リリスの嘆き
第一章
脈動
小島は恵とともに事件現場となった河原に来ていた。夏の日差しは容赦なく二人に突き刺さり、吹き出す汗が体を伝っていく。暑さを避けているのだろう、人通りはやけに少ない。微かに風が吹いているのだが、熱せられたそれは何の役にも立たない。
その風に揺られている草を分けながら骨となった遺体があった場所に小島は近づいていく。その後を恵が続く。
遺体のあった場所は腰の高さほどの雑草の中にあった。
普通ならその雑草に隠れて発見されることは難しいと思われた。しかし、うまくしたもので遺体の周囲の雑草だけが何かに引き倒されたように凹んでいた。
そう、何故か凹んでいた。
まるで発見されることを望んでいるようだ。そして、それ以外の場所は全く凹んではいなかった。
「なあ嬢ちゃん」
小島は背後に近づいてきた恵に背中を向けたまま言った。
「だから『嬢ちゃん』はやめて下さいって…」
恵は不服そうにつぶやいた。
「ここを見てどう思う?」
小島は恵の抗議などには耳を貸さない。
「どう思うって、雑草が生い茂っているとしか…」
恵は周囲を見回して答える。
「そうだ、そしてここだけが凹んでいる。だが犯人はどこからここに来たんだ?」
恵は小島の言葉にはっとなった。
そうなのだ、ここには人が通った跡がないのだ。
それに気づいた小島は首を傾げながら遺体があった周囲を見回している。しかし、どう見ても人が通ったはずの跡が見当たらない。もちろん、それは今来た小島たちの形跡や先ほどの現場検証のそれを除いて、ということだ。
また、鑑識の岸田の言うことには、犯人が通った時に残る下足痕(げそこん)も残っていなかったとの事だった。現場周辺はぬかるんでいる。したがってここを通ったならば、その痕跡が残るはずだった。
これはまた人間ではないものの仕業なのか?
小島の脳裏に嫌な感触が走った。
しかし、すぐさま別の考えが浮かんだ。
岸田は蛇の可能性を行っていたではないか。人を飲み込めるほどの大きさの蛇、その可能性があるではないか。それなら人ではないものでも、現実の世界に属するものだ。自分たちの手で解決ができるものだ。そうだ、そうに違いない。
小島は脳裏に浮かんだ現実離れした考えを打ち消した。
「蛇、か…」
小島はため息混じりにつぶやいた。
その言葉は恵の耳に届く…。
「岸田さんの見解ですね?」
「ああ、俺はそうであって欲しいと願っている…」
「私もです…。この街では私達の手に及ばない事件が多すぎます」
「そうだな…」
二人の間に沈黙が降り立った。
そこへ一人の若い男が近づいてきた。
「やはりこちらにいましたか…」
男は微笑みさえ浮かべていた。
「誰だ、あんた」
小島の言葉が身構えている。
男はそんな小島にIDを見せて名乗った。
「警視庁広域捜査課、特殊犯罪捜査室の剣崎です」
男のIDには上半身の写真とともに剱崎淳也と記載されている。
「警視庁?ここは管轄外のはずだが?」
小島は眉を顰める。
そこに恵が割って入る。
「広域捜査課、聞いたことがありますよ。確か複数の地域にまたがる重要事件を捜査する所ではないですか?」
「ええ、そのとおりです。昨年新設された部署で、まだ知らない人も多いんですよ」
剣崎はIDをしまいながら恵に応じた。
「その広域捜査課さんが何の用なんだ?」
「特殊犯罪捜査係です。先日の事件についての追跡捜査で来ました」
剣崎の言葉は二人の刑事の胸に突き刺さった。
「先日の事件とは?」
「あなた方が遭遇された化け物の件ですよ」
剣崎は悪びれもせずに言いのけた。
「どうしてそれを…」
小島の心は動揺した。
確かにあの事件は多くの人間が関わり、目撃されていた。しかし、その報告は直属の上司である太田の所で止まっているはずだった。それをこの剣崎という男は知っている。
一体何故?
