大阪山館跡

 青森市北部(後潟・奥内・西田沢地区)は、安藤氏(安東氏)に関連する城跡・館跡が集中して見つかっているエリアです。その中から、大阪山館跡(おおさかやまだて)をご紹介します。
  大阪山館跡は、令和3年に確認された山城です。これまで、内真部館・内真部山城と尻八館との間の山域は、山城遺構が発見されてはいませんでした。大阪山は標高142.6m。青森市北部の山域において、山名が表示されている山は「飛鳥山」と「大阪山」の二つだけです。
 大阪山を調べる必要があったのは、内真部山城と尻八館との関係を把握するためには、その中間に位置する大阪山の領域に山城遺構があるかどうかを探る必要があったためです。
1.内真部山城の頂部から、大阪山にかけてのルートに遺構がある。
2.尻八館の西路に壕道が続くことから、尻八館の成立時期は他の山城群と同様に鎌倉時代に遡る可能性が高い。
 このことから、内真部山城から大阪山を経て、尻八館に至るルートがあったはずだと考えました。
 調査の結果、大阪山山頂の北の領域から、西方に約1.5kmにある標高145mピークあたりまでが山城遺構領域であることがわかりました。
 なお、青森市が実施した山城分布調査については、別ページに山域ごとにまとめてあります。仮称大阪山館は令和4年10月と11月に調査が実施されています。⇒「山城分布調査
写真や図をクリックすると、大きく表示します!
contents
  1. 大阪山館跡
  2. 標高112mのピークまでの領域
  3. 東曲輪までの領域
  4. 一の陣地と二の陣地下の段状遺構    
  5. 西方尾根筋の領域 切り通し壕道群    
  6. 南麓への尾根筋 三の陣地
  7. 西曲輪Ⅰ・Ⅱの領域
  8. 遺構領域図
  9. ルートと主な遺構
  10. 写真アルバム
※尻八・内真部城塞群については、別ページにまとめてあります。⇒「尻八・内真部城塞群」   
※安藤氏については、別サイトにまとめてあります。⇒「下国安東氏ノート
※安藤氏に関わる福島城、唐川城に興味のある方は、こちら⇒「十三湊遺跡

大阪山館跡

大阪山館跡のある山域
大阪山館跡のある山域  写真左手に「内真部館・内真部山城」が続いている。左方向の高い箇所が大阪山標高142.6m、右方向の高い箇所が標高112mのピーク。ひょうたんのような形状をしている。
立地
大阪山館跡は、青森市中心市街地の北西、JR津軽線左堰駅から西へ約3.2km、海岸からは約3.5km内陸に入った地点にある。山域は南北に約0.5km、東西に約1.3kmある。標高は大阪山が142.6m、遺構が散在する領域の標高は約100~145m。所在地は青森市左堰字大科。
(※山域の西端と標高は、遺構が確認されているエリアと連動する。)
 
見どころ
小山に中央、右、左と3列の壕道がある三列壕道丘、平坦地の中央に浅い壕道のある東曲輪、尾根筋に切通しのある壕道が続く尾根筋壕道、頂部から麓に向かって一直線の壕道がある西曲輪Ⅱの壕道。

大阪山館という名称
瀬戸子の場合には、当サイトで説明しているように、江戸時代末期から明治時代初期に「瀬戸子館」という枝村があったので、「館」としています。大阪山の場合は、飛鳥山館から尻八館までの山域の山城に全て「館」と付けられていることから、大阪山館という名称にしています。
 
YAMAP コース軌跡と写真
「ヤマップ」を使って、移動したコ−スの記録や軌跡に写真を合わせて、遺構などの位置がわかるようになっている『活動日記』を公開しています。「活動日記」に掲載している写真にカーソルを当てると説明が表示されます。写真をクリックすると、拡大写真になり説明文も読めます。
アプローチ
 国道280号バイパスを北上して、県道2号線との交差点を過ぎて、蓬田村方面に向かう。「内真部川」を渡る少し行くと「青森市左堰」の道路標識があり、その先の右手に「左堰町会」の看板があり、先に進む。右手水田方向に神社林が見えてくる。その先の右手に『小橋町会』の看板がある角を左折する。新幹線高架橋の下をくぐってると舗装路は右に曲がっていく。舗装路の終点に、左方向に入るジャリ道があるので、左折すると「今別幹線77・76」の鉄塔標識がある。正面への道と右手の道に分かれるので、六枚橋川の方向に右折する。進むと左手に鉄塔があり、その先へ。左手に尾根がある箇所を過ぎて進むと、左手に鉄塔保安路の駐車スペースがある。左手に広場があるのはここだけ。駐車して山方向に進み、右方向に曲がっていく鉄塔保安路を進んで行く。標識から保安路駐車場までは100m。伊沢稲荷神社mapへリンク
→ Google map (伊沢稲荷神社) へ リンク

