ふるさとの抵抗
第四章
ふるさとの抵抗
青く光る瞳を持った少年が走っていく。
その手には青白く光る剣が握られている。
そう、それは『伝承者』として目覚めた啓介の姿だった。既に彼の中には迷いはなかった。彼の存在はただ『紅い菊』を滅ぼすためにだけそこにあった。
剣は語った。
既に『紅い菊』は、その宿主の力を凌駕し、外の世界に解放されつつあると。そして、その先には『紅い菊』の人類に対する巨大な敵となる姿があることを…。
『伝承者』として目覚めた啓介は一刻も早く『紅い菊』を滅ぼすために、彼女の向かう先へと走っていた。その速度はとても人の出せるものではなかった。通常は封印されている人間の力を全て解放しているようだった。そのために彼を止めるものは何もなかった。
啓介としての意識は完全に『伝承者』に支配されていた。心の奥の方に封じ込まれ、身動きさえ出来ない状況にあった。それは『紅い菊』が美鈴の意識を封じ込んでしまうことに似ていた。
どちらも自分の望んでいない未来へと突き進んでいた。
やがて『伝承者』は『紅い菊』の意識を捉えた。そして走る速度を更に上げていった。
田宮の持つライフルの銃口が横尾の頭を捉えている。背後ではキメラの触手が彼の動きを伺っている。
拳銃を弾き飛ばされた横尾は、それでも戦意を喪失もせずに田宮の勝ち誇った目を睨みつけている。彼はそれを楽しんでいるようだった。
「君はこの危機的な状況を楽しんでいるのかい?」
田宮の声が横尾の耳に届く。
「さあ、どうかな?」
横尾は打ち抜かれた肩を庇うように力なく立ち上がった。彼の拳銃は数メートル後ろに落ちている。武器といえるものを横尾は持っていないように見える。
田宮はゆっくりとライフルの銃口を横尾の心臓にあわせていく。彼の足下に小さな旋風が起きる。
「そろそろ終わりにしようか?」
田宮の指が引き金にかかる。
それを見ても横尾の態度に動じたところは見えない。それどころか笑みさえ浮かべている。
「お前さんは『狩人』というものをよく知らないらしいな」
そう言うと横尾はまだ無事な方の腕を田宮のいる方向に伸ばしていく。田宮の足下の旋風が次第に大きくなり、周囲の土簿頃を舞いあげ始めた。
「俺たちだって多少の修行は積んでいるんだ。だからこのくらいのことは出来るのさ」
横尾の言葉とともに旋風は突風となり、田宮の目めがけて土埃を舞いあげた。一瞬、田宮の視界が奪われた。その隙を突いて今度は弾き飛ばされた拳銃に向かって手を伸ばす。
「来い!」
横尾が念じると拳銃はまるで意志があるように伸ばされた横尾の手に収まった。横尾は次の瞬間、土埃の中の田宮に向かって数発発砲した。
しかし、彼の手は健常な状態ではなかったので銃弾の狙いは全て逸れてしまった。
「ちっ」
横尾は舌打ちをひとつ打つと横っ飛びにその場から移動する。するとこれまで彼立っていた場所に田宮の銃弾が弾ける。
既に田宮の周りにあった土埃は消えていた。
横尾は田宮に向かって更に銃弾を浴びせるが、利き腕ではない腕で撃っているために狙いは微妙にずれてしまう。更に田宮には横尾の銃弾の軌跡がわかるかのように、紙一重のところで全てを避けてしまう。
田宮のライフルが再び火を噴き、横尾の健常な方の肩を貫く。
横尾の拳銃が再び主人の下を離れる。
背後でキメラの触手が鎌首を持ち上げて横尾の体に狙いを定める。
「The Endだよ…」
田宮はそう言うと横尾の胸に狙いを定めたライフルに力を込めた。
その銃弾は真っ直ぐに横尾の体に向かい、その左胸を貫通した。
倒れた横尾の体めがけてキメラの触手が一斉に襲いかかろうとする。
そのとき、青い光が一筋、キメラの触手を照らした。
触手はその光にたじろぎ、その動きを止めた。
「誰だ!」
田宮はその光の差す方向に向かって叫んだ。
そこには丸いものをかざす一人の女の姿があった。
美里は手にしている銅鏡の狙いを次第にキメラの頭部へと移していく。青い光がキメラの右目を照らす。
キメラは叫び声を上げて後ずさっていく。
「貴様!」
