踏みにじられた生命
第四章
使い魔
「どうですか?お認めになりますか?」
野本と恵子は観念したように頷いた。
「あなた方がもう少し早く教えて下さっていれば、私達の初動捜査はもう少しましなものになっていましたよ」
小島は呆れたように溜息をついた。
「しかし、あなたは何処でそれを?」
「三上響子の通夜に吉田沙保里の母親が来ていましてね、彼女から娘さんの日記を見せてもらいました。そこに書かれていました」
響子の携帯電話を閉じてそれを指さす。
「それにものメッセージでね。動機は怨恨だと判りました」
もはや小島の言葉は落ち着きを取り戻していた。
「はい、あなたの仰るとおりです」
恵子が俯いたままで応えた。
「どうして隠したのですか」
「虐めがあったなんてことが判ったら教育委員会の評価が下がる。それに…」
「それに?」
「三上の父親はこの地域の有力者なんです」
そんな理由で吉田沙保里は彼等に見捨てられたのか。小島は沙保里を追い詰めたのが、『大人の事情』だったことにやり場のない憤りを感じた。
放課後、啓介、佐枝、義男の三人は美鈴の病室を訊ねた。
「なんだ、意外に元気そうじゃないか」
ベッドで起き上がり本を読んでいる美鈴に向かって啓介が言った。
「ほんと、心配して損したわ」
佐枝が笑っている。
「それで、いつ頃退院できるんだ?」
佐枝の隣から義男が口を挟んできた。
「順調にいけば明後日だって。医者も驚いていたわ」
美鈴は笑って応えた。
確かに美鈴の回復力は目覚ましいものがあった。少し前の時間に傷口の消毒を行ったのだが、それはもう塞がりかけていた。医者が驚くのも無理はない。普通なら傷が塞がるにはもう少し時間がかかる。
だが、それを見越していた人物がいた。
その人物は鏡美里だった。
退院の日、美里が迎えに来た。
既に抜糸を済ませていた美鈴は母の持ってきた普段着に着替えて、退院の準備を済ませていた。それは意外と楽に済んだ。母は二日分の用意しかして来なかったからだ。美鈴は母の勘の良さを改めて知ることになった。
「美鈴、準備は出来た?」
担当医師とナースステーションにいた看護師への挨拶を済ませた美里が病室に入ってきた。
美鈴は支度を済ませた鞄をベッドの上に置き頷いた。
「じゃ、行こうか」
母の言葉を切っ掛けにして二人は病室をあとにした。
病院を出ると街角の喧騒が美鈴にどっと押し寄せてきた。たった三日しか世の中から離れていないのに、病院の中とその外ではこれほども違いがあるのか、美鈴はそう感じた。 病院からアパートまでたいした距離ではないので二人は歩いて帰ることにした。そうしているうちに美鈴の体は外の世界へ順応してきた。
病院から数分歩いた頃、物陰から一匹の黒い猫が飛び出してきて、美鈴の足に纏わり付いた。その猫は人懐こくごろごろと咽を鳴らしている。まださほど大きくない。どうやら子供のようだ。
ひとしきり猫は纏わり付いた後、美鈴の前に回って座り込んだ。その姿は子猫にしては自信に満ちて凛々しくさえ思えた。不意に一声なくと猫は美鈴をじっと見つめた。
見上げてきたその顔を見るとその瞳は碧眼だった。
その猫はあの夜病室の窓の外にいた黒い猫だった。
「あら、やっと出てきたのね」
そう言って美里は猫を軽々と抱き上げた。どうやら彼女はその猫のことを知っているようだった。
「お母さん、その猫知っているの?」
美鈴は突然湧いてきた疑問を母にぶつけてみた。
「ええ、知っているわよ。この子の親はあなたが生まれるまで私に憑いていたもの」
「憑いてきた?」
「そう、この子はあなたの使い魔。いつもあなたの傍にいてあなたを守ってくれるもの」
美里はそう言いながら子猫の体をそっと撫でている。
「でも、家ではペットは飼えないよ」
「大丈夫。大家さんは遠くに住んでいるし、この子は静かだもの。黙って飼っても判りはしないわ」
こういうところも母にはあったのだ。自分に必要なものがあった場合、どんな理屈でもつけてくる。美鈴はそれに何度か振り回されたことがあった。
