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リリスの嘆き

第一章
秘密

 深夜、紅い二五〇CCが健三の管理する寺の前に止まっている。近くの草むらから半ばフライング気味の秋の虫の声が聞こえてくる。その声を後ろに黒いヘルメットを脱いだ美里が厳しい目をして寺の建物を見上げている。彼女の前に健三が姿を見せる。
「一体何のようなの?こんな時間に呼び出して…」
 美里の声には健三に対する敵意が感じられた。
「あの子のようすはどうなんだ?」
 健三は美里の言葉には反応せずに静かに言った。
「あまり良くないわ。あの子は私が本当の母親ではないことを気づき始めている」
 美里の言葉には刺が含まれている。
「なぜそんなことが言える?」
「今日、あの子が聞いてきたのよ。『紅い菊』があの子に囁いたって…」
 健三はそのことを予測していたかのように軽く受け流す。
「今日のところは誤魔化しておいたけど、いずれ私が母親ではないことを知る日が来るわ」
「その時は、その時のことだ」
 健三の言葉はまるで他人ごとのように美里には聞こえた。美里の目に怒りの炎が宿る。
「まるであの子が目覚めることを待っているみたいね」
 美里の言葉に健三は答えない。
「あなたは一方で『紅い菊』が目覚めることを待っているのではないの?その一方で自分の息子に『紅い菊』を討たせようとしている。あなたは一体何をしたいの?」
「お前がそれを知る必要はない」
「そう、あの時もそうだったわね?美鈴を私に託した時、あなたは同じ事を言ったわ」
「そうだ、お前は言われたとおりにあの子を育てればいいのだ。それはもうすぐ終わるのだ」
 健三の言葉は冷たい。
「あなたは美鈴が『紅い菊』だということを知っていたのではないの?」
 美里が啓介と同じ疑問を健三に投げつけた。
「だとしたら、どうだというのだ?」
 その言葉が美里の心に憎悪の火をつけた。
 美里の手が細かく震える。
「あなたは、なんという人なの?」
 小さな、それでいて力の入った声が、美里の唇から漏れた。
「すべてを知っていて、子どもたちを近づけて、そして殺し合わせる。そんなことが許されるの?」
「許されなくても構わない。これは通らなければならないことなのだ」
「なにが『通らなければならないこと』なの?自分の言っている意味がわかっているの?」
「理解される必要はない」
 健三の声が大きくなる。
 その方もまた細かく震えている。
「多くの命を救うためには、多少の犠牲が出ることは仕方のない事なのだ」
「それが自分の子供でも?」
「そうだ」
「あんな子どもたちに、それも互いに憎からず思っている子どもたちに、何の権利があって…」
 美里の言葉が闇に吸い込まれていく。
「あの子は、美鈴は誰の子なの?」
 美里は以前にぶつけた疑問を再び口にした。
 その言葉は頑なな健三を追い詰めた。
「あの子は…」
 健三の言葉は美里にとって衝撃的なものだった…。