《 保安路口ルート 》  
 アプローチで説明している77番・76番鉄塔の保安路から進む。77番鉄塔を過ぎて76番鉄塔に着いたら、その少し手前の高い箇所から尾根筋を行く。道は谷に向けて下っていく。谷から山に登って、その先は尾根筋を進んで行く。「三列壕道丘」と「竪壕」を過ぎると、正面が丘になる。丘に向かって右手に「脇壕道」がある。ここを進むと「西方尾根筋の切り通し壕道群」の近道となる。大阪山山頂方面には、正面の丘を登り、頂部から左折(東方向)することになる。

《 神社口ルート 》  
 アプローチで説明している77番・76番鉄塔の保安路駐車スペースから西へ進むと、右手に橋があって林道が交わる箇所がある。そこに駐車する。進行方向である西へ歩くと林道の両側が高く切通しになっている箇所がある。その手前の左側の尾根下に神社がある。社に上がって社の上の斜面を登って尾根に出るとブル道がある。ブル道を上って行くと大阪山西方の140mピークの脇を通りながら145mのピークにたどり着く。

《 林道口ルート 》  
 六枚橋林道が地形図に道として掲載されている。アプローチで説明している山域に向かうルートで、「小橋町会」から舗装路を山に進む。道が右方向に曲がってから少し進むと、山方向に入る道があり、角に鉄塔保安路を示す黄色の標識がある。左折して、この道を進むと76番鉄塔への保安路がある。道は狭く車に笹などがあたる箇所がある。Y字路があり、左側が地形図に示されていて、右側が記載されていない。Y字路の角に駐車できる。右の道を少し進むと鉄塔保安路の標識があり、112mピークを通って、76番鉄塔に出る。ここからは「保安路口ルート」の説明を参照のこと。六枚橋林道から終点Y字路までは1.0㎞。
 前述したから76番鉄塔への保安路を過ぎて、少し進んでから、左側の斜面を登ると、「保安路口ルート」で説明した、谷を下ってから斜面を登った箇所にぶつかる。

〈 大阪山登頂 〉
 大阪山山頂に登る明瞭な登山路があるわけではない。地形図に記載されている道を外さずに(ヤマップなど、スマホで現在地がわかるアプリを推奨)進むと大阪山山頂に至る尾根筋に当たる。尾根筋のすぐ脇に伐採に使ったブル道がある。ただし、笹に覆われている。このコースを歩くと山頂を通り過ぎる。明確なピークはわからないが、三角点はブッシュの中にあるのだろう。 

六枚橋川沿いの麓から標高112mのピークまでの領域

 尻八館から大阪山の北麓にある六枚橋川へのルートは、S28年の地形図には、尻八館への駐車場(ため池)から、現状鉄塔下の保安路のコースが道として記載されていることから、まず、このルートの延長線から大阪山山頂までを踏査しました。
 大阪山山域の六枚橋川沿いから標高112mのピークまでの領域は、敵の進入路の一つと考えられるため、この領域に山城遺構があるのかを調べる必要がありました。その結果、明瞭な遺構はないものの、浅い壕道があることや、斜面を削っている場所があるなど、北側の尾根筋にある頂部の平坦地が陣地(曲輪)として、使われていたことがわかりました。
 大阪山を国道280号線から見ると、“ひょうたん“のような形状で、北側の山が標高112mピーク、南側が標高142.6mの大阪山山頂となっています。北側の標高112mのピークまでの領域は、大阪山館にとって前衛基地のような位置づけだっただろうと考えられます。
 内真部館・内真部山城から大阪山山域北端までには、川は流れていないことから、この山域は一体の山城なことも考えられる。つまり、内真部山城は大阪山と連結していたものであり、大阪山館全体の一部とみることができる可能性があります。

