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哀しき血脈

第二章
運命

街外れにある寺の境内。
 本堂に続く階段に腰掛けて啓介はぼんやりと考え事をしていた。考えていることは美鈴のことだった。
 あのとき、『紅い菊』に変わった美鈴を父の命の通りに滅ぼそうとした。だが『紅い菊』は自分を滅ぼそうとするならば宿主である美鈴の命も絶つことになると言った。そのために啓介は手にしていた剣を振り下ろすことが出来なかった。
 啓介は幼い頃から知っている美鈴を憎からず思っていた。物心ついた頃から美鈴は啓介の傍にいた。一緒に遊び、笑い、泣いてきた。 最初はただの遊び友達だった美鈴がいつの頃からか啓介の中で大きな存在となっていった。意識してどうこうということはないのだが、まるで空気のように美鈴がいないことを想像することが出来なくなっていった。
『紅い菊』を討つということは、そういう存在の美鈴を失うことを意味していた。
 啓介は背負わされた運命と自らの感情の板挟みになっていた。誰かに押しつけてしまえるのならば、そうしたいとさえ思っていた。 だが、それは出来なかった。
 啓介の持つ『破邪の剣』は使い手を選んだ。剣自身が納得を得た使い手でない限り、あの青い光を発することはなかった。
 その剣が啓介を選んだのだ。
 それ故に彼はその運命を放棄することは出来なかった。
 古から『紅い菊』は災いを呼ぶといわれてきた。それが出現したことによって滅ぼされた集落は数知れずあった。
『紅い菊』は『もの』の気を吸い、その邪なエネルギーを自らの中に蓄積していく。そして、それが限界に達したとき、『紅い菊』は暴走を始める。その暴走によって人々が滅ぼされるのだ。
 啓介は自分の運命を呪った。
 彼が美鈴に抱いている想いは『恋愛』と呼んでも良いものだった。
 あの時支えた美鈴の身体は軽かった。
 あのとき抱いた美鈴の肩は細かった。
 そんな彼女が魔性のものをその中に棲まわせているとは考えられなかった。
 彼女の変異した姿を見ていたとしても…。 啓介は手近にあった小石を拾うと軽く放り投げた。小石は弧を描いて宙を飛び、敷き並べられている小石を弾き飛ばして地に落ちた。
 不意に背後に気配を感じて振り返るとそこには父、榊健三が立っていた。
「何を考えている?」
 父の低い声が啓介の耳に届く。
「別に、何でもいいだろう」
 啓介は視線を前に落とす。
 健三はそんな啓介の隣に腰を下ろすと彼の顔を覗き込んだ。
「美鈴ちゃんのことだな?」
 啓介は図星を突かれて父から視線を外す。
「『紅い菊』が美鈴ちゃんではないかということは以前からわかっていた…」
 父は意外なことを口にした。
「『紅い菊』は一定の期間をおいてこの世に現れる。今がそのときなのだが、彼女の母には現れなかった…」
「それで美鈴なのか?」
「そうだ、これまであれが現れないことはなかった。そして彼女の一族ももう少なくなっている」
「一族の他の者に現れればいいじゃないか」
「一族で女児は彼女だけだ」
 健三が冷たく断言する。
「それじゃあ何であの親子はこんなに近くに住んでいるんだ?」
「それが掟だからだ」
「掟?」
「そうだ、あの一族は古から我ら一族が監視してきた。『紅い菊』を迎え撃つために…」
 それでは美鈴の一族は救われないではないか。啓介の胸の中に怒りが沸き上がってきた。
「彼女らもそれはわかっている」
 健三の目は宙にある何かを追っていた。
「お前はこのところ『もの』が引き起こしていることは偶然だと思っているか?」
 不意に向けられた父の疑問に啓介はどう答えればいいのかわからなかった。
「あれは偶然ではない。『紅い菊』が周囲の『もの』を呼び寄せているのだ。自らが完全に覚醒するために」
 啓介はそれを聞いて愕然とした。
 彼が使命を達成しなければ遠くない時期に美鈴は『紅い菊』となり、暴走するのだ。
「もはや時間はない。お前があれを討てなければ一族の他の者があれを討つだろう。『狩人』の称号を持つ者達がな」
 父は冷たく言い放つと本堂の中に去って行った。

