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ふるさとの抵抗

第三章
捜査

 キメラは目覚めた。深い森の中、誰も来ることのない場所で深い眠りに入っていたのだ。
 既に憎しみの一つは果たすことが出来た。その瞬間からそれは力を温存するために眠ったのだ。多くの生き物が息を吹き返す季節まで時が過ぎるのを待っていたのだ。
 しかし、眠っていたとはいえ流石に消耗していた。行動を起こすためにはあと少しだけ力の源となるものを吸収しなければならない。それはキメラにとって必ずしも心地よいものでもなかった。全く関係のない命を自らのものにするということだからだ。
 けれども、そんなことをいっている状態ではなかった。ただ単に存在を維持していくだけであれば、そのようなことは特に必要なことでもなかった。しかし、これから大きなことを起こそうとしているのだ。キメラの中に内在する多くの意志がそれを実行することを望んでいるからだ。それにふるさとを奪っていったのは人間ではないか。そのような存在に情けをかけることもない。キメラの中の多くの存在がそう告げていた。
 キメラは再び変化した。
 そして里山を下りて街の中に紛れていった。
 そこには多くの人間たちがいた。自らに危険が迫っているということなど考えもしないように全く無防備に…。
 キメラは獲物を物色した。
 出来れば老いた命よりも若いそれの方が良い。その方が生命の力に満ちており、自分により多くの力を授けてくれるからだ。だが、若すぎてもいけない。それらが持つ生命力はひたすらにその成長に使われてしまい、感情が不足しているからだ。適度に感情があり、若い生命力を持っているもの、それは発情期が始まった頃の人間だった。そして雄よりも雌の方が良い。雌は月の力に支配されており、雄よりもより神秘的な力に溢れている。そして何よりも生命体として完全な遺伝子を持っている。雄の遺伝子は欠けているのだ。
 キメラは望む年代の獲物が来るのを待った。息を潜めて待った。
 街は夕暮れ時。人間は群れをなしてキメラの前を通り過ぎていく。
 子供を前や後ろに乗せた自転車が走り、四つの車輪をつけた入れ物たちが走っていく。
 そんな中で、キメラは自らの要求に合致する人間を見つけた。
 それは栗色の体毛をしており、紺色の衣服をまとっていた。その傍らには雄が寄り添っている。
 雄が邪魔だ。何とか引き離すことは出来ないものか。
 キメラは考えを巡らせた。そして一つの答えを見いだした。
 キメラは全身に力を漲らせた。体の中心を走る骨に沿って力を外側に向けていった。キメラの全身の筋肉が大きく波打つ。やがてそれの体は体の中心を走る骨に沿って亀裂が入った。その亀裂は次第に広く、大きくなっていった。そして、キメラは二つになった。
 二つに分かれた片方のキメラには背中から大きな羽が生え、もう一方のものからは無数の触手が生まれ出た。仮に羽の生えたキメラをキメラ1と呼び、もう一方をキメラ2と呼ぶことにしよう。
 キメラ1は大きく羽ばたき、目の前を歩いて行く二つの人間の上を飛んだ。
 キメラ2は、物陰からその様子をじっと伺っていた…。

 佐枝はいつものように義男とともに家路を歩いていた。告白して以来、二人はこの行動様式を続けている。季節は移り変わり、二人の前には進路という分かれ道が控えている。ともに同じ道を歩むために義男は度々佐枝の家を訪ねていた。成績の面では佐枝の方が勝っているからであった。だが、美鈴を始め周囲の者はそんな二人を堂々と冷やかしていた。
 ひやかす輩は好きなようにさせておけばいい。それは義男がいつも佐枝に対して言っている言葉だ。佐枝はそんな義男を心強く思っていた。
 ただの幼なじみからより近い存在となったとき、二人の絆はより近いものとなっていた。既にお互いの一方が欠けてしまうことなど考えることが出来ないほどに成熟していた。だが、肌の触れ合いはまだ手を繋ぐだけであった。そのことを佐枝は最近不満に思っていた。もう少し近い存在になってもいい頃なのではないか、佐枝はそう考えるようになっていた。
 佐枝のそんな思いを知ってか知らずか、義男の態度は相変わらず変わらなかった。
 この意気地なし、佐枝は時々心の中で義男のことをそう呼んでいた。
 二人は公園の裏手の道に差し掛かった。
 このときとばかり、佐枝は思っていることを口に出す決心をした。
「ねえ、義男?」
 その声は少し震えていた。
「何だよ」
 頭の上の方から義男の声が佐枝の耳に届く。
「私達ってさ、付き合ってどのくらいになる?」
「そうだな、一年と半年っていうところじゃないか?」
 義男の答えは素っ気ない。
 もう、この男ときたら…。
「それだけ付き合っていて、私達まだ手を繋ぐだけ?」
 佐枝がそこまで言って、義男はやっと彼女が何を言おうとしているかに気がついた。
 不意に義男の言葉が止まる。繋いでいた手を離し、その手で佐枝の肩を抱いた。
 佐枝の耳に義男の鼓動の音が聞こえる。
 それは高鳴っているようだった。
 公園の裏手の道は人通りが少ない。家もほとんど建っていない。
 義男はふと歩みを止めて佐枝の方に向く。あいているもう一方の手も佐枝の肩に触れる。
 佐枝は自然と良に瞼を閉じる。
 二人の顔が近づいていく…。
 そのとき、義男は頭上から甲高い叫び声と羽ばたく音を聞いた。そして次の瞬間、後頭部に激痛を感じ、地面に叩きつけられてしまった。
 佐枝の叫ぶ声が辺りに響く。
 義男は立ち上がり、佐枝の前に壁のように立ちはだかる…。
そこへキメラ1が急降下してくる。
 擦れ違いざまにキメラ1の鋭い爪が義男の皮膚を引き裂く。
 もんどり打ちながらも義男は体勢を立て直して佐枝に向かって叫ぶ。
「佐枝、逃げろ!」
「でも…」
 必死で攻撃をかわす義男をみて佐枝は逃げることを躊躇する。
 だが、義男はそんな彼女に向かってもう一度叫ぶ。
「何しているんだ。俺のことはいいから早く逃げろ!」
 義男の言葉に従い、後ろ髪を引かれながらも佐枝は彼に背中を向けて走り出そうとした。しかし、それは出来なかった。
 佐枝の行く手をキメラ2が牙をむいて立ちはだかっていたからだった…。