田宮はそう叫ぶと美里に向かってライフルの引き金を引いた。
しかし、その銃弾は美里を捉えることなく、彼女の足下で弾けた。
「無駄よ、私にだって銃弾の軌跡くらいは変えられるわ」
美里は一時もキメラから神経を反らすことなく、田宮に向かって言った。
「だが二つを相手にはそれも厳しいだろう?」
田宮は静かに美里に狙いを定める。
そのとき、別の方向で拳銃の発砲音が響いた。田宮がその方向を見ると数台の警察車両と刑事達の姿があった。
「どうやらお前さんの相手は俺たちのようだぜ」
ニューナンブを空にかざして小島良が言った。それを合図に数人の刑事達が田宮を取り囲んだ。
「まいったね、気がつかなかった…」
田宮はライフルを捨てると両手を挙げた。
「けれども、僕は捕まらない…」
田宮の目が不敵に光るとキメラの触手が一斉に刑事達に向かって降り注いできた。
田宮を取り囲む刑事達の体制が崩れ、その隙を突いて田宮は走り出した。
「待て」
小島の拳銃が田宮の足を捉えようと火薬の弾ける音を発する。
しかし、その銃弾は空しく地面に弾けるだけだった。
小島をはじめとする刑事たちは目の前の怪物を見て、息を飲んだ。およそ彼らが見たこともない生き物によって、工事現場は血と炎の場所へと変貌していた。
「いったいあれは何なのだ?」
誰とはなしにそんな言葉が漏れた。
「今、そんなことを言っている暇はない」
小島はそう言うと拳銃の先をキメラに向けた。
既に事切れたのか、横尾の身体は動かない。
「小島さん、逃げてください。貴方達ではこれを抑えこむ事は出来ません」
鏡を挿頭(かざ)しながら美里が叫ぶ。しかし、そうしている美里もキメラの勢いに押され気味になっている。
「しかし、貴方を一人残すわけにもいかんのです」
飛び掛ってきた触手に銃弾を叩き込みながら小島が応える。しかし、哀しいかな小島の銃弾は効果を見せない。彼の仲間たちもキメラに銃弾を叩き込んでいるが、有効なものはひとつもなかった。
小島の胸に以前横尾が言っていた言葉が蘇る。
対抗できるものは銀の銃弾しかない。それを今、思い知らされていた。
上着のポケットに手を入れると、それはそこにある。
小島はそのうちの一発を銃槍に詰めると襲い来るキメラの触手に叩き込んだ。
キメラの触手が銃弾によってつぶされる。
やはりそうなのか…。
小島の中にいい知れない敗北感が広がっていく。
「何をしているんですか?早く逃げてください。私もいつまでもつかわかりませんから!」
遠くで美里が叫んでいる。
小島はポケットの中の銃弾を数えてみたが、十発程度しかない。やはりここは逃げるべきか、小島がそう思ったとき、彼の四方から一斉に触手が襲いかかってきた。」もう駄目だ、小島がそう思ったとき、目の前を黒い影が通り過ぎた。数本の触手が地面に落ちて痙攣する。
「美鈴!」
美里の叫ぶ声が聞こえる。
振り返るとそこに一人の少女が居た。小島の知っている少女、鏡美鈴だった。だが、彼女の様子は彼が知っている少女ではなかった。以前、連続殺人事件の際に垣間見た時の少女と同じだった。
「美鈴ちゃん…?」
殺気だった『紅い菊』を見て小島は凍り付いた。
そんな彼に向かって『紅い菊』は言い放った。
「あれは私の獲物だ。手を出すな」
『紅い菊』は次々と繰り出される触手を切り裂きながら、キメラの本体に向かっていく。
キメラの本体からひときわ大きい火の玉が放たれる。『紅い菊』はそれらを紙一重で交わしながら縫うようにしてキメラの本体を目指す。
その足下には魔鈴の姿がある。それもまた、自分に襲いかかってくる触手を鋭い爪でなぎ払っていく。
キメラは新たに現れたこれらの存在によって徐々に傷つけられ、追い詰められていく。しかし、キメラもまた怯まなかった。徐々に数の減っていく触手からだけではなく、本体の方からいっそう大きな火の玉をこの二つの存在に向かって放ってきた。そのために『紅い菊』はキメラの本体にとりつくことが出来ない。
『紅い菊』は焦っていた。闘いに時間がかかり自らが消耗していくことを恐れていた。
