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哀しき血脈

第二章
闇の中

 五芒星の中心にある部屋の中、一人の男がパソコンの画面に見入っている。そこには河原で見つかった浅田美緒の画像が何枚も映し出されていた。手足を縛られ気丈にも男に敵意をむき出している顔、恐怖に震え命乞いをする顔、死に至り鬱血した顔、顔、顔…。
 男はそれらの画像を満足げに見つめていた。
 ついに自分は力を手に入れたのだ。
 自分を見下してきた者達に復習が出来るほどの力を手に入れたのだ。
 さぁ、ゲームを始めよう。
 男は不気味に嗤った。
 パソコンの脇の壁には何人もの人物の写真が貼り付けてあった。皆、彼を見下してきた者達だった。それらは明るく笑い、自らの生を楽しんでいた。その陰で消せることのない傷を負った者がいることなどまるで考えていないようだった。
 男は一枚一枚の写真に映し出されている若い女性達に激しい憎悪の視線を投げた。彼女たちは男が力を持ったことをまだ知らない。知らないが故に無防備に生活をしている。だがそれももう終わった。逆位置の五芒星が完成した今、男に恐れるものはなかった。もうルールに縛られることもない。これからはこいつらの命を自由に出来る。こいつらをひれ伏させることが出来る。
 男は写真に写った女性達の目を鋭い針で貫いていった。
 その部屋の片隅に何か蠢くものがあった。
 暗い部屋の中、ディスプレイの光に映し出されたそれは身体をくねらせていた。
 長い髪、整った顔、豊かで若い胸、青白い肌。それは男が描く理想の女性像だった。
 それが人間であったとしたなたならば、だ。
 だが、それは人ではなかった。
 上半身は理想的な女性像であったが、下半身は異なっていた。そこには太く長い蛇の胴体があった。
 それは艶めかしい視線を男に送っていた。
「次はどの女にするんだ?」
 それは男に近づいて言った。
 艶めかしい視線が男の身体に絡みつく。
「そう焦るなよ、ラミア。今決めるから」
 男はそれに向かって答えた。
 男にラミアと呼ばれた『もの』は絡まり合った蛇の下半身を解いていく。熱い吐息を男の首もとに吹きかける。
 男は一瞬恍惚の表情を見せて一枚の写真を摘み上げる。
「この娘でどうだ?」
 男の差し出した写真をラミアは舐め回すように見つめた。実は力を持ったといっても男の自由に相手を襲うことまでは出来なかった。ラミアの好みに合わなければならなかった。そのために男はラミアに写真を見せたのだった。
「前の女より若いな…」
 ラミアは満足そうに舌なめずりをした。それの唇の端から滴る唾液が写真の女を濡らしていく。
「いいだろう、気に入った」
 ラミアは解いた下半身を再び絡め合わせ、鎌首を擡げるように女性の上半身を起こした。
「それでは捕らえてこよう」
 そう言うとラミアの身体が闇に溶け込んでいった。

 二十一時…。
 駅から吐き出される人の群れに紛れて、金井美砂は駐輪場に向かった。
 定時制高校に通うのも今年で四年目、自分でもよく続いたものだと彼女は思い、溜息をついた。
 高校受験に失敗し落ち込んでいたときに担任の教師から知らされた進路が今日までの彼女を育ててきた。
 昼は花屋の店員として働き、夜は学生として過ごす。そんな生活を三年間つとめてきたが、思っていたよりも彼女はこの生活が好きになっていた。生きているということが実感できるからだった。
 明日は久しぶりの休日だった。
 定時制の友人と映画にいく予定を立てていた。友人たちとは職場の休日の関係上、なかなか休日をともに楽しむことができない。そんな中での休日だった。待ちこがれていないはずはなかった。
 美砂はピンクのスクーターからヘルメットを取り出すとエンジンをかけた。五十cc二ストロークのエンジンは眠たそうに起動した。
 ふっと吐いた息がヘルメットのシールドを内側から曇らせる。春とはいえ夜はまだ肌寒いのだ。
 美砂はスロットルを断続的に開き、駐輪場を後にした。
 この時間、通りを走る車は少なくなりつつある。夕方の自動車通勤の人たちの車はほとんどなく、都会から来るタクシーの群れが現れるには時間がまだ早い。美沙は走りやすい道をキープレフトを守ってスクーターを走らせた。
 街の街灯がゆっくりと後ろに跳んでいく。家までは十分ほどの距離だ。
 美沙の気持ちが緩む。
 そのとき、美沙は背後に誰かの視線を感じた。
 速度を緩め、振り返っても誰もいない。
 美沙は首を傾げ、再びスロットルを開いた。
 二サイクルエンジンの音が甲高くなる。速度が三十キロを大幅に超えていく。
 それでも気配が消えることはない。いやむしろ近づいてくる。
 ズズズズズ、何かが地面を引きずる音が次第に大きくなる。
 恐怖が美沙の背筋を這い上がってくる。
 呼吸が乱れ、早くなってくる。
 冷たい汗が背筋を伝う。
 ひゅっ、何かが風を切り、美沙のスクーターが弾き飛ばされる。
 美沙の身体が路上に叩き付けられる。
(…!)
 酷く擦った痛みが身体を走る。
 ジーンズが破れ、剥き出しになった膝から血が流れる。
(痛ぁい)
 美沙は傷ついた足を引きずりながら倒れているスクーターに向かう。
 周囲に割れたガラスとプラスティック片が散らばっている。どうやら一度空中を舞い路上に叩き付けられたようだ。
 いつもなら疎らではあるが車の通行があるところなのに、今は一台の影すら見当たらない。
 何かが変だ。美沙の心が警鐘を鳴らす。
 そのとき、何かが足下から迫り上がってきた。
 美沙の足が凍り付いたように止まる。
 彼女の瞳が目の前に現れた『もの』に釘付けになる。
 それは裸の若い女だった。
 長い髪が豊かな胸の一部を隠し、青白い唇が微かに嗤う。
 だが、何かが変だった。
 女の身体が僅かに揺れているのだ。
 前後に、左右に。まるで支えるものを失っているようにゆっくりと揺れていた。
 美沙の視線が恐る恐る女の下半身に移動する。そこにはおよそあり得ないものがあるのを美沙の頭脳は認識した。
 そこには太くて長い蛇の胴体があった。
 美沙の頭脳は激しい警鐘を鳴らした。しかし彼女の身体は動かず、声を発することも出来なかった。
 その瞬間、蛇の胴体が美沙の身体に巻き付き、女の身体が美沙を艶めかしく抱きしめた。
 そして二つの影は闇の中に消えてしまった。 
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