リリスの嘆き
第三章
覚醒
沙保里はついに目的地に着いた。
これまで佐枝ををおびき出し、力を加減してを加減してこの変貌した少女の相手をしてきたのは、全てこの瞬間のためだった。あとはこの少女の心を破綻させるだけ、それが力を授けてくれたものに対する借りを返すことだった。
『紅い菊』と呼ばれている少女は今、大地にたたきつけられている。そろそろ遊びは終わりだ。
『紅い菊』もまた、そこが沙保里の目的地であることを知っていた。
この場所に近づいていくに連れて沙保里の笑みが増してきたからだった。身体に無数の傷をつけながらも『紅い菊』にはそれだかの余裕があった。さあ、狩りの始まりだ。『紅い菊』はゆっくりと立ち上がる。その数メートル先に沙保里が満面の笑みを浮かべて降り立った。
周辺の空気が次第に張り詰めていく。
後ろ手に縛られたままの佐枝の肌はそれを敏感に感じていた。
あの子は誰だろう?
目の前にいる『紅い菊』を見て佐枝はそう思った。
どことなく彼女が知っている少女、鏡美鈴にその容貌が似ている少女、しかし彼女はあれほど激しい感情を表に出す少女ではない。また、真っ赤な髪を逆立て牙のように発達した八重歯を引き出しているその唇は彼女のものであるはずはない。だが、彼女が着ている制服は紛れもない佐枝の学校のものだった。
「あっ」
佐枝はその少女に呼びかけようと口を開こうとした。
しかし、それは声にはならなかった。
その時、目の前にいる少女は誰もいない、何もない空間に向かって走りだしていた。
『紅い菊』は沙保里に向かって突進していた。
その両手にある爪は鋭く、そして強く変わっている。
ヒュッ、音を立ててそれは沙保里に斬りかかる。
しかし沙保里はそれを紙一重で交わしてしまう。
二度、三度、四度、彼女の爪は虚しく空を斬る。
「だから言ったでしょう?あなたは私には勝てないって」
沙保里の勝ち誇った嗤いが辺りに響く。
「さぁ、それはどうかな?」
『紅い菊』がそう呟いた時、物陰から小さな黒い塊が飛び出してきて沙保里の肩口を切り裂いた。
いつの間にそこにいたのか、それは魔鈴だった。
沙保里は切りつけられた右肩を抑えて一瞬怯んだ。
その隙を逃さず『紅い菊』が頭上から斬りつける。
紫色の血のような液体が辺りに飛び散った。
「ぐうう」
顔に深い傷を負いながら沙保里は『紅い菊』を睨みつける。
そこへ再び魔鈴が飛びかかる。
しかし、今度はそれを許さず、沙保里はその小さな黒猫を地面に叩きつけた。
「ギャン!」
獣の上げる悲鳴を発して魔鈴は動かなくなる。
一瞬、『紅い菊』の注意が逸れる。
その隙を逃さず沙保里は加瀬の背後に移動していく。
「待て!」
獲物に逃げられた『紅い菊』が叫ぶ。すかさずそれが向かった方向に身体を向ける。
二つの獣の動きが、止まる。
額から流れる紫の血を人差し指で拭い、それを唇で吸うと沙保里は唇を歪めて笑った。
「私が何故、こんな手の混んだことをしていると思う?」
その言葉は『紅い菊』を嘲笑う。
一時の静寂が辺りを支配していく。
「さあ、分からないわねぇ」
『紅い菊』は加瀬の背後にいる沙保里ににじり寄って行く。
「それはねぇ」
沙保里は怯えて震えている嘉瀬の両肩に手を置く。
「こういうことよ!」
そう叫ぶと沙保里は加瀬の身体の中に入っていく。
「うわぁ!」
悲痛な叫び声を上げて加瀬の身体が仰け反り、そして背中から倒れていった。
ドクンッ。
加瀬の鼓動が辺りに響く。
加瀬の口からはその鼓動に合わせるように泡が吹き出す。
『紅い菊』は首を傾げてその様子をうかがい、佐枝の怯えは頂点に達していく。
ドクン。
次の鼓動で加瀬の体は大きく反り返る。四肢が痙攣し、筋肉がありえない動きを見せてその体を揺さぶる。それに合わせて加瀬の身体は大きく変貌していく。
仰向けのまま四肢が地面を掴み、長く二股に避けた舌がだらしなく垂れ下がる。
血走った目が『紅い菊』を睨みつける。
「それがお前の望んだ姿か?」
『紅い菊』は舌なめずりをして間合いを詰めていく。