消耗していくとその体の自由を宿主から自分のものにしている力が弱まってしまう。そうなってしまうと、自分が心の奥底に沈んでしまい、宿主である美鈴が表面に出てきてしまうからだ。そういなれば、キメラに対抗できない。『紅い菊』は出来るだけ早く決着をつけたかった。
火球が飛び交う中、『紅い菊』はキメラの攻撃パターンに不自然さを感じていた。
激しく繰り返す破壊を楽しんでいるかのような意志と、そうではない憎しみを持った意志を、その攻撃の中に見いだしていた。これはキメラの意志が引き裂かれようとしているのではないか、『紅い菊』はその中に好機が潜んでいるのを感じていた。
それでもキメラの攻撃は執拗に繰り返された。今ではそれは『紅い菊』に注がれている。その隙に美里や小島達は体勢を立て直していく。
「美鈴!」
不意に『紅い菊』の耳に宿主を呼ぶ声が聞こえてきた。彼女はその声に耳を向ける。
「あの中にはハーリーティが飲み込まれているわ。この力の多くは彼女から放たれている…」
それはキメラ攻略の一手となる言葉だった。ハーリーティなら宿主が知っている。何とかそれに接触してキメラとの繋がりを断ち切ってしまえば勝機は見えてくるはずだ。『紅い菊』はそう確信するとキメラの前で全ての動作をやめた。
キメラはその行動に疑問を感じ、一瞬攻撃の手を緩める。残された触手の鎌首をあげると、この少女が次にとるであろう行動を探った。だが、その様子は見られなかった。ならば取る手は一つだった。
キメラは身構えていた全ての触手を『紅い菊』に降らせた。
鋭い牙が『紅い菊』の肌を貫き、その身体から迸る血液で咽を潤していく。
「美鈴!」
美里の声が響く。
だが『紅い菊』は気にもとめずに笑みを浮かべている。
「お前の負けだ…」
『紅い菊』はキメラに対してそう言うと静かにその瞳を閉じた。
そうして宿主である美鈴の意識をキメラの奥底に送り込んだ。
不意に意識が戻った美鈴は変化した周囲の状況に唖然とした。
そこは多くの意識が寄せ集められた混沌とした場所だった。
それらはただ憎しみに支配されており、ただ破壊を楽しむ機械のように渦巻いていた。
一体、ここは何処なのだろう?
美鈴は断片的に残されている記憶を辿った。
そして多くの触手を持った『もの』に辿り着いた。
そうだ、ここは『もの』の中なのだ、だが、美鈴には自分が何故ここにいるのかがわからなかった。
そんなとき、彼女の心の中に『紅い菊』の意識が流れ込んできた。
『紅い菊』は言った。
このキメラの中の何処かにあるハーリーティの意識を探り出せ。そしてその意識をキメラから引き離せ、と…。
既にキメラは多くの人を傷つけている。その活動を停止させなければ、もっと多くの人を傷つけていくだろう。美鈴はそれだけは止めたかった。その多くの人たちの中には、彼女の友人達も含まれてしまう可能性があったからだった。
そのための方法であるならば試してみる価値はある。
美鈴はそう思い、キメラの奥底にあるはずのハーリーティの意識を探り始めた。
周囲には様々な獣たちのふるさとを追われる姿、引き裂かれる家族の様相が満ちていた。そして積もり積もった人間達への憎しみが満ちていた。
その中で美鈴は少し違った様相の思考に行き当たった。
そこにある多くの思考は、人間そのものに対して憎しみを抱いていたが、その思考は特定の人物に対して強い憎しみを抱いており、そして、その憎しみが最近満たされたことを物語っていた。
美鈴はその思考に興味を持ち、キメラの意識の中を泳いでいった。
その思考はキメラの中では既に数少ない存在だった。憎しみを果たし、その存在理由を失ったためにそうなっているのだろう。だが、キメラは残ったその存在を消し去ろうとはしていなかった。むしろその存在を擁護しようとさえしているように美鈴には見えた。
それは何故なのだろうか、美鈴はその答えを見つけるために、キメラの意識の更に奥底へと沈んでいった。
キメラの心の深淵、そこに一匹の犬の死体があった。
そして、その傍らにハーリーティの姿があるのを美鈴は認めた…。
