市内遺跡発掘調査報告 青森市山城分布調査
青森市教育委員会では、令和3年5月から令和7年10月まで各城館跡の周辺を現地確認する「分布調査」を文化遺産課が実施してきました。その調査結果は、毎年発行されている「市内遺跡発掘調査報告書」によって報告されています。各山城の調査は複数年にわたることも多く。調査報告書ではその山城の状況をつかむのが難しいことから、それぞれの山城ごとに報告書をまとめてみます。
なお、図の番号、写真の番号は、市内遺跡発掘調査報告書で使われているものと同じにしてあります。図、写真とも青森市教育委員会の所蔵であり、使用許可は、令和8年1月9日付け 青市指令教委文第39号 および 令和8年4月2日付け 青市指令教委文第3号です。
contents
《各山城領域の調査結果》
①尻八館遺跡
②(仮称)大阪山館跡
③(仮称)内真部山城跡
④湯ノ沢館遺跡
⑤前田蝦夷館遺跡
⑥(仮称)瀬戸子館跡
⑦飛鳥山館跡
⑧全体まとめ
《各山域の遺構配置地図》 山城分布調査の指導をした榊原滋高氏が作成 《 市内遺跡発掘調査報告書の入手方法 》 インターネットサイトからダウンロード
調査日 :令和4 年8 月24 日
調査概要 :尻八館跡(青森県埋蔵文化財包蔵地台帳番号201026)の西曲輪および東曲輪(青森市 2005)に連なる周知の遺跡範囲外の尾根を調査した。尻八館跡が存在する丘陵の東麓にあたる山城溜池から、西曲輪に向かう尾根上では、段状遺構や断続的にみられる壕底道を確認した。また、西曲輪東側の尾根上では、段状遺構、コの字状の壕を確認した。東曲輪に連なる尾根では、土塁を確認した。

R4-第8 図 尻八館跡踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
写真5と6「尻八館跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
R6-・尻八館跡(第9 図)
調査日:令和6 年5 月20 日
調査概要:周知の埋蔵文化財包蔵地である尻八館跡内及び南東側の範囲外の尾根を中心に調査を行った。尻八館跡内の東曲輪・西曲輪(註)が存在する丘陵付近は、急峻な地形となっているが、北、東、南東側に一部緩やかな尾根が麓に続いている。調査は、尻八館跡東方の山城溜池南側の丘陵尾根から開始した。山城溜池の南側に張り出す丘陵尾根を西側に進むと、尾根上から壕底道(第9 図①、写真7)を確認した。壕底道は、途切れる箇所もあるが、尻八館跡内の西曲輪付近まで断続的に確認した。壕底道が途切れる箇所は、山城溜池に注ぐ沢の末端付近に相当し、この地点から土塁(同②、写真8)を確認した。尻八館内については、遺構の再確認を行い、西曲輪東側の段状遺構(同③、写真9)、西曲輪と東曲輪の間の堀切(同④)などを確認した。
註 『新青森市史 資料編2 古代 中世』( 青森市 2005)の遺構名に基づく。

R6-第9図 尻八館跡踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より

写真7~9「尻八館跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より
調査日 :令和4 年10 月6 日
調査概要 :内真部館遺跡(青森県埋蔵文化財包蔵地台帳番号201159)西側において「内真部山城跡」と仮称(青森市 2005)されている丘陵地を踏査した。南東側の緩斜面から丘陵の尾根に向かう地点に虎口、北西側に連なる尾根から壕底道や土橋、北東から入り込む沢に面した斜面から小平場を確認した。
また、六枚橋地区の大阪山(標高143 m)周辺において、市民グループが発見した城館(仮称 大阪山館)の調査を行った。内真部山城方面から北西側に尾根を進んだ地点において、北東側に張り出す舌状丘陵の東側斜面に小平場、その西側の尾根上には曲輪とみられる平坦面があり、北東側の沢に面した斜面から小平場を確認した。その地点から西側に尾根を進んだ場所には、土橋を挟んで二重に構築された壕底道を確認した。また、南側を流れる内真部川支流の笹橋沢に張り出す丘陵の突端部には、段状に何重にも造成した山道(九十九折)を確認した。
R4-④仮称 大阪山館
調査日 :令和4 年11 月7 日
調査概要 :10 月6 日に到達した地点から西側および北東側に延びる尾根について調査を実施した。西側については、尾根上に1.5 km以上にわたって断続的に壕底道を確認し、六枚橋川方向から入り込む沢に面した壕底道の西端に近い地点では桝形を呈する壕を確認した。また、南側の内真部川支流の笹橋沢に尾根が連続して張り出す箇所においては、先端部の斜面から小平場を確認し、南側の沢からの侵入に対する防御を意識した構造となっていることを確認した。北東側の尾根では、頂部から曲輪とみられる平坦面を確認した。曲輪から北東側に続く尾根の先は、平坦部が続き、その先に3 条の壕底道を確認した。東側から入り込む沢地形に面した斜面では、小平場群を確認した。
R4-⑤仮称 大阪山館
調査日 :令和4 年11 月16 日
調査概要 :仮称 大阪山館について、11 月7 日に北東側の尾根で確認した北曲輪北側において、六枚橋川方面に張り出す丘陵を調査した。この丘陵には、北側の六枚橋川方向から2 条の沢地形が入り込んでいるが、いずれの沢に対する斜面にも複数の小平場の存在を確認した。特に東側の沢の西側斜面に小平場が顕著であり、北側の沢からの侵入に対する防御を意識した構造を確認した。また、陸奥湾を臨む東側の斜面にも複数の小平場や段状遺構を確認し、東側からの侵入にも備えた構造となっている。この丘陵頂部からは、尾根の頂部を平坦に整形したとみられる平場のほか、部分的に壕底道を確認した。

R4-第12図 仮称 大阪山館踏査範囲(S = 1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より


写真10~15「仮称 大阪山館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
調査日 :令和4 年10 月6 日
調査概要 :内真部館遺跡(青森県埋蔵文化財包蔵地台帳番号201159)西側において「内真部山城跡」と仮称(青森市 2005)されている丘陵地を踏査した。南東側の緩斜面から丘陵の尾根に向かう地点に虎口、北西側に連なる尾根から壕底道や土橋、北東から入り込む沢に面した斜面から小平場を確認した。
R4-⑤仮称 内真部山城
調査日 :令和4 年11 月16 日
調査概要 :仮称 内真部山城の北東側斜面では、深く入り込んだ沢や急峻な地形を生かした防御構造を確認し、南東側の斜面から数箇所の小平場を確認した。

R4-第11図 仮称 内真部山城踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より


写真9と16~18「仮称 内真部山城」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
調査日 令和5 年10 月12 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である湯ノ沢館遺跡範囲外の西側の尾根を中心に調査を行った。調査は、湯ノ沢館遺跡西側の丘陵から開始した。北側の内真部川と南側の湯ノ沢から谷地形が入り込む地点には土橋、西側に尾根を進んだ地点には広く平坦な平場を確認した。そこから南側に延びる尾根上には壕底道が続き、尾根を分断するような切通しを確認した。切通しを西側に越えると、尾根筋には壕底道が続き、一部三重となる箇所を確認した。壕底道を西側に進み、さらに西側の丘陵に差し掛かると、壕底道は尾根下を通って屈曲し、壕底道右手の斜面は切岸によって段状となる状況を確認した。丘陵の南東側は土塁と深い壕によって南側の沢からの侵入を防ぐ構造となっていた。その先は、壕底道が西側に続き、壕底道右手の斜面に小平場を確認した。
R5-・湯ノ沢館遺跡②
調査日 令和5 年10 月24 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である湯ノ沢館遺跡範囲内の尾根を中心に調査を行った。調査は、湯ノ沢館遺跡南東側の尾根筋から開始した。尾根筋には壕底道が続き、丘陵の南端部に達した地点には北西方向に延びる壕底道が複数存在し、自然地形を利用した平場を確認した。壕底道を北西に進んだ地点には南側に回り込むように壕底道が巡り、その内部からは自然地形を利用した平場を確認した。壕底道は、北側の丘陵頂部に延び、丘陵頂部には四方の切岸、壕底道が巡る曲輪を確認した。また、尾根道を西側に進んだ地点の丘陵東端部には、東向きの斜面が切岸によって形成された平場があり、その南側の斜面に西側に延びる壕底道が存在する状況を確認した。
R5-・湯ノ沢館遺跡③
調査日 令和5 年11 月18 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である湯ノ沢館遺跡について、10 月12 日、10 月24 日の調査地点を中心に榊原氏の調査指導の下、調査を行った。湯ノ沢館遺跡範囲外にある西側の丘陵の尾根筋において南側から確認した高土塁と壕底道の北側に隣接する平場については、細長い帯曲輪状であることを確認し、帯曲輪上方の尾根上には西側に延びる壕底道の存在を確認した。丘陵の北側斜面からは、炭焼窯跡とみられる窪地を複数確認した。さらに、前回の調査で確認した壕底道の先において、新たに尾根筋から平場を確認し、さらに壕底道が西側に延びていることを確認した。また、湯ノ沢館遺跡に隣接する丘陵頂部の平坦面については、前回の調査で曲輪の可能性が高いとしていたが、南側に尾根を断ち切るように切通しが存在するものの、周囲に切岸や壕底道が認められないことから、曲輪とせず、自然地形を生かした平場と捉えることとなった。
このほか、湯ノ沢館遺跡範囲外の東側山麓において、方形区画の調査を行った。浅い壕と土塁によって平面四角形に区画された状況を確認した。

R5-第11図 湯ノ沢館跡踏査範囲(S = 1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度より



写真15~20「湯ノ沢館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度 より
R6-・湯ノ沢館遺跡周辺(第13 図)
調査日:令和6 年11 月24 日
調査概要:調査指導の下、湯ノ沢館遺跡では、遺跡範囲外東側の東向き斜面を南側から北側に調査したほか、範囲外の北側に相当し、内真部川南岸に鎮座する大山神社周辺を調査した。湯ノ沢館遺跡範囲外東側の東向き斜面の麓に相当する県道屏風山内真部線沿いからは、段状遺構(第13 図①、写真31)を確認した。この段状遺構については、湯ノ沢館遺跡範囲外東側の東向き斜面の麓に相当する内真部(4)遺跡(同②)の発掘調査で検出されており、東向き斜面の麓において南北方向に連続する可能性が高いことが判明した。また、大山神社周辺においては、社殿のある、内真部川に張り出すような丘状地形の東側斜面下方で壕底道(同③、写真32)を確認し、さらに壕底道が丘状地形を北側に取り巻くように斜面上方に延びていることを確認した。

R6-第13図 湯ノ沢館跡踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より

写真31~32「湯ノ沢館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より
R7-・湯ノ沢館遺跡周辺①(第6 図)
調査日:令和7 年6 月6 日
調査概要:湯ノ沢館遺跡は、内真部川と湯ノ沢に挟まれた丘陵上のうち、東端部の丘陵に位置する周知の埋蔵文化財包蔵地である。令和5 年度に実施した調査において、遺跡範囲外の西側に延びる尾根上を中心として、平場等の遺構が点在することを確認している。
今回の調査は、遺跡範囲外の西側方向に延びる尾根から、北側の内真部川方向に張り出す小丘陵のうち、湯ノ沢館遺跡の範囲から西側に約600 m離れた地点について実施した。内真部川の南側において、東西方向に沿うように存在する農道から、丘陵地の東側を南へと進んでいくと、壕底道(第6 図①・②)を断続的に確認し、斜面上方に進んだ地点においては、北側の内真部川方向から入り込む沢の西側に面するように位置する、広い平坦部(第6 図③)の存在を確認した。この平坦部から南西方向に進むと、壕底道(第6 図④)が南側に連続し、東西方向の尾根に連結する状況を確認した。さらに、ここから南西方向に進んだ丘陵の西端では、小さな沢が西側に延びており、このうち1箇所の沢では、丘陵と沢の接点に平場(第6 図⑤)が存在する状況を確認した。
また、遺跡北西側については、付近に鎮座する大山神社の近傍において、令和6 年度に壕底道を確認しており、その壕底道の続きを確認するため、周辺を調査した。前回、壕底道の軸線から、大山神社が鎮座する丘状地形を取り巻くように壕底道が延びていると推定したが、実際には途中で途絶えており城館に伴うものではないと判断した。

