前田蝦夷館・南方山城遺構

 青森市北部(後潟・奥内・西田沢地区)は、安藤氏(安東氏)に関連する城跡・館跡が集中して見つかっているエリアです。その中から、南方山城遺構(なんぽうやましろいこう)をご紹介します。
 南方山城遺構は、前田蝦夷館跡と連結する山城です。近年、新青森市史編纂のための調査で発見されました。 
 新青森市史 資料編2 古代・中世では、「南方山城遺構Ⅰ」と「南方山城遺構Ⅱ」と分けて記載されていますが、「前田蝦夷館跡」と「南方山城遺構Ⅰ」・「南方山城遺構Ⅱ」は連結して、機能する山城といえるでしょう。

※尻八・内真部城塞群については、別ページにまとめてあります。⇒「尻八・内真部城塞群

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1.南方山城遺構
2.前田蝦夷館跡と南方山城遺構の位置関係
3.南方山城遺構Ⅰの遺構位置図
4.城館遺跡への大手道
5.南方山城遺構Ⅰの概要
6.前田蝦夷館からの北側連絡路遺構
7.東側入口と頂上平場
8.東側尾根すじ遺構
9.北側入口遺構と西側入口遺構
10.南側南東斜面の段築
11.平場の状況
12.南方山城遺構Ⅱの遺構位置図
13.南方山城遺構Ⅱへの連絡路
14.南方山城遺構Ⅱの概要
15.中央尾根筋
16.南方尾根筋

17.写真アルバム
18.前田蝦夷館
 
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南方山城遺構


 南方山城遺構は、新青森市史史料編・古代中世の編纂に伴う「内真部館跡」・「内真部山城跡」や「前田蝦夷館跡」の調査の際に、城館遺跡として発見されました。新市史史料編には、次のように記載されています。
 ・・・・・この前田蝦夷館跡から続く尾根を南に150mほど行った丘陵の頂上一帯は、軍勢の駐屯地に使えそうな広い平坦地となっているが、そこに至る尾根道は、一部土橋状となっており、その先には虎口状の施設も設けられている。臨時のものではあるが明らかな城塞の構えである(⑤「南方山城遺構Ⅰ」)。堀道を利用した虎口状の施設はこの地区の西側の入口にもある。
 さらに、この山城跡から土橋状になった尾根道をへて西に約250m行った先にも、尾根上に広い平坦地が広がり、南の谷筋からの入口には、屈曲した通路とそれをにらむ平場を備えて防御を固めるなど、⑤「南方山城遺構Ⅰ」と同様の臨時の山城(⑥「南方山城遺構Ⅱ」)となっていた。

 次の文章は、内真部城館群を説明するために、中世の著名な山城を紹介しているものです。
 ・・・・これと類似のものを捜すとすれば、鎌倉時代末期の元弘の乱に楠木正成が本拠とした「千早・赤坂城塞群」をあげることができよう。この千早・赤坂城塞群の調査(市史史料編の編纂委員による)によって、ほぼ同時期の城館遺跡である内真部城館群の全体構造を読み解く視点を得ることができた。
 「すなわち、山の頂を一つの拠点とし、これを土手道と堀道でつなぎ、さらに別の山城に連絡するという構造である。郭一つ一つの防御というよりも、堀道・土手道のルート自体が既に城郭であり、これが他の山城に連絡することで機能を果たす。機能を増幅させるために、途中には堡塁・ほるいの如くに行く手をはばむ「関門」も設けられていた。」

 前田蝦夷館跡と南方山城遺構は連続した丘陵にあり、この「千早・赤坂城塞群」の調査から得た視点がそのまま該当します。
前田蝦夷館跡と南方山城遺構のある丘陵
南方山城遺構のある丘陵 写真中央の丘のピークから右側が「前田蝦夷館跡」、「南方山城遺構」は左側の丘にある

見どころ
「南方山城遺構Ⅰ」につながる各尾根すじの「空堀」と「見張台」。前田蝦夷館跡からの連絡道にある土橋。遺構Ⅰから遺構Ⅱに向かう連絡道の土橋。「南方山城遺構Ⅱ」の中央尾根すじに添う「壕道」と南方麓に向かう「壕道」。