その手には青白く光る剣が握られている。
そう、それは『伝承者』として目覚めた啓介の姿だった。既に彼の中には迷いはなかった。彼の存在はただ『紅い菊』を滅ぼすためにだけそこにあった。
剣は語った。
既に『紅い菊』は、その宿主の力を凌駕し、外の世界に解放されつつあると。そして、その先には『紅い菊』の人類に対する巨大な敵となる姿があることを…。
『伝承者』として目覚めた啓介は一刻も早く『紅い菊』を滅ぼすために、彼女の向かう先へと走っていた。その速度はとても人の出せるものではなかった。通常は封印されている人間の力を全て解放しているようだった。そのために彼を止めるものは何もなかった。
啓介としての意識は完全に『伝承者』に支配されていた。心の奥の方に封じ込まれ、身動きさえ出来ない状況にあった。それは『紅い菊』が美鈴の意識を封じ込んでしまうことに似ていた。
どちらも自分の望んでいない未来へと突き進んでいた。
やがて『伝承者』は『紅い菊』の意識を捉えた。そして走る速度を更に上げていった。
田宮の持つライフルの銃口が横尾の頭を捉えている。背後ではキメラの触手が彼の動きを伺っている。
拳銃を弾き飛ばされた横尾は、それでも戦意を喪失もせずに田宮の勝ち誇った目を睨みつけている。彼はそれを楽しんでいるようだった。
「君はこの危機的な状況を楽しんでいるのかい?」
田宮の声が横尾の耳に届く。
「さあ、どうかな?」
横尾は打ち抜かれた肩を庇うように力なく立ち上がった。彼の拳銃は数メートル後ろに落ちている。武器といえるものを横尾は持っていないように見える。
田宮はゆっくりとライフルの銃口を横尾の心臓にあわせていく。彼の足下に小さな旋風が起きる。
「そろそろ終わりにしようか?」
田宮の指が引き金にかかる。
それを見ても横尾の態度に動じたところは見えない。それどころか笑みさえ浮かべている。
「お前さんは『狩人』というものをよく知らないらしいな」
そう言うと横尾はまだ無事な方の腕を田宮のいる方向に伸ばしていく。田宮の足下の旋風が次第に大きくなり、周囲の土簿頃を舞いあげ始めた。
「俺たちだって多少の修行は積んでいるんだ。だからこのくらいのことは出来るのさ」
横尾の言葉とともに旋風は突風となり、田宮の目めがけて土埃を舞いあげた。一瞬、田宮の視界が奪われた。その隙を突いて今度は弾き飛ばされた拳銃に向かって手を伸ばす。
「来い!」
横尾が念じると拳銃はまるで意志があるように伸ばされた横尾の手に収まった。横尾は次の瞬間、土埃の中の田宮に向かって数発発砲した。
しかし、彼の手は健常な状態ではなかったので銃弾の狙いは全て逸れてしまった。
「ちっ」
横尾は舌打ちをひとつ打つと横っ飛びにその場から移動する。するとこれまで彼立っていた場所に田宮の銃弾が弾ける。
既に田宮の周りにあった土埃は消えていた。
横尾は田宮に向かって更に銃弾を浴びせるが、利き腕ではない腕で撃っているために狙いは微妙にずれてしまう。更に田宮には横尾の銃弾の軌跡がわかるかのように、紙一重のところで全てを避けてしまう。
田宮のライフルが再び火を噴き、横尾の健常な方の肩を貫く。
横尾の拳銃が再び主人の下を離れる。
背後でキメラの触手が鎌首を持ち上げて横尾の体に狙いを定める。
「The Endだよ…」
田宮はそう言うと横尾の胸に狙いを定めたライフルに力を込めた。
その銃弾は真っ直ぐに横尾の体に向かい、その左胸を貫通した。
倒れた横尾の体めがけてキメラの触手が一斉に襲いかかろうとする。
そのとき、青い光が一筋、キメラの触手を照らした。
触手はその光にたじろぎ、その動きを止めた。
「誰だ!」
田宮はその光の差す方向に向かって叫んだ。
そこには丸いものをかざす一人の女の姿があった。
美里は手にしている銅鏡の狙いを次第にキメラの頭部へと移していく。青い光がキメラの右目を照らす。
キメラは叫び声を上げて後ずさっていく。
「貴様!」
田宮はそう叫ぶと美里に向かってライフルの引き金を引いた。
しかし、その銃弾は美里を捉えることなく、彼女の足下で弾けた。