R7-第6図 湯ノ沢館跡調査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より


写真1~5「湯ノ沢館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度 より
R7-・湯ノ沢館遺跡周辺②(第6 図)
調査日:令和7 年10 月30 日
調査概要:湯ノ沢館遺跡周辺については、調査員の指導の下、6 月6 日に実施した調査地点の調査を再度実施した。調査は、内真部川南側の農道から丘陵地へと南下して行い、丘陵地の東側で断続的に壕底道が部分的に二列となる状況(第6 図⑥)を確認した。前回の調査で、この地点の斜面上方から確認した広い平坦面(第6 図③)については、平坦面の作出に伴う明確な痕跡が認められないことから、自然地形である可能性が高いと判断した。また、丘陵西側において、西側に延びる小さな沢と丘陵の接点から確認した平場(第6 図⑤)については、平場を3 段確認した。また、この平場を確認した付近の沢について、下流側を調査したが、この他に平場の存在は確認できなかった。


写真6~9「湯ノ沢館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度 より
◇◇ 調査に関連しての遺跡範囲変更
3.内真部地区
調査日 :令和4 年11 月13 日
調査概要 :内真部城館群の踏査を実施している市民グループより、内真部(1)遺跡範囲外で土器を採集したという情報を受け、分布調査を実施した。当該地は、内真部(1)遺跡西側の山林にあたり、数年前に行われたとみられる森林伐採時の運搬路造成によって掘削を受けており、縄文土器、土師器、鉄滓のほか、地山が露出した地点から焼土範囲を確認したため、範囲変更した。

R4-第6図 内真部(1)遺跡(S = 1/25,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より
○時代:縄文(前、後)、奈良、平安 ○土師器、鉄滓
調査日 令和5 年5 月27 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である前田蝦夷館遺跡範囲内及び遺跡範囲外の南西側の尾根を中心に調査を行った。調査は、遺跡範囲外の南側を東西方向に走る壕底道を通り、南西側に連なる尾根から開始した。北側の湯ノ沢から谷地形が入り込む地点から土橋、壕底道を確認し、東側の斜面に面した地点から平場と壕底道を確認した。さらに尾根上を進んだ丘陵の頂部には広い平場が存在し、平場の北端部には土塁と切岸、南端部に延びる尾根には小平場が存在し、その先は切岸となっていた。広い平場の西側の尾根上は、さらに壕底道が続き、平場の西側近傍から土塁と切岸、北側及び南側から谷地形が入り込む地点には土橋、その先の北側から谷地形が入り込む地点には北側に小平場を持つ土橋を確認した。壕底道は、南西側の丘陵に向かって尾根上に連続して確認でき、さらに尾根上からは土塁を確認した。

R5-第10図 前田蝦夷館遺跡踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度より


写真8~11「前田蝦夷館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度 より
R6-・前田蝦夷館遺跡①(第10 図)
調査日:令和6 年10 月25 日
調査概要:前田蝦夷館遺跡範囲外の南~南西側に相当する尾根や斜面を中心に調査を行った。範囲外の南西側については、令和5 年5 月27 日に調査を実施しているが、遺構の再確認とともに、遺跡範囲外の南西に延びる尾根及び遺跡範囲外の南側に相当する東向きの斜面における遺構確認を目的に実施した。調査は、遺跡範囲の南側をかすめて、西から南西側へと行った。遺跡範囲の南側からは、土橋(第10 図①、写真17)を挟んで壕底道(同②、写真18)を確認し、壕底道を南に進んだ地点から、切岸を伴う平場(同③、写真19)がある虎口状の施設を確認した。その南側の「南方山城遺構Ⅰ」(前掲青森市2005)(同④)では、広い平場のほか、北西側の谷地形が入り込む地点から切岸と土塁(同⑥、写真20)、南東側の尾根では、斜面下方に切岸を伴う平場(同⑤、写真21)を確認した。南方山城遺構Ⅰを西側に進むと壕底道が続き、北側から谷が入り込む地点から土橋(同⑦)を確認した。土橋を西、さらに南西に進んだ地点では、土塁を伴う壕底道(同⑧)を確認した。遺跡範囲外南東側の東向き斜面では、斜面下方から段築遺構(同⑨、写真22)の確認とともに、その斜面上方からは壕が方形に巡り、東側に土塁を伴う方形区画とみられる遺構(同⑩、写真23)を確認した。
R6-・前田蝦夷館遺跡②(第11 図)
調査日:令和6 年11 月11 日
調査概要:10 月25 日に調査を実施した、前田蝦夷館遺跡範囲外の南~南西側に相当する尾根や斜面について、調査指導の下、調査を行った。調査は、10 月25 日と同様のルートで実施した。昨年及び今年度の調査で、南方山城遺構Ⅰにある広い平場の北側から土塁と切岸を確認した箇所については、虎口である可能性が高いことを確認した(第11図①、写真24)。また、南方山城遺構Ⅰから西に尾根を進み、土橋を越え、西、さらに南西に進んだ地点で確認した土塁を伴う壕底道(同②)を南側に進んだ地点からは、東西に2 箇所の平場を確認した(同③・④)。東側の平場(同③、写真25)については、東側斜面が切岸となっており、さらに東側の斜面下方に小さな平場が隣接することを確認した。遺跡範囲外南側の東向き斜面については、前回確認した方形区画(同⑤)が厳密には方形ではなく、西隅が突出する平面形状となっていることを確認した。また、前回方形区画の東側から段築遺構を確認していたが、段築遺構は方形区画の北側と南側にも存在していることを確認した。北側の段築遺構の付近では、斜面が矩形に掘り込まれ、神仏に関わる堂跡の可能性が調査員によって指摘された箇所(同⑥・⑦、写真26)を大小2 箇所確認した。また、方形区画と南側の段築遺構の間には、井戸跡とみられる窪み(同⑧、写真27)を確認した。
R6-・前田蝦夷館遺跡③(第12 図)
調査日:令和6 年11 月24 日
調査概要:調査指導の下、前田蝦夷館遺跡範囲内を中心とした調査を行った。範囲内の踏査については、令和5 年5 月27 日に実施しているが、範囲内の曲輪の再確認及び曲輪北側の遺構の有無確認を目的に行った。調査は、遺跡東側の麓にある蝦夷館山守護神御堂から西側へと行った。遺跡範囲内では、令和5 年の調査と同様に、丘陵頂部から周囲を二重の壕で囲まれた北曲輪(第12 図①)と南曲輪(同②)、さらにその中間でも堀切(同③、写真28)と曲輪を確認した。北曲輪と南曲輪の中間付近の西側では虎口(同④、写真29)を確認し、虎口に連結する壕底道(同⑤)を確認した。また、北曲輪北側の湯ノ沢川に面した斜面に小平場群(同⑥・⑦、写真30)を確
認した。

R6-第10図 前田蝦夷館遺跡踏査範囲①(1/10,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より

R6-第11図 前田蝦夷館遺跡踏査範囲②(1/10,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より

R6-第12図 前田蝦夷館遺跡踏査範囲③(1/5,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より





写真17~30「前田蝦夷館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より
R7-・前田蝦夷館遺跡(第7 図)
調査日:令和7 年10 月30 日
調査概要:前田蝦夷館遺跡周辺については、令和6 年度に調査を実施した、遺跡範囲外南側の東向き斜面の調査を行った。この場所は新青森市史編纂に伴う調査(以下、市史の調査)で平場状遺構とされている(青森市2005)。前回と同様に井戸跡とみられる箇所(第7 図①)、段築遺構(第7 図②)、方形区画(第7 図③)、神仏に関わる堂跡の可能性がある大小2 箇所の窪み(第7 図④)を確認し、堂跡とみられる箇所の斜面下方から、新たに平面三角形状の広い落ち込み(第7 図⑤)を確認した。

R7-第7図 前田蝦夷館遺跡調査範囲(S = 1/10,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

写真10~12「前田蝦夷館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度 より
調査日 :令和4 年8 月24 日
調査概要 :瀬戸子地区では、周知の遺跡範囲外にあたる奥内川南岸の丘陵地において、市民グループが発見した城館(仮称 瀬戸子館)の調査を行った。丘陵北東側の先端部には、頂部に広い平坦面が存在し、その北側から埋まりきらない竪穴建物跡とみられる浅い窪みを複数確認し、さらに、南側では環状に巡る浅い壕と切岸によって形成された環壕を確認した。また、瀬戸子館の丘陵東麓の段丘上からは、土塁と壕によって囲まれた方形区画を確認した。
R4-②仮称 瀬戸子館
調査日 :令和4 年9 月2 日
調査概要 :8 月24 日に踏査した仮称 瀬戸子館が存在する丘陵について、北~東側斜面の補完的な分布調査を行った。奥内川に向かって北側に張り出す細長い舌状丘陵の北東~東側の斜面において、段状遺構や小平場を確認した。
R4-⑥仮称 瀬戸子館
調査日 :令和4 年11 月20 日
調査概要 :仮称 瀬戸子館においては、瀬戸子八幡宮北側の東向き斜面において虎口、丘陵上からはテラス状の平場を確認した。

R4-第10図 仮称 瀬戸子館踏査範囲(S = 1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より

写真7と8「仮称 瀬戸子館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より

写真22と23~18「仮称 瀬戸子館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
R6-・(仮称)瀬戸子館①(第8 図)
調査日:令和6 年4 月26 日
調査概要:(仮称)瀬戸子館は、北側の奥内川と南側の瀬戸子川に挟まれた丘陵東端、奥内川と瀬戸子川から入り込む谷によって形成された、南北方向の細長い丘陵上にある。調査は、瀬戸子八幡宮の北~北西側について実施した。瀬戸子八幡宮の北側から丘陵を西に向かって進むと、幅の広い壕や土塁によって形作られた遺構を確認した(第8 図①、写真1)。この西側には、東側に平場を伴う虎口(同②、写真2)があり、北側から平場(同③)を確認した。また、北側の平場(同③)から北側に延びる壕底道とともに虎口(同⑧)を確認した。虎口は北と南側に2 箇所あり、南側は桝形を呈する。平場の西側は、壕底道(同④、写真3)が一部二重となって西側に連続する状況となっていた。壕底道を進み、南北から谷地形が入り込む箇所からは土橋(同⑤、写真4)、西側に平場(同⑥、写真5)、その西側でも土橋を確認した。さらに西側には、北~西側に土塁を伴いY 字状を呈する壕底道(同⑦、写真6)を確認し、壕底道を西側に進んだ地点から平場を確認した。
R6-・(仮称)瀬戸子館②(第8 図)
調査日:令和6 年5 月28 日
調査概要:(仮称)瀬戸子館について、調査指導の下、奥内川南側の丘陵及び4 月26 日の調査地点について調査を行った。調査は、奥内川と支流のカベ沢が合流する地点の南側の丘陵から開始した。丘陵を南側に登った地点で、頂部から平場(第8 図⑨、写真10)を確認し、そこから北東方向の斜面に連続する多数の平場群(同⑩、写真11)を確認した。また、この丘陵の東側の沢に面した斜面から、切岸と平場が4 段以上連続し、幅広の台形状を呈する段築遺構(同⑪、写真12)を確認した。段築遺構の上方の尾根には、尾根を断ち切る堀切(同⑫、写真13)を境に南側に壕底道(同⑬、写真14)を確認した。壕底道は、南~南西方向へと尾根上に連続しており、北及び南側から沢が入り込む地点の尾根に平場(同⑭、写真15)が存在する状況を確認した。平場を確認した地点から、東側に進んだ地点では、近世以降の所産とみられる長土塁(同⑮)を確認した。また、南東端に位置する瀬戸子八幡宮の社殿が建っている東側斜面(同⑯、写真16)については、段状になっている状況を確認し、平場があった可能性が考えられる。