アプローチ
 国道280号バイパスを北上して、奥内川を渡る。先に進むとバイパスの両側に神社の林が見える。その山手に、三社神社の林と祠の林が道の両側に見える。そこを過ぎるとすぐに、右手に「前田町会」の看板が立っている。その交差点(角に家屋あり)を左折して、新幹線高架橋を越え、道の行き止まりの丘陵までたどり着く。そこに停車する(ここまでは前田蝦夷館跡と同じ)。右手方向には「蝦夷館山守護神御堂」の、幟・のぼり用のポールが2本立てられていて、「前田蝦夷館跡」の標識も立っている。
 南方山城遺構へは、前田蝦夷館跡の南曲輪の南端から南へ進む(前田蝦夷館跡への登り方はそちらを参照!)方法と大手道を登る方法がある。

 大手道からのコースを説明する。舗装農道の終点の正面植林地に向かって左手方向・南のすぐ脇にその隣の林に入れる箇所がある。そこから、谷を歩いて進み、右手の尾根筋に上がる。現状で鉄製はしごが立っている地点の少し先・上に、植林地を見下ろすことができる地点があり、大手道の古道にぶつかる。背中を植林地に向けて、右手方向・谷側の尾根の道。古道は少し掘られていてはっきりしているので、そのライン上を登ると、最後に尾根に出る。
 谷を背中に、右手方法・北に向かうと「前田蝦夷館跡」の南曲輪。左手方向・南に向かうと「南方山城遺構Ⅰ」となる。
蝦夷館お堂mapへリンク→ Google map へ リンク。駐車場スペースがあり、入山コースの蝦夷館お堂

《 前田蝦夷館連絡路から中央路ルート 》
 前田蝦夷館の南曲輪から南方山城遺構Ⅰへのルート、大手道から南方山城遺構Ⅰへのルートは、中央尾根筋[中央路]で重なり合う。この中央路を南へ進むと急斜面に当たり、登ると南方山城遺構Ⅰの頂部曲輪になる。

《 南方山城遺構Ⅰから南方山城遺構Ⅱへの中央路ルート 》
 南方山城遺構Ⅰの頂部に上がったら、そのまま頂部の中央まで進み、中央で右折する。枝分かれした大木まで進む。大木に向かって左手方向に曲がって、斜面を道なりに降りる。斜面に沿って降りると塹壕のような「西堀道」がある。その中央の壕道を下まで下がる。谷にぶつかる手前で左折して斜面を下っていく。斜面の先に土橋があり、その先が「南方山城遺構1.5」(呼称)の領域となる。
 南方山城遺構1.5を、斜面を左手にしながら進む。幅広の道を進む。林の入口付近で左折して尾根筋を進む。進行方向を横切るような尾根筋に当たる。ここから南方山城遺構Ⅱの領域となる。

前田蝦夷館跡と南方山城遺構との位置関係

前田蝦夷館跡と南方山城遺構との位置関係
  前田蝦夷館跡と南方山城遺構との位置関係
  新青森市史資料編の図面をトレースしました。
 ※地形図の等高線から見ても、丘陵の尾根すじのほぼ全域を使っての城塞となっています。

南方山城遺構Ⅰの遺構位置図

南方山城遺構Ⅰの遺構位置図 
  南方山城遺構Ⅰの遺構のある位置
  囲みアルファベットは遺構のある位置を示しています。 ※それぞれの遺構は、この後の項目の説明をご覧ください。リンクしています。

→ 大手道エリア連絡路遺構・尾根筋エリア → 連絡路遺構・東斜面エリア
北側入口遺構エリア西側入口遺構エリア → 東側尾根筋遺構エリア
南斜面遺構エリア → 南東斜面遺構エリア
 

城館遺跡への大手道 − エリア(A)

