。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、「これら三つの文明は最初から『相互に交流し合う一つの文明』の一部だったと捉えるのがよい。最初の『メトロポリタン・ウェブ』(大都市圏のウェブ)として、これを『ナイル=インダス回廊』と呼ぶ事にする」(第64頁)、二つ目は「中国文明はただちに隣接する地域に刺激を与え、多様な社会を生んだ。中国を中心とする東アジアの『メトロポリタン・ウェブ』は、記録に残された歴史を通じて現在に至るまで、新たな土地へと拡張し続けている。これが二番目の『メトロポリタン・ウェブだ』」(第66頁)。最後が「紀元前六〇〇年頃にマヤの祭祀センターや都市国家が栄え、紀元前四〇〇年以降はメキシコ中部の山間にある低地にそれとよく似た社会がいくつも興隆した。こうしたメソアメリカのセンターは『ナイル=インダス回廊』の文明のように融合することはなかったが、増大する相互交流が南北アメリカ大陸における最初の『メトロポリタン・ウェブ』を構成することになった」(第66頁)。以上3つのウェブが、最初の『メトロポリタン・ウェブ』です。そうした中で、シルクロードを中心とした陸上輸送や季節風での移動を中心とした海上輸送が盛んになり、「紀元二〇〇年頃にはユーラシアとアフリカ大陸の大部分に広がり、どんどん密度を高めていくウェブが形成された。本書ではこれを『旧世界のウェブ』と呼ぶことにする」(第62頁)。この「旧世界のウェブ」が拡大していく過程が、二〇〇年~一〇〇〇年の歴史です。「二〇〇年~一〇〇〇年にかけて船やキャラバンの積載能力や到達距離が増大したおかげで、『旧世界のウェブ』は特に大海に面した海岸沿いや南西アジアと北アフリカの乾燥したベルト地帯に広がった。農産物、手工品、思想、疫病その他、文明化した生活が至るところで人間の経験を変えていくにつれ、文明は例外的なものでなくなった。二〇〇年より前は、文明化した社会は『旧世界のウェブ』の中に点在するだけだった。一〇〇〇年までにウェブは南へと拡大し、アフリカの大部分、南東アジア全域、陸地から遠く離れた島々が旧世界の文明に組み入れられた。北方への拡張によって包含された人々はもっと少なかったが、取り込まれた地域は広大で、朝鮮、日本、北ヨーロッパ、さらにステップや北方の森林地帯に住む人々のすべてが、文明化された農耕社会とさらに緊密な共生関係を築くようになった。その結果、一〇〇〇年までに『旧世界のウェブ』は並ぶもののない大きさに広がり、ユーラシアのほぼ全体とアフリカの大部分を巻き込んで、二億人ほどの人間を抱えるまでになった」(第135頁)。また、同時代のアメリカ大陸のウェブについても、「南北アメリカ大陸にも『メトロポリタン・ウェブ』(大都市圏のウェブ)がいくつか出現したことだ。『アメリカのウェブ』内部でのつながりは、運搬技術が大きく遅れていたせいでユーラシアよりもずっと弱かった」(第153頁)と言及しています。その後の一〇〇〇年~一五〇〇年の歴史は、「旧世界のウェブ」が拡大していくというよりも、緊密化していく歴史です。「『旧世界のウェブ』の中核地域で一〇〇〇年から一五〇〇年にかけて起きた変化は、世界のそれ以外の地域おけるどんな出来事よりも激しかった。五世紀にわたって相互交流が増え、専門化が進み、断続的にではあっても生産が増大し、市場価格や政治的な命令に応じて人間の労働力がますます結集されるようになったことは、『旧世界のウェブ』の中核地域が持つ権力と富をかつてなかったほど巨大にした。それと同時に、『旧世界のウェブ』はとりわけ西端のヨーロッパ地域でますます不安定になっていった。やがてそこで起きる劇的な変化は、その後の数世紀にわたって地球上のすべての様相を変えていくことになる」(第214頁)。これで、1巻は終わりです。「ウェブ」にのみこだわり引用しました。各時代ごとにウェブがどう拡大し、緊密化していくか、という視点が貫かれていることが分かると思います。引用した箇所は非常に抽象的ですが、その他の箇所で具体的に引用箇所の意味を説明しているので、非常に分かりやすいです。例えば、「人間の集団は熟達した狩猟者として地球上に広がり続け、獲物が大きいほど狩りで得られるものも多かったから、彼らは大きな動物を好んで狙った。新しい環境で出合う大型の獣は警戒心を持たず、肉体的に貧弱な人間を怖れることもなかったため、近づくのは容易だったはずだ。いずれにせよ、オーストラリアと南北アメリカでは、狩猟する人類の進出と、広範囲にわたる大型動物絶滅の時期がかなり接近している」(第24頁)というように、因果関係の説明が、詳細に記されていて、納得感が得やすいです。また、ところどころに、「だが真実は誰にも分からないし、マドレーヌ文化の担い手たちに何が起きたのかも分かっていない」(第35頁)というように思い込みで歴史を断定せず、真摯な態度で記述している姿勢にも好感が持てます。まだ1巻の紹介なのに、長くなりました。次の2巻では、ウェブが世界的に拡大していく姿が記されています。


『世界史Ⅱ 人類の結びつきと相互作用の歴史』  
2015 楽工社  著者 ウィリアム・H・マクニール ジョン・R・マクニール  訳者 福岡洋一
世界観の形成 5  実践への影響 5
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書評
「『旧世界のウェブ』は、一四五〇年までに人類のおよそ四分の三を包含するようになった。西の端は大西洋に接し、西アフリカのサバンナからイギリス、スカンジナビアまでが含まれていた。北はロシアの広大な森林地帯へ、そしてシベリアのさらに広大な森林地帯では南の縁に沿って伸びていた。東の端は太平洋に接し、北は朝鮮や日本から、南東アジアの島々までが含まれていた」(第232頁)。そして、この「旧世界のウェブ」は、「何千というキャラバンの経路や海上の航路」(第234頁)が一つに統合していました。中でも重要な役割を果たした経路は二つあり、その一つはシルクロードで、もう一つは海の道でした。ここまでが、前巻での内容です。本巻では、このウェブがどのように拡大し、どのように緊密化してきたか。その歴史を扱います。さて、次は一四五〇~一八〇〇年までの歴史が扱われますが、その中でも特に重要なのが、コロンブスを中心としたアメリカ大陸への航海です。この航海は、「世界に点在するウェブを単一の、地球を包含するものにまとめあげる役割を果たしたという点で、それは近代の歴史上最も重要なプロセス」(第242頁)でした。その結果、「それまでバラバラだった世界中のウェブは(管理人補:旧世界のウェブ、アメリカ大陸のウェブ、太平洋世界のウェブなど)、一四五〇年から三世紀半の間に一つに融合した。それに加えて、以前にはどのウェブにも属していなかった地域もそこに組み込まれていった。一八〇〇年には、九億人の世界人口のうち『世界規模のウェブ』に属さない人々はごくわずかになっていた」(第313頁)という状態になります。日本では近世と言われるこの時代に、世界は、ヨーロッパ諸国の航海技術と武力を拡大の中心に置き、ウェブを世界中に広げていったのです。しかし、変化していないものもありました。例えば、「一八〇〇年当時、ほとんどの人々(おそらく全体の八〇ー八五%)は、まだ農民として働いて」(第314頁)いました。また、「一八〇〇年の時点でも、人や商品や情報が世界を回るのには一年以上の時間を要し」(第315頁)ました。つまり、「ウェブは成長し、一つになったけれど、その内部のスピードはわずかに速くなっただけ」(第315頁)でした。このスピードが急激に速くなり、緊密化が図られる時代が19世紀です。この時代で「最も重要な展開は産業革命と、それをもたらした化石燃料を制御する技術」(第317頁)でした。その結果、「鉄道や汽船によってウェブが結ばれ、電信が発達したことで、以前なら届くのに一年かかっていたメッセージがほんの数分で届くようにな」(第318頁)り、「ウェブがさらに緊密化し、内部での動きが速くなってい」(第318頁)きました。この変化は様々なことを生み出します。「一七五〇年から一九一四年にかけてのウェブの緊密化は、人口の爆発的増加、代議制的な政治形態、ナショナリズム、産業化を促し、各地に広げた。しかし、いずれも拡大の仕方は不均一で、国家の内部においても国家間においても大きな緊張を生じさせることになった」(第395頁)との記述にあるように、産業革命から端を発するウェブの緊密化の恩恵を受けることができた地域・国・人々は大きく発展し、その恩恵を受けられなかった地域・国・人々は、大きな格差に苦しむことになりました。欧米とその他の地域。列強とその他の国。資本家と労働者。ウェブの緊密化によって生み出された格差が、国家間や人々の間に緊張をもたらし、次の大きな大戦を生み出す一因となります。その次の時代は、ウェブの大衆化です。「十九世紀における通信や輸送における技術的躍進(蒸気船、鉄道、電信)は世界をさらに密接に結びつけたが、生活のいくつかの側面には変化がなかった。これに比べて、二十世紀を形づくった通信や輸送手段の進歩(電話、ラジオ、テレビ、映画、自動車、飛行機、インターネット)は何十億もの人間の日常生活を変え、経験の幅と情報へのアクセスを拡大した」(第398頁)。このウェブの大衆化と、大衆内での緊密化は、現在でも世界中に広がっています。本書を読み、世界史を捉える時に絶対に欠かせなくなった視点が「ウェブの拡大化・緊密化・大衆化」です。ウェブが拡大する様々な営みの中に、歴史事象があり、また、その中に日本史も含まれます。歴史という広大な地平に、「ウェブ」という一本の大きな幹を立て、見事に描き切った本書。マクニール親子の仕事に敬意を表し、書評としたいと思います。