R6-第8図(仮称)瀬戸子館踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より


写真1~6「仮称 瀬戸子館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より



写真10~16「仮称 瀬戸子館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より
調査日 :令和4 年11 月20 日
調査概要 :飛鳥地区では、飛鳥山館跡(201-204)の範囲外において、市民グループが発見した城館を調査した。瀬戸子川に張り出す北東側の丘陵においては、切岸によって形成された曲輪とその北東側に段状遺構を確認した。また、飛鳥山頂部付近の遺跡範囲内から、環壕を確認した。また、南側の飛鳥沢から入り込む沢においては、沢を堰き止めるような土塁、沢に面した東側の斜面から、切通しを伴う壕底道、その先の丘陵において平場を確認した。

写真19と20「飛鳥山館跡」と写真は21「仮称 飛鳥山館方形区画」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
R5-・飛鳥山館跡①
調査日 令和5 年5 月11 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である飛鳥山館跡について、榊原滋高氏の調査指導の下、遺跡範囲外にある西方の丘陵尾根を中心とした調査を実施した。調査は、飛鳥山館跡範囲外の南西にあたる飛鳥沢に面した丘陵から開始した。鉄塔保安路から尾根に至る地点には、長大な土塁状の高まり(長土塁)を確認した。長土塁は飛鳥山山頂方向から延びるもので、壕底道を壊して構築されていることから、近世以降の所産とみられる。長土塁に沿って尾根頂部に至った地点には、南側に2条の堀切が付属する平場を確認した。平場の南側には飛鳥沢から入り込む沢地形が存在することから、この沢からの侵入に対する構造とみられる。西側に進むと、断続的に壕底道が存在し、北及び南側から沢地形が入り込む地点において、南側斜面に小平場を有する平場を2 箇所確認した。さらに尾根を西側に進むと、壕底道と土塁が連続する先の地点に平場、大きく屈曲する壕底道に伴う平場を確認し、北及び南側から沢が入り込む地点には土橋、その先から切通しを確認した。
R5-・飛鳥山館跡②
調査日 令和5 年5 月27 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地範囲外の北側に延びる丘陵を調査した。丘陵頂部には2段の切岸で形成された曲輪があり、曲輪の南側からは堀切を確認した。また、東向きの斜面には、段築のほか、曲輪に至る壕底道を確認した。また、飛鳥山館遺跡範囲内の北側に相当する丘陵頂部においては、周囲を二重の壕で囲まれた曲輪(北曲輪・南曲輪)を確認し、北側から入り込む谷地形の延長上から虎口を確認した。
R5-・飛鳥山館跡③
調査日 令和5 年11 月15 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である飛鳥山館跡について、榊原氏の調査指導の下、遺跡範囲外西方の尾根を中心とした調査を実施した。調査は、5 月11 日に終了した地点から西側に尾根を進んだ地点で開始した。尾根上には壕底道があり、北側の瀬戸子川方向から谷地形が入り込む地点の北側には壕底道に沿って土塁を確認し、その先から土橋を挟んでさらに壕底道が西側に延びている状況を確認した。壕底道を西側に進んだ丘陵の南側斜面は切岸によって形成され、井戸跡とみられる窪地とともに隣接して平場を確認した。壕底道を西側に進んだ地点には、北側に壕底道が巡る平場を確認し、さらに西側に進んだ地点には、壕底道が連続し、一部竪堀状に広くなる箇所を確認した。壕底道は一旦途切れるが、西側に進んだ地点では、壕底道が南下し、枝分かれ後に合流して、北西側の丘陵頂部に続く状況を確認し、壕底道の右側斜面から小規模な平場を確認した。壕底道は、丘陵頂部で途切れるが、南西に延びる尾根筋の斜面北側に存在する池の付近からもわずかに確認した。

R5-第9図 飛鳥山館跡踏査範囲(S = 1/40,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度より



写真1~7「飛鳥山館跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度 より
R4-⑥仮称 飛鳥山方形区画
調査日 :令和4 年11 月20 日
調査概要 :飛鳥山館跡東麓において、市民グループが新たに発見した方形区画を調査した。丘陵と平野部の境界において、長方形に土塁が巡る状況を確認した。

R4-第13図 飛鳥山館跡、方形区画踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より

写真2~4「飛鳥(5)遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
R4-・飛鳥地区 《 伝八重館跡 》
調査日 :令和4 年7 月28 日
調査概要 :市北西部を中心に城館の踏査を実施している市民グループより、飛鳥地区において土塁とみられる高まりが存在する場所があり、当該土地所有者が珠洲焼や青磁を採集(第9 図)したという情報を受け、分布調査を実施した。当該地は、津軽山地東端の丘陵地から平野部に張り出す微高地に相当し、畑と林となっている。調査の結果、畑では縄文時代中期とみられる土器片や石器を確認し、隣接する林では南側の水路に沿って東西に連なる土塁状の高まりを確認した。新たに中世の遺物は確認できなかったものの、縄文土器や土塁状の高まりを確認したことから、飛鳥(5) 遺跡として新規登録した。

R4-第9図・写真1 飛鳥(5)遺跡採集遺物 (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より

R4-第1図 飛鳥(5)遺跡範囲(S = 1/25,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より
○時代:縄文、中世 ○縄文土器、珠洲焼、青磁
1.内真部城館群
市北西部の内真部、瀬戸子、飛鳥地区の山間部では、近年、地元を中心とする市民グループによって中世城館跡の精力的な踏査が行われており、周知の埋蔵文化財包蔵地に登録された範囲を越えて、城館遺構の広がりや別地点において、新たな城館遺構も確認されている(これらを内真部城館群と総称)。
当委員会では、内真部城館群について、周知の埋蔵文化財包蔵地としての範囲を検討するため、5 月21 日に城館跡の位置や遺構の広がりを把握することを目的に予備的な分布調査を実施した。調査については、青森県教育庁文化財保護課職員の同行のもと、市民グループの案内により、周知の埋蔵文化財包蔵地である湯ノ沢館遺跡及び飛鳥山館跡のほか、新たな城館跡とみられる瀬戸子館跡(仮称)、飛鳥山方形居館跡(仮称)を対象に実施した。
湯ノ沢館遺跡では、現登録範囲内において、壕で囲まれた平面楕円形の曲輪や壕道を確認し、さらに西側の遺跡範囲外には、東西方向に連なる尾根に沿って壕道が認められ、尾根を断ち切るように造成された切通を確認した。また、その西方向には、尾根脇に大きな土塁を伴った壕道が認められた。飛鳥山館跡では、現登録範囲内に、東向きの斜面を削り落として造られた切岸、切岸によって形成された腰曲輪を確認した。
瀬戸子館跡(仮称)は、市民グループが新たに発見した城館跡で、奥内川と瀬戸子川に挟まれた丘陵地に位置する。沢に面した西~南側には斜面を段状に造成した段築群、丘陵頂部の尾根には長大な土塁を確認した。
飛鳥山方形居館跡(仮称)は、市民グループが新たに発見した城館跡で、飛鳥山館跡の南西麓に位置し、土塁によって方形に区画された空間を確認した。
今回の調査によって、内真部城館群では、周知の埋蔵文化財包蔵地に登録された範囲内外において、城館遺構とみられる人工的な構造物の広がりを確認できた。来年度以降、本格的な分布調査を実施し、各城館跡の範囲を見極めて、新規登録や範囲変更を進めていく予定である。

R4-第13 図 内真部城館群(S=1/30,000)※網掛部分は踏査位置 (青森)市内遺跡発掘調査報告書30 令和3年度より




写真1~12は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書30 令和3年度 より
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.湯ノ沢館地区 令和3 年5 月21 日
2.飛鳥山館地区 令和3 年5 月21 日
3.瀬戸子館地区 令和3 年5 月21 日
1.飛鳥地区
※記載内容は、「R4-・飛鳥地区 《 伝八重館跡 》」に掲載してある。
2.内真部城館群
今年度は、市北西部の内真部城館群を中心に、飛鳥地区、内真部・奥内・瀬戸子地区の分布調査を実施した。飛鳥地区、内真部・奥内・瀬戸子地区の調査によって、3 遺跡の新規登録および1 遺跡の範囲変更を行った(第Ⅱ章)。
市北西部の丘陵地は、内真部館遺跡や尻八館跡などの中世城館が存在する地域であり、近年、地元を中心とする市民グループの踏査によって、周知の埋蔵文化財包蔵地(以下、周知の遺跡)の範囲外から城館遺構の広がりや、別地点では新たな城館遺構も確認されている(これらを内真部城館群と総称)。
当委員会では、周知の遺跡範囲外において確認されている城館の範囲や遺構の広がりを把握するため、昨年度に引き続き分布調査を実施した。なお、調査については、市民グループの案内に加え、中世考古学および津軽地域の城館に精通する榊原滋高氏、青森県教育庁文化財保護課埋蔵文化財グループ職員の指導を受けながら実施した。
今年度実施した内真部城館群の分布調査によって、未登録地における城館遺構の広がりを確認した。調査は、来年度以降も行う予定である。
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.飛鳥山館地区 令和4 年7 月28 日、令和4 年11 月20 日
2.尻八館地区 令和4 年8 月24 日
3.瀬戸子館地区 令和4 年8 月24 日、令和4 年9 月2 日
4.内真部山城地区 令和4 年10 月6 日
5.大阪山館地区 令和4 年11 月7 日、令和4 年11 月16 日
6.湯ノ沢館地区 令和4 年11 月13 日
1.内真部城館群
今年度の調査は、飛鳥山館跡、前田蝦夷館遺跡、湯ノ沢館遺跡の範囲外において西方に連なる尾根を中心に実施した。飛鳥山館跡では、現在の遺跡範囲から約2km 西側の遺跡範囲外の地点及び範囲外の北側の地点、湯ノ沢館遺跡では、現在の遺跡範囲から約1.7km 西側の遺跡範囲外の地点、前田蝦夷館遺跡では、現在の遺跡範囲から約0.7km 南西側の遺跡範囲外で遺構が点在する状況を確認した。なお、第9 ~ 11 図の赤い囲みは周知の埋蔵文化財包蔵地、灰色の部分は踏査範囲を示す。
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.飛鳥山館地区 令和5 年5 月11 日、令和5 年5 月27 日、令和5 年11 月15 日
2.前田蝦夷館地区 令和5 年5 月27 日
3.湯ノ沢館地区 令和5 年10 月12 日、令和5 年10 月24 日、令和5 年11 月18 日
1.内真部城館群
今年度は、昨年度に引き続き、内真部城館群の踏査を行った。尻八館跡、前田蝦夷館遺跡、湯ノ沢館遺跡のほか、未登録地である(仮称)瀬戸子館を対象とした。これらの遺跡については、周知の埋蔵文化財包蔵地内外を対象に調査を実施した。なお、各図の破線は、調査の軌跡を示す。
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.瀬戸子館地区 令和6 年4 月26 日、令和6 年5 月28 日
2.尻八館地区 令和6 年5 月20 日
2.前田蝦夷館地区 令和6 年10 月25 日、令和6 年11 月11 日、令和6 年11 月24 日
3.湯ノ沢館地区 令和6 年11 月24 日
1.内真部城館群
今年度は、昨年度に引き続き、内真部城館群の踏査を行った。湯ノ沢館遺跡・前田蝦夷館遺跡周辺を対象とし、北側の内真部川方向に延びる尾根の調査を実施した。
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.湯ノ沢館地区 令和7 年6 月6 日、令和7 年10 月30 日
2.前田蝦夷館地区 令和7 年10 月30 日
当委員会の分布調査は、令和4、6 年度に実施した。調査の結果、西曲輪の南東側に連なる遺跡範囲外の尾根(第8 図A)においては、尻八館遺跡東側に位置する山城溜池南西側の丘陵まで壕底道が続き、この他、段状遺構、平場を確認し、東曲輪に至る大手道と搦手道に加えて、西曲輪に至る搦手道が存在することが確認できた。また、東曲輪に通じる大手道(第8 図B)において土塁を確認し、西曲輪の東側(第8 図C)においては、曲輪の南東側に平場を形成したとみられる段状遺構を確認した。