小島の中に疑念が生まれた。
それを見透かしたように剣崎は笑った。
「別に不思議なことではありませんよ。報告が上がっているんです。対外的な物とは別のものがね…」
小島は警察組織の闇の部分を垣間見た気分になった…。
森崎龍一は都内の古い雑居ビルの一室を訪ねていた。
そこは使い古された事務机が雑然と並べられ、どの机にも書類が山のように積み重ねられた一室だった。出入り口の扉には「超自然」編集部と記されている。森崎はここの編集長であり、大学の先輩でもある石原正雄を訪ねたのだ。
型くずれした応接セットの椅子に座ってから三十分、訪問相手の姿はまだ認められない。森崎の前に置かれたグラスのの中の液体の氷はとっくに溶けてていた。膝を揺するカタカタという音がリズミカルに森崎の耳に届く。
数日前、森崎はある動画が収められたSDカードをこの編集部に持ち込んでいた。その中には取材中に森崎自信が映した常識では考えられない映像が収められていた。それを観た石原は「しばらく預かる」と言ってSDカードを持ち去っていた。そして今日、森崎は石原に呼び出されたのだ。
だが、呼び出しておきながら石原は一向に現れない。森崎はふと煙草を吸いたくなってワイシャツの胸のポケットに手を伸ばしたが、すぐにそれをやめた。そう、ここでは煙草を吸う事はできないのだ。今はどのオフィスでも煙草は吸えない。法がそれを許してはいないのだ。喫煙は定められた場所でなければできない。そのためにここでは喫煙場所は非常階段と定められている。暑い日差しの中に出て行くことは森崎にはためらわれたために、彼はそれを諦めたのだ。
森崎は生暖かい液体を体の中に流し込んだ。
ちょうどそこに石原が現れた。
「悪いな、待たせてしまって」
石原は古びた椅子に腰を下ろすなりバツの悪そうな笑顔で森崎に詫びた。
「いえ、お忙しそうですね?」
森崎はそう言って笑みを浮かべる。
「それで、例の映像なんだが…」
石原が手にしていたSDカードをテーブルの上においた。
「編集した形跡は認められないということだ」
それは森崎が想像していた通りの答えだった。
「ええ、僕自身が撮ったものですから」
森崎の声は自信に満ちていた。
「だが、信じられんよ」
石原はその映像を観ていた時のことを思い出して、首を横に振った。
森崎の持ち込んだ映像とは、キメラ事件の際の町並みの様子だった。何も見えないその映像は次々と周囲の物が破壊されていく様子を映し出していた。だが、その映像はわずか三十秒ほどで切れていた。
石原の唇はそれが残念だとも言った。
「でも、カメラの調子が悪かったわけではないんですよ。あとでオフィスに戻った時に確かめたら問題なく作動しましたから…」
「その時だけ調子が悪かったと?」
森崎はその言葉に首を縦に振る。
「それで?お前はこの映像をどうしたいんだ?」
石原は腕組みをして椅子の背もたれに寄りかかった。僅かに膨らんだ腹部が前にせり出してきた。
「少しこの件を追ってみたいんです」
森崎はそう言うとこれまで美しが丘で起こってきた奇妙な事件を自分の知る限りの範囲で話し始めた。そして、自分の属するタウン誌向きの内容ではないこと、石原の雑誌であれば取り上げられる内容ではないかと思いSDカードを持ち込んだこと。そして、取材した内容を石原に買い取って貰いたいことを簡単に説明した。
それをじっと聞いていた石原の腕は次第に解かれていき、反り返っていた体は前に乗り出してきた。
「たしかにお前の言うことが本当ならこいつはうち向きの事件だな」
石原はテーブルの上に置かれたSDカードを再び手にとった。
森崎は我が意を得たりという表情でそれを見つめている。
「一ヶ月…」