加瀬だった『もの』は詰められた分だけ後ずさりして距離を同じに保とうとする。
「ぐるるるっ…」
獣の声がその口の端から漏れだしてくる。
「まぁ、いいさ」
『紅い菊』はニヤリと嗤う。
もはや『もの』と化した加瀬の腹部だったところに無数の逆立った鋼のような体毛が生え始める。『もの』はだらしなく開いた口から流れる涎を長い舌で舐めとるとその逆立った体毛の狙いを『紅い菊』に定めた。そして甲高い叫び声を上げると、その無数の体毛が一斉に『紅い菊』に襲いかかった。それは正確に彼女の身体を目指して飛んでくる。『紅い菊』は紙一重のタイミングでそれを交わす。『もの』はその交わした方向に向きを変えて再び体毛を撃ち放つ。『紅い菊』はそれを交わし、『もの』はそれを放つ。その繰り返しの中で『紅い菊』の身体は震えている佐枝の前に立たされた。
『もの』の動きが止まる。
「クククっ。それでもう動けまい?」
『もの』は勝ち誇ったように言う。
「そう思うか>」
『紅い菊』は嗤う。
沈黙がその空間を包み込む。
針のような『もの』の体毛がゆっくりと『紅い菊』に狙いを定める。
空気が張り詰める。
次の瞬間、黒い塊が『もの』の目前に現れた。一瞬、『もの』の注意がそれて体毛が本来の狙いから外れたところに放たれる。それらの多くは黒い塊に向けられ、その上に降りかかった。
「ギャン!」
断末魔の叫びを上げて黒い塊は動かなくなる。
それは小さな黒い猫の姿をしていた。
だが、その一瞬の隙を『紅い菊』は逃さなかった。張り詰めていたゴムが始めるようにしなやかに地面を蹴り、一瞬のうちに『もの』の右胸に長く伸びた5つの爪を突き立てた。
『もの』の身体から紫の液体が飛び散り、その多くが『紅い菊』に降り注いだ。その光景は佐枝の目には地獄の鬼を思わせるほどであった。
『紅い菊』はその爪先に脈動する肉の塊を感じるとその手に更に力を込めて深く突き刺していく。『もの』の顔が苦悶に歪む。
「さぁ、これで終わりだ!」
『もの』の胸に深く突き立てた腕の先に肉の塊を捉え、『紅い菊』はそれを一気に引きぬく。それまで塞がれていた傷口が一気に開き、紫の血液が辺りに撒き散らされる。『もの』はそこで力尽き崩れ落ちていく。
『紅い菊』は換気の笑みを浮かべて両手を大きく開いていく。
『もの』はその四肢をあらぬ方向に捻った状態で動かなくなる。
やがてその体が崩れていき、小さな赤い光の粒に変わっていく。
その光の粒を一身に浴びながら『紅い菊』はそれを取り込んでいく。
どのくらいの時が過ぎたのだろうか、『もの』から飛散した光が消え、その姿も消失した頃、『紅い菊』はその体を本来の持ち主と思われる存在に明け渡して、心の奥に沈んでいく。
そして辺りに静寂が戻る。
『紅い菊』から開放された美鈴の意識は、暫く辺りを見回すと怯えている佐枝の姿をその視界に捉えた。
美鈴はゆっくりと佐枝に近づいていく。
しかし、佐枝の怯えは収まることがなく、やがてその唇からひとつの言葉が漏れてきた。
「来ないで、化け物…」
その言葉が辛うじてそこに留まっていた美鈴の心を壊した。
『紅い菊』が目覚めてしまった…。
これまで佐枝ををおびき出し、力を加減してを加減してこの変貌した少女の相手をしてきたのは、全てこの瞬間のためだった。あとはこの少女の心を破綻させるだけ、それが力を授けてくれたものに対する借りを返すことだった。
『紅い菊』と呼ばれている少女は今、大地にたたきつけられている。そろそろ遊びは終わりだ。
『紅い菊』もまた、そこが沙保里の目的地であることを知っていた。
この場所に近づいていくに連れて沙保里の笑みが増してきたからだった。身体に無数の傷をつけながらも『紅い菊』にはそれだかの余裕があった。さあ、狩りの始まりだ。『紅い菊』はゆっくりと立ち上がる。その数メートル先に沙保里が満面の笑みを浮かべて降り立った。
周辺の空気が次第に張り詰めていく。
後ろ手に縛られたままの佐枝の肌はそれを敏感に感じていた。
あの子は誰だろう?