まとめ-第8図 尻八館跡(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

まとめ-第9図 (仮称)大阪山館跡 (1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

まとめ-第10図 (仮称)内真部山城跡(1/10,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

まとめ-第11図 湯ノ沢館遺跡・前田蝦夷館遺跡(1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

まとめ-第11図 湯ノ沢館遺跡・前田蝦夷館遺跡(1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

まとめ-第12図 (仮称)瀬戸子館跡(1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

まとめ-第14図 (仮称)瀬戸子館跡方形区画位置図・概略図 (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

まとめ-第13図 飛鳥山館跡(1/40,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より
今回の調査は、各城館の新規登録や既存の遺跡の範囲変更を検討する目的で実施したが、飛鳥山館跡の東側に近接する城館跡とされる(仮称)八重館跡(飛鳥(5)遺跡)と、湯ノ沢館遺跡北東側に隣接する内真部(1)遺跡以外では、山林により遺物の確認が困難であったため、遺跡の新規登録・範囲変更には至らなかった。遺跡登録には至らなかったものの、今回の調査成果を基礎資料として保存し、各城館跡の現状保存が図られるよう、当該地域における各種開発事業に注視していきたい。
最後となりましたが、調査のご指導をいただきました榊原滋高氏、調査時の現地までの案内等にご協力いただきました、田中洋一氏、村田健一氏、奥谷誠一氏、瀬戸子方形区画の測量調査を承諾いただきました地権者の皆様に感謝いたします。
(設 楽)
≪引用参考文献≫
青森市 2005 『新青森市史資料編2 古代・中世』
青森県立郷土館 1981 『尻八館調査報告書』
青森県教育委員会 1994 『内真部(4)遺跡発掘調査報告書』 青森県埋蔵文化財調査報告書第158 集
田中洋一 2024 「内真部城塞群」『山城の里−青森市油川、奥内、後潟の歴史と暮らし−』
榊原滋高 2024 「外浜・内真部城館群の分布調査から~山城と山麓の居館について~」『山城の里−青森市油川、奥内、後潟の歴史と暮らし−』

尻八館から瀬戸子館までの遺構配置地図 作図、榊原滋高

瀬戸子館から飛鳥山館までの遺構配置地図 作図、榊原滋高
遺跡リポジトリというサイトで、公開されていますので、こちらからダウンロードすることが可能です。
検索⇒『全国文化財総覧』→「文化財資料を探す」→「一覧から探す」→『刊行物発行機関一覧(都道府県別)』⇒クリック→『青森県』⇒クリック→『青森市』⇒クリック
の順に開きますと、これで、 『(青森)市内遺跡 発掘調査報告書』を含む刊行物の一覧が新しい順に出てきますので、そこから閲覧・ダウンロードできます。
なお、図の番号、写真の番号は、市内遺跡発掘調査報告書で使われているものと同じにしてあります。図、写真とも青森市教育委員会の所蔵であり、使用許可は、令和8年1月9日付け 青市指令教委文第39号 および 令和8年4月2日付け 青市指令教委文第3号です。
contents
《各山城領域の調査結果》
- 尻八館跡 しりはちだて
- 大阪山館跡 おおさかやまだて
- 内真部館・内真部山城跡 うちまんぺだて・うちまんぺやましろ
- 湯ノ沢館跡 ゆのさわだて
- 前田蝦夷館跡 まえだえぞだて
- 瀬戸子館跡 せとしだて
- 飛鳥山館跡 あすかやまだて 含む伝八重館、飛鳥山山麓方形区画
①尻八館遺跡
②(仮称)大阪山館跡
③(仮称)内真部山城跡
④湯ノ沢館遺跡
⑤前田蝦夷館遺跡
⑥(仮称)瀬戸子館跡
⑦飛鳥山館跡
⑧全体まとめ
《各山域の遺構配置地図》 山城分布調査の指導をした榊原滋高氏が作成 《 市内遺跡発掘調査報告書の入手方法 》 インターネットサイトからダウンロード
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各山城領域の調査結果
1.尻八館 しりはちだて
R4-①尻八館跡付近調査日 :令和4 年8 月24 日
調査概要 :尻八館跡(青森県埋蔵文化財包蔵地台帳番号201026)の西曲輪および東曲輪(青森市 2005)に連なる周知の遺跡範囲外の尾根を調査した。尻八館跡が存在する丘陵の東麓にあたる山城溜池から、西曲輪に向かう尾根上では、段状遺構や断続的にみられる壕底道を確認した。また、西曲輪東側の尾根上では、段状遺構、コの字状の壕を確認した。東曲輪に連なる尾根では、土塁を確認した。

R4-第8 図 尻八館跡踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
写真5と6「尻八館跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
R6-・尻八館跡(第9 図)
調査日:令和6 年5 月20 日
調査概要:周知の埋蔵文化財包蔵地である尻八館跡内及び南東側の範囲外の尾根を中心に調査を行った。尻八館跡内の東曲輪・西曲輪(註)が存在する丘陵付近は、急峻な地形となっているが、北、東、南東側に一部緩やかな尾根が麓に続いている。調査は、尻八館跡東方の山城溜池南側の丘陵尾根から開始した。山城溜池の南側に張り出す丘陵尾根を西側に進むと、尾根上から壕底道(第9 図①、写真7)を確認した。壕底道は、途切れる箇所もあるが、尻八館跡内の西曲輪付近まで断続的に確認した。壕底道が途切れる箇所は、山城溜池に注ぐ沢の末端付近に相当し、この地点から土塁(同②、写真8)を確認した。尻八館内については、遺構の再確認を行い、西曲輪東側の段状遺構(同③、写真9)、西曲輪と東曲輪の間の堀切(同④)などを確認した。
註 『新青森市史 資料編2 古代 中世』( 青森市 2005)の遺構名に基づく。

R6-第9図 尻八館跡踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より

写真7~9「尻八館跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より
2.大阪山館 おおさかやまだて
R4-③仮称 大阪山館調査日 :令和4 年10 月6 日
調査概要 :内真部館遺跡(青森県埋蔵文化財包蔵地台帳番号201159)西側において「内真部山城跡」と仮称(青森市 2005)されている丘陵地を踏査した。南東側の緩斜面から丘陵の尾根に向かう地点に虎口、北西側に連なる尾根から壕底道や土橋、北東から入り込む沢に面した斜面から小平場を確認した。
また、六枚橋地区の大阪山(標高143 m)周辺において、市民グループが発見した城館(仮称 大阪山館)の調査を行った。内真部山城方面から北西側に尾根を進んだ地点において、北東側に張り出す舌状丘陵の東側斜面に小平場、その西側の尾根上には曲輪とみられる平坦面があり、北東側の沢に面した斜面から小平場を確認した。その地点から西側に尾根を進んだ場所には、土橋を挟んで二重に構築された壕底道を確認した。また、南側を流れる内真部川支流の笹橋沢に張り出す丘陵の突端部には、段状に何重にも造成した山道(九十九折)を確認した。
R4-④仮称 大阪山館
調査日 :令和4 年11 月7 日
調査概要 :10 月6 日に到達した地点から西側および北東側に延びる尾根について調査を実施した。西側については、尾根上に1.5 km以上にわたって断続的に壕底道を確認し、六枚橋川方向から入り込む沢に面した壕底道の西端に近い地点では桝形を呈する壕を確認した。また、南側の内真部川支流の笹橋沢に尾根が連続して張り出す箇所においては、先端部の斜面から小平場を確認し、南側の沢からの侵入に対する防御を意識した構造となっていることを確認した。北東側の尾根では、頂部から曲輪とみられる平坦面を確認した。曲輪から北東側に続く尾根の先は、平坦部が続き、その先に3 条の壕底道を確認した。東側から入り込む沢地形に面した斜面では、小平場群を確認した。
R4-⑤仮称 大阪山館
調査日 :令和4 年11 月16 日
調査概要 :仮称 大阪山館について、11 月7 日に北東側の尾根で確認した北曲輪北側において、六枚橋川方面に張り出す丘陵を調査した。この丘陵には、北側の六枚橋川方向から2 条の沢地形が入り込んでいるが、いずれの沢に対する斜面にも複数の小平場の存在を確認した。特に東側の沢の西側斜面に小平場が顕著であり、北側の沢からの侵入に対する防御を意識した構造を確認した。また、陸奥湾を臨む東側の斜面にも複数の小平場や段状遺構を確認し、東側からの侵入にも備えた構造となっている。この丘陵頂部からは、尾根の頂部を平坦に整形したとみられる平場のほか、部分的に壕底道を確認した。

R4-第12図 仮称 大阪山館踏査範囲(S = 1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より


写真10~15「仮称 大阪山館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
3.内真部館、内真部山城 うちまんぺだて・うちまんぺやましろ
R4-③仮称 内真部山城調査日 :令和4 年10 月6 日
調査概要 :内真部館遺跡(青森県埋蔵文化財包蔵地台帳番号201159)西側において「内真部山城跡」と仮称(青森市 2005)されている丘陵地を踏査した。南東側の緩斜面から丘陵の尾根に向かう地点に虎口、北西側に連なる尾根から壕底道や土橋、北東から入り込む沢に面した斜面から小平場を確認した。
R4-⑤仮称 内真部山城
調査日 :令和4 年11 月16 日
調査概要 :仮称 内真部山城の北東側斜面では、深く入り込んだ沢や急峻な地形を生かした防御構造を確認し、南東側の斜面から数箇所の小平場を確認した。