「無駄よ、私にだって銃弾の軌跡くらいは変えられるわ」
美里は一時もキメラから神経を反らすことなく、田宮に向かって言った。
「だが二つを相手にはそれも厳しいだろう?」
田宮は静かに美里に狙いを定める。
そのとき、別の方向で拳銃の発砲音が響いた。田宮がその方向を見ると数台の警察車両と刑事達の姿があった。
「どうやらお前さんの相手は俺たちのようだぜ」
ニューナンブを空にかざして小島良が言った。それを合図に数人の刑事達が田宮を取り囲んだ。
「まいったね、気がつかなかった…」
田宮はライフルを捨てると両手を挙げた。
「けれども、僕は捕まらない…」
田宮の目が不敵に光るとキメラの触手が一斉に刑事達に向かって降り注いできた。
田宮を取り囲む刑事達の体制が崩れ、その隙を突いて田宮は走り出した。
「待て」
小島の拳銃が田宮の足を捉えようと火薬の弾ける音を発する。
しかし、その銃弾は空しく地面に弾けるだけだった。
小島をはじめとする刑事たちは目の前の怪物を見て、息を飲んだ。およそ彼らが見たこともない生き物によって、工事現場は血と炎の場所へと変貌していた。
「いったいあれは何なのだ?」
誰とはなしにそんな言葉が漏れた。
「今、そんなことを言っている暇はない」
小島はそう言うと拳銃の先をキメラに向けた。
既に事切れたのか、横尾の身体は動かない。
「小島さん、逃げてください。貴方達ではこれを抑えこむ事は出来ません」
鏡を挿頭(かざ)しながら美里が叫ぶ。しかし、そうしている美里もキメラの勢いに押され気味になっている。
「しかし、貴方を一人残すわけにもいかんのです」
飛び掛ってきた触手に銃弾を叩き込みながら小島が応える。しかし、哀しいかな小島の銃弾は効果を見せない。彼の仲間たちもキメラに銃弾を叩き込んでいるが、有効なものはひとつもなかった。
小島の胸に以前横尾が言っていた言葉が蘇る。
対抗できるものは銀の銃弾しかない。それを今、思い知らされていた。
上着のポケットに手を入れると、それはそこにある。
小島はそのうちの一発を銃槍に詰めると襲い来るキメラの触手に叩き込んだ。
キメラの触手が銃弾によってつぶされる。
やはりそうなのか…。
小島の中にいい知れない敗北感が広がっていく。
「何をしているんですか?早く逃げてください。私もいつまでもつかわかりませんから!」
遠くで美里が叫んでいる。
小島はポケットの中の銃弾を数えてみたが、十発程度しかない。やはりここは逃げるべきか、小島がそう思ったとき、彼の四方から一斉に触手が襲いかかってきた。」もう駄目だ、小島がそう思ったとき、目の前を黒い影が通り過ぎた。数本の触手が地面に落ちて痙攣する。
「美鈴!」
美里の叫ぶ声が聞こえる。
振り返るとそこに一人の少女が居た。小島の知っている少女、鏡美鈴だった。だが、彼女の様子は彼が知っている少女ではなかった。以前、連続殺人事件の際に垣間見た時の少女と同じだった。
「美鈴ちゃん…?」
殺気だった『紅い菊』を見て小島は凍り付いた。
そんな彼に向かって『紅い菊』は言い放った。
「あれは私の獲物だ。手を出すな」
『紅い菊』は次々と繰り出される触手を切り裂きながら、キメラの本体に向かっていく。
キメラの本体からひときわ大きい火の玉が放たれる。『紅い菊』はそれらを紙一重で交わしながら縫うようにしてキメラの本体を目指す。
その足下には魔鈴の姿がある。それもまた、自分に襲いかかってくる触手を鋭い爪でなぎ払っていく。
キメラは新たに現れたこれらの存在によって徐々に傷つけられ、追い詰められていく。しかし、キメラもまた怯まなかった。徐々に数の減っていく触手からだけではなく、本体の方からいっそう大きな火の玉をこの二つの存在に向かって放ってきた。そのために『紅い菊』はキメラの本体にとりつくことが出来ない。
『紅い菊』は焦っていた。闘いに時間がかかり自らが消耗していくことを恐れていた。