『銃・病原菌・鉄(上)』  
2012 草思社文庫  著者 ジャレド・ダイアモンド  訳者 倉骨彰
世界観の形成 5  実践への影響 5
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書評
本書は、本書の著者がニューギニア人の友人ヤリから受けた「あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」(上巻第24頁)という疑問意識から始まっています。その疑問は、抽象的に言い換えれば、「世界の富や権力は、なぜほかの形で分配されなかったのか?たとえば、南北アメリカ大陸の先住民、アフリカ大陸の人々、そしてオーストラリア大陸のアボリジニが、ヨーロッパ系やアジア系の人々を殺戮したり、征服したり、絶滅させるようなことが、なぜ起こらなかったのだろうか?」(上巻第25頁)というものになります。このことについて、白人優位主義者は、歴史的に「白人は優れていたからだ!」「その他の人種は劣っているのだ」という人種差別的な見方をしてきました。白豪主義やアパルトヘイトは、その際たるものですよね。本書では、そのような、白人が優位になったという結果から類推する人種差別的な見方を、科学的に批判します。本書の結論は、「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」(上巻第45頁)というものです。では、その環境の差異とはどのようなものなのでしょうか。全ての大陸で狩猟採集が行われ、人類の間にほとんど差異がなかった時代は、1万1千年頃でした。「紀元前一万一〇〇〇年頃にタイムトラベルした考古学者は、どの大陸においても人間社会がもっとも早く発展しえたということはいえても、それがどの大陸であったかを特定することはできない」(上巻第94頁)との説明通り、大陸間での人々の生活の差異はほぼありませんでした。それでは、いつ、白人優位は確定したのか。それを本書では、「ヨーロッパ人による新世界の植民地化」(上巻第121頁)に見ます。そして、中でもその際たる事例として、「ピサロが皇帝アタワルパを捕虜にできた」(上巻第147頁)ことをあげます。では、ピサロがアタワルパを捕虜にできた要因とは何なのか。本書では、その要因を、「鉄器・鉄製の武器、そして騎馬などにもとづく軍事技術、ユーラシアの風土病・伝染病に対する免疫、ヨーロッパの航海技術、ヨーロッパの集権的な政治機構、そして文字をもっていたこと」(上巻第147頁)であると結論づけます。ここで大きな疑問が生まれます。「それらの要因が新世界ではなく、なぜヨーロッパで生まれたのか」(上巻第147頁)、つまり「どの時点で、大きな差異が大陸間でできてしまったのか」という疑問です。その疑問に答える上でもっとも大切な歴史事象は、食糧生産の開始でした。「植物栽培と家畜飼育の開始は、より多くの食料が手に入るようになることを意味した。そしてそれは、人口が稠密化することを意味した。植物栽培と家畜飼育の結果として生まれる余剰食料の存在、また地域によってはそれを運べる動物の存在が、定住的で、集権的であり、社会的に階層化された複雑な経済的構造を有する技術革新的な社会の誕生の前提条件だったのである」(上巻第162頁)。では、食料生産が開始され、ユーラシア大陸の人々が優位になった根本的な環境要因とは何なのか。この疑問の答えを、下巻の紹介で記述していきます。


『銃・病原菌・鉄(下)』  
2012 草思社文庫  著者 ジャレド・ダイアモンド  訳者 倉骨彰
世界観の形成 5  実践への影響 5
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書評
白人優位になった理由を、根源的な原因にさかのぼり、突き詰め続けた本書。その最終的な結論が、非常に科学的なのです。結論として、本書では4点あげています。「まず第一に、栽培化や家畜化の候補となりうる動植物種の分布状況が大陸によって異なっていた」(下巻第366頁)ことです。まず、栽培できる植物種についてです。実は、「地中海性気候の肥沃三日月地帯には作物化することのできる野生種が豊富に分布してい」(上巻第251頁)ました。イネ科の中でも大きな種子を持つ種は56種あるそうなのですが、そのうち、32種が、「肥沃三日月地帯か西ユーラシアの地中海性気候地帯に集中」(上巻第252頁)していました。「これに対して、チリの地中海性気候地域には五六種中たった二種が自生しているだけであり、カリフォルニアと南アフリカにはそれぞれ一種が自生しているだけで」(上巻第254頁)した。同様に家畜化できる動物の分布についても見ていきます。本書では、世界で家畜化されている動物のことをまとめて、「由緒ある十四種」と呼んでいますが、まず「ユーラシア大陸には『由緒ある十四種』のうちメジャーな五種をふくむ十三種の野生祖先種がすべて生息してい」(上巻第297頁)ました。対して、「たとえば南米には、ラマとアルパカの野生祖先種である動物が生息していただけであり、北米、オーストラリア、そしてアフリカ大陸のサハラ砂漠以南の地域には、『由緒ある十四種』のどれ一つとして生息してい」(上巻第297頁)ませんでした。植物分布も動物分布も、食糧生産を開始するためには、ユーラシア大陸が圧倒的に有利だったのです。また、病原菌という意味でも、「ユーラシア大陸を起源とする集団感染症の病原菌は、群居性の動物が家畜化されたときに、それらの動物が持っていた病原菌が変化して誕生したもので」(上巻第391頁)した。すなわち、家畜化できる動物が少なかった南北アメリカ大陸の人々は、病原菌への抗体も持っていなかったのです。続いて第二の条件です。「伝播や拡散の速度を大陸ごとに大きく異ならしめた要因もまた重要である。この速度がもっとも速かったのはユーラシア大陸である。それは、この大陸が東西方向に伸びる陸塊だったからであり、生態環境や地形上の障壁が他の大陸よりも比較的少なかったから」(下巻第368~369頁)です。「東西方向に経度が異なっても緯度を同じくするような場所では、日の長さ(日照時間)の変化や、季節の移り変わりのタイミングに大差がない。風土病や、気温の降雨量の変化、そして分布植物の種類や生態系も、日照時間や季節の移り変わりほどではないにしても、よく似たパターンを示す傾向にあ」(上巻第341頁)ります。対して、「アフリカ大陸では、陸塊が南北方向に緯度をまたいで広がっていることと、地形や生態環境上の障壁が大きかったことのために、伝播に時間がかか」(下巻第369頁)り、「南北アメリカ大陸ではとりわけ伝播に時間がかか」(下巻第369頁)りました。大陸の構造が、地域の発展に大きく左右したのでした。「三つめの要因は、大陸内での伝播に影響をあたえた要因とかかわってくるが、異なる大陸間での伝播に影響をあたえたものでもある。大陸間における伝播の容易さは、どこも一様だったわけではない。地理的に孤立している大陸もあるから」(下巻第369頁)です。たとえば、ユーラシア大陸はどこも地続きなので、技術や文化が伝播しやすいですが、海洋を隔てる南北アメリカ大陸やオーストラリア大陸、またサハラ砂漠や熱帯雨林を隔てるサハラ以南のアフリカには、非常に伝播しにくい構造にあります。この構造の違いが、大航海時代、南北アメリカはヨーロッパの植民地になったのに対し、ユーラシア大陸の極東部に属し、先進国であった中国と交流を持ち続けることのできた日本は、技術や文化に遅れをとらず植民地化を免れたということの大きな理由になるのではないか、と思っています。「四つめの要因は、それぞれの大陸の大きさや総人口のちがいである。面積の大きな大陸や人口の多い大陸では、何かをする人間の数が相対的に多く、競合する社会の数力も相対的に多い。利用可能な技術も相対的に多く、技術の受け容れをうながす社会的圧力もそれだけ高い」(下巻第370頁)という要因です。「世界の陸塊のうちで、面積がもっとも大きく、競合する社会の数がもっとも多かったのはユーラシア大陸で」(下巻第370頁)した。対して、「オーストラリア大陸やニューギニアはユーラシア大陸よりも面積が小さく、タスマニア島などはきわめて小さかった。南北アメリカ大陸は、面積こそ大きかったが、地理的・環境的に分断されていて、実際には連続性のない二つの大陸として機能してい」(下巻第370頁)ました。大陸の面積の大きさ自体も社会の構成に関わってくるというのが、本書の第四の結論です。すなわち、「ある種の生活環境は、他の生活環境にくらべて、原材料によりめぐまれていたり、発明を活用する条件により恵まれていた。それだけのことである」(下巻第370頁)と結んでいます。この環境要因が世界の状況を決めたという本書の主張。この説得力の高さに、一度、本書をテーマにして授業を作り、難解になりすぎてしまったことがあったくらいです(笑)。さて、最後に、本書では「肥沃三日月地帯や中国は、後発組のヨーロッパの数千年先を行っていた。それなのになぜ、彼らはその圧倒的なリードを徐々に失っていったのだろうか」(下巻第375頁)という疑問に答えています。書評では、特に中国に着目しますが、「これらの謎を解く鍵は、船団の派遣の中止にある」(下巻第379頁)と言います。