 

北東尾根斜面をかけあがっての平坦地
北東尾根斜面をかけあがっての平坦地  東尾根の頂部は狭い箇所がなく、このような幅広い平坦地となっている。
 
平坦地の先にある浅い壕道 
平坦地の先にある浅い壕道  尾根筋に浅い壕道がある箇所があった。

平坦地尾根下を削っている 
平坦地尾根下を削っている  東尾根の西側の谷が終わるあたりに、尾根筋の東側の斜面を削っている箇所があった。

陣地、平坦地
陣地、平坦地の状況  前の写真の上に位置する平坦地。112mピークの北に位置する。陣地として使っていたと想定される。
 

谷を上がってから、東曲輪までの領域

 大阪山館の明瞭な山城遺構は、標高112mのピークの山域を越えてからあります。大阪山館の主要な山城遺構は、およそ、六枚橋林道のラインで西に仮想線を尾根筋まで引いたあたりから始まります。説明の都合上、大阪山山頂の北手前までの領域と、西に続く尾根筋の領域、そして標高140m~145mピークの領域に分けて説明します。

 山頂の北に位置する「東曲輪」までの領域には、壕道と一の陣地、東曲輪、山頂への尾根筋の東に位置する二の陣地、西の尾根筋壕道に入る手前に位置する『切通し壕道1』があります。山城遺構の位置関係や大きさから「東曲輪」がもっとも主要な曲輪だっただろうと考えられます。
 この領域の主要な山城遺構が『赤松横壕道』から始まります。次に『三列壕道丘』、『竪壕』。そこから南に進むと大阪山山頂方面となります。至る大阪山山頂と西側にある標高130~145mの尾根筋への分岐点から東方向へ進み、大阪山の山頂から北西に約300m付近の尾根筋が平坦地『東曲輪』となっています。ここには、浅い堀道が複数設定され、曲輪(陣地)として使ったと考えられます。大阪山の山頂から北へ200mあたりで、山頂への尾根筋になる。ここから東に伸びる尾根があり、堀道が設定されていて「二の陣地」としました。尾根は幅広で陣地としての適地です。
 大坂山の山頂は、伐採地となっていて、山頂近くから見てもどこがピークなのか判別がつかない状況です。地形図では山頂は平坦になっているため、陣地として利用されていた可能性は高いが、現状は伐採の後に灌木と笹が生い茂っており、状況を確認することはできません。大阪山山頂から南へ下って、東方面に進むと『内真部山城』に入ります。
 

保安路口駐車スペース
保安路口駐車スペース  77番・76番鉄塔今別幹線1号への保安路前にある駐車スペース。写真中央の道に進み、右折して右側の尾根に登っていくことになる。

76番鉄塔
76番鉄塔  76番鉄塔は、東尾根の山頂112mピークの西に位置する。
 
76番鉄塔手前の入山口
76番鉄塔手前の入山口  大阪山山頂方面への入山口。76番鉄塔の手前(北)の保安路から南の尾根筋を通っていく。写真左手方向に76番鉄塔が見える位置。
 

赤松横壕道
赤松横壕道  大阪山の北側から入山して、初めて出現する明瞭な山城遺構となる。

一の陣地
一の陣地  大阪山の山域は南北に分かれているが、その間の谷側となる道を進むと、正面にあたる丘の尾根筋の領域が一の陣地である。赤松横壕道から進んでの丘から東方向(左手)にある。一の陣地を尾根筋に下ると六枚橋林道にたどり着く。
 

三列壕道丘
三列壕道丘  赤松横壕道から進んでの丘から山頂に向かって進むと小さな丘がある。ここは、中央と両側に3列の壕道が設定されている。
 
竪壕
竪壕 写真中央  三列壕道丘を進んである竪壕。尾根筋の高い箇所から谷方向に向かって設定してある。
 
竪壕を過ぎての登り斜面
竪壕を過ぎての登り斜面  竪壕を過ぎると前方に丘がある。大阪山山頂方面にはこの丘を進む。西方の山城遺構へは、登り斜面の右手にある脇壕道を進むのが効率的である。

