踏みにじられた生命
第四章
贖罪
『紅い菊』は魔鈴と共に夜の街角を疾風のように駆け抜ける。この時間になると仕事帰りのサラリーマン達が歩道を歩いているので、彼女達は人という障害物の少ない車道を走る。
後ろを走る美里のバイクは振り切られない程度のスピードを出している。それでも街中で出せるスピードの限界に近かった。
『紅い菊』は街の幹線道路から住宅街の路地に入る。途端に街灯の数が少なくなり辺りは薄暗くなる。夜の公園が後ろに飛び去っていく。人が、街灯の明かりが、瞬時のうちに飛び去る。
美里のバイクが悲鳴をあげて追いかけてくる。しかし、先ほどよりも速度が落ちているため、『紅い菊』との距離が徐々に拡がっていく。
バイクの音が遠ざかっていく。
『紅い菊』は幾つもの角を曲がり、やがて目的の家の前で立ち止まる。息は少しも乱れていない。彼女は目的の家の二階を見上げる。道路に面した窓の明かりが時折明滅している。
その家の表札には、飯田と記されていた。
美佳の悲鳴はもはや声にはならなかった。目の前に断つ沙保里から必死に視線を反らそうとして瞳や顔が細かく震える。
お互いの息が触れ合うほど近づいた時、沙保里は遠くを見るような目で口を開いた。
「あなたたちは友達も作れない私に声をかけてくれたわね。それから私達はいつも一緒にいた…」
美佳の震えが大きくなる。
「そういえば、こんなことがあったわね?」
沙保里は微笑みながら美佳にあるイメージを送り込む。
それは、美佳達に声をかけられてから数日後のことだった。
沙保里が部活から教室に戻ると彼女の席の周りに教科書やノートがばらまかれていた。全ての表紙には赤いインクで「死ね」と書かれていた。
沙保里はパニックを起こした。
誰が、何故こんなことをするのか?その疑問だけが頭の中で渦巻いている。沙保里は床に散らばった教科書やノートをかき集め鞄の中に入れていった。
そして、最後の一冊を手にしようとした時、誰かの手がその教科書を取り上げた。
「どうしたの、沙保里。」
三上響子だった。
響子は教科書の表紙を見て隣にいた野川明美に手渡した。
「やだ、これ、ひどぉい」
明美は残った二人にもその教科書の表紙を見せた。
「誰がこんなことしたのかしら?」
「ほんとよね」
伊本彩花と美佳が口々に言いながら這いつくばっている沙保里を見下ろした。彼女達は心配しているような言葉を発しながら、それでもその目は笑っていた。
〈こんなことをしたのは、この人達だ〉
沙保里は見下している八つの目を見てそう悟った。
「それから、こんなこともあったわね」
沙保里はまた別のイメージを美佳の脳裏に送り込む。
スーパーマーケットの前に沙保里達五人が屯している。声を潜めながら何かを企んでいる。
「だからさ、何でも良いんだよ。盗ってくるものなんて」
「そうそう、あんたの勇気が見たいんだからさ」
「大丈夫、私達が見張ってあげるからさ」
美佳達は口々に沙保里を説得する。
どうやら沙保里に万引きをさせようとしていた。勿論、彼女達の目論見など判っていた。今まで何度同じ様なことを言われて万引きを繰り返してきたのだろうか?いつも彼女達は見張り役で、実行するのは必ず沙保里だった。
沙保里はもういい加減にこんなこと辞めたかった。これまでは運良く見つからないできた。けれども、それはあくまでも運が良かっただけなのだ。こんなことを繰り返していけばいつかは捕まってしまう。そんなことは判りきっていた。
それならば、美佳達との付き合いを辞めてしまえばいい。沙保里は何度となくそう考えていたが、そうした時の彼女達の仕返しが怖くて出来なかった。
「さあ、行くよ」
響子が促すように言い、それを切っ掛けにして四人が沙保里を取り囲んでスーパーマーケットの中に入っていった。
沙保里は脅えながら店内を廻っていく。どれを盗ったらいいものか決めかねていると取り囲んでいる誰かの声がした。
「何してんだよ、早く決めろよ」
その言葉は沙保里の心を貫いた。恐怖が彼女を包み込む。沙保里の心は抵抗することを諦めた。
盗るならなるべく小さいものにしよう。それならば見つかりにくいから…。沙保里はそう考えてお菓子売り場に移動し、その中で一番近いチョコレートに手を伸ばした。それを見計らったように、それまで沙保里を取り囲んでいた壁が一斉に四散し、チョコレートを鞄に入れようとする沙保里の姿が曝されてしまった。
沙保里の体は一瞬固まってしまったが、それでも努めて冷静を装って店の外に出て行った。
その時、
「ちょっとお客さん」
沙保里は背後から声をかけられた。沙保里の恐怖は頂点に達した。返事も出来ずに俯いてしまう。
「お客さん、お会計の済んでないものがありませんか?」
声をかけてきたのは万引きを専門に監視している警備員だった。
沙保里は観念して鞄の中からチョコレートを出した。
「ちょっと事務所まで来てね」
警備員は沙保里の手を取ってスーパーの中に消えていった。