明代の中国は、ヨーロッパよりも先に、アフリカ大陸まで、船団を派遣していました。しかしながら、中国では、トップの決定一つで、船団の派遣が中止されてしまいました。「政治的に統一されていたために、ただ一つの決定によって、中国全土で船団の派遣が中止され」(下巻第380頁)てしまったのです。逆にヨーロッパでは、何百人もいた王侯の一人をコロンブスが説得し、船団の派遣を行うことができました。したがって、「政治や技術の分野において、中国が自分たちよりも遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまった理由を理解することは、すなわち、中国の長期にわたる統一とヨーロッパの長期にわたる不統一の理由を理解すること」(下巻第382頁)で説明ができるのです。その理由を本書では、地形にみます。「自然の障壁がさほどなく、地域の地理的結びつきが強かった」(第385頁)中国では、様々な技術や文化が発達したものの、統一が広い範囲に行われやすく「一人の支配者の決定が全国の技術革新の流れを再三再四止めてしまうようなことが起こ」(下巻第386頁)りました。対して「分裂状態にあったヨーロッパでは、何十、何百といった小国家が誕生し、それぞれに独自の技術を競い合」(下巻第386頁)いました。この地形的な理由が、ヨーロッパと中国の現在の置かれている状況の差異につながったというのが、本書の見立てです。本書も、上記に紹介したマクニールの世界史と同様、自分の歴史観に大きな影響を与えた一冊になっています。


『サピエンス全史(上)』  
2016 河出書房新社  著者 ユヴァル・ノア・ハラリ  訳者 柴田裕之
世界観の形成 5  実践への影響 3
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書評
「今からおよそ一三五億年前、いわゆる『ビッグバン』によって物質、エネルギー、時間、空間が誕生した。私たちの宇宙の根本を成すこれらの要素の物語を『物理学』という。物質とエネルギーは、この世に現れてから三◯万年ほど後に融合し始め、原子と呼ばれる複雑な構造体を成し、やがてその原子が結合して分子ができた。原子と分子とそれらの相互作用の物語を『化学』という。およそ三八億年前、地球と呼ばれる惑星の上で特定の分子が結合し、格別大きく入り組んだ構造体、すなわち有機体(生物)を形作った。有機体の物語を『生物学』という。そしておよそ七万年前、ホモ・サピエンスという種に属する生き物が、なおさら精巧な構造体、すなわち文化を形成し始めた。そうした人間文化のその後の発展を『歴史』という。歴史の道筋は、三つの重要な革命が決めた。約七万年前の認知革命、約一万二◯◯◯年前に歴史の流れを加速させた農業革命、そしてわずか五◯◯年前に始まった科学革命だ。三つ目の科学革命は、歴史に終止符を打ち、何かまったく異なる展開を引き起こす可能性が十分ある。本書ではこれら三つの革命が、人類をはじめ、この地上の生きとし生けるものにどのような影響を与えてきたのかという物語を綴っていく」(第14頁)から始まる本書。人類の文化の発展である「歴史」を、認知革命・農業革命・科学革命の3つの視点で描いていくのが中心ですが、その所々に、「歴史を学ぶ意義」や「人類の選択の功罪」など、価値に関わる記述がなされており、非常に魅力的になっているのが本書の特徴です。まずは認知革命から。「じつは、約二◯◯万年前から一万年前ごろまで、この世界にはいくつかの人類種が同時に存在していたのだ。だが、これは格別驚くことではない。今日でも、キツネやクマ、ブタには多くの種がある。一◯万年前の地球には、少なくとも六つの異なるヒトの種が暮らしていた」(第20頁)。では、その人類種は何が原因でホモ・サピエンス一種になったのか。それが、認知革命であると筆者は言います。「七万年前から三万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法のことを『認知革命』とい」(第35頁)い、その最も重要な要素は、「言葉を使って現実を生み出す能力」(第50頁)でした。それは虚構ですが、「虚構のおかげで、私たちはたんに物事を想像するだけではなく、集団でそうできるようになった。聖書の天地創造の物語や、オーストラリア先住民の『夢の時代(天地創造の時代)』の神話、近代国家の国民主義の神話のような、共通の神話を私たちは紡ぎ出すことができる。そのような神話は、大勢で柔軟に協力するという空前の能力をサピエンスに与え」(第40頁)ます。結果的に、「太古の人類の行動パターンが何万年間も不変だったのに対して、サピエンスは社会構造、対人関係の性質、経済活動、その他多くの行動を一◯年あるいは二◯年のうちに一変させることができ」(第52頁)るようになりました。この虚構により無数の人々の協力を生み出した認知の能力こそ、他の人類種にはない大きな力であり、他の人類種をサピエンスが圧倒した理由でした。ここで筆者は言います。「サピエンスが発明した想像上の現実の計り知れない多様性と、そこから生じた行動パターンの多様性はともに、私たちが『文化』と呼ぶものの主要な構成要素だ。いったん登場した文化は、けっして変化と発展をやめなかった。そして、こうした止めようのない変化のことを、私たちは『歴史』と呼ぶ。したがって、認知革命は歴史が生物学から独立を宣言した時点だ。認知革命までは、すべての人類種の行為は、生物学(あるいは、もしお望みなら先史学と呼んでもいい)の領域に属していた(私は『先史学』という言葉を避ける傾向がある。なぜなら、先史学には、認知革命以前でさえ、人類は独自のカテゴリーだったという、誤った含意があるからだ)。認知革命以降は、ホモ・サピエンスの発展を説明する主要な手段として、歴史的な物語が生物学の理論に取って代わる。キリスト教の台頭あるいはフランス革命を理解するには、遺伝子やホルモン、生命体の相互作用を把握するだけでは足りない。考えやイメージ、空想の相互作用も考慮に入れる必要があるのだ」(第55頁)。他の学問と比較した時、歴史学をなぜ学ぶ必要があるのか、という一つの解答が示されていると思います。その認知革命後、狩猟採集民は、アフロユーラシアから、世界へ進出していきました。そして、その「サピエンス移住の第一波は、生態学的惨事をもたらし」(第99頁)ます。「認知革命のころの地球には、体重が五◯キログラムを超える大型の陸上哺乳動物がおよそ二◯◯属生息していた。それが、農業革命のころには、一◯◯属ほどしか残っていなかった」(第99頁)。そして、その後、「農耕民の広がりに伴う絶滅の第二波が起こ」(第100頁)り、現在は「産業活動が引き起こしている絶滅の第三波」(第100頁)が起こっています。ここでも歴史を学ぶ意義を筆者は与えてくれます。「私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたと主張する環境保護運動家を信じてはならない。産業革命のはるか以前に、ホモ・サピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという、芳しからぬ評判を持っているのだ。もっと多くの人が、絶滅の第一波と第二波について知っていたら、自分たちが起こしている第三波についてこれほど無関心ではいないかもしれない。私たちがすでにどれほど多くの種を根絶してしまったかを知っていたら、今なお生き延びている種を守ろうという動機が強まるかもしれない」(第100頁)。歴史的な知識が現在の活動の動機に繋がっていくという一例を、上記の文章で教えてもらいましたし、筆者の述べるとおりだと、自分も思います。続いて、農業革命について。「危険で、簡素なことの多い狩猟採集民の生活をいそいそと捨てて腰を落ち着け、農耕民の愉快で満ち足りた暮らしを楽しんだ」(第107頁)という一面的な見方に反対します。逆に「人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だった」(第107頁)と言うのです。「勤勉な農耕民は、現在の懸命な労働を通してなんとしても手に入れようと願っていた未来の経済的安心を達成できることは、まずなかった。至る所でエリート層が台頭し、農耕民の余剰食糧によって暮らし、農耕民は生きていくのが精一杯の状態に置かれた」(第132頁)。では、なぜそのように苦しい道を多くの人類は選んで行ったのか。ここでも歴史を学ぶ意義を本書は与えてくれます。その理由は、「人々は、自らの決定がもたらす結果の全貌を捉え切れない」(第115頁)からです。「より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまった。しかも、それはこのとき限りのことではない。苦難は今日も起こる。どれだけ多くの若い大学卒業生が、がむしゃらに働いてお金を稼ぎ、三五歳になったら退職して本当にやりたいことをやるのだと誓い、忙しい会社できつい仕事に就くことだろう」(第116~117頁)「歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある」(第117頁)。このことから筆者は、「進化上の成功と個々の苦しみとのこの乖離は、私たちが農業革命から引き出しうる教訓のうちで最も重要かもしれない」(第127頁)と筆を進めます。