野本と恵子は観念したように頷いた。
「あなた方がもう少し早く教えて下さっていれば、私達の初動捜査はもう少しましなものになっていましたよ」
小島は呆れたように溜息をついた。
「しかし、あなたは何処でそれを?」
「三上響子の通夜に吉田沙保里の母親が来ていましてね、彼女から娘さんの日記を見せてもらいました。そこに書かれていました」
響子の携帯電話を閉じてそれを指さす。
「それにものメッセージでね。動機は怨恨だと判りました」
もはや小島の言葉は落ち着きを取り戻していた。
「はい、あなたの仰るとおりです」
恵子が俯いたままで応えた。
「どうして隠したのですか」
「虐めがあったなんてことが判ったら教育委員会の評価が下がる。それに…」
「それに?」
「三上の父親はこの地域の有力者なんです」
そんな理由で吉田沙保里は彼等に見捨てられたのか。小島は沙保里を追い詰めたのが、『大人の事情』だったことにやり場のない憤りを感じた。
放課後、啓介、佐枝、義男の三人は美鈴の病室を訊ねた。
「なんだ、意外に元気そうじゃないか」
ベッドで起き上がり本を読んでいる美鈴に向かって啓介が言った。
「ほんと、心配して損したわ」
佐枝が笑っている。
「それで、いつ頃退院できるんだ?」
佐枝の隣から義男が口を挟んできた。
「順調にいけば明後日だって。医者も驚いていたわ」
美鈴は笑って応えた。
確かに美鈴の回復力は目覚ましいものがあった。少し前の時間に傷口の消毒を行ったのだが、それはもう塞がりかけていた。医者が驚くのも無理はない。普通なら傷が塞がるにはもう少し時間がかかる。
だが、それを見越していた人物がいた。
その人物は鏡美里だった。
退院の日、美里が迎えに来た。
既に抜糸を済ませていた美鈴は母の持ってきた普段着に着替えて、退院の準備を済ませていた。それは意外と楽に済んだ。母は二日分の用意しかして来なかったからだ。美鈴は母の勘の良さを改めて知ることになった。
「美鈴、準備は出来た?」
担当医師とナースステーションにいた看護師への挨拶を済ませた美里が病室に入ってきた。
美鈴は支度を済ませた鞄をベッドの上に置き頷いた。
「じゃ、行こうか」
母の言葉を切っ掛けにして二人は病室をあとにした。
病院を出ると街角の喧騒が美鈴にどっと押し寄せてきた。たった三日しか世の中から離れていないのに、病院の中とその外ではこれほども違いがあるのか、美鈴はそう感じた。 病院からアパートまでたいした距離ではないので二人は歩いて帰ることにした。そうしているうちに美鈴の体は外の世界へ順応してきた。
病院から数分歩いた頃、物陰から一匹の黒い猫が飛び出してきて、美鈴の足に纏わり付いた。その猫は人懐こくごろごろと咽を鳴らしている。まださほど大きくない。どうやら子供のようだ。
ひとしきり猫は纏わり付いた後、美鈴の前に回って座り込んだ。その姿は子猫にしては自信に満ちて凛々しくさえ思えた。不意に一声なくと猫は美鈴をじっと見つめた。
見上げてきたその顔を見るとその瞳は碧眼だった。
その猫はあの夜病室の窓の外にいた黒い猫だった。
「あら、やっと出てきたのね」
そう言って美里は猫を軽々と抱き上げた。どうやら彼女はその猫のことを知っているようだった。
「お母さん、その猫知っているの?」
美鈴は突然湧いてきた疑問を母にぶつけてみた。
「ええ、知っているわよ。この子の親はあなたが生まれるまで私に憑いていたもの」
「憑いてきた?」
「そう、この子はあなたの使い魔。いつもあなたの傍にいてあなたを守ってくれるもの」
美里はそう言いながら子猫の体をそっと撫でている。
「でも、家ではペットは飼えないよ」
「大丈夫。大家さんは遠くに住んでいるし、この子は静かだもの。黙って飼っても判りはしないわ」
こういうところも母にはあったのだ。自分に必要なものがあった場合、どんな理屈でもつけてくる。美鈴はそれに何度か振り回されたことがあった。
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