絵画・文学・哲学等
2011年1月31日 0時35分31秒 (Mon) 未来人シラー

シラーといえば、まず思い浮かぶのが『ヴィルヘルム・テル』をはじめとした劇作ですが、彼は劇作以外にも多くの著作及び著述を残しています。この『美学芸術論集』は、「Ⅰ.カリアス書簡」「Ⅱ.人間の美的教育について」「Ⅲ.素朴文学と情感文学について」の三つの論説を集めたものになっています。私が特に注目したいのは「Ⅱ」においてシラーが述べている、人間の「遊び」行動についての見解です。ここにその中でも最も重要な箇所を抜粋したいと思います。
・・・結局一遍に打明けて言ってしまえば、人間は言葉の完全な意味で人間であるときにのみ遊ぶのであり、遊ぶときにのみ全き人間なのです。・・・(中略)・・・全き形態、完全に閉じられた創造は自己自身のなかにやすらい、住まい、あたかも空間の彼岸にいるように、譲歩も抵抗もありません。・・・(中略)・・・我々は最高の休止と最高の活動の状態に同時に置かれます。そしてここに、あの不可思議な感動が生じるのです。それを表現するのに、悟性はいかなる概念もなく、言葉はいかなる名もありません。
石原達二訳
この文をはじめて読んだときは、シラーの詩において最も有名な『歓びをうたう』(ベートーヴェンの『第九』にも用いられている)を読んだ時のような高揚感を感じたものです。もともとは、ウィニコットというイギリスの精神分析医について研究している中でこの著作に巡り合ったのですが、幸せな出会いでしたね。シラーの美についての思想(哲学)は、今後の世界にまだまだ生きる余地があると思います。ヘーゲルは「芸術の終焉」を宣言してしまいましたが、それを乗り越えていく可能性をここに私は見出すのです。固定観念における「芸術」の領域を、「人間」の領域をきっと拡大してくれるはずです。それは「人間」を再度獲得するチャンスでもあるのです。
私は学生時代、以上のシラーも含めて「美の哲学」について研究している時、ある教授に「それでそれが何の役に立つの?」的なことを言われた覚えがありますが、そんなことを言ったら、すべての学は意味を失うと思います。カントにしろ認知主義にしろ、そもそもが直接的にはなんの役にも立ってはくれないものです。しかし、本当の学(哲学)とは、自分自身こそが直面している問題を乗り越えていくうえで獲得しようとする「知」にほかなりません。「現在証明されていないものを証明しようとする試み」こそが哲学なのです。そして、究極的には、その証明が自分の求めているものであればあるほど、自分の言葉でしか語り得ないものなのです!後生、誰かさんの説をいかに肯定するかにばかりかまける、または既成の説を新興宗教のように広めていこうとするだけでは本末転倒だと思うのです。日本の大学(とくに文系)の危うさは、多くの教授のこうした矛盾的・消極的態度にあると断言します。彼らの多くが自己自身の「基礎づけ」のない椅子に腰かけたままでいます。
・・・まあちょっと論旨がずれましたが、このシラーの思想から新しい何かを紡ぎだすことができれば素晴らしいな、と私は考えています。また、これからの日本の大学生には、どうか自分の意志を貫いて学を極めていってほしいな、と思います。
追記:18世紀のドイツに生きていたシラーがこれだけ現代的(未来的)な感性を持ちえた理由のひとつに、彼が夜型人間だったことが挙げられます。シラーが創作活動を行うのは必ず夜中で、机の引き出しに忍ばせておいた腐ったリンゴの匂いを嗅ぎながらインスピレーションを働かせていたらしいです。コンビニはもちろん、電灯すらない時代ではありましたが・・・。基本的に健康なゲーテとは対照的ですよね。そこが彼の魅力でもあります。
2010年11月29日 10時02分07秒 (Mon) ハーフィズ詩集