「サピエンスの集合的な力の劇的な増加と、表向きの成功が、個体の多大な苦しみと密接につながっていたことを、私たちは今後の章で繰り返し目にすることになるだろう」(第127頁)。経済学でいう合成の誤謬を筆者の主張でも感じました。さて、「農業革命以降、人間社会はしだいに大きく複雑になり、社会秩序を維持している想像上の構造体も精巧になってい」(第202頁)きました。その「特定の秩序を信じるのは、それが客観的に正しいからではなく、それを信じれば効果的に協力して、より良い社会を作り出せるからだ。『想像上の秩序』は邪悪な陰謀や無用の幻想ではない。むしろ、多数の人間が効果的に協力するための、唯一の方法なのだ」(第142~143頁)と筆者は言います。特にその「想像上の秩序」の中でも、「普遍的な秩序」となり、人類全体にグローバルに広がったものが三つ登場しました。「真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。第二の普遍的な秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の秩序は宗教的で、仏教やキリスト教、イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった」(第213頁)。認知革命と農業革命により、地球に生活する人類を包括するような普遍的秩序が生まれてきたというのが、上巻の内容でした。長い書評になりましたが、歴史を学ぶ意義にまで言及している本書の魅力はまだ表しきれないな、というのが率直なところです。


『サピエンス全史(下)』  
2016 河出書房新社  著者 ユヴァル・ノア・ハラリ  訳者 柴田裕之
世界観の形成 5  実践への影響 3
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書評
上巻の最後に、人類が生み出した普遍的秩序について、貨幣・帝国・宗教を挙げましたが、宗教については感じ入った記述があるので引用します。「近代には、自由主義や共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムといった、自然法則の新宗教が多数台頭してきた。これらの主義は宗教と呼ばれることを好まず、自らをイデオロギーと称する。だが、これはただの言葉の綾にすぎない。もし宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソヴィエト連邦の共産主義は、イスラム教と比べて何ら遜色のない宗教だった」(第32頁)。「今日、最も重要な人間至上主義の宗派は自由主義の人間至上主義で、この宗派は、『人間性』とは個々の人間の特性であり、したがって個人の自由はこの上なく神聖であると信じている」(第35頁)。自分自身、自由主義的価値観を強く持つ人間なのですが、その価値観も一つの宗教であることをメタ認知できた、そんな瞬間がこの読書にはありました。さて、認知革命・農業革命に続く最後の革命が、科学革命です。「科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らないという、重大な発見」(第59頁)でした。「そのような無知の自認が、科学の発見は私たちに新しい力を与えうるという考え方と結びついたとき、真の進歩はけっきょく可能なのではないかと人々は思い始め」(第76頁)ました。この「科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができ」(第89頁)ます。とくに注意を向けるべき力が二つある。帝国主義と資本主義だ」(第89頁)とあるとおり、この二つの考え方を持つ地域(ヨーロッパ)に、科学革命が降り立った時、世界は大きな変化を迎えました。ただし、「なぜヨーロッパに帝国主義と資本主義という考え方が芽生えたのか」という視座は本書には薄いように思います。この問いに関しての納得感は得られませんでした。さて、「科学革命が起こり、進歩という考え方が登場し」(第133頁)ました。新たなの土地を支配下に置くことを志向し続ける帝国主義も自らの資産の増加を志向し続ける資本主義も、その進歩という考え方との親和性が非常に高いものです。その結果、科学の進歩が加速度的に進められることとなり、「エネルギー変換における革命」(第169頁)=産業革命が起こります。この産業革命の影響として、最も大きく本書が取り上げているのが、「家族と地域コミュニティの崩壊および、それにとって代わる国家と市場の台頭」(第189頁)です。「産業革命は、市場にかつてないほど大きな力を与え、国家には新たな通信と交通の手段を提供して、事務員や教師、ソーシャルワーカーといった人々を政府が自由に活用できるようにし」(第192頁)ました。その結果、市場や国家は強大化し、家族コミュニティの絆を弱め、個人を生み出します。「国家と市場は、個人の生みの親であり、この親のおかげで個人は生きていけるのだ。市場があればこそ、私たちは仕事や保険、年金を手に入れられる。専門知識を身につけたければ、公立の学校が必要な教育を提供してくれる」(第193頁)などです。しかし、個人の解放により、「市場が個人を搾取したり、国家が軍隊や官僚を動員して、個人を守るのではなく迫害したりすることも多」(第194頁)くなりました。また、国家と市場が産み出した家族に代わるコミュニティもあります。国民と消費者です。「国民は各国家に特有の想像上のコミュニティであり、消費者部族は市場の想像上のコミュニティのことをいう。繰り返すが、これはどちらも想像上のコミュニティ」(第197頁)です。科学革命と産業革命をつなぎ、その産業革命が市場と国家を産み出し、その市場と国家が個人を産み出した。国家と個人とは表裏一体であるという記述には、目を見開かされました。さて、本書では最後に人類の未来について言及しています。場合によっては、科学革命は「完全に新しい種類の意識を産み出し、ホモ・サピエンスを何かまったく違うものに変容させることになるかもしれない」(第249頁)、「あまりにホモ・サピエンスに手を加え過ぎて、私たちがもはやホモ・サピエンスではなくなる可能性はある」(第250頁)と言及しています。「唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、『私たちは何になりたいのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう」(第263頁)という言葉で本書を結んでいます。自分はこの言葉で、頭を抱えませんでした。いまだに、「何を望みたいのか」の意味がよく分かりません。考えていき、後々ハッとわかる瞬間が来ることを楽しみにしています。さて、書評の最後に、著者が歴史を学ぶ意味について言及している部分を抜き出し終わりにします。「物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカ人を支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうると、気づくことができる」(第48頁)。まだ、落とし込めてない言葉です。この言葉も、落とし込めるよう考え続けていかなければ、と思っています。


『問題は英国ではない、EUなのだ』  
2016 文春新書  著者 エマニュエル・トッド  訳者 堀茂樹
世界観の形成 5  実践への影響 4
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書評
「今日、先進世界が新たな歴史的転換点に近づき、新たな局面に入ろうとしていることを看て取るのは、さほど難しくはありません。新たな局面というのは、先の世界大戦から数えて三つ目の段階に相当する局面です。事柄を見やすくするために、ざっくりした時代区分を採用しましょう。第一局面は、一九五〇年から一九八〇年までの経済成長期です。この期間にヨーロッパと日本はアメリカに追いつきました。消費社会が到来した時代でした。次に第二局面ですが、これは一九八〇年から二〇一〇年までで、この時期にわれわれは経済的グローバリゼーションを経験しました。このグローバリゼーションは、ここ数世紀のさまざまな世界的潮流と同様、アングロ・アメリカン、すなわち英米によって推進されたのでした。ソ連や中国の共産主義はそれに抵抗し得ませんでした。二〇一〇年以来、われわれは第三局面が近づいてきているのを感じています。グローバリゼーションのダイナミズムが底をついてきていることがその兆候ですが、しかもその兆候が、アメリカとイギリスというグローバリゼーションを発生させた二つの国を例外とせず、むしろとりわけこの二国で現れてきているのです。アメリカでは、不平等の拡大、支配的な白人グループにおける死亡率の上昇、社会不安の一般化などの結果、ナショナルな方向への揺り戻しが始まっており、それを象徴しているのが、ドナルド・トランプやバーニー・サンダースのような大統領候補の登場です。イギリスも、ほとんどアメリカに劣らないほどグローバリゼーションの影響を受けた結果、このたび『EU離脱(Brexit)』を決めました」(第3~4頁)。本書冒頭に挙げられた、現代史の見事な分析を読み、本書の購入を決めた次第です。この第三局面が迎えている「グローバリゼーションによるストレスと苦しみ」(第22頁)のことを、著者は、「グローバリゼーション・ファティーグ(疲労)」と呼んでいます。