 「アプローチ」で説明した駐車スペースの正面の植林地に向かって左手方向・南のすぐ脇にその隣の林に入れる箇所があります。そこから、谷を歩いて上がり、右手を見ながら、登りやすいところで尾根筋に上がります。現状で鉄製はしごが立っている地点の少し先・上に、植林地を見下ろすことができる地点辺りから、大手道の古道が始まります。右手方向・谷側の尾根の道です。この辺りで、左手方向に向かうと間違います。
 古道は少し掘られていてはっきりしています。そのライン上を登ってください。
 最後に尾根にでます。谷を背中に、右手方向・北に向かうと「前田蝦夷館跡」の南曲輪です。左手方向・南に向かうと「南方山城遺構Ⅰ」です。この尾根筋道を[中央路]とします。南方山城遺構Ⅰの入口にあたる「土橋」のある場所とはそんなに離れていません。

前田蝦夷館・大手道と伐採地頂上合流地点
前田蝦夷館・大手道と伐採地頂上合流地点 この写真の背中側に大手道の壕道がある。

前田蝦夷館・大手道
前田蝦夷館・大手道 写真右手方向は谷

前田蝦夷館・大手道
前田蝦夷館・大手道 尾根すじのすぐ下あたり
 

南方山城遺構Ⅰの概要

 海側から見て、前田蝦夷館跡のある丘陵の北1/3が「前田蝦夷館の山城」であり、南側が「南方山城遺構」になっています。戦の防衛拠点としての機能は前田蝦夷館の山城にあり、「南方山城遺構」は前方の軍勢拠点の機能であると思われます。
 敵の軍勢が攻めてくる可能性のある登りやすい尾根すじには、必ず土塁・堀道(空堀)または段築・切岸、見張台を設置しています。南方山城遺構Ⅰには山頂を囲む派手な周壕はありませんが、実に機能的な造りとなっていて、前面から背後から迎撃可能ですし、退却も容易です。

〈1〉前田蝦夷館からの北側連絡路遺構− エリア(B)&(C)

(1)東土橋と切岸→虎口状の施設
 前田蝦夷館跡からの尾根道(大手道の到達箇所)を南へたどると「土橋」状になっている箇所があり、その先が「切岸」(手前が平場)になっています。ここの土で尾根道の高さを揃えたと思われます。そして、切岸を登る道が土盛りして取り付けられてるように造られているのがよくわかります。新市史史料編では「虎口状の施設」として記載されています。
 切岸の上は谷側に少し張り出してあり、広さはそれほどではないものの平場を造っています。この箇所が前田蝦夷館跡方向から攻められた場合の第一関門です。この位置は北からの尾根と東からの尾根が交わる箇所となっています。
 
(2)3重の見張り台
 前項の一段あがった平場から東からの尾根すじに下る「堀道」があり、「見張り台」に続きます。尾根すじを切って、その土を使いテラス状の平場を造っています。下に下がるほど小さくかつ造りが甘くなりますが、3ブロック形成されています。堀道は上から2段目まではありますが、その下には続いていません。

 ※この場所に防御柵が回されていたとしても、おかしくないと考えます。なぜなら、現状では頂部の平場から見張りをすることが可能です。防護塀があり見晴らしを遮るために、下に見張り台を造る必要があったのではないでしょうか。

 蝦夷館連絡路・東土橋
蝦夷館連絡路・東土橋 正面に切岸が見えている。

蝦夷館連絡路・切岸と登坂道
蝦夷館連絡路・切岸と登坂道 登坂道は右から曲がりながら切岸頂部に続く。

蝦夷館連絡路・切岸と登坂道
蝦夷館連絡路・切岸と登坂道  横(谷側)から虎口上の施設を見る。

蝦夷館連絡路・見張台1
蝦夷館連絡路・見張台1  左手方向が尾根筋からの堀道

蝦夷館連絡路・見張台1
蝦夷館連絡路・見張台1  斜め横から。手前がテラス状になっている。写真右手に堀道があり、下の段、見張台2に続く。
 

〈2〉東側入口と頂上平場

 尾根道を、前項の虎口上の施設を過ぎ、さらに南へ進むと、かなり急な斜面が現れます。これを登ると「南方山城遺構Ⅰ」の頂部、平場に出ます。この場所の不思議なところは、道がついていないことです。堀道を造らず、正面斜面を登ってこいというわけなのでしょうか。
 南方山城遺構の頂部は平場になっています。写真を見ておわかりのようにスギの太さは一定で、植林される以前は立木はなかったものと思われます。斜面は西側が高く、東側が若干低くなっています。なんで、山頂にこんな平らな場所があるのだろうと思える不思議な場所です。