東曲輪
東曲輪  東曲輪は、大阪山の山域でもっとも広くかつ平坦である。入口から出口まで中央に浅い壕道が設定されていて、さらに複数の浅い壕道がある。安藤氏の山城曲輪において、中央に壕道があるのは珍しい。

東曲輪の中央にある浅い壕道
東曲輪の中央にある浅い壕道  東曲輪の浅い壕道は、中央の尾根筋の両側にある。

東曲輪の北斜面にある段状遺構
東曲輪の北斜面にある段状遺構  東曲輪の中央の北斜面に段状遺構がある。谷側からの敵の侵入を見張りとともに防御に活用する施設である。

東曲輪の北斜面にある段状遺構
東曲輪の中央にある浅い壕道  東曲輪の北側は谷となっていて、六枚橋林道・小橋2号作業道終端である。このルートが当時からの主要道であっただろう。

大阪山山頂の尾根筋に向かう壕道
大阪山山頂の尾根筋に向かう壕道  写真の左手が尾根筋で、右手が谷。壕道は左方向に曲がって行き、大阪山山頂への尾根筋に向かっていく。

二の陣地への入口 大阪山山頂の尾根筋の下
二の陣地への入口 大阪山山頂の尾根筋の下  写真の左手方向に二の陣地がある。写真の右手方向へ進むと大阪山山頂がある。
 
二の陣地手前の壕道
二の陣地手前の壕道  二の陣地に続く壕道。振り返っての写真、写真前方が上の写真になる。

二の陣地にある壕道
二の陣地にある壕道  二の陣地の中央に壕道が設定されていた。

二の陣地の平坦地
二の陣地の平坦地 平坦地の幅はそれほど広くはない。写真左手方面の斜面を降りると、六枚橋林道小橋二号作業道に出る。


切通し壕道1
切通し壕道1 切り通し壕道1は、西方尾根筋の切り通し壕道群の手前にある。尾根筋を掘り下げた壕道の、写真で見て右側(北)に脇を進む壕道が別に設定されている。

脇壕道と切り通し壕道の下との合流点
脇壕道と切り通し壕道の下との合流点  切り通し壕道1と脇壕道の合流点。振り返っての写真である。この先に進むと、西方尾根筋の領域となる。
 

一の陣地と二の陣地下の段状遺構

 大阪山は、北が標高112mのピーク、南が標高142.6mのひょうたんのような形です。その中央が低くなっていて、東麓の水田地帯から六枚橋林道が山域の中央部まで設定されている。六枚橋林道の終点はY字路となっていて、右手が鉄塔保安路に続き、左手が小橋作業道二となっています。
 Y字路の正面の尾根が「一の陣地」の麓であり、左手方向の小橋作業道二の左側尾根が「二の陣地」となっています。双方の斜面に「段状遺構」がありました。段状遺構は、斜面を削って平坦地を造り、守備兵の足場にしてある。敵に攻められた場合には、敵兵が平場に上がると隠れることができず、上段から攻撃できるという効果があると考えられる。
※段状遺構の名称。新青森市史資料編2の「内真部館」で、背後にある山域「内真部山城」の斜面に、平場があるとされている。内真部山城での平場は、斜面が緩やかであり、平坦地の面積もあるが、斜面がきつくなると、平坦地を広くは設定しにくい。よって、この名称にした。

一の陣地の麓 六枚橋林道終点Y字路
一の陣地の麓 六枚橋林道終点Y字路  写真の右下が小橋作業道二で、右上が保安路方面。一の陣地の麓の斜面には、正面・北側に「段状遺構」がある。

一の陣地下、段状遺構2
一の陣地下、段状遺構2  Y字路から右手に回って、斜面を登ると「段状遺構」が次々と現れる。
 
一の陣地下、段状遺構4
一の陣地下、段状遺構4  「段状遺構4」は、上写真の「段状遺構2」の上部にある。


 二の陣地を尾根筋に東に進んで、北側斜面を降りると小橋作業道二に出る。逆を言えば、小橋作業道二から南斜面を登ると、二の陣地→東曲輪→西方尾根→西曲輪ⅠⅡと、山城領域の核心部に入ることができることになる。このルートを設定していく際に、二の陣地の北斜面に「段状遺構」があることがわかった。
 