「日本は、日本回帰の時期を迎えつつあります」(第22頁)という著者の指摘は、「日本ってすごい!」と日本を賛美するTV番組が増加し、保守的な価値観が政治的にも優勢になっている現代日本にそっくりそのまま当てはまる分析です。本書では、その「グローバリゼーション・ファティーグ」への対応は、「国民国家の再構成に着手」(第71頁)によって進めるべきだと主張しています。各国が自由な貿易や移民の移動を推し進めるのではなく、ある程度、国によって制限をかけるべきだ、という考えです。今後、どう世界が動いていくかはわかりませんが、現代を分析する上で、最も大きな視座をもらった本です。また、トッドは、『世界の多様性(第三惑星)』(書評執筆時、読書中)に書かれているように、「農村社会の家族構造によって近代以降の各社会のイデオロギーを説明できる」(第92頁)という理論を発表した人で有名です。そのトッドの歴史学の方法や分析が書かれている第三章は非常に面白いです。まずトッドは、「歴史家にとって何よりも大事なのは、まず多くのデータを集めること」(第90頁)であるといいます。確かに、『世界の多様性』では、膨大な量の資料が掲載・引用されていますし、まずは資料分析から事実を見出していく姿勢は、歴史家として素晴らしいな、と思います。また、その分析の中で、トッドは、「中産階級こそが歴史の鍵を握っている」(第104頁)といいます。「中産階級とは、所得や教育水準がある程度高く、階層として一定の規模をもった集団です。この階層が歴史の変動を左右しているのであって、この階層を考察しなければ歴史の現実は見えてきません」(第104頁)。「ナチズムは中産階級の現象でした。フランス革命も同様です。日本の明治維新も中産階級に主導されたものだったはずです。上級武士ではなく、下級武士という中間層が中心的役割を担ったわけですから」(第105頁)。実は、この指摘は、書籍紹介の日本史専門書で紹介している『格差と序列の日本史』に通じる指摘です。本書にも、中間層が歴史を変容させていく理由は明示されていませんでした。しかし、この歴史事実の理由を問い詰める必要性が、自分の中で更に高まりました。トッドの他の著作も読みたい!とウズウズさせる魅力が本書にはあります。


『世界の多様性(第三惑星)』  
2008 藤原書店  著者 エマニュエル・トッド  訳者 荻野文隆
世界観の形成 5  実践への影響 2
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書評
本書は、トッドが出版した『第三惑星』と『世界の幼少期』の合本になります。まずは、『第三惑星』について、紹介します。「現在までのところ、この太陽系の第三惑星におけるイデオロギー、政治システムそして政治勢力の分布がなぜかくあるのかを説明し得た理論は存在していない」(第34頁)。「なぜ共産主義が革命プロセスのはてにロシア、中国、ユーゴスラヴィア、ベトナム、キューバにおいて勝利したのか誰も知らない。また他の地域で、なぜそれが失敗したのかをも誰も知らない」(第34頁)。この疑問に対し、筆者は、驚きの仮説を立てます。「イデオロギーの領野は、どこでも家族システムを知的な形式に転写したものであり、基礎的な人間関係を統御している根本的な価値ー例えば自由、平等、そしてその反対物ーを社会的レベルに転換したものである。各家族タイプには、ひとつのイデオロギーだけが対応している」(第56頁)。つまり、家族システムによって、「平等になるように周到に同じように叱られ、同じような玩具をもらうことが習慣となっていたふたりの兄弟は、思春期には平等主義的な価値への揺るぎない同意を発達させることになる。そんなときその子供たちの両親は、左翼だが一度も子供たちに政治について語ろうとは思わなかったし、彼らを教化しようともしなかったのだが、一種の生理学的な奇跡によって左翼の子孫を誕生させていたことに驚嘆するのである」(第50頁)。「それぞれの世代は親たちと子供たち、兄と弟、兄(弟)と姉(妹)、姉と妹、夫と妻といった基本的な人間関係を定義する親たちの諸価値を、無意識のうちに深く内在化するのである」(第50頁)。例えばヨーロッパの国々を見たときに、「絶対核家族のイングランド家族は、子供たちの独立を要求するが平等は求めない。子供たちの父への服従と遺産の不分割の上に確立された権威主義のドイツ家族は、規律を重んじるが平等は無視する。共同体型のロシア家族は、平等と規律を併せもっており、兄弟たちの対等と父への服従を特徴としている」(第54頁)。では、世界にはどのような家族構造があり、それがどのようなイデオロギーと結びついているのか。本書はたくさんのデータを用いて、分析していきます。まず、家族構造については、本書は「婚姻決定と同居について=自由度」「遺産相続について=平等度(対称性)」「近親相姦について」といった観点から、八つに分けます。①「外婚制同体家族(ロシア、中国、キューバなど)=婚姻決定は親が規定し親と同居(自由度が少ない)、遺産相続は平等、近親相姦はなし」について。外婚制共同体家族は、絶対的な平等を求める価値観があり、また、親の決定に従うことが当たり前となっています。その結果、生み出されたイデオロギーが共産主義です。「共産主義、それは外婚制共同体家族の道徳的性格と調整メカニズムの国家への移譲である、と。外婚制共同体家族が、都市化、識字化、工業化などのいわゆる近代化のプロセスによって解体されながら、その権威主義的で平等主義的な価値を新しい社会に伝えているのである。個人は権利上、平等だが政治機構に押しつぶされる。かつて拡大家族がロシア、中国、ベトナム、セルビアの伝統社会で支配的な制度であったとき、個人が打ち砕かれていたように」(第78頁)。②「権威主義家族(ドイツ、日本、韓国など)=婚姻決定は親が規定し親と同居(自由度が少ない)、遺産相続は不平等、近親相姦はなし」について。権威主義家族は、自由度も平等度も少ない家族制度です。「この家族のなかでは、すべての個人は同等の場所と価値を持っていない。するとすべての人間が平等であるとは考えられないことになる。さらに先へ進めると、すべての民族が平等であるとは考えられないことになるのである。権威主義的家族の理想を実践している人間集団のリストは多くを語っている。そこにはあらゆる特殊主義、自民族中心主義、普遍の拒否が凝縮されている」(第108頁)。まさに日本やドイツの第二次世界大戦頃の様子が浮かび上がります。③「平等主義核家族(フランス北部、ラテン・アメリカなど)=婚姻決定は当事者が規定し親と同居はなし(自由度が高い)、遺産相続は平等、近親相姦はなし」について。自由・平等の価値を持つこの家族類型から、自由・平等・博愛を旗印とするフランス革命が始まりました。「十八世紀フランスの哲学者や革命論者たちの偉大な理念ー自由と平等ーは、彼らには自然なものであり、理性の純粋で直接的な表現と思えたのだったが、隠れた人類学構造を優雅に書き写したものに過ぎなかったのである」(第52頁)。④「絶対核家族(アングロ・サクソン世界、オランダなど)=婚姻決定は当事者が規定し親と同居はなし(自由度が高い)、遺産相続は不平等、近親相姦はなし」について。この家族類型は、平等を志向せず、絶対的な自由を志向の価値とします。新自由主義やリバタニアリズムと言われる価値観です。それは外交システムにも現れ、「英国人はすばらしき分離を好み、アメリカ人は隔離主義を好む。そのシステムの道徳は、明確には明示されていないが単純な理念に則っている。他者の文化を破壊しようともせず、また統合しようともしないで、生きそして生きるにまかせるというものである」(第201頁)。⑤「内婚制共同体家族(アラブ世界、トルコなど)=婚姻決定は慣習が決定し親と同居(自由度は少ない)、遺産相続は平等、近親相姦はあり(兄弟の子供同士の結婚が頻繁)」について。この家族類型は、クルアーンを頂点とした慣習法を大切にし、内婚という強い家族連帯に基づいた国家の権威を超える集団を形成する特色があります。「外婚制メカニズムは、ア・プリオリに互いに他人である男とその妻の間に関係を築くことを要求する。その反対物である内婚制は、偶然的な人間関係のなかから夫婦が形成されることを拒否する。外婚制は国家へと向かう。配偶者の外婚制的な選択は、互いに知らない複数の個人の間に関係を設定する官僚制的関係のモデルとしての役割を果たす。内婚制は反対に国家なき多重社会へと向かう」(第219頁)。⑥「非対称型共同体家族(インド南部)=婚姻決定は慣習が決定し親と同居(自由度は少ない)、遺産相続は平等、近親相姦はあり(兄弟の子供同士の結婚は禁止、逆に異性の兄弟姉妹の子供同士の結婚を奨励)」について。この婚姻決定のシステムとカースト制度の関連について、本書には書かれています。「家族レベルで内婚制モデルが存在することは、社会レベルで内婚制的なイデオロギーが存在することを説明するものである。結婚を通して産み出される家族の閉鎖形態は、結婚によって形成されるカーストの閉鎖形態のモデルとなっているのである。さらに詳細に見るならば、このような結婚システムは社会空間についての非対称的な概念を支えている。つまり、すべての人々は同等の立場になく、誰もが結婚相手になれるわけではなく、人はみな平等ではない」(第238頁)。「父方の外婚制の規則によって、共同体家族は完全に自分のなかに閉じこもってしまうことから護られているのである。