その様子を物陰から見ていた四人の顔に残忍な笑みが浮かんだ。
後ろを走る美里のバイクは振り切られない程度のスピードを出している。それでも街中で出せるスピードの限界に近かった。
『紅い菊』は街の幹線道路から住宅街の路地に入る。途端に街灯の数が少なくなり辺りは薄暗くなる。夜の公園が後ろに飛び去っていく。人が、街灯の明かりが、瞬時のうちに飛び去る。
美里のバイクが悲鳴をあげて追いかけてくる。しかし、先ほどよりも速度が落ちているため、『紅い菊』との距離が徐々に拡がっていく。
バイクの音が遠ざかっていく。
『紅い菊』は幾つもの角を曲がり、やがて目的の家の前で立ち止まる。息は少しも乱れていない。彼女は目的の家の二階を見上げる。道路に面した窓の明かりが時折明滅している。
その家の表札には、飯田と記されていた。
美佳の悲鳴はもはや声にはならなかった。目の前に断つ沙保里から必死に視線を反らそうとして瞳や顔が細かく震える。
お互いの息が触れ合うほど近づいた時、沙保里は遠くを見るような目で口を開いた。
「あなたたちは友達も作れない私に声をかけてくれたわね。それから私達はいつも一緒にいた…」
美佳の震えが大きくなる。
「そういえば、こんなことがあったわね?」
沙保里は微笑みながら美佳にあるイメージを送り込む。
それは、美佳達に声をかけられてから数日後のことだった。
沙保里が部活から教室に戻ると彼女の席の周りに教科書やノートがばらまかれていた。全ての表紙には赤いインクで「死ね」と書かれていた。
沙保里はパニックを起こした。
誰が、何故こんなことをするのか?その疑問だけが頭の中で渦巻いている。沙保里は床に散らばった教科書やノートをかき集め鞄の中に入れていった。
そして、最後の一冊を手にしようとした時、誰かの手がその教科書を取り上げた。
「どうしたの、沙保里。」
三上響子だった。
響子は教科書の表紙を見て隣にいた野川明美に手渡した。
「やだ、これ、ひどぉい」
明美は残った二人にもその教科書の表紙を見せた。
「誰がこんなことしたのかしら?」
「ほんとよね」
伊本彩花と美佳が口々に言いながら這いつくばっている沙保里を見下ろした。彼女達は心配しているような言葉を発しながら、それでもその目は笑っていた。
〈こんなことをしたのは、この人達だ〉
沙保里は見下している八つの目を見てそう悟った。
「それから、こんなこともあったわね」
沙保里はまた別のイメージを美佳の脳裏に送り込む。
スーパーマーケットの前に沙保里達五人が屯している。声を潜めながら何かを企んでいる。
「だからさ、何でも良いんだよ。盗ってくるものなんて」
「そうそう、あんたの勇気が見たいんだからさ」
「大丈夫、私達が見張ってあげるからさ」
美佳達は口々に沙保里を説得する。
どうやら沙保里に万引きをさせようとしていた。勿論、彼女達の目論見など判っていた。今まで何度同じ様なことを言われて万引きを繰り返してきたのだろうか?いつも彼女達は見張り役で、実行するのは必ず沙保里だった。
沙保里はもういい加減にこんなこと辞めたかった。これまでは運良く見つからないできた。けれども、それはあくまでも運が良かっただけなのだ。こんなことを繰り返していけばいつかは捕まってしまう。そんなことは判りきっていた。
それならば、美佳達との付き合いを辞めてしまえばいい。沙保里は何度となくそう考えていたが、そうした時の彼女達の仕返しが怖くて出来なかった。
「さあ、行くよ」
響子が促すように言い、それを切っ掛けにして四人が沙保里を取り囲んでスーパーマーケットの中に入っていった。
沙保里は脅えながら店内を廻っていく。どれを盗ったらいいものか決めかねていると取り囲んでいる誰かの声がした。
「何してんだよ、早く決めろよ」
その言葉は沙保里の心を貫いた。恐怖が彼女を包み込む。沙保里の心は抵抗することを諦めた。
盗るならなるべく小さいものにしよう。それならば見つかりにくいから…。沙保里はそう考えてお菓子売り場に移動し、その中で一番近いチョコレートに手を伸ばした。それを見計らったように、それまで沙保里を取り囲んでいた壁が一斉に四散し、チョコレートを鞄に入れようとする沙保里の姿が曝されてしまった。
沙保里の体は一瞬固まってしまったが、それでも努めて冷静を装って店の外に出て行った。
その時、
「ちょっとお客さん」
沙保里は背後から声をかけられた。沙保里の恐怖は頂点に達した。返事も出来ずに俯いてしまう。
「お客さん、お会計の済んでないものがありませんか?」
声をかけてきたのは万引きを専門に監視している警備員だった。
沙保里は観念して鞄の中からチョコレートを出した。
「ちょっと事務所まで来てね」
警備員は沙保里の手を取ってスーパーの中に消えていった。
その様子を物陰から見ていた四人の顔に残忍な笑みが浮かんだ。
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