二の陣地下、段状遺構3
二の陣地下、段状遺構3  この段状遺構3の隣にも、遺構がある。写真左上部に位置する。

二の陣地下、段状遺構5
二の陣地下、段状遺構5 この段状遺構5は、平場がしっかりと造られている。

段状遺構の設定理由
 斜面に「段状の平場」を設定する理由は、防御側が兵を置くためには斜面のままでは待機しづらいことがあげられます。そして、段状の平場を使って、敵が来ていないかの見張り、次ぎにどこに進もうとしているを監視することにあります。斜面の平場で体を低くすれば、斜面下を行く敵には、発見されないわけです。
 敵がこの斜面を登り始めたら、平場手前の段を上がるために難儀します。そして、平場に上がると、高い所にいる防御兵に対して身体をさらすことになり、効果的な攻撃が可能になります。
 逆に言うと、斜面に「段状の平場」を設定する場所は、防御側から見て重要な拠点だということです。 

西方尾根筋の領域 切り通し壕道群

 前段の東曲輪までの領域で説明した『切通し壕道1』が、西方尾根筋領域へつながる遺構です。ここを過ぎるとヒバに囲まれた尾根筋となり、標高140mと145mの西方山域に登る箇所まで、切通しを伴う堀道が設定されています。切通しを伴う堀道は、2~6まで5カ所続きます。
 西方尾根筋の領域は約500mです。ヒバ林の中にあるため、笹等の雑木雑草が極めて少なく、山城遺構が明瞭に残されています。

切り通し壕道3
切通し壕道3  西方尾根筋の領域に入ると「切り通し壕道」が2~6まで5箇所続いていく。

土橋尾根
土橋尾根  壕道の間の尾根筋には、一列でなくては歩けないように、両側を削っている土橋がある。

切り通し壕道5
切通し壕道5  尾根筋の高い箇所を登り降りしないで効率よく移動できるように、切通しを伴った壕道が設定されている。

切り通し壕道6
切通し壕道6 尾根筋でもっとも上り下りのある箇所。

南麓への尾根筋 三の陣地

 地形図でみれば、前項説明の「西方尾根筋壕道群」から、南へ延びる尾根は幅広で、かつ平坦地がありそうでした。昭和28年の地形図では、この尾根は県道2号線から登り、山域の中央線となる「西方尾根筋壕道群」の尾根筋に行けるように道が記載されていました。
 この南麓への尾根筋は、尾根筋壕道群の最初にある切り通し壕道②の頂部から南に入ります。尾根筋の中央には、浅い堀道がありました。少し下ると幅広の平坦地になっていて、壕道が複数設定されていて、陣地として使用されていたようで、「三の陣地」とします。麓が近くなってくると段状遺構があります。下からの敵を見張る場所です。また、麓近くは急斜面となりますが、その斜面には麓までのつづら折りの堀道が設定されています。珍しい堀道です。
 これを下り終え、県道方向に向かうとため池があります。