この外婚制の原理が、イスラム・システムとは違って、他者の存在を現実的に認めさせるものとして機能するのだ」(第238頁)。⑦「アノミー家族(東南アジアなど)=婚姻決定は当事者が規定し親と同居は理論上はなしだが、実際は受け入れられている(自由度が高い)、遺産相続は柔軟、近親相姦は可能で柔軟」について。アノミー家族は、固定した婚姻制度を生み出さない柔軟な婚姻類型です。その結果、「仏教であるビルマ、タイ、カンボジア、イスラム教であるマレーシアとインドネシア、そしてカトリックであるフィリピンといった宗教的に多様なこれらの国家は、一定した規則に拘束されない核家族型という類似した家族構造を有している。人類学的に同一の圏域が宗教上分裂しているというのも、このアノミー家族タイプの分散的な性格の顕著な影響なのである」(第259頁)。⑧「アフリカ型諸家族システム=家族グループが不安定で複数婚が多い」について。「それぞれの妻が自分の子供たちとひとつの住居に住んでおりー親の権威を解体するかたちになっている」(第285頁)この家族類型は、父親の権威が非常に弱いのが特色です。そのため、「子供たちに教育的な訓練を施すうえで特別な困難があるのである。それも、家族構造が分裂しているので子供たちの学習その他の活動を正確かつ詳細に管理することができないためである」(第185頁)という教育の遅れを引き起こしたり、「父親の権威の弱い非直系型の所家族システムによって覆われたアフリカは、規律という点で恵まれてはいない」(第286頁)。だからこそ最終的に、強制的に抑え込む軍事政権が多く樹立されたりと、アフリカならではの現象について家族構造からアプローチしています。長い引用となりました。以上のように、「家族は下部構造の役割を果たす。家族とは、定住した人間社会の表現である統計上の大衆の性格とイデオロギー・システムを決定するものである」(第290頁)。「二〇世紀の歴史を決定したイデオロギーの分布の源には、家族の存在があったのである」(第293頁)。ということを明らかにしたことが、本書の結論です。「ではなぜ、二〇世紀になって急にイデオロギーが表出してきたのか」という疑問については、次巻の『世界の多様性(世界の幼少期)』に譲ります。自分は、本書の主張は相当な説得力があると思っています。何よりも、その大量のデータが経験主義的に本書の主張を裏付けています。人文系の研究は、こうでなくてはならない、と強く思います。その主張もさることながら、その主張を導き出すための手法に関しても、感銘を受けた1冊でした。


『世界の多様性(世界の幼少期)』  
2008 藤原書店  著者 エマニュエル・トッド  訳者 荻野文隆
世界観の形成 5  実践への影響 2
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書評
前巻の『世界の多様性(第三惑星)』では、簡潔にまとめれば、「それぞれの地域の家族構造が、その地域のイデオロギーを規定する」という結論が記されていました。しかし、家族構造は過去数千年以上変わらない地域があるにも関わらず、イデオロギーはここ数百年で表出したに過ぎません。では、「イデオロギーが表出してきた要因とは何なのか?」。そして、イデオロギーの表出は、近代化を導きます。そのため、上記の問いは「それぞれの地域ごとに近代化の時間的差異が生じているのはなぜなのか?」という問いも導き出されます。本書は、その問いの解明に挑みます。まず、本書では、一般的な経済的な豊かさがその地域の近代化を促進したという仮説を批判します。むしろ、経済面での近代化は、精神面での近代化での結果であるといいます。「精神的な近代化は、物質的な富や生活条件の改善の単純な結果ではない」(第299頁)。「天の恵みである石油が、アラブ諸国やナイジェリアの文化上の近代化を加速させることはなかった」(第299頁)。では、何が成長を促進させる要因なり得たのか。トッドは、統計的な調査により、文化的な成長と最も大きな相関性を示す変数として、「識字率・死亡率の低下・出生率の低下」をあげます。「その非物質的、文化的な成長は、心性の革命のかたちをとって進行する。それはまず識字率の向上として現れる」(第298頁)。「次にそれは死亡率と出生率の低下として現れる。身近な生物学的な環境を制御できるようになるのである。第三の段階で成長は、ようやく工業製品の製造による物質的な富の増加として現れる。工業化は成長プロセスの全体から見れば小さな一部分に過ぎず、物質的であるよりはより知的なレベルで進む成長プロセスの総体のなかでは重要ではあるが、論理的には二義的なものに過ぎないのである」(第298頁)。では、識字率が向上し、死亡率や出生率が低下しやすい地域とはどのような地域なのか。トッドはそれを家族構造に見ます。「親の権威そのものが強く主張され、さらに女性の立場が高いほど、子供たちに対する母親の権威は強力なものになるのである」(第314頁)。上記の二つの変数を家族類型に組み入れると、家族類型は「親の権威を現す変数ー縦型か非縦型ーと女性の地位というもうひとつの変数ー父系型・双系型・母系型ーの組み合わせは、六つのケース、成長についての適性が異なる六つの家族タイプを生み出すことになる」(第316頁)。この中でも、「双系制で縦型、女性主義的で権威主義的なタイプ4は、もっとも強い母親の権威と対応している。女性の高い地位と強い親の権力が組み合わさったものである。その養育の力は最大である。このタイプは、例えば、ドイツ、スウェーデン、日本などの家族システムに対応している。父系制で非縦型、権威主義的でも女性主義的でもないタイプ1は母親の権威が最も弱く、教育の力が最小である。これはアラブ諸国に支配的な家族モデルである」(第320頁)。そして、その他の家族類型は、中程度の教育力を持っていると考えます。つまり、識字率を高める教育力の高い地域がドイツやスカンジナヴィアや日本・韓国などであり、イデオロギーの表出が早く、近代化も早い地域であると言えます。その逆も然りです。イギリスが近代化を世界で初めて成し遂げたということも、識字率が最初に向上したドイツから伝播という形で識字化を果たし、近代化に至っていったという解釈をとっています。「ある国、ある人民が大衆規模での識字化に達するとき、政治的な騒乱なしに進行することは稀である。それらの混乱は状況によって革命のかたちをとることもあれば、そうでない場合もある。しかし、読み書きの習得は、常にイデオロギー的な概念をそれまで反応できなかった人々の手の届くところに置くことになるのである」(第448頁)。上記のように、識字率の向上は、ヨーロッパでは市民革命を生み出しました。ロシアでは、「革命的『断絶』の直前のロシアのテイクオフの規模の大きさを捉えることができる。ロシア帝国の新兵の識字率、つまり若い成人男子の識字率が一八七四年の二〇%から一九一三年の七〇%近くに上昇していたのである」(第370頁)というように、ロシア革命を生み出します。また、日本で明治維新という近代化がすんなりと成されたのは、そもそも家族類型的に、教育力が高く識字率が向上していたことが大きな原因であると本書では捉えています。「確かに日本は、経済的な領域で非常にはやく追いついた。というのも、経済は成長のプロセスの本質的な要素ではないからだ。しかし人類学的な領域でヨーロッパからの遅れを取り戻すという現象はなかった。それは、この根底的な領域においては、日本の成長は一度も遅れたことがなかったというきわめて単純な理由からである」(第393頁)。また、識字率七〇%を一つの基準とすると、二〇世紀に発生した大衆の暴力的な内乱の地図と、ほぼ一致する統計も提示します。これらの出来事は、「ルッターの宗教改革、イギリス革命、フランス革命、ロシア革命といった一般的に大衆の識字化の文脈と結びついた移行期におけるヨーロッパの殺戮の形態と同じく理性的なものであり、それ以上でも以下でもない。ヨーロッパのイデオロギー形態は、それ自体において唯一の優越性しかもたない。その発生がより古かったということである」(第455頁)。つまり、「読み書きの能力の習得によって、伝統的な社会の文脈ではそれなりに限られたエリートにしか開かれていなかったイデオロギー的なテクストや概念が成人男性の大多数(ストーンの統計上の表現よる)の手に届くようになったのである。大衆の識字化は、ある意味では民主主義であり、書かれたものの前での平等を意味する。人類の進歩、各社会の進歩のそれぞれの段階は、まずは識字率によって要約することができるだろう」(第449頁)と結論付けられます。そして、その識字率の向上は、化学的な知識の習得を促し、死亡率を低下させ、女性の社会進出を促し、晩婚化が進行し、出産適齢期が以前と比べ短くなるため、出生率が減少します。その一連の流れの中で、近代化の進行が図られるようになったのです。「自民族中心主義的権威主義(日本・ドイツ)、自由主義的個人主義(イギリス・アメリカ)、平等主義的個人主義(フランス)、共産主義(ロシア、中国)、アラブ世界(イスラム)、インド(カースト制度)などのイデオロギーは、それぞれの家族類型が規定していた。そして、その表出される時期は、その地域の識字率の向上によってもたらされ、その識字率の向上は、それぞれの地域の家族類型によって生み出される教育力の差異によって規定されている」というのが、本書全体の簡潔な結論になるかと思います。前著の紹介にも書きましたが、何よりも豊富な統計資料により経験主義的に導き出される結論の説得力に圧倒されます。統計資料を徹底的に収集し、読み解き、関連させ、新たな結論を導き出す。社会科が目指す生徒像の理想像が、トッドの研究に見えるなぁ、と強く思います。