R4-第11図 仮称 内真部山城踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より


写真9と16~18「仮称 内真部山城」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
4.湯ノ沢館 ゆのさわだて
R5-・湯ノ沢館遺跡①調査日 令和5 年10 月12 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である湯ノ沢館遺跡範囲外の西側の尾根を中心に調査を行った。調査は、湯ノ沢館遺跡西側の丘陵から開始した。北側の内真部川と南側の湯ノ沢から谷地形が入り込む地点には土橋、西側に尾根を進んだ地点には広く平坦な平場を確認した。そこから南側に延びる尾根上には壕底道が続き、尾根を分断するような切通しを確認した。切通しを西側に越えると、尾根筋には壕底道が続き、一部三重となる箇所を確認した。壕底道を西側に進み、さらに西側の丘陵に差し掛かると、壕底道は尾根下を通って屈曲し、壕底道右手の斜面は切岸によって段状となる状況を確認した。丘陵の南東側は土塁と深い壕によって南側の沢からの侵入を防ぐ構造となっていた。その先は、壕底道が西側に続き、壕底道右手の斜面に小平場を確認した。
R5-・湯ノ沢館遺跡②
調査日 令和5 年10 月24 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である湯ノ沢館遺跡範囲内の尾根を中心に調査を行った。調査は、湯ノ沢館遺跡南東側の尾根筋から開始した。尾根筋には壕底道が続き、丘陵の南端部に達した地点には北西方向に延びる壕底道が複数存在し、自然地形を利用した平場を確認した。壕底道を北西に進んだ地点には南側に回り込むように壕底道が巡り、その内部からは自然地形を利用した平場を確認した。壕底道は、北側の丘陵頂部に延び、丘陵頂部には四方の切岸、壕底道が巡る曲輪を確認した。また、尾根道を西側に進んだ地点の丘陵東端部には、東向きの斜面が切岸によって形成された平場があり、その南側の斜面に西側に延びる壕底道が存在する状況を確認した。
R5-・湯ノ沢館遺跡③
調査日 令和5 年11 月18 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である湯ノ沢館遺跡について、10 月12 日、10 月24 日の調査地点を中心に榊原氏の調査指導の下、調査を行った。湯ノ沢館遺跡範囲外にある西側の丘陵の尾根筋において南側から確認した高土塁と壕底道の北側に隣接する平場については、細長い帯曲輪状であることを確認し、帯曲輪上方の尾根上には西側に延びる壕底道の存在を確認した。丘陵の北側斜面からは、炭焼窯跡とみられる窪地を複数確認した。さらに、前回の調査で確認した壕底道の先において、新たに尾根筋から平場を確認し、さらに壕底道が西側に延びていることを確認した。また、湯ノ沢館遺跡に隣接する丘陵頂部の平坦面については、前回の調査で曲輪の可能性が高いとしていたが、南側に尾根を断ち切るように切通しが存在するものの、周囲に切岸や壕底道が認められないことから、曲輪とせず、自然地形を生かした平場と捉えることとなった。
このほか、湯ノ沢館遺跡範囲外の東側山麓において、方形区画の調査を行った。浅い壕と土塁によって平面四角形に区画された状況を確認した。

R5-第11図 湯ノ沢館跡踏査範囲(S = 1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度より



写真15~20「湯ノ沢館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度 より
R6-・湯ノ沢館遺跡周辺(第13 図)
調査日:令和6 年11 月24 日
調査概要:調査指導の下、湯ノ沢館遺跡では、遺跡範囲外東側の東向き斜面を南側から北側に調査したほか、範囲外の北側に相当し、内真部川南岸に鎮座する大山神社周辺を調査した。湯ノ沢館遺跡範囲外東側の東向き斜面の麓に相当する県道屏風山内真部線沿いからは、段状遺構(第13 図①、写真31)を確認した。この段状遺構については、湯ノ沢館遺跡範囲外東側の東向き斜面の麓に相当する内真部(4)遺跡(同②)の発掘調査で検出されており、東向き斜面の麓において南北方向に連続する可能性が高いことが判明した。また、大山神社周辺においては、社殿のある、内真部川に張り出すような丘状地形の東側斜面下方で壕底道(同③、写真32)を確認し、さらに壕底道が丘状地形を北側に取り巻くように斜面上方に延びていることを確認した。

R6-第13図 湯ノ沢館跡踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より

写真31~32「湯ノ沢館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より
R7-・湯ノ沢館遺跡周辺①(第6 図)
調査日:令和7 年6 月6 日
調査概要:湯ノ沢館遺跡は、内真部川と湯ノ沢に挟まれた丘陵上のうち、東端部の丘陵に位置する周知の埋蔵文化財包蔵地である。令和5 年度に実施した調査において、遺跡範囲外の西側に延びる尾根上を中心として、平場等の遺構が点在することを確認している。
今回の調査は、遺跡範囲外の西側方向に延びる尾根から、北側の内真部川方向に張り出す小丘陵のうち、湯ノ沢館遺跡の範囲から西側に約600 m離れた地点について実施した。内真部川の南側において、東西方向に沿うように存在する農道から、丘陵地の東側を南へと進んでいくと、壕底道(第6 図①・②)を断続的に確認し、斜面上方に進んだ地点においては、北側の内真部川方向から入り込む沢の西側に面するように位置する、広い平坦部(第6 図③)の存在を確認した。この平坦部から南西方向に進むと、壕底道(第6 図④)が南側に連続し、東西方向の尾根に連結する状況を確認した。さらに、ここから南西方向に進んだ丘陵の西端では、小さな沢が西側に延びており、このうち1箇所の沢では、丘陵と沢の接点に平場(第6 図⑤)が存在する状況を確認した。
また、遺跡北西側については、付近に鎮座する大山神社の近傍において、令和6 年度に壕底道を確認しており、その壕底道の続きを確認するため、周辺を調査した。前回、壕底道の軸線から、大山神社が鎮座する丘状地形を取り巻くように壕底道が延びていると推定したが、実際には途中で途絶えており城館に伴うものではないと判断した。

R7-第6図 湯ノ沢館跡調査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より


写真1~5「湯ノ沢館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度 より
R7-・湯ノ沢館遺跡周辺②(第6 図)
調査日:令和7 年10 月30 日
調査概要:湯ノ沢館遺跡周辺については、調査員の指導の下、6 月6 日に実施した調査地点の調査を再度実施した。調査は、内真部川南側の農道から丘陵地へと南下して行い、丘陵地の東側で断続的に壕底道が部分的に二列となる状況(第6 図⑥)を確認した。前回の調査で、この地点の斜面上方から確認した広い平坦面(第6 図③)については、平坦面の作出に伴う明確な痕跡が認められないことから、自然地形である可能性が高いと判断した。また、丘陵西側において、西側に延びる小さな沢と丘陵の接点から確認した平場(第6 図⑤)については、平場を3 段確認した。また、この平場を確認した付近の沢について、下流側を調査したが、この他に平場の存在は確認できなかった。


写真6~9「湯ノ沢館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度 より
◇◇ 調査に関連しての遺跡範囲変更
3.内真部地区
調査日 :令和4 年11 月13 日
調査概要 :内真部城館群の踏査を実施している市民グループより、内真部(1)遺跡範囲外で土器を採集したという情報を受け、分布調査を実施した。当該地は、内真部(1)遺跡西側の山林にあたり、数年前に行われたとみられる森林伐採時の運搬路造成によって掘削を受けており、縄文土器、土師器、鉄滓のほか、地山が露出した地点から焼土範囲を確認したため、範囲変更した。

R4-第6図 内真部(1)遺跡(S = 1/25,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より
○時代:縄文(前、後)、奈良、平安 ○土師器、鉄滓
5.前田蝦夷館 まえだえぞだて
R5-・前田蝦夷館遺跡調査日 令和5 年5 月27 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である前田蝦夷館遺跡範囲内及び遺跡範囲外の南西側の尾根を中心に調査を行った。調査は、遺跡範囲外の南側を東西方向に走る壕底道を通り、南西側に連なる尾根から開始した。北側の湯ノ沢から谷地形が入り込む地点から土橋、壕底道を確認し、東側の斜面に面した地点から平場と壕底道を確認した。さらに尾根上を進んだ丘陵の頂部には広い平場が存在し、平場の北端部には土塁と切岸、南端部に延びる尾根には小平場が存在し、その先は切岸となっていた。広い平場の西側の尾根上は、さらに壕底道が続き、平場の西側近傍から土塁と切岸、北側及び南側から谷地形が入り込む地点には土橋、その先の北側から谷地形が入り込む地点には北側に小平場を持つ土橋を確認した。壕底道は、南西側の丘陵に向かって尾根上に連続して確認でき、さらに尾根上からは土塁を確認した。

R5-第10図 前田蝦夷館遺跡踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度より


写真8~11「前田蝦夷館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度 より
R6-・前田蝦夷館遺跡①(第10 図)
調査日:令和6 年10 月25 日
調査概要:前田蝦夷館遺跡範囲外の南~南西側に相当する尾根や斜面を中心に調査を行った。範囲外の南西側については、令和5 年5 月27 日に調査を実施しているが、遺構の再確認とともに、遺跡範囲外の南西に延びる尾根及び遺跡範囲外の南側に相当する東向きの斜面における遺構確認を目的に実施した。調査は、遺跡範囲の南側をかすめて、西から南西側へと行った。遺跡範囲の南側からは、土橋(第10 図①、写真17)を挟んで壕底道(同②、写真18)を確認し、壕底道を南に進んだ地点から、切岸を伴う平場(同③、写真19)がある虎口状の施設を確認した。その南側の「南方山城遺構Ⅰ」(前掲青森市2005)(同④)では、広い平場のほか、北西側の谷地形が入り込む地点から切岸と土塁(同⑥、写真20)、南東側の尾根では、斜面下方に切岸を伴う平場(同⑤、写真21)を確認した。南方山城遺構Ⅰを西側に進むと壕底道が続き、北側から谷が入り込む地点から土橋(同⑦)を確認した。土橋を西、さらに南西に進んだ地点では、土塁を伴う壕底道(同⑧)を確認した。遺跡範囲外南東側の東向き斜面では、斜面下方から段築遺構(同⑨、写真22)の確認とともに、その斜面上方からは壕が方形に巡り、東側に土塁を伴う方形区画とみられる遺構(同⑩、写真23)を確認した。
R6-・前田蝦夷館遺跡②(第11 図)
調査日:令和6 年11 月11 日
調査概要:10 月25 日に調査を実施した、前田蝦夷館遺跡範囲外の南~南西側に相当する尾根や斜面について、調査指導の下、調査を行った。調査は、10 月25 日と同様のルートで実施した。昨年及び今年度の調査で、南方山城遺構Ⅰにある広い平場の北側から土塁と切岸を確認した箇所については、虎口である可能性が高いことを確認した(第11図①、写真24)。また、南方山城遺構Ⅰから西に尾根を進み、土橋を越え、西、さらに南西に進んだ地点で確認した土塁を伴う壕底道(同②)を南側に進んだ地点からは、東西に2 箇所の平場を確認した(同③・④)。東側の平場(同③、写真25)については、東側斜面が切岸となっており、さらに東側の斜面下方に小さな平場が隣接することを確認した。遺跡範囲外南側の東向き斜面については、前回確認した方形区画(同⑤)が厳密には方形ではなく、西隅が突出する平面形状となっていることを確認した。また、前回方形区画の東側から段築遺構を確認していたが、段築遺構は方形区画の北側と南側にも存在していることを確認した。北側の段築遺構の付近では、斜面が矩形に掘り込まれ、神仏に関わる堂跡の可能性が調査員によって指摘された箇所(同⑥・⑦、写真26)を大小2 箇所確認した。また、方形区画と南側の段築遺構の間には、井戸跡とみられる窪み(同⑧、写真27)を確認した。
R6-・前田蝦夷館遺跡③(第12 図)
調査日:令和6 年11 月24 日
調査概要:調査指導の下、前田蝦夷館遺跡範囲内を中心とした調査を行った。範囲内の踏査については、令和5 年5 月27 日に実施しているが、範囲内の曲輪の再確認及び曲輪北側の遺構の有無確認を目的に行った。調査は、遺跡東側の麓にある蝦夷館山守護神御堂から西側へと行った。遺跡範囲内では、令和5 年の調査と同様に、丘陵頂部から周囲を二重の壕で囲まれた北曲輪(第12 図①)と南曲輪(同②)、さらにその中間でも堀切(同③、写真28)と曲輪を確認した。北曲輪と南曲輪の中間付近の西側では虎口(同④、写真29)を確認し、虎口に連結する壕底道(同⑤)を確認した。また、北曲輪北側の湯ノ沢川に面した斜面に小平場群(同⑥・⑦、写真30)を確
認した。