SDカードを弄んでいた石原の口が不意に開かれた。
「一ヶ月で記事にまとめられるか?これまでのことすべてを…」
石原の言葉に森崎は黙って頷いた。
その風に揺られている草を分けながら骨となった遺体があった場所に小島は近づいていく。その後を恵が続く。
遺体のあった場所は腰の高さほどの雑草の中にあった。
普通ならその雑草に隠れて発見されることは難しいと思われた。しかし、うまくしたもので遺体の周囲の雑草だけが何かに引き倒されたように凹んでいた。
そう、何故か凹んでいた。
まるで発見されることを望んでいるようだ。そして、それ以外の場所は全く凹んではいなかった。
「なあ嬢ちゃん」
小島は背後に近づいてきた恵に背中を向けたまま言った。
「だから『嬢ちゃん』はやめて下さいって…」
恵は不服そうにつぶやいた。
「ここを見てどう思う?」
小島は恵の抗議などには耳を貸さない。
「どう思うって、雑草が生い茂っているとしか…」
恵は周囲を見回して答える。
「そうだ、そしてここだけが凹んでいる。だが犯人はどこからここに来たんだ?」
恵は小島の言葉にはっとなった。
そうなのだ、ここには人が通った跡がないのだ。
それに気づいた小島は首を傾げながら遺体があった周囲を見回している。しかし、どう見ても人が通ったはずの跡が見当たらない。もちろん、それは今来た小島たちの形跡や先ほどの現場検証のそれを除いて、ということだ。
また、鑑識の岸田の言うことには、犯人が通った時に残る下足痕(げそこん)も残っていなかったとの事だった。現場周辺はぬかるんでいる。したがってここを通ったならば、その痕跡が残るはずだった。
これはまた人間ではないものの仕業なのか?
小島の脳裏に嫌な感触が走った。
しかし、すぐさま別の考えが浮かんだ。
岸田は蛇の可能性を行っていたではないか。人を飲み込めるほどの大きさの蛇、その可能性があるではないか。それなら人ではないものでも、現実の世界に属するものだ。自分たちの手で解決ができるものだ。そうだ、そうに違いない。
小島は脳裏に浮かんだ現実離れした考えを打ち消した。
「蛇、か…」
小島はため息混じりにつぶやいた。
その言葉は恵の耳に届く…。
「岸田さんの見解ですね?」
「ああ、俺はそうであって欲しいと願っている…」
「私もです…。この街では私達の手に及ばない事件が多すぎます」
「そうだな…」
二人の間に沈黙が降り立った。
そこへ一人の若い男が近づいてきた。
「やはりこちらにいましたか…」
男は微笑みさえ浮かべていた。
「誰だ、あんた」
小島の言葉が身構えている。
男はそんな小島にIDを見せて名乗った。
「警視庁広域捜査課、特殊犯罪捜査室の剣崎です」
男のIDには上半身の写真とともに剱崎淳也と記載されている。
「警視庁?ここは管轄外のはずだが?」
小島は眉を顰める。
そこに恵が割って入る。
「広域捜査課、聞いたことがありますよ。確か複数の地域にまたがる重要事件を捜査する所ではないですか?」
「ええ、そのとおりです。昨年新設された部署で、まだ知らない人も多いんですよ」
剣崎はIDをしまいながら恵に応じた。
「その広域捜査課さんが何の用なんだ?」
「特殊犯罪捜査係です。先日の事件についての追跡捜査で来ました」
剣崎の言葉は二人の刑事の胸に突き刺さった。
「先日の事件とは?」
「あなた方が遭遇された化け物の件ですよ」
剣崎は悪びれもせずに言いのけた。
「どうしてそれを…」
小島の心は動揺した。
確かにあの事件は多くの人間が関わり、目撃されていた。しかし、その報告は直属の上司である太田の所で止まっているはずだった。それをこの剣崎という男は知っている。
一体何故?
