リリスの嘆き
第三章
蛇の目
小島良は結城恵とともに覆面パトカーで街を流していた。あの殺人事件は、その後何の進展も見せない。それを引き起こした犯人は、未だに自由な身でいるのだ。いつ、同じ事件が起こるとも限らない。二人の気持ちには焦りが生まれていた。その気持ちの表れなのか、二人はこの巡回が始まってから一言も言葉を交わしてはいなかった。
大通りからいくつ目かの信号を左に折れる。少し広めのわき道を暫く道なりに進むとあの公園の前に出る。二年前の夏に起きた「女子中学生連続殺人事件」の最初の被害者が発見された現場だった。思えばその事件からこの街では不可思議なことが起きている。そして、その出来事の中に自分達は巻き込まれてしまっている。流れていく家々を助手席から見つめながら、小島はそう思っていた。
そんなとき、恵が軽くブレーキをかけたのだろう、車が音もなく脇道の中央で止まった。
「どうした。嬢ちゃん」
その気配で現実に引き戻された小島が訊いた。
「小島さん、あれ…」
恵は見えない者を見ようとするように目を凝らして一点を見つめ、その方向を指さしていた。
「あれ、前にも見たことありません?」
小島は訝しげに恵が指さす方に視線を投げた。
そこには何もなかった。
いつもと変わらない住宅街の静かな姿があった。そう、いつもと変わらない街の姿がそこにはあったのだが、二人はその景色の中に言い知れない違和感を感じていた。恵の指差す先、数十メートルのところに微かで、そして異様な空気の歪があった。それは注意をしていなければ見落としてしまうほどの変化だった。だが、二人はそれを見るのは初めてではなかった。
「嬢ちゃん、あれは…」
「そうです。あの時に見たものと同じものだと思います」
あの時に見たもの、それはあの女子中学生連続殺人事件の際に二人が目撃した空間の歪みだった。
あのとき、美鈴の母である鏡美里は、二人に「あれは結界だ」と告げていた。
結界、それを張ることで内部にいる『もの』を閉じ込めてしまえるものであるが、同時にそれは外部にいるものを内部に入れないためにも使えるものだった。あの事件の際には犯人が犯行を隠すために使われていた。
もしそうであるなら、今眼の前にはられている結界の向こう側では何かが起こっているはずだ。二人は声にさえ出さなかったが、そう結論づけていた。
そうこうしているうちに目の前の歪は次第に薄れていき、その存在をなきものにしていこうとしていた。
小島は息を呑んでその様相を見つめていたが、やがてある決心をして恵の目を見た。恵は瞬時のうちにその意図を読み取るとアクセルを目一杯踏み込んだ。悲鳴のようなタイヤの軋む音とエンジンの咆哮を響かせながら、車は目前の空気の壁に向かって突き進んだ。それは数秒のうちに見えない壁に到達し、二人は衝撃に備えて体に力を込めた。
しかし、何も起こらなかった。
当然起こるであろう衝撃が全く伝わってこないのだ。それどころか車は見えない壁の向こう側に擦り抜けてしまったのだ。
恵はハンドルを切り、ブレーキを踏み込んだ。
またもタイヤは悲鳴をあげ、後輪を滑らせながら、車は道路と直角方向に向きを変えて停まった。
エンジンの動きがアイドリング程度の回転数まで下がる。
「一体どういうことだ?」
暫くして前方の空間を睨みつけながら小島が呟いた。
「どうやらあの壁を通り抜けてしまったみたいですね…」
小島同様狐に化かされたような表情で恵が言った。
「どうやら俺たちを中には入れたくないらしいな」
小島が不敵に笑い、シートベルトを外すとゆっくりと車の外にでていった。
そして、見えない壁の正面に立つと目の高さにある空間の歪にそっと手を伸ばした。
それでも、空間の歪には何の変化も見られなかった。
歪に近づけた小島の手には微かな空気の流れが感じ取られた。それは歪のところだけに存在し、明らかに向こう側に何かがあることを示していた。
それを確かめると彼は見えない壁から一定に距離を保とうと後ずさり、静かに拳銃を取り出して構えた。そのとき、以前横尾が口にした言葉が蘇ってきた。この異様なものに対しては通常の縦断は通用しない。それを打破するためには銀で作られた銃弾が必要だ。そのことを思い出した小島は、スーツの右ポケットに手を伸ばした。そこに複数の冷たい感覚があった。それは以前、横尾が彼に渡した数発の銀の銃弾だった。小島弾倉から通常の縦断をすべて抜き出すと、銀の銃弾をそこに込めた。装填数五発。小島は再び静かに身構えた。呼吸を整え、揺るがない決意で引き金を引く。乾いた爆発音とともに銀の銃弾が銃口から飛び出していく。一発、二発。三発。乾いた爆発音が住宅街に響いた。