『世界史の誕生』  
1999 ちくま文庫  著者 岡田英弘
世界観の形成 2  実践への影響 2
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書評
まず、最初に書いておきますが、本書への書評は、批判的な記述が多いです。さて、世界には歴史観と言われるものが、大きく「地中海型の歴史(西洋史)と、中国型の歴史(東洋史)」(第49頁)の二つあると著者は主張します。まず、「地中海型の歴史観」です。それを著者は、ヘロドトスの『ヒストリアイ』から導き出し、「ヘーロドトスが、ペルシア人の学者の説にかこつけて打ち出している見方は、世界はヨーロッパとアジアの二つにはっきり分かれ、ヨーロッパはアジアと、大昔から対立、抗争して来たものだ、という主張である。この見方が地中海世界の最初の歴史書であったために、ヨーロッパとアジアの敵対関係が歴史だ、という歴史観が、地中海文明の歴史文化そのものになってしまった」(第62頁)。そこに、キリスト教文化の善悪二元論も結合し、その歴史観が、ヨーロッパ世界とその他の世界の対立を生み続ける元となっている本書は主張します。「この思想は、十一世紀にヨーロッパで高まって、イスラムに対する十字軍という形をとったが、それで終わりではない。十五世紀に始まる大航海時代に、アジア、アフリカ、アメリカに進出したヨーロッパ人の世界観も、全くこのキリスト教の歴史観そのままであった。現代においても、対決こそが歴史である、という地中海型の歴史観は、絶えざる対立と、摩擦と、衝突の最大の原因であり続けている」(第78頁)。ヨーロッパ人が中心で起こした歴史事象を、「対立の歴史観から引き起こしたこと」とまとめるのは、後付け感が否めないと自分は感じてしまいますが、著者は上記のように西洋史を解釈します。続いて、東洋史。「中国型の歴史観」です。中国の歴史観は、司馬遷の『史記』が決定づけました。「とにかく、こうした『史記』によって、中国文明における歴史の性格は決定した。皇帝が統治する範囲が『天下』すなわち世界であり、『天下』だけが歴史の対象である。言い換えれば、中国文明の歴史は、皇帝の歴史であり、永久に変わることのない『正統』の歴史である」(第101頁)。例えば、この歴史観が日本にも大きな影響を与えているからこそ、日本の歴史も、初代の神武天皇から万世一系の天皇が「正統」に皇位を継承し統治してきた、という歴史観で歴史を見てしまっていると、著者は解釈します。そして、この二つの歴史観を、ごちゃまぜにして、今まで歴史を描いてきたから、歴史学は混乱していた。「この二つの歴史観からではない別の歴史観で世界史を見なければならない」というのが、本書の主張の骨子となります。そこで、岡田さんが注目するのが、遊牧民であり、モンゴル帝国です。まず、「東は日本海・東シナ海から、西は黒海・ユーフラテス河・ペルシア湾に至る、東アジア・中央アジア・西アジア・東ヨーロッパの大陸部のほとんど全域は、モンゴル帝国におおわれることになった」(第220頁)。そして、制度面や民族面、領土面などに着目していくと、「現代の世界のインド人、イラン人、中国人、ロシア人、トルコ人という国民は、いずれもモンゴル帝国の産物であり、その遺産なのである」(第240頁)と”解釈”します。ただ、インドのムガル帝国については、モンゴルが語源だということをその理由の根拠(第224頁)とし、イランについては、何度読んでも、モンゴル帝国の継承国家である理由が分かりません(第225頁)。中国に関しては、チベット領有を主張する根拠を、中華人民共和国が元朝・清朝期に支配下であったから(第231頁)と主張していることから、モンゴル帝国の継承国家であると本書では主張しているのですが、これは完全に政治的なレトリックであり、モンゴル帝国の継承国家である理由にはならないと考えます。正直、ユーラシア大陸の多くの国民がモンゴル帝国の遺産であるという主張は、因果関係を探そうとすればどこかで繋がるけれども、相当に因果関係の薄い根拠薄弱な主張であるな、と判断してしまいます。それに加え本書では、「現代の世界の指導的経済原理である資本主義も、モンゴル帝国の遺産である」(第240頁)と主張します。「モンゴルの大制服の結果として、ユーラシア大陸の隅々まで治安と交通の便がよくなり、同じ文明のシステムが広く普及して、諸地域を結ぶ経済活動がこれまでになく活発になった。金領の華北ですでに成立していた信用取引の原理と資本主義経済の萌芽も、この情勢に乗ってモンゴル帝国全体に広がり、その外側に接する西ヨーロッパにも強い影響を与えることになった。地中海世界では、モンゴル帝国の出現と同時の十三世紀に、黒海と東地中海の貿易権を握っていたヴェネツィアに、ヨーロッパで最初の銀行が成立している。このヴェネツィアからアルプスを越えて、資本主義的な経営形態が西ヨーロッパに広まったのである。これはモンゴル帝国の成立によって、はじめて可能になったものであった」(第241頁)。自分はこの点に関しては勉強不足なので、明言はできませんが、資料がない以上、あくまで解釈であり事実とは認定できない叙述だな、と思います。ただ、疑問として、資本主義がモンゴル帝国発生であるならば、モンゴル帝国の影響下にあった国々がまず資本主義化していなければいけないのでは、と考えてしまいます。ですので、あまり信憑性を持てない叙述です。「モンゴル帝国の弱点は、それが大陸帝国であることにあった。陸上輸送のコストは、水上輸送に比べはるかに大きく、その差は遠距離になればなるほど大きくなる。その点、海洋帝国は、港を要所要所に確保するだけで、陸軍に比べて小さな海軍力で航路の制海権を維持し、大量の物資を低いコストで短時間に輸送して、貿易を営んで大きな利益を上げることが出来る。これがモンゴル帝国の外側に残った諸国によって、いわゆる大航海時代が始まる原因であった」(第245頁)。つまり、モンゴル帝国から広がった資本主義経済を海洋国家がシステムとして上手に取り入れ、現在の世界の体系を作り上げていったという解釈になります。したがって著者は、「一二〇六年のチンギス・ハーンの即位に始まったモンゴル帝国は、現代の世界にさまざまの大きな遺産を残している。実にモンゴル帝国は、世界を創ったのである」(第248頁)という「モンゴル帝国史観」を作り上げるわけです。「ヘーロドトスと『旧約聖書』、『ヨハネの黙示録』に由来する地中海=西ヨーロッパ型の歴史の枠組みと、『史記』と『資治通鑑』に由来する中国型の歴史の枠組みをともに乗り越えて、単なる東洋史と西洋史のごちゃ混ぜでない、首尾一貫した世界史を叙述しようとするならば、とるべき道は一つしかない。文明の内的な、自律的な発展などという幻想を捨てて、歴史のある文明を創り出し変形してきた、中央ユーラシア草原からの外的な力に注目し、それを軸として歴史を叙述することである。この枠組みでは、十三世紀のモンゴル帝国の成立までの時代は、世界史以前の時代として、各文明をそれぞれ独立に扱い、モンゴル帝国以後だけを世界史の時代として、単一の世界を扱うことになる。これを実行するためには、二つの歴史のある文明が、これまでに自己の解釈、正当化のために産み出してきて、歴史家が自明のものとして受け入れてきた概念や術語を一度捨てて、どちらの文明に適用しても論理の矛盾を来さない、筋道の通った解釈を見つけだすことが必要である。こうした単一の世界史の叙述は決して不可能ではない。この『世界史の誕生』は、そうした叙述の最初の試みである」(第271~272頁)。自分は、この歴史解釈で描く世界史には否定的で、結局、資料が明確になく因果関係があやふやなまま、モンゴル帝国が歴史を作ったという新しい歴史観の焼き直しを行っているだけではないか、と思ってしまします。しかも、その歴史観で歴史を叙述しても、「世界のつながりを描く視点が遊牧民に偏る」「叙述がユーラシア大陸に偏る」という狭い視点で描かれてしまい、不十分な歴史叙述になってしまうと見ています。ですので、本書の指摘には、否定的な見方をしてしまいますね。本書の問題意識が文明と文明のつながりを描くというのであれば、「遊牧民」を中心に歴史を解釈するよりも、「人と人をつなぐ種々の結びつき」という視点で歴史を叙述していくマクニールの『世界史』の方が、包括的な視点で歴史を叙述できているので、概念的に上位であるな、と考えます。批判的な書評となってしまいましたが、歴史解釈に関しては、本書の指摘は甘いように感じました。ただし、世界史理論の構築という大業な視点でなく、モンゴル帝国が世界史に大きな影響を与えた、という理解で読むならば、有意義な読書であったかな、と思います。


『世界システム論講義』  
2016 ちくま学芸文庫  著者 川北稔
世界観の形成 5  実践への影響 2
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書評