目の前にいる『紅い菊』を見て佐枝はそう思った。
どことなく彼女が知っている少女、鏡美鈴にその容貌が似ている少女、しかし彼女はあれほど激しい感情を表に出す少女ではない。また、真っ赤な髪を逆立て牙のように発達した八重歯を引き出しているその唇は彼女のものであるはずはない。だが、彼女が着ている制服は紛れもない佐枝の学校のものだった。
「あっ」
佐枝はその少女に呼びかけようと口を開こうとした。
しかし、それは声にはならなかった。
その時、目の前にいる少女は誰もいない、何もない空間に向かって走りだしていた。
『紅い菊』は沙保里に向かって突進していた。
その両手にある爪は鋭く、そして強く変わっている。
ヒュッ、音を立ててそれは沙保里に斬りかかる。
しかし沙保里はそれを紙一重で交わしてしまう。
二度、三度、四度、彼女の爪は虚しく空を斬る。
「だから言ったでしょう?あなたは私には勝てないって」
沙保里の勝ち誇った嗤いが辺りに響く。
「さぁ、それはどうかな?」
『紅い菊』がそう呟いた時、物陰から小さな黒い塊が飛び出してきて沙保里の肩口を切り裂いた。
いつの間にそこにいたのか、それは魔鈴だった。
沙保里は切りつけられた右肩を抑えて一瞬怯んだ。
その隙を逃さず『紅い菊』が頭上から斬りつける。
紫色の血のような液体が辺りに飛び散った。
「ぐうう」
顔に深い傷を負いながら沙保里は『紅い菊』を睨みつける。
そこへ再び魔鈴が飛びかかる。
しかし、今度はそれを許さず、沙保里はその小さな黒猫を地面に叩きつけた。
「ギャン!」
獣の上げる悲鳴を発して魔鈴は動かなくなる。
一瞬、『紅い菊』の注意が逸れる。
その隙を逃さず沙保里は加瀬の背後に移動していく。
「待て!」
獲物に逃げられた『紅い菊』が叫ぶ。すかさずそれが向かった方向に身体を向ける。
二つの獣の動きが、止まる。
額から流れる紫の血を人差し指で拭い、それを唇で吸うと沙保里は唇を歪めて笑った。
「私が何故、こんな手の混んだことをしていると思う?」
その言葉は『紅い菊』を嘲笑う。
一時の静寂が辺りを支配していく。
「さあ、分からないわねぇ」
『紅い菊』は加瀬の背後にいる沙保里ににじり寄って行く。
「それはねぇ」
沙保里は怯えて震えている嘉瀬の両肩に手を置く。
「こういうことよ!」
そう叫ぶと沙保里は加瀬の身体の中に入っていく。
「うわぁ!」
悲痛な叫び声を上げて加瀬の身体が仰け反り、そして背中から倒れていった。
ドクンッ。
加瀬の鼓動が辺りに響く。
加瀬の口からはその鼓動に合わせるように泡が吹き出す。
『紅い菊』は首を傾げてその様子をうかがい、佐枝の怯えは頂点に達していく。
ドクン。
次の鼓動で加瀬の体は大きく反り返る。四肢が痙攣し、筋肉がありえない動きを見せてその体を揺さぶる。それに合わせて加瀬の身体は大きく変貌していく。
仰向けのまま四肢が地面を掴み、長く二股に避けた舌がだらしなく垂れ下がる。
血走った目が『紅い菊』を睨みつける。
「それがお前の望んだ姿か?」
『紅い菊』は舌なめずりをして間合いを詰めていく。
加瀬だった『もの』は詰められた分だけ後ずさりして距離を同じに保とうとする。