大通りからいくつ目かの信号を左に折れる。少し広めのわき道を暫く道なりに進むとあの公園の前に出る。二年前の夏に起きた「女子中学生連続殺人事件」の最初の被害者が発見された現場だった。思えばその事件からこの街では不可思議なことが起きている。そして、その出来事の中に自分達は巻き込まれてしまっている。流れていく家々を助手席から見つめながら、小島はそう思っていた。
そんなとき、恵が軽くブレーキをかけたのだろう、車が音もなく脇道の中央で止まった。
「どうした。嬢ちゃん」
その気配で現実に引き戻された小島が訊いた。
「小島さん、あれ…」
恵は見えない者を見ようとするように目を凝らして一点を見つめ、その方向を指さしていた。
「あれ、前にも見たことありません?」
小島は訝しげに恵が指さす方に視線を投げた。
そこには何もなかった。
いつもと変わらない住宅街の静かな姿があった。そう、いつもと変わらない街の姿がそこにはあったのだが、二人はその景色の中に言い知れない違和感を感じていた。恵の指差す先、数十メートルのところに微かで、そして異様な空気の歪があった。それは注意をしていなければ見落としてしまうほどの変化だった。だが、二人はそれを見るのは初めてではなかった。
「嬢ちゃん、あれは…」
「そうです。あの時に見たものと同じものだと思います」
あの時に見たもの、それはあの女子中学生連続殺人事件の際に二人が目撃した空間の歪みだった。
あのとき、美鈴の母である鏡美里は、二人に「あれは結界だ」と告げていた。
結界、それを張ることで内部にいる『もの』を閉じ込めてしまえるものであるが、同時にそれは外部にいるものを内部に入れないためにも使えるものだった。あの事件の際には犯人が犯行を隠すために使われていた。
もしそうであるなら、今眼の前にはられている結界の向こう側では何かが起こっているはずだ。二人は声にさえ出さなかったが、そう結論づけていた。
そうこうしているうちに目の前の歪は次第に薄れていき、その存在をなきものにしていこうとしていた。
小島は息を呑んでその様相を見つめていたが、やがてある決心をして恵の目を見た。恵は瞬時のうちにその意図を読み取るとアクセルを目一杯踏み込んだ。悲鳴のようなタイヤの軋む音とエンジンの咆哮を響かせながら、車は目前の空気の壁に向かって突き進んだ。それは数秒のうちに見えない壁に到達し、二人は衝撃に備えて体に力を込めた。
しかし、何も起こらなかった。
当然起こるであろう衝撃が全く伝わってこないのだ。それどころか車は見えない壁の向こう側に擦り抜けてしまったのだ。
恵はハンドルを切り、ブレーキを踏み込んだ。
またもタイヤは悲鳴をあげ、後輪を滑らせながら、車は道路と直角方向に向きを変えて停まった。
エンジンの動きがアイドリング程度の回転数まで下がる。
「一体どういうことだ?」
暫くして前方の空間を睨みつけながら小島が呟いた。
「どうやらあの壁を通り抜けてしまったみたいですね…」
小島同様狐に化かされたような表情で恵が言った。
「どうやら俺たちを中には入れたくないらしいな」
小島が不敵に笑い、シートベルトを外すとゆっくりと車の外にでていった。
そして、見えない壁の正面に立つと目の高さにある空間の歪にそっと手を伸ばした。
それでも、空間の歪には何の変化も見られなかった。
歪に近づけた小島の手には微かな空気の流れが感じ取られた。それは歪のところだけに存在し、明らかに向こう側に何かがあることを示していた。
それを確かめると彼は見えない壁から一定に距離を保とうと後ずさり、静かに拳銃を取り出して構えた。そのとき、以前横尾が口にした言葉が蘇ってきた。この異様なものに対しては通常の縦断は通用しない。それを打破するためには銀で作られた銃弾が必要だ。そのことを思い出した小島は、スーツの右ポケットに手を伸ばした。そこに複数の冷たい感覚があった。それは以前、横尾が彼に渡した数発の銀の銃弾だった。小島弾倉から通常の縦断をすべて抜き出すと、銀の銃弾をそこに込めた。装填数五発。小島は再び静かに身構えた。呼吸を整え、揺るがない決意で引き金を引く。乾いた爆発音とともに銀の銃弾が銃口から飛び出していく。一発、二発。三発。乾いた爆発音が住宅街に響いた。
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