R6-第10図 前田蝦夷館遺跡踏査範囲①(1/10,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より

R6-第11図 前田蝦夷館遺跡踏査範囲②(1/10,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より

R6-第12図 前田蝦夷館遺跡踏査範囲③(1/5,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より





写真17~30「前田蝦夷館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より
R7-・前田蝦夷館遺跡(第7 図)
調査日:令和7 年10 月30 日
調査概要:前田蝦夷館遺跡周辺については、令和6 年度に調査を実施した、遺跡範囲外南側の東向き斜面の調査を行った。この場所は新青森市史編纂に伴う調査(以下、市史の調査)で平場状遺構とされている(青森市2005)。前回と同様に井戸跡とみられる箇所(第7 図①)、段築遺構(第7 図②)、方形区画(第7 図③)、神仏に関わる堂跡の可能性がある大小2 箇所の窪み(第7 図④)を確認し、堂跡とみられる箇所の斜面下方から、新たに平面三角形状の広い落ち込み(第7 図⑤)を確認した。

R7-第7図 前田蝦夷館遺跡調査範囲(S = 1/10,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

写真10~12「前田蝦夷館遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度 より
6.瀬戸子館 せとしだて
R4-①仮称 瀬戸子館、瀬戸子館方形区画調査日 :令和4 年8 月24 日
調査概要 :瀬戸子地区では、周知の遺跡範囲外にあたる奥内川南岸の丘陵地において、市民グループが発見した城館(仮称 瀬戸子館)の調査を行った。丘陵北東側の先端部には、頂部に広い平坦面が存在し、その北側から埋まりきらない竪穴建物跡とみられる浅い窪みを複数確認し、さらに、南側では環状に巡る浅い壕と切岸によって形成された環壕を確認した。また、瀬戸子館の丘陵東麓の段丘上からは、土塁と壕によって囲まれた方形区画を確認した。
R4-②仮称 瀬戸子館
調査日 :令和4 年9 月2 日
調査概要 :8 月24 日に踏査した仮称 瀬戸子館が存在する丘陵について、北~東側斜面の補完的な分布調査を行った。奥内川に向かって北側に張り出す細長い舌状丘陵の北東~東側の斜面において、段状遺構や小平場を確認した。
R4-⑥仮称 瀬戸子館
調査日 :令和4 年11 月20 日
調査概要 :仮称 瀬戸子館においては、瀬戸子八幡宮北側の東向き斜面において虎口、丘陵上からはテラス状の平場を確認した。

R4-第10図 仮称 瀬戸子館踏査範囲(S = 1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より

写真7と8「仮称 瀬戸子館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より

写真22と23~18「仮称 瀬戸子館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
R6-・(仮称)瀬戸子館①(第8 図)
調査日:令和6 年4 月26 日
調査概要:(仮称)瀬戸子館は、北側の奥内川と南側の瀬戸子川に挟まれた丘陵東端、奥内川と瀬戸子川から入り込む谷によって形成された、南北方向の細長い丘陵上にある。調査は、瀬戸子八幡宮の北~北西側について実施した。瀬戸子八幡宮の北側から丘陵を西に向かって進むと、幅の広い壕や土塁によって形作られた遺構を確認した(第8 図①、写真1)。この西側には、東側に平場を伴う虎口(同②、写真2)があり、北側から平場(同③)を確認した。また、北側の平場(同③)から北側に延びる壕底道とともに虎口(同⑧)を確認した。虎口は北と南側に2 箇所あり、南側は桝形を呈する。平場の西側は、壕底道(同④、写真3)が一部二重となって西側に連続する状況となっていた。壕底道を進み、南北から谷地形が入り込む箇所からは土橋(同⑤、写真4)、西側に平場(同⑥、写真5)、その西側でも土橋を確認した。さらに西側には、北~西側に土塁を伴いY 字状を呈する壕底道(同⑦、写真6)を確認し、壕底道を西側に進んだ地点から平場を確認した。
R6-・(仮称)瀬戸子館②(第8 図)
調査日:令和6 年5 月28 日
調査概要:(仮称)瀬戸子館について、調査指導の下、奥内川南側の丘陵及び4 月26 日の調査地点について調査を行った。調査は、奥内川と支流のカベ沢が合流する地点の南側の丘陵から開始した。丘陵を南側に登った地点で、頂部から平場(第8 図⑨、写真10)を確認し、そこから北東方向の斜面に連続する多数の平場群(同⑩、写真11)を確認した。また、この丘陵の東側の沢に面した斜面から、切岸と平場が4 段以上連続し、幅広の台形状を呈する段築遺構(同⑪、写真12)を確認した。段築遺構の上方の尾根には、尾根を断ち切る堀切(同⑫、写真13)を境に南側に壕底道(同⑬、写真14)を確認した。壕底道は、南~南西方向へと尾根上に連続しており、北及び南側から沢が入り込む地点の尾根に平場(同⑭、写真15)が存在する状況を確認した。平場を確認した地点から、東側に進んだ地点では、近世以降の所産とみられる長土塁(同⑮)を確認した。また、南東端に位置する瀬戸子八幡宮の社殿が建っている東側斜面(同⑯、写真16)については、段状になっている状況を確認し、平場があった可能性が考えられる。

R6-第8図(仮称)瀬戸子館踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度より


写真1~6「仮称 瀬戸子館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より



写真10~16「仮称 瀬戸子館」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書33 令和6年度 より
7.飛鳥山館 あすかやまだて
R4-⑥飛鳥山館跡付近調査日 :令和4 年11 月20 日
調査概要 :飛鳥地区では、飛鳥山館跡(201-204)の範囲外において、市民グループが発見した城館を調査した。瀬戸子川に張り出す北東側の丘陵においては、切岸によって形成された曲輪とその北東側に段状遺構を確認した。また、飛鳥山頂部付近の遺跡範囲内から、環壕を確認した。また、南側の飛鳥沢から入り込む沢においては、沢を堰き止めるような土塁、沢に面した東側の斜面から、切通しを伴う壕底道、その先の丘陵において平場を確認した。

写真19と20「飛鳥山館跡」と写真は21「仮称 飛鳥山館方形区画」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
R5-・飛鳥山館跡①
調査日 令和5 年5 月11 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である飛鳥山館跡について、榊原滋高氏の調査指導の下、遺跡範囲外にある西方の丘陵尾根を中心とした調査を実施した。調査は、飛鳥山館跡範囲外の南西にあたる飛鳥沢に面した丘陵から開始した。鉄塔保安路から尾根に至る地点には、長大な土塁状の高まり(長土塁)を確認した。長土塁は飛鳥山山頂方向から延びるもので、壕底道を壊して構築されていることから、近世以降の所産とみられる。長土塁に沿って尾根頂部に至った地点には、南側に2条の堀切が付属する平場を確認した。平場の南側には飛鳥沢から入り込む沢地形が存在することから、この沢からの侵入に対する構造とみられる。西側に進むと、断続的に壕底道が存在し、北及び南側から沢地形が入り込む地点において、南側斜面に小平場を有する平場を2 箇所確認した。さらに尾根を西側に進むと、壕底道と土塁が連続する先の地点に平場、大きく屈曲する壕底道に伴う平場を確認し、北及び南側から沢が入り込む地点には土橋、その先から切通しを確認した。
R5-・飛鳥山館跡②
調査日 令和5 年5 月27 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地範囲外の北側に延びる丘陵を調査した。丘陵頂部には2段の切岸で形成された曲輪があり、曲輪の南側からは堀切を確認した。また、東向きの斜面には、段築のほか、曲輪に至る壕底道を確認した。また、飛鳥山館遺跡範囲内の北側に相当する丘陵頂部においては、周囲を二重の壕で囲まれた曲輪(北曲輪・南曲輪)を確認し、北側から入り込む谷地形の延長上から虎口を確認した。
R5-・飛鳥山館跡③
調査日 令和5 年11 月15 日
調査概要 周知の埋蔵文化財包蔵地である飛鳥山館跡について、榊原氏の調査指導の下、遺跡範囲外西方の尾根を中心とした調査を実施した。調査は、5 月11 日に終了した地点から西側に尾根を進んだ地点で開始した。尾根上には壕底道があり、北側の瀬戸子川方向から谷地形が入り込む地点の北側には壕底道に沿って土塁を確認し、その先から土橋を挟んでさらに壕底道が西側に延びている状況を確認した。壕底道を西側に進んだ丘陵の南側斜面は切岸によって形成され、井戸跡とみられる窪地とともに隣接して平場を確認した。壕底道を西側に進んだ地点には、北側に壕底道が巡る平場を確認し、さらに西側に進んだ地点には、壕底道が連続し、一部竪堀状に広くなる箇所を確認した。壕底道は一旦途切れるが、西側に進んだ地点では、壕底道が南下し、枝分かれ後に合流して、北西側の丘陵頂部に続く状況を確認し、壕底道の右側斜面から小規模な平場を確認した。壕底道は、丘陵頂部で途切れるが、南西に延びる尾根筋の斜面北側に存在する池の付近からもわずかに確認した。

R5-第9図 飛鳥山館跡踏査範囲(S = 1/40,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度より



写真1~7「飛鳥山館跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書32 令和5年度 より
飛鳥山館 方形区画 伝八重館跡
R4-⑥仮称 飛鳥山方形区画
調査日 :令和4 年11 月20 日
調査概要 :飛鳥山館跡東麓において、市民グループが新たに発見した方形区画を調査した。丘陵と平野部の境界において、長方形に土塁が巡る状況を確認した。

R4-第13図 飛鳥山館跡、方形区画踏査範囲(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より

写真2~4「飛鳥(5)遺跡」は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度 より
R4-・飛鳥地区 《 伝八重館跡 》
調査日 :令和4 年7 月28 日
調査概要 :市北西部を中心に城館の踏査を実施している市民グループより、飛鳥地区において土塁とみられる高まりが存在する場所があり、当該土地所有者が珠洲焼や青磁を採集(第9 図)したという情報を受け、分布調査を実施した。当該地は、津軽山地東端の丘陵地から平野部に張り出す微高地に相当し、畑と林となっている。調査の結果、畑では縄文時代中期とみられる土器片や石器を確認し、隣接する林では南側の水路に沿って東西に連なる土塁状の高まりを確認した。新たに中世の遺物は確認できなかったものの、縄文土器や土塁状の高まりを確認したことから、飛鳥(5) 遺跡として新規登録した。