 美鈴はベッドの中でまんじりとせずに過ごしていた。母、美里は先ほど何処かに出かけてまだ帰ってきてはいない。しんとした部屋の中、遠くから車の残していくロードノイズが忍び込んでくる。
 美鈴の心のなかにある疑念は未だ解決されていない。『紅い菊』が言っていたことを母は否定したが、決定的なものにはなっていない。あの時『紅い菊』はこの世界を滅ぼすことが母の願いだとはっきりと言い切った。だが、それを美里が望むはずはない。ならば『紅い菊』の言う母親が存在しているはずなのだ。この世を破壊することを望んでいる存在が間違い無くいるはずなのだ。
 そもそも『紅い菊』はなぜ生まれたのだろうか?そしていつ生まれたのだろうか?
 美鈴はそれらのことを何一つ知らされていない。そして何故、自分は啓介と、『伝承者』と命をやり取りしなければならないのか。
 この世に破壊をもたらすという『紅い菊』は滅ぼさなければならない存在なのだろう。だが、これまで彼女は悪意を持った『もの』達と対峙してきた。それは良き存在なのではないだろうか?美鈴にはそんな思いもあった。彼女の使い魔である魔鈴や九郎には悪意は感じられなかった。九郎に至っては人間を救うために命さえ落としている。そこに悪しき存在という感触はなかった。『紅い菊』もまた、美鈴の友人を救いさえしている。
 けれども、そうだけれども、『紅い菊』は『もの』を獲物として認識している。『もの』が散って行く時、その欠片たちを吸収している。その度に美鈴の精神は不安定になってきた。幾つもの『もの』を吸収した今、美鈴の心は平成を保つのが困難になってきた。ともすれば彼女の持つ攻撃性が表に出てきそうになることがある。いつ友人たちに牙をむくかわからない状態にある。
 今、美鈴は引きこもってしまいたい気分で一杯だった。
 それだけでも大きな問題であるのに、今、自分の出生に大きな疑問が浮かんでしまった。
 母の言葉は信用に足るものではない。
 美鈴の直感がそう告げていた。
 元来、『もの』は生物的な親子関係というものを持たない。
 純粋な精神的な存在であり、一度形をなしてしまえば時の呪縛に支配されず、永く存在することができる。何かのきっかけでその形が崩れ離散してしまっても、再び別の形をなして生まれてくる。そこに親子関係は存在しない。母はそう美鈴に教えていた。
 しかし、『紅い菊』は、はっきりと母親の存在に言及した。ならば、彼女は純粋な精神的存在ではない可能性がある。美鈴の中の別な人格の可能性があるのだ。だとするならば、彼女を内にもっている美鈴自身が『紅い菊』だといえるのではないか。美鈴の中にいる彼女は、美鈴の別人格ではないか?
 その『紅い菊』の言う母親とは自分自身の母親でもあるはずではないのか?
 そういえば、何気なく血液型占いの話をした時に美里は過剰な反応を見せたことがある。
 美鈴は自分の血液型がO型であり、美里の血液型がAB型であることに何気なく興味を示した時に美里は激しい反応を見せて、その話題を終わらせてしまったことがある。
 きっと血液型にこの謎を解く鍵があるのだ。
 美鈴はわずかに示されたこのヒントを追求してみようと思った。
 それが彼女を追い詰めてしまうことになるのをこの時はまだ知らずにいた…。

 森崎はSDカードに収められた映像をじっと見つめていた。そこには何もないいつもの住宅街が映しだされていたが、そのなにごともない住宅以外は見えない何かの破壊を受けていた。何度見てもその光景は変わらない。ありえないことがこのDVDには収められていた。森崎は冷えきってしまったコーヒーを喉に流し込むと、もう一度はじめからその映像を観始めた。再生速度を可能な限り遅くしてみるが、映像の内容は変わらない。それでも森崎は諦めずに画面を見つめている。すると画面左側に不意に二つの人影が現れたのを認めた。森崎は身を乗り出してその人影を観察した。
「これは…」
 森崎の唇から言葉が漏れた。
 二つの人影は近くの中学の制服を着ていた。一人は男子、一人は女子生徒だった。森崎は映像に写った二人の中学生を拡大した。画像ソフトウェアの限界まで拡大すると彼らの表情を見て取ることができた。彼らのそれは恐怖に震えていた。そして唐突に映像は終わった。ビデオカメラのバッテリーが切れたからだ。
 森崎がこの映像を撮った時、この二人の中学生には気づかなかった。もともとこの画像は少し離れた場所から写したものだ。タウン誌の取材の帰りでもあったのでカメラのバッテリーもほとんど残っていなかった。たまたまであったこの光景をほとんど偶然に撮ったのだ。そのために撮影には必ずしも良い条件だったとはいえなかった。これだけでも撮れただけ良かったのかもしれない。
 この街では何かが起こっている。
 森崎の本能がそう告げていた。
 一昨年の連続殺人事件からこちら、不可思議な事件が続いている。警察が隠し通そうとしている事柄も森崎の耳には届いていた。そのためにこの現象に興味を持ったのだ。
「しかし、この子たちは何を見たのだ?}
 森崎は冷たくなったコーヒーを再び口にした。
 このあとに工事現場のあの事故が起きたのだ。あの事故では複数の人間たちが病院へ送り込まれた。しかし、彼らはすぐに転院させられ、この街には残っていない。その理由はわからなかったが、森崎はそこに作為的なものを感じていた。
 これにはきっと何かがある。
 森崎の五感が叫んでいた。
 まずはここに映しだされた中学生たちを探すことだ。
 森崎は拡大した映像をプリントアウトしてパソコンの電源を切った。
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