消耗していくとその体の自由を宿主から自分のものにしている力が弱まってしまう。そうなってしまうと、自分が心の奥底に沈んでしまい、宿主である美鈴が表面に出てきてしまうからだ。そういなれば、キメラに対抗できない。『紅い菊』は出来るだけ早く決着をつけたかった。
火球が飛び交う中、『紅い菊』はキメラの攻撃パターンに不自然さを感じていた。
激しく繰り返す破壊を楽しんでいるかのような意志と、そうではない憎しみを持った意志を、その攻撃の中に見いだしていた。これはキメラの意志が引き裂かれようとしているのではないか、『紅い菊』はその中に好機が潜んでいるのを感じていた。
それでもキメラの攻撃は執拗に繰り返された。今ではそれは『紅い菊』に注がれている。その隙に美里や小島達は体勢を立て直していく。
「美鈴!」
不意に『紅い菊』の耳に宿主を呼ぶ声が聞こえてきた。彼女はその声に耳を向ける。
「あの中にはハーリーティが飲み込まれているわ。この力の多くは彼女から放たれている…」
それはキメラ攻略の一手となる言葉だった。ハーリーティなら宿主が知っている。何とかそれに接触してキメラとの繋がりを断ち切ってしまえば勝機は見えてくるはずだ。『紅い菊』はそう確信するとキメラの前で全ての動作をやめた。
キメラはその行動に疑問を感じ、一瞬攻撃の手を緩める。残された触手の鎌首をあげると、この少女が次にとるであろう行動を探った。だが、その様子は見られなかった。ならば取る手は一つだった。
キメラは身構えていた全ての触手を『紅い菊』に降らせた。
鋭い牙が『紅い菊』の肌を貫き、その身体から迸る血液で咽を潤していく。
「美鈴!」
美里の声が響く。
だが『紅い菊』は気にもとめずに笑みを浮かべている。
「お前の負けだ…」
『紅い菊』はキメラに対してそう言うと静かにその瞳を閉じた。
そうして宿主である美鈴の意識をキメラの奥底に送り込んだ。
不意に意識が戻った美鈴は変化した周囲の状況に唖然とした。
そこは多くの意識が寄せ集められた混沌とした場所だった。
それらはただ憎しみに支配されており、ただ破壊を楽しむ機械のように渦巻いていた。
一体、ここは何処なのだろう?
美鈴は断片的に残されている記憶を辿った。
そして多くの触手を持った『もの』に辿り着いた。
そうだ、ここは『もの』の中なのだ、だが、美鈴には自分が何故ここにいるのかがわからなかった。
そんなとき、彼女の心の中に『紅い菊』の意識が流れ込んできた。
『紅い菊』は言った。
このキメラの中の何処かにあるハーリーティの意識を探り出せ。そしてその意識をキメラから引き離せ、と…。
既にキメラは多くの人を傷つけている。その活動を停止させなければ、もっと多くの人を傷つけていくだろう。美鈴はそれだけは止めたかった。その多くの人たちの中には、彼女の友人達も含まれてしまう可能性があったからだった。
そのための方法であるならば試してみる価値はある。
美鈴はそう思い、キメラの奥底にあるはずのハーリーティの意識を探り始めた。
周囲には様々な獣たちのふるさとを追われる姿、引き裂かれる家族の様相が満ちていた。そして積もり積もった人間達への憎しみが満ちていた。
その中で美鈴は少し違った様相の思考に行き当たった。
そこにある多くの思考は、人間そのものに対して憎しみを抱いていたが、その思考は特定の人物に対して強い憎しみを抱いており、そして、その憎しみが最近満たされたことを物語っていた。
美鈴はその思考に興味を持ち、キメラの意識の中を泳いでいった。
その思考はキメラの中では既に数少ない存在だった。憎しみを果たし、その存在理由を失ったためにそうなっているのだろう。だが、キメラは残ったその存在を消し去ろうとはしていなかった。むしろその存在を擁護しようとさえしているように美鈴には見えた。
それは何故なのだろうか、美鈴はその答えを見つけるために、キメラの意識の更に奥底へと沈んでいった。
キメラの心の深淵、そこに一匹の犬の死体があった。
そして、その傍らにハーリーティの姿があるのを美鈴は認めた…。
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