R4-第9図・写真1 飛鳥(5)遺跡採集遺物 (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より

R4-第1図 飛鳥(5)遺跡範囲(S = 1/25,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書31 令和4年度より
○時代:縄文、中世 ○縄文土器、珠洲焼、青磁
各年度分布調査の概要
(1)予備調査、令和3年度の分布調査
青森市埋蔵文化財調査報告書 第130集 市内遺跡 発掘調査報告書30 令和3年度 から1.内真部城館群
市北西部の内真部、瀬戸子、飛鳥地区の山間部では、近年、地元を中心とする市民グループによって中世城館跡の精力的な踏査が行われており、周知の埋蔵文化財包蔵地に登録された範囲を越えて、城館遺構の広がりや別地点において、新たな城館遺構も確認されている(これらを内真部城館群と総称)。
当委員会では、内真部城館群について、周知の埋蔵文化財包蔵地としての範囲を検討するため、5 月21 日に城館跡の位置や遺構の広がりを把握することを目的に予備的な分布調査を実施した。調査については、青森県教育庁文化財保護課職員の同行のもと、市民グループの案内により、周知の埋蔵文化財包蔵地である湯ノ沢館遺跡及び飛鳥山館跡のほか、新たな城館跡とみられる瀬戸子館跡(仮称)、飛鳥山方形居館跡(仮称)を対象に実施した。
湯ノ沢館遺跡では、現登録範囲内において、壕で囲まれた平面楕円形の曲輪や壕道を確認し、さらに西側の遺跡範囲外には、東西方向に連なる尾根に沿って壕道が認められ、尾根を断ち切るように造成された切通を確認した。また、その西方向には、尾根脇に大きな土塁を伴った壕道が認められた。飛鳥山館跡では、現登録範囲内に、東向きの斜面を削り落として造られた切岸、切岸によって形成された腰曲輪を確認した。
瀬戸子館跡(仮称)は、市民グループが新たに発見した城館跡で、奥内川と瀬戸子川に挟まれた丘陵地に位置する。沢に面した西~南側には斜面を段状に造成した段築群、丘陵頂部の尾根には長大な土塁を確認した。
飛鳥山方形居館跡(仮称)は、市民グループが新たに発見した城館跡で、飛鳥山館跡の南西麓に位置し、土塁によって方形に区画された空間を確認した。
今回の調査によって、内真部城館群では、周知の埋蔵文化財包蔵地に登録された範囲内外において、城館遺構とみられる人工的な構造物の広がりを確認できた。来年度以降、本格的な分布調査を実施し、各城館跡の範囲を見極めて、新規登録や範囲変更を進めていく予定である。

R4-第13 図 内真部城館群(S=1/30,000)※網掛部分は踏査位置 (青森)市内遺跡発掘調査報告書30 令和3年度より




写真1~12は、(青森)市内遺跡発掘調査報告書30 令和3年度 より
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.湯ノ沢館地区 令和3 年5 月21 日
2.飛鳥山館地区 令和3 年5 月21 日
3.瀬戸子館地区 令和3 年5 月21 日
(2)令和4年度の分布調査
青森市埋蔵文化財調査報告書 第131集 市内遺跡 発掘調査報告書31 令和4年度 から1.飛鳥地区
※記載内容は、「R4-・飛鳥地区 《 伝八重館跡 》」に掲載してある。
2.内真部城館群
今年度は、市北西部の内真部城館群を中心に、飛鳥地区、内真部・奥内・瀬戸子地区の分布調査を実施した。飛鳥地区、内真部・奥内・瀬戸子地区の調査によって、3 遺跡の新規登録および1 遺跡の範囲変更を行った(第Ⅱ章)。
市北西部の丘陵地は、内真部館遺跡や尻八館跡などの中世城館が存在する地域であり、近年、地元を中心とする市民グループの踏査によって、周知の埋蔵文化財包蔵地(以下、周知の遺跡)の範囲外から城館遺構の広がりや、別地点では新たな城館遺構も確認されている(これらを内真部城館群と総称)。
当委員会では、周知の遺跡範囲外において確認されている城館の範囲や遺構の広がりを把握するため、昨年度に引き続き分布調査を実施した。なお、調査については、市民グループの案内に加え、中世考古学および津軽地域の城館に精通する榊原滋高氏、青森県教育庁文化財保護課埋蔵文化財グループ職員の指導を受けながら実施した。
今年度実施した内真部城館群の分布調査によって、未登録地における城館遺構の広がりを確認した。調査は、来年度以降も行う予定である。
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.飛鳥山館地区 令和4 年7 月28 日、令和4 年11 月20 日
2.尻八館地区 令和4 年8 月24 日
3.瀬戸子館地区 令和4 年8 月24 日、令和4 年9 月2 日
4.内真部山城地区 令和4 年10 月6 日
5.大阪山館地区 令和4 年11 月7 日、令和4 年11 月16 日
6.湯ノ沢館地区 令和4 年11 月13 日
(3)令和5年度の分布調査
青森市埋蔵文化財調査報告書 第132集 市内遺跡 発掘調査報告書32 令和5年度 から1.内真部城館群
今年度の調査は、飛鳥山館跡、前田蝦夷館遺跡、湯ノ沢館遺跡の範囲外において西方に連なる尾根を中心に実施した。飛鳥山館跡では、現在の遺跡範囲から約2km 西側の遺跡範囲外の地点及び範囲外の北側の地点、湯ノ沢館遺跡では、現在の遺跡範囲から約1.7km 西側の遺跡範囲外の地点、前田蝦夷館遺跡では、現在の遺跡範囲から約0.7km 南西側の遺跡範囲外で遺構が点在する状況を確認した。なお、第9 ~ 11 図の赤い囲みは周知の埋蔵文化財包蔵地、灰色の部分は踏査範囲を示す。
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.飛鳥山館地区 令和5 年5 月11 日、令和5 年5 月27 日、令和5 年11 月15 日
2.前田蝦夷館地区 令和5 年5 月27 日
3.湯ノ沢館地区 令和5 年10 月12 日、令和5 年10 月24 日、令和5 年11 月18 日
(4)令和6年度の分布調査
青森市埋蔵文化財調査報告書 第133集 市内遺跡 発掘調査報告書33 令和6年度 から1.内真部城館群
今年度は、昨年度に引き続き、内真部城館群の踏査を行った。尻八館跡、前田蝦夷館遺跡、湯ノ沢館遺跡のほか、未登録地である(仮称)瀬戸子館を対象とした。これらの遺跡については、周知の埋蔵文化財包蔵地内外を対象に調査を実施した。なお、各図の破線は、調査の軌跡を示す。
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.瀬戸子館地区 令和6 年4 月26 日、令和6 年5 月28 日
2.尻八館地区 令和6 年5 月20 日
2.前田蝦夷館地区 令和6 年10 月25 日、令和6 年11 月11 日、令和6 年11 月24 日
3.湯ノ沢館地区 令和6 年11 月24 日
(5)令和7年度の分布調査
青森市埋蔵文化財調査報告書 第134集 市内遺跡 発掘調査報告書34 令和7年度 から1.内真部城館群
今年度は、昨年度に引き続き、内真部城館群の踏査を行った。湯ノ沢館遺跡・前田蝦夷館遺跡周辺を対象とし、北側の内真部川方向に延びる尾根の調査を実施した。
***(下記、調査地区と調査日は、当方まとめ)***
○調査地区と調査日
1.湯ノ沢館地区 令和7 年6 月6 日、令和7 年10 月30 日
2.前田蝦夷館地区 令和7 年10 月30 日
内真部城館群の分布調査に関するまとめ
青森市北西部の丘陵地に立地する内真部城館群については、尻八館遺跡、(仮称)大阪山館跡、内真部館遺跡、(仮称)内真部山城跡、湯ノ沢館遺跡、前田蝦夷館遺跡、(仮称)瀬戸子館跡、飛鳥山館跡を総称したものである。内真部城館群については、市史の調査によって、尻八館遺跡、内真部館遺跡、(仮称)内真部山城跡、前田蝦夷館遺跡における城館遺構の概略が明らかとなり(前掲 青森市2005)、その後、田中洋一氏をはじめとした市民グループが実施した悉皆調査によって各城館における遺構の広がりが周知の埋蔵文化財包蔵地の範囲外に及ぶことが確認され、さらに(仮称)大阪山館跡、(仮称)瀬戸子館跡のように新たな城館も発見された。当委員会では、これらの城館跡について、周知の埋蔵文化財包蔵地として新規登録や範囲変更を検討するため、市民グループ等の協力により令和3 年度から分布調査を開始し、令和4 年度からは、津軽地方を中心とする城館跡や中世考古学に精通する五所川原市市浦総合支所 主幹・地域振興係長の榊原滋高氏の調査指導の下、今年度まで分布調査を実施してきた。分布調査については、今年度をもって一通り終えることから、各城館の踏査結果の概要をまとめておきたい。①尻八館遺跡 (第8図)
後潟地区の丘陵東側に位置する周知の埋蔵文化財包蔵地である。本遺跡については、昭和52 ~ 54年に行われた青森県立郷土館の発掘調査によって、城館の中心部とみられるⅠ郭、Ⅱ郭のほか、山麓の馬立場における城館遺構が検出され、その時期は出土遺物から15 世紀後半代と推定されている(青森県立郷土館1981)。また、市史の調査では、Ⅰ郭を西曲輪、Ⅱ郭を東曲輪と呼称し、測量調査が行われたほか、壕底道や土塁を伴い、東曲輪の北東側に通じる「大手道」、平場を伴い、東曲輪の北側に通じる「搦手道」が確認されている(前掲 青森市2005)。現在の遺跡範囲は、西曲輪(Ⅰ郭)、東曲輪(Ⅱ郭)を主体とする。当委員会の分布調査は、令和4、6 年度に実施した。調査の結果、西曲輪の南東側に連なる遺跡範囲外の尾根(第8 図A)においては、尻八館遺跡東側に位置する山城溜池南西側の丘陵まで壕底道が続き、この他、段状遺構、平場を確認し、東曲輪に至る大手道と搦手道に加えて、西曲輪に至る搦手道が存在することが確認できた。また、東曲輪に通じる大手道(第8 図B)において土塁を確認し、西曲輪の東側(第8 図C)においては、曲輪の南東側に平場を形成したとみられる段状遺構を確認した。