南方山城遺構Ⅰ・東入口斜面
南方山城遺構Ⅰ・東入口斜面  このまま、正面に登るのは厳しいため、若干右手方向に迂回して登る。

南方山城遺構Ⅰ・中央平場
南方山城遺構Ⅰ・中央平場  一つ前の写真の斜面を登り切ったあたり。手前が高く、奥が若干低くなっている。
 

〈3〉東側尾根すじ遺構 − エリア(F)

 南方山城遺構Ⅰの中心となる平坦地を東に終端まで進み、林に入るように少し下ると山を削り、東側の尾根筋からの侵入者を見張る、監視用の平場がこしらえてあります。尾根筋の終点は切岸と土盛りを組み合わせて高さ4m程の崖状となっていて容易な侵入を許しません。平場の周りの斜面は谷となり、急な斜面です。※この箇所は新市史資料編の調査で未発見です。 
南方山城遺構Ⅰ・東見張台
南方山城遺構Ⅰ・東見張台  画面中央に下への尾根筋が見えている。

南方山城遺構Ⅰ・東見張台
南方山城遺構Ⅰ・東見張台 前の写真の右手方向の斜面。若干傾斜はあるもののテラス状になっている。

南方山城遺構Ⅰ・東見張台切岸
南方山城遺構Ⅰ・東見張台切岸  頂部は土盛りして張り出させ、尾根すじを切って切岸としたと思える。このまま登るのは困難。
 

〈4〉北側入口遺構と西側入口遺構 − エリア(D)&(E)

(1)北側入口遺構
 頂部平場の北側終端から北に下ると、広い堀道を利用した虎口状の施設があり、腰曲輪のようになっています。規模は(2)よりも大きく、土塁に隠れて、また切岸の上からも迎撃できます。※この箇所は新市史資料編の調査で未発見と思われます。

(2)西側入口遺構
 北側終端から西に下ると、「南方山城遺構Ⅱ」に至る西側の平坦地に入る箇所に、堀道を利用した虎口状の施設があります。空堀は山側が狭く、谷側が広く、山側の斜面を切岸のように削り、その土で土塁をこしらえています。 

南方山城遺構Ⅰ・北堀道と西堀道への標識木
南方山城遺構Ⅰ・北堀道と西堀道への標識木 頂部への登り口をそのまま進み、平場の中央から北へ少しで、この太い枝を伸ばしたスギがある。このスギの後方向に北堀道、左手方向に西堀道が位置する。

南方山城遺構Ⅰ・北堀道 土塁側
南方山城遺構Ⅰ・北堀道 土塁側 奥が高く、手前が低い。左手土塁の先は北側平坦地、立木は壕道の底に植えられている。右手方向は切岸。

南方山城遺構Ⅰ・北堀道 切岸側
南方山城遺構Ⅰ・北堀道 切岸側  頂部平場につながる切岸。右手方向に土塁がある。

南方山城遺構Ⅰ・西堀道
南方山城遺構Ⅰ・西堀道  奥が高く、手前が低い。右手が土塁で西方向、左手が頂部平場に続く切岸。西堀道は北堀道に比較して、深さが浅く規模も小さい。

〈5〉南側南東斜面の段築 − エリア(H)&(G)

 南方山城遺構Ⅰの遺構図では、遺構のエリア(網掛け部分)が南側に広く延びていますが、この箇所は頂部平場から外れ、広めの少しずつ下がる斜面になっています。南側斜面は南へ下る尾根すじと南東へ下る尾根すじに分かれありますが、双方ともふもとが見えるあたり(そこから、急斜面になる。)まで進むと尾根筋を削った段築が3段ほどありました。急ごしらえのものなのか、段築とその手前の平場の形状は甘い感じです。南東斜面(エリアG)よりも、南南斜面(エリアH)の方が段築は低くなっています。