小島の中に疑念が生まれた。
それを見透かしたように剣崎は笑った。
「別に不思議なことではありませんよ。報告が上がっているんです。対外的な物とは別のものがね…」
小島は警察組織の闇の部分を垣間見た気分になった…。
森崎龍一は都内の古い雑居ビルの一室を訪ねていた。
そこは使い古された事務机が雑然と並べられ、どの机にも書類が山のように積み重ねられた一室だった。出入り口の扉には「超自然」編集部と記されている。森崎はここの編集長であり、大学の先輩でもある石原正雄を訪ねたのだ。
型くずれした応接セットの椅子に座ってから三十分、訪問相手の姿はまだ認められない。森崎の前に置かれたグラスのの中の液体の氷はとっくに溶けてていた。膝を揺するカタカタという音がリズミカルに森崎の耳に届く。
数日前、森崎はある動画が収められたSDカードをこの編集部に持ち込んでいた。その中には取材中に森崎自信が映した常識では考えられない映像が収められていた。それを観た石原は「しばらく預かる」と言ってSDカードを持ち去っていた。そして今日、森崎は石原に呼び出されたのだ。
だが、呼び出しておきながら石原は一向に現れない。森崎はふと煙草を吸いたくなってワイシャツの胸のポケットに手を伸ばしたが、すぐにそれをやめた。そう、ここでは煙草を吸う事はできないのだ。今はどのオフィスでも煙草は吸えない。法がそれを許してはいないのだ。喫煙は定められた場所でなければできない。そのためにここでは喫煙場所は非常階段と定められている。暑い日差しの中に出て行くことは森崎にはためらわれたために、彼はそれを諦めたのだ。
森崎は生暖かい液体を体の中に流し込んだ。
ちょうどそこに石原が現れた。
「悪いな、待たせてしまって」
石原は古びた椅子に腰を下ろすなりバツの悪そうな笑顔で森崎に詫びた。
「いえ、お忙しそうですね?」
森崎はそう言って笑みを浮かべる。
「それで、例の映像なんだが…」
石原が手にしていたSDカードをテーブルの上においた。
「編集した形跡は認められないということだ」
それは森崎が想像していた通りの答えだった。
「ええ、僕自身が撮ったものですから」
森崎の声は自信に満ちていた。
「だが、信じられんよ」
石原はその映像を観ていた時のことを思い出して、首を横に振った。
森崎の持ち込んだ映像とは、キメラ事件の際の町並みの様子だった。何も見えないその映像は次々と周囲の物が破壊されていく様子を映し出していた。だが、その映像はわずか三十秒ほどで切れていた。
石原の唇はそれが残念だとも言った。
「でも、カメラの調子が悪かったわけではないんですよ。あとでオフィスに戻った時に確かめたら問題なく作動しましたから…」
「その時だけ調子が悪かったと?」
森崎はその言葉に首を縦に振る。
「それで?お前はこの映像をどうしたいんだ?」
石原は腕組みをして椅子の背もたれに寄りかかった。僅かに膨らんだ腹部が前にせり出してきた。
「少しこの件を追ってみたいんです」
森崎はそう言うとこれまで美しが丘で起こってきた奇妙な事件を自分の知る限りの範囲で話し始めた。そして、自分の属するタウン誌向きの内容ではないこと、石原の雑誌であれば取り上げられる内容ではないかと思いSDカードを持ち込んだこと。そして、取材した内容を石原に買い取って貰いたいことを簡単に説明した。
それをじっと聞いていた石原の腕は次第に解かれていき、反り返っていた体は前に乗り出してきた。
「たしかにお前の言うことが本当ならこいつはうち向きの事件だな」
石原はテーブルの上に置かれたSDカードを再び手にとった。
森崎は我が意を得たりという表情でそれを見つめている。
「一ヶ月…」
SDカードを弄んでいた石原の口が不意に開かれた。
「一ヶ月で記事にまとめられるか?これまでのことすべてを…」
石原の言葉に森崎は黙って頷いた。
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