ハーフィズの詩の中でよく使われる言葉に「秋波(しゅうは)」という言葉があります。「美人の涼しげな美しい目元。また、女性の媚びを表す色っぽい目付き。色目。流し目」を意味する言葉です(原詩ではなんという言葉を用いているのかわかりません)。恋人の美しさを称賛するのに何度もこの「秋波」が出てきます。おかげで私は『秋波』というタイトルの美女のイラスト集があったら買おうとさえ思ってしまいましたf(^ 3^) ゲーテも『西東詩集』において使っています。
そんな『ハーフィズ詩集』から、私のお気に入りの詩を紹介します(抒情詩の一六四から)。
朝の微風の息吹きが麝香を振り撒くと
老いた世界がふたたび若返ろう
はなずおうは紅の祝杯をジャスミンに与え
水仙の目はアネモネを見つめよう
別離の悲しみに虐げられた夜鶯は
叫びながら薔薇の王宮に入ろう
私が寺院から酒場に行っても咎めるな
説教の時間は長くて時間がかかろう
心よ、今日の快楽を明日に延したら
生命の元手をだれが保証してくれよう
シャバーン月に酒杯を手から放すな
この太陽はラマザーン明けの祭の夜まで隠れよう
薔薇は可愛い、それとの交りを恵みと思え
花園にこちらから現れ、あちらへ去っていく
楽師よ、親交の宴だ、恋歌を歌え
いつまで過去と未来を語るのか
ハーフィズはそなたのために存在した
歩を運び彼に別れを告げよ、彼は去るだろう (黒柳恒男 訳)
・・・というわけで、春の訪れと生の喜びと儚さを一度に謳い上げた、すがすがしい詩でした。
2010年11月5日 17時11分22秒 (Fri) 西東詩集

この詩集において、ゲーテはイスラムの詩人ハーフィス(ハーフィズ)を讃えています。自分と同じように、愛を賛美しきる詩人に深く共鳴したのでしょう。まあ、この人たちにとっての「愛」は、凡人のそれというより、強烈な初恋のような、脳内スパーク状態のことをいっているんだと思います。普通の人間だったらいずれ冷めるか、耐え続けることのできない状態を、この天才たちは求め続け、そしてそれによって成長し続けているのです(!)
もちろんハーフィスはイスラム教徒であり、キリスト教プロテスタントのゲーテとは異なる文化に生きていた詩人ですが、そこをこだわらずに、イスラムの教えごと讃えているゲーテは凄いです(このあたり、アメリカのブッシュ前大統領にも見習ってほしかったです。ゲーテは当時のヴァイマル公国の宰相を務めていたこともありました・・・)。東洋思想に深い興味を持ったヘッセにさえ、キリスト教の色濃さを私は感じるのですが、ゲーテの場合、いわゆる「キリスト教らしさ」を感じません。それはこの人の大きな特徴です。『ゲーテと仏教観』という書籍がありますが、自然の変幻を客観的に観照する態度は確かに仏教のそれに通じるものがあります。宗教を超えた視点をもつ人であったということができます。
せっかくなので、とくに素晴らしい詩を紹介したいと思います。この詩集に収録されている「天国の書」から、「より高きものといと高きもの」の抜粋です。
・・・(略)・・・
かくて、協音も楽音も、それぞれに、
その言葉より離れ去るのは自明のことわりだ。
かくて、天国の光を享けた者は、まさりて戴然と、
自分が無限のものであることを感得する。
こうして、五つの感覚も、
天国にはまたあらかじめ備わっている。
だが、疑う余地のないのは、これらすべての代わりに、
ただひとつの感覚が与えられることだ。
かくてわたしは、前よりも軽快に、
久遠の境を到らぬくまなく巡り歩く。
さて、この境は、純にも生気あるさまに、
神の言葉によって満されている。
そこでは、熱き衝動は、妨げを受けることはなく、
またその終末を見いだすこともない、
久遠の愛の観照にひたりながら、
この身が漂い消えるまで、消え失せるまで。 (奥津彦重訳)
・・・この「天国の書」を作ったからこそ、ゲーテは『ファウスト 第二部』を完成させることができたのです。ファウストが昇天した後の世界観は、まさにこの「天国の書」の世界観だからです。ゲーテが好きになった人は、是非ドイツ語を勉強してゲーテの原詩を読んでみてください。そのバランス感覚に陶酔するはずです。私もまだまだ勉強半ばではありますが・・・。
プロフィール
- ニックネーム
- tana
- 性別
- 男性
- 自己紹介
- はじめまして。tana(ターナ)と申します。
ボーカロイドを用いた楽曲をはじめ、シンセ・ポップ、テクノ、アンビエントなど、電子音楽を幅広く制作しています。ジャンルを横断しながら、音の質感や空気感を大切にした作品づくりを行っています。 - 好きなアーティスト
- ブライアン・イーノ、クラフトワーク、ピンク・フロイド、ブラック・ドッグ、デヴィッド・ボウイ、エリック・ドルフィー、バッハ、シューベルト、ジャン・クリストフ、初音ミク等。
- 注意事項
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