「世界システム論」とは、ウォーラーステインが提唱した「近代世界を一つの巨大な生き物のように考え、近代の世界史をそうした有機体の展開過程としてとらえる見方」(第21頁)です。本書は、平易に世界システム論を解説してくれています。歴史には、様々な見方があります。その中でも、無意識のうちに取られてしまっている見方が、「単線的発達段階論」です。これは、歴史の主体は国であり、国の発展のコースはすべて同様で、各国が競争しているかのように理解をしていく歴史の見方。イギリスや日本は先進国。アフリカや東南アジアの国々は発展途上国。どの国も先進国を目指しているが、発展途上国はまだそこには届いていないというような歴史の見方です。先進国と発展途上国という言葉。先に進むということは、後から来る国があるということ。発展途上ということは、最終的には発展が待っているということ。先進国・発展途上国という語句はよく使われますが、知らず知らずのうちに、「単線的発達段階論」的な歴史の見方が刷り込まれてしまっている感じも受けます。しかし、「世界システム論」では、上記のような歴史の見方はとりません。「近代の世界は一つのまとまったシステム(構造体)をなしているので、歴史は「国」を単位として動くのではない。すべての国の動向は、「一体としての世界」つまり世界システムの動きの一部でしかない」(第26頁)。例えば、西欧の工業化とアフリカの貧困化を見る時に、「単線論的発達段階論」では、西欧が最初に工業化しただけであり、アフリカは資本など工業化の準備が整えば、いつかは西欧と同様、工業化ができるという風な捉えになりがちです。しかし、「世界システム論」の場合は、「西欧の工業化のためには、アフリカにおける原材料の大量生産が必要で、西欧の工業化がアフリカの貧困化を促した」といった「であるがゆえに」という因果関係に基づいた見方をとります。このように、ある地域の発展のために、実はある地域では低開発が促され、その因果のシステムが全世界規模で成立したのが近代であるという見方が、「世界システム論」です。「近代の世界システムは、いわゆる大航海時代の後半に、西ヨーロッパ諸国を「中核」とし、ラテンアメリカや東ヨーロッパを「周辺」として成立した。以後、この巨大な生物は、十九世紀のように激しく成長・拡大する時期と、十七世紀のようにむしろ収縮気味の時期とを繰り返しつつ、地球上のあらゆる地域を呑み込んでいった。ロシア史上、西ヨーロッパの文化を取り入れたとされるピョートル大帝の時代は、世界システム論からいえば、ロシアがこのシステムに組み込まれたことを意味するにすぎない。我が国の開国・維新もまた同じである。今日では、地球上にこのシステムに組み込まれていない地域は、ほとんどない。世界システムの「中核」とは、この世界的な規模での分業体制から多くの余剰を吸収できる地域であり、工業生産を中心とする地域でもある。これに対して、「周辺」とは、食糧や原材料の生産に特化させられ、「中核」に従属させられる地域のことである」(第28頁)。上記の内容の実証は、本書で丁寧に為されているため、それは置いておきます。自分は、マクニールの『世界史』もそうだし、『銃・病原菌・鉄』もそう。『サピエンス全史』も『世界の多様性』もそうなのだけれど、この「世界システム論」のような、巨視的な歴史の見方が本当に好きだなぁ。後は、この「世界システム論」を念頭において授業するにあたって気をつけなければいけないのは、「想い先行型」の歴史観に陥らないことだと思っています。例えばアフリカの貧困問題。「世界システム論」的な見方をすると、「日本などの先進国が豊かさを教授しているために、アフリカが貧困化している」という因果関係の図式を取ることになります。すると、「あぁ、アフリカの問題に対しても、自分たちができることってあるかもしれない」と思えるようになる。生徒たちの主体性のスイッチを押せるということです。しかしながら、「本当にそうなのか」という部分を、見極めて授業しなければならないと思うわけです。「世界システム論」的見方を使えば、アフリカの貧困に限らず、中東の難民問題も、ミャンマーのロヒンギャ問題も、中国のPM2.5の問題も、北朝鮮の核開発も、基本的にすべての問題は「世界システム」の問題であり、その「世界システム」には日本が関わっているという論理立ても可能。授業者であれば、そういった論理立てをして、「自分たちにできることがあるかもしれない」という切実な想いや「全部自分たちの生活に繋がっていて面白いな」という興味関心を高めるように授業を設定したくなってしまう。一歩立ち止まらないと、「想い先行型」の授業となってしまい、事実が置いてかれてしまうことが有り得るのが、「世界システム論」を参考にした授業構成だと思うのです。この理論を背景にして授業を実践する場合、相当な教材研究を通してやらなければ嘘を教えることになってしまうという認識を持つ必要があると思いました。まだまだ「世界システム論」については本書を読んだだけ。ウォーラーステインの著作もいつかは読まなければいけないな、と思っています。


『歴史は実験できるのか』  
2018 慶應義塾大学出版会  編著 ジャレド・ダイアモンド ジェイムズ・A・ロビンソン 訳者 小坂恵理
世界観の形成 5  実践への影響 5
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書評
なぜ本書を購入したかというと、本書の題名が、最近の自分の疑問意識に真っ直ぐ直結するものだったからです。ここ最近、授業づくりの段階でいうと、自分は、ワークショップを強く意識しています。その中でも大きく影響を受けているのが「科学者の時間」の実践。「科学者の時間」とは、子どもたちが疑問をたくさん作った後、科学者として自ら実験を考え、実践し、結果を考察するという、まさに小さな科学者として授業に臨んでいくという実践です。そんな実践を歴史の時間にできないかと考えた矢先に直面した問題。それが、「歴史は実験できるのか」でした。歴史で様々な問いを出すことは可能。しかし、その問いへの解答を導き出す作業って、調べ学習ばかりになってしまうのではないか。そしたら、知的な思考はほとんどなくて面白くないなぁと思っていました。工夫して思考して実験して、そんなことが歴史の問いにぶつかった時にできるといいなぁって。そんな時に出会ったのが本書です。「研究室の制御された環境で反復される実験においては、変化する要素を実験者が直接コントロールする。こうした形の実験はしばしば科学的方法の典型とみなされ、物理学や分子生物学の実験を行う際には、事実上これが唯一の方法として採用されている。原因と結果の連鎖を解き明かすうえで、このアプローチが比類なく強力であることは間違いない」(第7頁)。そう、科学に関わる分野は、この制御された環境で反復される実験を行うことができます。ただ、過去に関わる分野だと、その方法をとることは不可能になります。過去に戻ることはないため。では、過去に関する学問では、どのようなアプローチをとれば良いのか。それが、比較研究法です。「いま紹介したような歴史関連の学問では、自然実験あるいは比較研究法と呼ばれる方法がしばしば効果を発揮している。このアプローチでは、異なったシステム同士がーできれば統計分析を交えながら量的にー比較される。この場合、システム同士は多くの点で似ているが、一部の要因に関しては違いが顕著で、その違いがおよぼす影響が研究対象となる」(第8頁)。すなわち、実験ができない以上、似ている条件の地域や人々を比較することで、違いを浮きだすというアプローチを取るということですね。自分にとってはこれは大きな気づきで、確かに言われてみれば、客観的で正統なデータを出すには、非常に妥当な方法だよなぁ、と思うわけです。そして、歴史家としての実験の一つは、この方法に準拠すべきだなぁ、と思ったわけです。本書では、この比較研究法に基づいて、歴史的な疑問に挑戦している例が多数存在しています。例えばダイアモンドは、イスパニョーラ島の東にある豊かなドミニカと、貧しいハイチの違いの歴史的な理由を、比較研究法に基づいて、自然環境の初期条件と、ヨーロッパの植民地化した国の違いという撹乱条件の二つを軸に、描き出しています。同様に、太平洋の島々で森林破壊がおこった理由を、各島で異なる物理的環境の違いという初期条件と、人間の入植した時期や部族の違いという撹乱条件に触れて、描き出しています。ここで比較した島の総数は、81。大量です。ただ、量が多ければ多いほど、比較する場合は、データがたくさん得られ、客観的になるでしょう。2つの比較から「これが正しい!」と過度に一般化してしまうことは、恐ろしいことだなぁ、と思うので。こう書いてみると、本書の比較の特色は、最終的には初期条件という自然環境条件にまで話が及ぶこと。すなわち、地理的な条件が結局のところ、歴史を多かれ少なかれ左右するとうこと。自然環境決定論と揶揄される時もありますが、撹乱条件も大きく取り上げていますし、分析が丁寧に行われているため、自分は、説得力を持ち得ていると思っています。そして、比較する場合は、できるだけ大量の事実を収集する必要があるということ。客観的な事実が少なければ、この研究は勝負にならないな、と思います。ただ、エマニュエル・トッドの『世界の多様性』も、その事実の総量がものを言う研究ですし、まずは歴史的事実、データをどれだけ集めるかが、歴史家としての大きな仕事の一つであることは絶対ですね。この比較研究法。歴史における実験なわけです。これから自分がデザインする歴史家の時間に必須となる考え方になろうかと思います。まずは、自分が比較研究法で歴史を分析してみる。練っていきたいですね。

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