まとめ-第8図 尻八館跡(S = 1/20,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より
②(仮称)大阪山館跡 (第9図)
六枚橋地区の丘陵東部に位置し、丘陵北側に六枚橋川、南側に内真部川が流れる。市民グループの調査によって新たに発見された城館跡である。当委員会の調査は、令和4 年度に実施した。本館跡では、大阪山山頂の北西側に城の中心部とみられる曲輪があり、そこから北側と西側に延びる尾根筋に壕底道や平場、土橋等の遺構を確認した。曲輪が存在する中心部(第9 図A)では、北東~東側の沢に面した斜面に多くの平場が築かれている状況を確認した。北側の尾根(第9 図B)では東側の斜面と、北~北西の沢に面した斜面に平場が築かれている。西側の尾根では、内真部川支流の笹橋沢に面した南側斜面(第9 図C)に平場、沢を挟んだ東側の丘陵端部(第9 図D)では、段状に何重にも造成した九十九折の山道を確認した。本館跡は、大阪山山頂付近を中心部とし、沢筋においては特に北東~東、南側からの沢に対する防御を意識した構造といえる。
まとめ-第9図 (仮称)大阪山館跡 (1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より
③(仮称)内真部山城跡 (第10図)
内真部地区の丘陵東部に位置し、南側には内真部川が流れる。市史の調査において、周知の埋蔵文化財包蔵地である内真部館遺跡範囲外の西側に相当する丘陵地の南東部から大手虎口、平場状遺構、虎口状遺構等のほか、陣所、尾根上の壕道が確認されている(前掲 青森市2005)。当委員会の分布調査は、令和4 年度に実施した。丘陵頂部の遺構は不明であるが、丘陵南東側(第10 図A)では、市史の調査で確認された大手虎口、数箇所の小平場、丘陵西部の尾根上(第10 図B)では、壕底道、土橋等の遺構を確認し、北東側の山麓(第10 図C)では、沢を自然の要害としていることを確認した。本館跡については、大阪山へつながる丘陵西部の尾根上に遺構が確認できることから、(仮称)大阪山館跡と関連する城館と考えられる。
まとめ-第10図 (仮称)内真部山城跡(1/10,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より
④湯ノ沢館遺跡 (第11図)
清水地区の丘陵東部に位置する周知の埋蔵文化財包蔵地で、丘陵北側に内真部川、南側に湯ノ沢が流れる。市史の調査では、周壕で囲まれた単郭の城館とされており、そこから南の山麓に下りる壕道が確認されているほか、北側の内真部館遺跡方向に向かう道の存在が示唆されている(前掲 青森市2005)。その後、市民グループの調査によって遺跡範囲外の西側の尾根に遺構の存在が確認されたほか、遺跡範囲外に相当する東側の山麓において、土塁と壕で囲まれた方形区画(第11 図A)の存在が確認されている。当委員会の分布調査は、令和3、5 ~ 7 年度に実施した。遺跡範囲内の中心部から北西寄(第11 図B)では、市史の調査で確認されている深い周壕を持つ単郭構造の曲輪を中心に、南東側の山麓から続く壕底道、平場(第11 図C)を確認した。遺跡範囲外については、西側の尾根上(第11 図D)に壕底道が連続し、広い平坦部を利用して、土塁や切通を伴う陣地とみられる遺構を確認した。また、湯ノ沢館遺跡範囲外の北東側に相当する北東側斜面(第11 図E)から、湯ノ沢館遺跡東側に隣接する内真部(4)遺跡の発掘調査で検出されたSX − 01(青森県教育委員会1994)と同様の遺構と考えられる段状遺構を確認した。本館跡については、遺跡範囲内の曲輪を主体とし、遺跡範囲外に相当する西側の尾根上に壕底道、平場、土塁等を伴う陣地とみられる遺構、東側斜面に段状遺構が存在するものの、(仮称)大阪山館跡に比べて、沢に面した斜面に小平場が構築されておらず、西側に延びる臨時的な平場(陣地)を壕底道で連結したものと考えられる。
まとめ-第11図 湯ノ沢館遺跡・前田蝦夷館遺跡(1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より
⑤前田蝦夷館遺跡 (第11 図)
前田地区の丘陵東部に位置する周知の埋蔵文化財包蔵地で、丘陵北側には湯ノ沢、南側には奥内川が流れている。市史の調査において、二重の壕に囲まれた二つの曲輪とその中間にある小曲輪が測量調査され、二箇所の虎口が確認されている。また、曲輪の南側には、南方山城遺構Ⅰとして土橋等を伴う広い平坦部、南方山城遺構Ⅱとして虎口状の遺構、平場状遺構として段築を伴う平場が確認されている(前掲 青森市2005)。当委員会の調査は、令和5~ 7 年度に実施した。市史の調査で確認されている曲輪やそれに伴う虎口が存在する遺跡範囲内(第11 図F)については、曲輪の北側斜面から小平場(第11 図G)、西側の虎口付近から壕底道(第11 図H)を確認した。遺跡範囲外については、曲輪の南東部に相当する山麓から尾根上に至る道が存在し、そこから南、西側に延びる尾根上に壕底道、土橋、平場等の遺構が存在する状況を確認した。曲輪の南側については、市史の調査で確認された「南方山城遺構Ⅰ」に伴う遺構(第11 図I)、その西側では「南方山城遺構Ⅱ」に伴う遺構(第11 図J)を確認した。曲輪南東側では、市史の調査により平場状遺構とされたエリアにおいて、段築遺構とともに新たに方形区画、堂跡とみられる遺構、井戸跡等の遺構を確認した(第11 図K)。本館跡については、遺跡範囲内の曲輪を主体として、遺跡範囲外の南及び南西側の南方山城遺構まで壕底道や土橋が連続し、東側斜面については方形区画、段築を中心とする遺構群が存在する状況となっている。南方山城遺構Ⅰ・Ⅱの南側における平場等の遺構の存在及び東側斜面の遺構の状況から、東~南側に対する防御を意識した構造と考えられる。
まとめ-第11図 湯ノ沢館遺跡・前田蝦夷館遺跡(1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より
⑥(仮称)瀬戸子館跡 (第12 図)
瀬戸子地区の丘陵東部に位置し、北側に奥内川、南側に瀬戸子川が流れる。市民グループの調査によって新たに発見された城館跡である。当委員会の分布調査は、令和3、4、6 年度に実施した。本館跡については、奥内川南岸に張り出す丘陵先端部のエリアと、瀬戸子川北岸の瀬戸子八幡宮北側の東向き斜面から西側の尾根のエリア、さらに奥内川支流のカベ沢西岸のエリアに分けることができる。奥内川南岸の丘陵先端部では、平坦面の環濠を主体とし、竪穴建物跡群とみられる浅い窪み、北側斜面から小平場や段状遺構を確認し(第12 図A)、東側斜面から方形区画、段築遺構を確認した(第12 図B)。なお、当該方形区画と段築遺構については、昨年度と今年度に測量調査を実施しており(第14 図)、部分的に途切れるものの、土塁と壕によって囲まれた平面長方形を呈する区画を2 箇所確認し、その北側から3 段の段築遺構を確認した。瀬戸子八幡宮の北西側(第12 図C)では、東側斜面に陣所や虎口、その西側の尾根上(第12 図D)に壕底道が連続し、曲輪、土橋、土塁を確認した。奥内川支流のカベ沢西岸のエリア(第12 図E)では、沢沿いの斜面に幅広の台形状を呈する段築遺構が連続する状況を確認し、沢の下流側の斜面(第12 図F)には小平場群を確認した。本館跡については、瀬戸子八幡宮北側において東側斜面に虎口、陣所、段状遺構が存在し、北側の奥内川や支流のカベ沢に面した斜面に小平場や丁寧に築かれた段築遺構が存在することから、北側の沢及び東側に対する防御を意識した構造と考えられる。
まとめ-第12図 (仮称)瀬戸子館跡(1/30,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より

まとめ-第14図 (仮称)瀬戸子館跡方形区画位置図・概略図 (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より
⑦飛鳥山館跡 (第13 図)
飛鳥地区の丘陵東部に位置する周知の埋蔵文化財包蔵地である。北に瀬戸子川、南に飛鳥沢が流れる。市民グループの調査によって、遺跡範囲内の環濠とともに、遺跡範囲外の北東及び東側に遺構が存在し、さらに西側の尾根上に遺構が連続することが確認されている。当委員会の分布調査は、令和3 ~5 年度に実施した。本館跡は、遺跡範囲内の環濠を中心として、遺跡範囲外北東側の瀬戸子川に張り出す丘陵のエリア、遺跡範囲外東側の方形区画が存在するエリア、遺跡範囲外南側の飛鳥沢支流に面した丘陵端部のエリア、遺跡範囲外西側に続く尾根上のエリアに分けることができる。遺跡範囲外北東側の瀬戸子川に張り出す丘陵(第13 図A)のエリアでは、切岸によって形成された曲輪と、瀬戸子川に面した東側斜面(第13 図B)から段築遺構を確認した。遺跡範囲外東側(第13 図C)からは、土塁と壕に囲まれた方形区画を確認した。遺跡範囲外の南側の飛鳥沢支流に面した丘陵端部(第13 図D)では、丘陵頂部方向に向かうとみられる虎口(切通)や平場、飛鳥沢支流の沢筋(第13 図E)では土塁や丘陵の尾根に向かう壕底道を確認した。遺跡範囲外西側に続く尾根上のエリア(第13 図F)では、部分的に土塁が付随する壕底道が続き、竪堀状に広くなる部分や、屈曲や枝分かれする箇所を確認した。また、平坦面を利用した平場が点在し、南側に二条の堀切を有するものや、南側に小平場が伴うもの、井戸跡とみられる落ち込みが付随する平場も存在する。本館跡については、内真部城館群の中で、東西に最も長く遺構が存在する。遺跡範囲外北東側の瀬戸子川に面し、曲輪や段築遺構を確認した丘陵は、川の押えを意識したものと考えられるが、南北から入り込む沢を意識したとみられる遺構はそれほど顕著ではないことから、本館跡は、西側方面への通路や、臨時の砦の性格を有する城館と考えられる。
まとめ-第13図 飛鳥山館跡(1/40,000) (青森)市内遺跡発掘調査報告書34 令和7年度より
⑧全体まとめ
以上、各城館における分布調査等の概要を記した。これまでの調査によって北は尻八館遺跡、南は飛鳥山館跡の全山城に山城遺構が存在することを確認できた。河川によって区切られた丘陵地の東端部に城館跡が立地し、東西に長く延びる尾根が存在する地形や、尾根上に壕底道が発達する点で共通する部分はあるが、構造は微妙に異なる。この点が地形的な制約によるものか、時期的なものなのかは不明である。各城館並びに遺構の時期については、推定が困難であるが、同時期に築造されたものではないとみられる。調査指導をいただいた榊原氏によると、古くは、古代の環壕集落をベースに、中世では鎌倉末期から戦国期に築城・改変された可能性が指摘されている(榊原2024)。特に、(仮称)瀬戸子館北西側の奥内川支流のカベ沢西岸の段築遺構、飛鳥山館跡範囲外北東側の段築遺構については、戦国期の遺構と推定されている。今回の調査は、各城館の新規登録や既存の遺跡の範囲変更を検討する目的で実施したが、飛鳥山館跡の東側に近接する城館跡とされる(仮称)八重館跡(飛鳥(5)遺跡)と、湯ノ沢館遺跡北東側に隣接する内真部(1)遺跡以外では、山林により遺物の確認が困難であったため、遺跡の新規登録・範囲変更には至らなかった。遺跡登録には至らなかったものの、今回の調査成果を基礎資料として保存し、各城館跡の現状保存が図られるよう、当該地域における各種開発事業に注視していきたい。
最後となりましたが、調査のご指導をいただきました榊原滋高氏、調査時の現地までの案内等にご協力いただきました、田中洋一氏、村田健一氏、奥谷誠一氏、瀬戸子方形区画の測量調査を承諾いただきました地権者の皆様に感謝いたします。
(設 楽)
≪引用参考文献≫
青森市 2005 『新青森市史資料編2 古代・中世』
青森県立郷土館 1981 『尻八館調査報告書』
青森県教育委員会 1994 『内真部(4)遺跡発掘調査報告書』 青森県埋蔵文化財調査報告書第158 集
田中洋一 2024 「内真部城塞群」『山城の里−青森市油川、奥内、後潟の歴史と暮らし−』
榊原滋高 2024 「外浜・内真部城館群の分布調査から~山城と山麓の居館について~」『山城の里−青森市油川、奥内、後潟の歴史と暮らし−』
市内遺跡発掘調査報告書に関連した遺構配置地図
青森市教育委員会の報告書に掲載されている踏査図では、どこに何の山城遺構があったのかを理解するのは難しいため、本分布調査の指導者として、山城踏査に同行されていた、榊原滋高氏が作成された「遺構配置図」を掲載させていただきます。※両図面ともクリックすると拡大します。

尻八館から瀬戸子館までの遺構配置地図 作図、榊原滋高

瀬戸子館から飛鳥山館までの遺構配置地図 作図、榊原滋高
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