「ぐるるるっ…」
獣の声がその口の端から漏れだしてくる。
「まぁ、いいさ」
『紅い菊』はニヤリと嗤う。
もはや『もの』と化した加瀬の腹部だったところに無数の逆立った鋼のような体毛が生え始める。『もの』はだらしなく開いた口から流れる涎を長い舌で舐めとるとその逆立った体毛の狙いを『紅い菊』に定めた。そして甲高い叫び声を上げると、その無数の体毛が一斉に『紅い菊』に襲いかかった。それは正確に彼女の身体を目指して飛んでくる。『紅い菊』は紙一重のタイミングでそれを交わす。『もの』はその交わした方向に向きを変えて再び体毛を撃ち放つ。『紅い菊』はそれを交わし、『もの』はそれを放つ。その繰り返しの中で『紅い菊』の身体は震えている佐枝の前に立たされた。
『もの』の動きが止まる。
「クククっ。それでもう動けまい?」
『もの』は勝ち誇ったように言う。
「そう思うか>」
『紅い菊』は嗤う。
沈黙がその空間を包み込む。
針のような『もの』の体毛がゆっくりと『紅い菊』に狙いを定める。
空気が張り詰める。
次の瞬間、黒い塊が『もの』の目前に現れた。一瞬、『もの』の注意がそれて体毛が本来の狙いから外れたところに放たれる。それらの多くは黒い塊に向けられ、その上に降りかかった。
「ギャン!」
断末魔の叫びを上げて黒い塊は動かなくなる。
それは小さな黒い猫の姿をしていた。
だが、その一瞬の隙を『紅い菊』は逃さなかった。張り詰めていたゴムが始めるようにしなやかに地面を蹴り、一瞬のうちに『もの』の右胸に長く伸びた5つの爪を突き立てた。
『もの』の身体から紫の液体が飛び散り、その多くが『紅い菊』に降り注いだ。その光景は佐枝の目には地獄の鬼を思わせるほどであった。
『紅い菊』はその爪先に脈動する肉の塊を感じるとその手に更に力を込めて深く突き刺していく。『もの』の顔が苦悶に歪む。
「さぁ、これで終わりだ!」
『もの』の胸に深く突き立てた腕の先に肉の塊を捉え、『紅い菊』はそれを一気に引きぬく。それまで塞がれていた傷口が一気に開き、紫の血液が辺りに撒き散らされる。『もの』はそこで力尽き崩れ落ちていく。
『紅い菊』は換気の笑みを浮かべて両手を大きく開いていく。
『もの』はその四肢をあらぬ方向に捻った状態で動かなくなる。
やがてその体が崩れていき、小さな赤い光の粒に変わっていく。
その光の粒を一身に浴びながら『紅い菊』はそれを取り込んでいく。
どのくらいの時が過ぎたのだろうか、『もの』から飛散した光が消え、その姿も消失した頃、『紅い菊』はその体を本来の持ち主と思われる存在に明け渡して、心の奥に沈んでいく。
そして辺りに静寂が戻る。
『紅い菊』から開放された美鈴の意識は、暫く辺りを見回すと怯えている佐枝の姿をその視界に捉えた。
美鈴はゆっくりと佐枝に近づいていく。
しかし、佐枝の怯えは収まることがなく、やがてその唇からひとつの言葉が漏れてきた。
「来ないで、化け物…」
その言葉が辛うじてそこに留まっていた美鈴の心を壊した。
『紅い菊』が目覚めてしまった…。
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