 これまでの遺構説明のように、「南方山城遺構Ⅰ」には、麓から登りやすい尾根筋のほとんどに堀道・段築(見張り台)をこしらえてあります。

南東斜面見張り台1
南東斜面段築−見張り台1 上から1つ目の見張り台。このすぐ下に2つ目の段築がある。

南東斜面見張り台3
南東斜面段築−見張り台3 上から3つ目の見張り台。ふもとからの急斜面がゆるやかになる位置に造られている。

南南斜面見張り台2
南南斜面段築−見張り台2  上から2つ目の見張り台。平場はそれほど掘りこんではいない。

南南斜面見張り台3
南南斜面段築−見張り台3  上から3つ目の見張り台。段築の高さはそれほどない。

〈6〉南方山城遺構Ⅰの平場の状況

 南方山城遺構Ⅰの頂上部は高低差があまりない平場になっています。それに連結して(1)北側を一段下がっての平場、(2)西側を一段下がって、南方山城遺構Ⅱ方面(山城遺構1.5)につながる平場があります。
 特に、(1)北側の平場の先端部(谷のように下がる箇所の手前)にまで進むと湯ノ沢側にある道路が見え、立木で見渡せないものの、前田蝦夷館跡の中央部あたりまで延びているようです。つまり、城郭・砦として利用可能なエリアは、下図の色づけ部分よりさらに広いのです。
   

南方山城遺構Ⅱの遺構位置図

南方山城遺構Ⅱの遺構位置図




  南方山城遺構Ⅱの遺構のある位置
  ※南方山城遺構Ⅰから、Ⅱに至る経路含め、3つブロックとして説明します。






 

南方山城遺構Ⅱへの連絡路 − エリア(A)

 南方山城遺構Ⅱへは、南方山城遺構Ⅰからたどることができますが、まず、エリア(E)にある「西側入口遺構」を見つけます。南方山城遺構Ⅰに上がったら平場の中央から、背中を新幹線高架橋側として、少し前に進み、西方向・左折し、下に降りる感覚です。頂部平場の端から、西に下ると西側入口遺構の空堀の上部に出ます。空堀をそのまま下り、そこから林の縁を西に向かうと、「南方山城遺構Ⅱの遺構位置図」のエリア(A)に入る土橋にたどり着きます。
 「土橋」状の道(両側が谷)を渡ると当サイトで「南方山城遺構1.5」と称している場所です。頂部を自然地形のままにし、その裾を削って、まず土橋の高さを合わせ、南側の斜面・谷側を一段低くかつ平場にしてにテラス状の廻廊をこしらえてあります。※この中間地点は、新市史資料編では遺構エリアとしては記載されていませんが明確に人の手が入っています。
 
この「遺構1.5」の谷側を西・左手方向に尾根筋を進みます。その後の「南方山城遺構Ⅱ」への連絡路は平坦です。前方が伐採地となった辺りで左折し、南方向に向かうと、南方山城遺構Ⅱに入ります。

南方山城遺構Ⅰ・西土橋
南方山城遺構Ⅰ・西土橋  遺構Ⅰの西端。両脇に立木が立つ辺りから「土橋」状になっている。一列で渡るしかない。

南方山城遺構1.5・入口正面
南方山城遺構1.5・入口正面  土橋を渡ると山城遺構ⅠとⅡのほぼ中間地点。手前から左手方向が廻廊となっている。

南方山城遺構1.5・廻廊
南方山城遺構1.5・廻廊  左手が自然地形の尾根すじ。中央が廻廊。右手が谷・南方向。この谷は遺構Ⅰと遺構Ⅱの中間にあり、ふもとから谷すじをそのまま登るとこの廻廊にたどり着く。