南麓へ延びる尾根の入り口
南麓へ延びる尾根の入り口  尾根筋壕道群の最初の切り通し壕道②の頂部から南(写真右手)に入る。写真は振り返って撮影。

尾根筋の浅い堀道
尾根筋の浅い堀道  幅広の尾根筋の中央には浅い堀道がある。

段状遺構 丘状の平場
段状遺構 丘状の平場  麓が見渡せる位置まで下ると段状遺構がある。麓の手前は急斜面となっていて、つづら折りの堀道が設定されていた。

麓から上がる尾根筋
麓から上がる尾根筋 南麓への尾根筋の端。麓から見ると、登れるようには見えない。

西曲輪Ⅰ・Ⅱの領域

 西方尾根筋の山城遺構確認の次にその先の山域を目指したのは、地形図でみると標高140mのピークと標高145mのピークが等高線の間隔が広く平坦地になっているようだと感じたからです。それに、大阪山館の山城領域を特定する必要がありました。
 西方尾根筋の切通し壕道群が終わると、登りになります。標高140mピークから先は広い尾根筋になり、その中央尾根筋に壕道がありました。ここを西曲輪Ⅰとします。次の標高145mピークへ向かって、西に進む尾根筋の南側に井戸跡らしき窪地があり、その南下斜面に駐屯地として使われただろう平場があり、そこにも井戸跡らしき窪地、その西上にも井戸跡らしき窪地がありました。さらに、標高145mピークに向かう登り道の南側に、峠に登らずに直進する脇壕道があります。標高145mピークに向かう手前に壕道がありました。それを上がり頂部は砦として機能していた模様です。ここを西曲輪Ⅱとします。頂部から広めの壕道が山下に続いていました。この壕道と脇壕道は峠を下ってから合流します。標高145mピークの北側は伐採地となっています。ここが山域の地形から見て、山城領域の西端と考えられます。
 標高140mピークから北東に尾根筋が延びていて、六枚橋川まで続いています。このルートをたどると「ブル道」でした。最終地点は、林道の大きな切り通しのある箇所になり、尾根筋から東方向の斜面を降りると神社があります。

西曲輪Ⅰ・140mピークの西にある壕道
西曲輪Ⅰ・140mピークの西にある壕道 140mピークの先は幅広の尾根筋となっている。頂部の尾根筋に壕道が設定されていた。
西曲輪Ⅱ・145mピークに向かう壕道入口
西曲輪Ⅱ・145mピークに向かう壕道入口 145mピークの北側は伐採地となっている。頂部の周りは立木が残っていて、そこに壕道が設定されていた。

西曲輪Ⅱ・145mピークにある壕道
西曲輪Ⅱ・145mピークにある壕道 頂部から南西方向に西側麓までの幅広い壕道が一直線に延びていた。

遺構領域図

大阪山館の山城遺構のあるエリアを下図に示します。
「A」は112mピークエリア。「B」は赤松横壕道。「C」は三列壕道丘、一の陣地。「D」→切通し壕道①、脇壕道と切通壕道との合流点。 「E」→東曲輪(Eの左)、二の陣地(Eの右)。「F」~ 「G」→尾根筋壕道エリア、切り通し壕道③、土橋尾根、切り通し壕道④⑤⑥。「H」→西曲輪Ⅰ・140mピーク近くの壕道。「I」→西曲輪Ⅱ・145mピークの壕道。※ 曲輪と陣地の位置は、緑点線で囲んでいる。
①→東尾根口。②→保安路口。③→神社口。④→林道口。
 
大阪山館遺構領域図 
大阪山館遺構領域図 図の上方向(北側)に尻八館。図の右下にある山域(標高84m)が内真部山城である。

 
入り口 ルート 行程 主な遺構
北東尾根口   北東尾根口~112mピーク~76番鉄塔  
保安路口   保安路口~76番鉄塔~大阪山東西分岐~大阪山山頂 赤松横壕道、三列壕道丘、一の陣地、東曲輪、二の陣地
保安路口   保安路口~76番鉄塔~大阪山東西分岐~西方尾根~145mピーク 切通し壕道①、切り通し壕道③、土橋尾根、切り通し壕道④⑤⑥
神社口 ブル道 神社口~東3番目尾根~140mピーク~145mピーク 西曲輪Ⅰ・140mピーク壕道、西曲輪Ⅱ・145mピーク壕道
林道口   林道口~谷上がり~(大阪山方面・西方尾根方面)  
 
 ⇒ 「安藤氏に関わる人物伝 鎌倉~南北朝時代」は、こちら!
 ⇒ 「安藤氏に関わる人物伝 室町~江戸時代」は、こちら!
 ⇒ 「安藤氏に関わる歴史年表」は、こちら!
安藤氏山城遺蹟紹介サイト ⇒ 内真部・尻八城塞群 - 尻八館跡 - 内真部館跡 - 前田蝦夷館跡 - 南方山城遺構 - 湯ノ沢館跡 - 西方山城遺構 - 瀬戸子館跡 - 飛鳥山館跡 - 山城遺構の構造
安東氏歴史・人物紹介サイト ⇒ コンテンツ - 武将伝Ⅰ - 武将伝Ⅱ - 史料・参考文献 - 年表 - 安藤氏の乱 - 系図 - 十三湊


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 青森市北部市民センターの「地域マップづくり」の講座受講生と応援隊で、取材した場所や調べたことをまとめました。
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