 空の高いところ、九朗は翼をいっぱいに広げて暖かい空気の中を漂っていた。日の光は柔らかく彼の白い体を照らしている。近くでヒバリの声が聞こえている。
 彼はこの季節が好きだった。ゆったりと眠気を誘うような空気、それは冬の指すような風とは異なり、彼の羽毛の間を擦り抜けていくからだった。
 ここから下界を見下ろすとこの街の様子が良くわかった。ベッドタウンとして開けてきた街とはいえ、まだまだ里山や田畑は残されている。しかしそれらは削られ、埋め立てられて、人間たちの巣である高く四角い建造物に変わっていく。狭くうねっていた道はその幅を広くさせられ、まっすぐな道へと変わっていく。それはきっと人間たちにとっては住みよい塒(ねぐら)なのだろう。しかし、古くからそこに住み着いてきた他の生き物たちにとって果たしてそうといえるのかどうか。人間たちの手によってふるさとと呼ばれるものは急速に失われていく。それが果たして良いことなのか、九朗にはわからなかった。
 これまで出来る限り人の手には頼らないで生きてきた九朗であったが、今は『紅い菊』という人間の、精神的な存在の使い魔として生きている。この生き方もまた、人の手に落ちた生き方ではあるまいか、その生き方はあり得るのだろうか、九朗は自問自答していた。
 そんなとき、遙か下界から人間の雌が発する甲高い叫び声が九朗の注意を引いた。
 彼はその方向に目をやった。
 するとそこには見たこともない翼を持った生き物が人間の雄を襲っているのが見えた。
 そして、その傍らに叫び声を上げたと思われる人間の雌がいた。
 九朗はそれらがよく見えるように高度を下げていった。
 そうして人間たちの顔立ちが判別できる高度にまで来ると、その人間たちが『紅い菊』の知っているものであることがわかった。
 九朗は急降下をして翼を持った生き物に向かって突き進んだ。
 そして、そのイメージを『紅い菊』に送った。

 碧眼の黒猫、魔鈴はいつもの日課である縄張りの確認を行っていた。
 塒(ねぐら)である美鈴の部屋を出て周囲1キロメートルほどを歩いて回る行為だった。
 そうしている中で数軒の民家を訪れ、そこにいる人間たちを確認して回る。これもまた縄張りの異常を見つける大事な行為の一つだった。それは決して急ぐことはないものだった。何しろ魔鈴にとって時間は十分にあるのだ。ゆっくりと彼女たちのためにあるようなキャットウォークを歩いて行けばいいのだ。
 途中、この辺りを取り仕切っている同族の長に出会った。彼は今日も春の日差しを全身に浴びてうつらうつらしている。かれこれ十歳を超えた彼には眠ることが仕事のようになっていた。それでもまだ長でいられるのには理由があった。彼にはいわば徳というものがあったのだ。弱気ものを助け、それを害するものと身を挺して戦うという姿勢が彼を今の位置に座らせていた。若いときの彼にはかなりの武勇伝があった。魔鈴もこの土地に来たばかりの頃に他の同族たちからよく聞かされたものだった。それ故に彼女もこの長には一目を置いていた。
 魔鈴は長に軽く会釈をすると公園の方に足を向けた。
 そのとき、人間の雌の叫び声が空気を切り裂くのを聞いた。
 何かが自分の縄張りを汚そうとしている。そう感じた魔鈴は声のした方に向かって駆けだした。
 そこには人間の雄と雌とがそれぞれ一個体づついた。
 そして、その個体を翼の生えた獣と触手を生やした獣が今にも襲いかかろうとしていた。
 魔鈴は足音を立てずにそれらに近づいていった。
 そして人間たちの顔を見た。
 それらの個体は『紅い菊』の見知った個体たちだった。
 魔鈴は触手を生やした個体の向かって鋭い爪を出し、牙をむいて走り出した。
 そして、そのイメージを『紅い菊』に送った。 

「…!…」
 突然二つのイメージが同時に美鈴の脳裏に送り込まれてきた。
 学校からの帰り道、啓介と共に歩いていたときのことだった。
 一つは空中戦のイメージ、もう一つは地上戦のイメージだった。
 普段九朗と魔鈴は別行動をとっているので、二つのイメージが同時に伝えられることはまずなかった。それが今、二つのイメージが伝えられている。
 それぞれ見たこともない生き物と闘っていた。そして、その近くに佐枝と義男の姿が見て取れた。
 恐らく魔鈴と九朗はこの二人が襲われているところに出くわしたのだろう。それで闘う羽目に待ったのだ。
 美鈴は瞬時にそう判断して、彼らが闘う場所へと駆けだした。
 走っている内に彼女の髪は逆立ち、瞳は紅く燃えだした。そして彼女が変化して行くにつれて走る速度が増していった。
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