南方山城遺構Ⅱへの連絡路
南方山城遺構Ⅱへの連絡路  写真後が前の写真「遺構1.5」。この連絡路がぶつかった辺りで左折・南方へ行くと、「南方山城遺構Ⅱ」がある。   

南方山城遺構Ⅱの概要

 南方山城遺構Ⅱは、西側に延びる尾根筋と南側に延びる尾根筋と「L字」状になっています。
(1)中央尾根すじ
 西側に延びる尾根すじは高低差がほとんどなく、南側から見れば、広い平坦地をふさぐように、西側の尾根が土塁・防護壁のように見えます。西側の尾根筋の下・南側は空堀になっていて、特に、西側の堀は深くなり、二重になっている箇所もあります。
 中央の尾根すじと南方への尾根すじに囲まれた場所は、かなり広い平場になっています。
(2)南方尾根すじ
 南側に向かう尾根筋の下・西側が浅い壕道のようになっていて、中央の尾根に近づくにつれ幅が広くなっていきます。
 この壕道を平場の終端までたどると伐採地に当たり、道はとぎれ下までたどることはできません。尾根筋をたどっても道らしきものは見当たらず、昔の道は伐採地の中に隠れてしまったのだろうと思います。

〈1〉中央尾根筋 − エリア(B)

南方山城遺構Ⅱ・中央尾根土塁
南方山城遺構Ⅱ・中央尾根土塁  尾根は前方・西が高く、手前・東が低い。左手の下に壕道がある。壕道を掘った土は尾根に積み上げて高さを増したのではないかと推測する。右手方向から尾根を見ても急に高くなっている。

南方山城遺構Ⅱ・土塁と堀道
南方山城遺構Ⅱ・土塁と堀道  右手が尾根、左側が壕道。東側の壕道は深さはさほどなく、廻廊の様になっている。

南方山城遺構Ⅱ・中央堀道-西側
南方山城遺構Ⅱ・中央堀道-西側  尾根すじ・土塁と南・下の壕道を中間部から西側を見ている。地図と照らし合わせると東西に約200mはある。

南方山城遺構Ⅱ・中央堀道-西側
南方山城遺構Ⅱ・中央堀道-西側  左手が西、右手が東。南側から見ている。西側の壕道は、東側と比べて深く、土塁との高低差もある。

南方山城遺構Ⅱ・西端見張台
南方山城遺構Ⅱ・西端見張台  東西の壕道を最後までたどると谷側手前の見張り台状になって終わる。この下も見張り台状になっている。
 
2019年の初夏に、この中央尾根筋の土塁の南側に、伐採用のブルドーザーが入ってしまいました。土塁のものが破壊されたわけではないのですが、それまで平坦地と防御用土塁との関係がよく見えていたのが、土塁と平坦地がブル道で分断されてしまい、つかみづらくなってしまいました。本当に残念なことです。

〈2〉南方尾根筋 − エリア(C)

南方山城遺構Ⅱ・南斜面堀道
南方山城遺構Ⅱ・南斜面堀道  東西の尾根すじの上から、南へ延びる尾根すじ(土塁)と壕道を見ている。

南方山城遺構Ⅱ・南斜面平場
南方山城遺構Ⅱ・南斜面平場  南方山城遺構Ⅱは、平場を尾根すじ・土塁で「┓」状に囲んだ形状となっている。写真のスギ立木は、数十年前に植林したもの。つまり、山城遺構Ⅱの平場は極めて広い。

南方山城遺構Ⅱ・南方堀道
南方山城遺構Ⅱ・南方堀道  東西の尾根すじから直角に南方への尾根すじに土塁が延びている。壕道は西側にあり、東側にはない。

南方山城遺構Ⅱ・南方堀道
南方山城遺構Ⅱ・南方堀道終端近く  堀道は、南方の斜面、現状の伐採地に向って落ち込んでいく。

南方山城遺構Ⅱ・南端
南方山城遺構Ⅱ・南端  一つ前の写真の堀道、左手方向の尾根。この尾根すじには、道はなかった。
 
※新青森市史 資料編2 古代・中世
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 青森市北部市民センターの「地域マップづくり」の講座受講生と応援隊で、取材した場所や調べたことをまとめました。
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