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リリスの嘆き

第三章
蛇の目

 森崎、孝、美佳の三人は、目の前に現れた『もの』に恐怖を感じていた。何故ならば、それはこれまで見たこともない巨大な蛇だったからだ。それはどこからともなく彼ら三人の前に現れ、獲物を狙うかのように鎌首を持ち上げて身構えていた。
森崎も、他の二人も一様にその場から動けないでいた。美佳と孝は以前にも別の『もの』に出会っていたので、その衝撃も幾らかはましだったが、『もの』を初めて見る森崎にとっては、必要以上の恐怖を感じていた。
 巨大な蛇、アガシャラは、歓喜の表情を浮かべて彼らに近づいていく。ズル、ズル、という引きずるような音を立てながら、ゆっくりと近づいていく。
 そう焦る必要はない。既に獲物はこの空間に閉じ込めている。外から邪魔者が入って来られるはずはないし、また外部へ逃げ出すこともできない。既に獲物は仕留めたも同然だとアガシャラは思っていた。
 一方、アガシャらに獲物として認識された三人はどうであろうか?
 孝は美佳を庇い、森崎はそんな二人を庇うようにしてこの巨大な蛇との間に立っていた。二人は気丈にも心の中を見せずにこの巨大な敵を睨みつけていた。しかし、何ら有効な手段があるわけではない。なんとかこの場から逃げ出せればいい、そう思っているだけだった。
「なによ、いつもなら真っ先に逃げ出そうとするくせに…」
 声にならない声で、美佳はそう言っていた。
「大丈夫、僕がなんとかするから…」
 同じように孝は応えた。そう言いながら、孝は自分の人生もこれで終わるのだろうと覚悟を決めていた。
 決めていたとはいえ、それで恐怖が薄らぐわけではなかった。むしろそれはより強力に彼の心を支配していた。
 同じようなことを森崎も考えていた。
 これだけの異常なことが起こっているのに誰も騒ぎだそうとはしない。いつもの閑静な住宅街の景色が広がっているだけだった。恐らく誰もこのことに気づいてはいないのだろう。それは彼が以前写した情景とよく似ていた。そうなると以前もこの現象が起こっていたに違いない。何か得体のしれないものがこの二人に起こっていたに違いない。森崎は一瞬のうちにそう悟っていた。
 そうしているうちにも、アガシャらと三人の間の距離は徐々に詰められていった。その度に三人は、この大蛇の視覚に入るように横方向に移動し、さらに後ずさっていた。しかし、どの角度に逃げようともアガシャラはその視界の真ん中に彼らを捉えていた。三人は次第に追い詰められ、ついには美佳の背中が立ち並ぶ家々のどこにも設けられている塀に接触するほどにまでなってしまった。
 三人の脳裏には、「死」という言葉が一瞬浮かび、そして消えていった。
 アガシャラは勝ち誇ったように鎌首を上げた。
 三人の動きがとまった。
 睨み合う森崎とアガシャラ。
 孝もまた、震える足を隠しながら、森崎に続いている。
「君たち、僕が奴の気を引くから、その間に逃げろ…」
 不意に森崎が二人の中学生に告げた。
「でも…」
 孝が口を開こうとした瞬間、森崎はそれを押しとどめた。
「奴だって一度に二方に逃げる獲物を捉えることはできまい?」
 森崎は一瞬笑みを浮かべると、左の方向、結界の中心に向かって走りだした。
 アガシャラがその方向に頭を向けると人間の男が走り出している。どうやら自分に注意を向けさせようとしているようだ。だが、アガシャラにはそんな行為は興味がなかった。自分の標的はあくまでも三人のうちの少女だ。属するには向かない男などには興味が無い。自ら集団から離れていってくれることは、かえって都合が良かった。アガシャラは当初からの標的に神経週調し、にじり寄っていく。
 森崎は自分に注意を向けないこの巨大な蛇に違和感を感じた。この爬虫類は獲物を選んでいるようだ。直感的にそう感じていた。これでは子供たちを逃がすことができない。何とか手を打たなければ、そう感じて考えを巡らせていた。
 孝は迷わずに自分たちににじり寄ってくる蛇に恐怖を感じていた。しかし、ここで逃げ出すことはできない。そうしてしまえば、美佳が一人になってしまう。それは男として許されることではない。そう思っていた。それでも恐怖は大きくなっていった。
 美佳はそんな孝にある種の頼もしさを見出していた。あの臆病な孝が自分を守るために必死に闘ってくれている。そういえば、あのキメラ事件の際にも彼は自分を庇ってくれた。それが美佳にとっては嬉しかった。もしこの場からうまく逃げ出してしまうことができたら、自分はたかしの思いに応えてあげよう。以前から感づいていたたかしの自分に対する思いに…。
 やがてアガシャらの動きが止まった。その顔に不気味な笑みを浮かべて…。

 小島は目の前にあるはずの見えない壁に向かって銀の銃弾を三発、立て続けに打ち込んだ。手入れの整ったニューナンブの銃口から打ち出された銀の銃弾は見えない壁を捉え、それを貫通した。結界という壁に小さな穴と無数のひび割れが入る。
 それを見た小島は、急いで恵の乗る覆面パトk-の助手席に飛び込んだ。
「嬢ちゃん、行け!」
 小島が叫ぶとともに恵はアクセルをいっぱいに踏み込んだ。
 二人を乗せた覆面パトカーは、タイヤの軋む音をたて、アスファルトの路面に急加速の跡を残して一気に加速した。
 そしてそれは、瞬時のうちに見えない壁をぶち破り、本来あるはずである空間に飛び込んだ。
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