 夕暮れの街角を黒いSR400が走り抜けていく。その大排気量単気筒の爆音があたりに響き渡っている。
 SRを操る男は美しが丘署の前にバイクを滑り込ませるとサイドスタンドを立ててエンジンを切った。黒いヘルメットを右のバックミラーに被せると美しが丘署の自動ドアをくぐった。
 黒いサングラスに受付の若い女性の姿が映る。彼は他を見ることもなくその女性に近づいた。
「刑事課の小島さんはいるかな?」
 男はサングラスを外す。
「お約束でしょうか?」
 若い女性は愛嬌のよい笑顔を振りまいて応える。
「いや、無いんだが、横尾雅也がきたといえばわかると思う」
 横尾はカウンターに肘を突いて辺りを見回した。広間になっている片隅では運転免許の更新の人たちがテレビ画面に映し出されているビデオ映像を見つめている。
 若い女性は内線電話を刑事課に繋ぐと小島の所在を確認した。
「横尾様?」
 若い女性の澄んだ声がホールに吸い込まれていく。横尾は不意を突かれたように彼女の方に振り返る。
「小島は生憎出ておりまして、いつ戻るかはわからないそうです」
 若い女性は申し訳なさそうに言った。
「そう、それじゃあ言伝を頼もうかな」
 横尾はそう言うと黒い革ジャンのポケットから一枚の紙片を出し、そこにボールペンで何かを書くと若い女性に渡した。
「宜しく頼むよ」
 横尾はそれを渡すと美しが丘署を後にした。 横尾はフリーランスのライターだった。数年前までは大手新聞社の記者だったが、あることをきっかけとして今の身分になった。主にオカルトめいた記事を書いている。
 それには理由があった。
 彼は妻と一人息子を失っていた。
 それも無残な形で…。
 あるとき帰宅した横尾を待っていたのは血まみれの室内と引き裂かれた家族の死体だった。部屋の鍵は全て内側から掛けられ、完全な密室状態であった。
 その中で何があったのかはわからないが、血塗られた部屋の壁にはおよそ人間のものとは思われない爪で引き裂かれた箇所がいくつもあった。
 そして彼の家族の遺体には内蔵がなかった。
 警察はこの残忍で不可解な事件に戸惑いながらも捜査に当たったが、未だ犯人に繋がる有力な情報さえ手にすることが出来ないでいた。そのときの捜査員の一人が美しが丘署に来る前の小島だった。
 横尾はこの事件のショックから立ち直ることが出来ず、職場を去ることになった。
 それでも彼の心の傷は癒えることがなかった。それどころか、幻聴や幻覚に悩まされるようになっていった。そこで聞こえるはずのない声が聞こえ、そこで見えるはずのないものが見えるようになってきたのだ。それらは口々に彼を死に誘い、彼を怯えさせた。
 統合失調症と診断された彼はそれから二年ほど入院生活をする羽目となった。当初は鉄格子が嵌められ、トイレが仕切り板なしで一緒になった病室に入れられた。恐怖のあまり他者に危害を追わせるほどにまで悪化していたからだった。
 やがて彼は落ち着きを取り戻していったが、それと同時にこの世には存在しない筈の存在に興味を持つようになっていった。
 家族を奪った犯人はこの世のものではないように思えてきたからだった。
 退院後、彼はフリーランスになり家族を奪った犯人を追うためにオカルトめいた事件を追うようになっていった。だが、そのような記事は一般紙には受け入れられず、今は小さな出版社の専属記者のような身分になっていた。
 そんな彼が美しが丘に姿を見せたには、この一年で起きた事件が彼のアンテナに引っかかったからだった。
 拘留されていたシリアルキラーが拘置所内で自殺した事件、脳を失って死んでいた女子生徒の事件、それらは彼にこの場所が普通ではないことを告げていた。
 そしてこの死体遺棄事件である。
 この遺体から血液が抜かれたあとがあるという情報は既に横尾の手にあった。
 この土地には何かある。
 彼の勘がそう告げていた。
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