飛鳥山館跡

 青森市北部(後潟・奥内・西田沢地区)は、安藤氏(安東氏)に関連する城跡・館跡が集中して見つかっているエリアです。その中から、飛鳥山館跡(あすかやまだて)をご紹介します。
 飛鳥山館跡は、内真部城館群の中でもっとも南に位置する城跡です。また、内真部城館群の位置する山々には、名称が地図には記載されていませんが、唯一「飛鳥山」と名称が記載されています。飛鳥山館跡=飛鳥山の南向こうには、「油川城跡」が位置します。飛鳥山館跡は城跡であるのはわかっていても、詳しい調査はされていません。
 ※令和2年(2020)3月26日に、安藤氏研究の第一人者である弘前大学名誉教授斉藤利男先生の現地調査がありました。コースは東側のABC地区です。この調査によってわかったことのまとめはこちら → 現地調査のまとめ 
  1. 頂上曲輪は環濠集落跡の再利用の可能性あり。
  2. 飛鳥山館は軍馬の野牧でもあった。
 なお、青森市が実施した山城分布調査については、別ページに山域ごとにまとめてあります。飛鳥山館跡と麓の方形区画、伝八重館跡は令和4年7月と11月、令和5年5月と11月に調査が実施されています。⇒「山城分布調査

※内真部・尻八城塞群については、別ページにまとめてあります。⇒「内真部・尻八城塞群

contents   17件。スマホの方は、右にスライドしてください。
1.飛鳥山館跡
2.東方遺構配置図
3.正面・東口
4.北壕道
5.北曲輪と高見台
6.南西壕道
7.山頂の周壕と曲輪
8.西壕道
9.西壕道終端の沢筋
10.方形居館跡 新発見
11.謎の八重館(舌状丘の遺構)
12.新たな遺構の発見
13.全遺構位置図・ルートと主な遺構
14.中央・西遺稿
15.飛鳥山館の長土塁
16.青森市教委 分布調査
17.飛鳥山館跡まとめ
18.奧大道解説
19.飛鳥山館へのコース
20.写真アルバム
 
写真をクリックすると、大きな写真にリンクします!

飛鳥山館跡

「新青森市史史料編、古代・中世」では、飛鳥山館をこのように紹介しています。

『前田蝦夷館跡から南に2.7kmの飛鳥山の頂上にも周壕をめぐらした単郭の館跡「飛鳥山館跡」があり、山頂の館跡に至る山腹には土塁をともなった壕道らしき遺構がみられる。』

 内真部城館群は、北から「内真部館跡」、「湯ノ沢館跡」、「前田蝦夷館跡」と続き、瀬戸子八幡宮の位置する丘陵には遺構がないとされ、その次が「飛鳥山館跡」となっています。
 中世の「奧大道」の終点は油川あたりと見られていますので、飛鳥山館は交通の要所に位置することになります。飛鳥山の南にある「飛鳥沢」隣の道は、西に辿ると津軽半島の尾根を越え、五所川原沖飯詰方面に抜けると、地元の方が言っています。
 
飛鳥山、飛鳥山館跡
飛鳥山館跡のある丘陵=飛鳥山 飛鳥山の南方に油川城址がある

立地
飛鳥山館跡は、青森市中心市街地の北西、JR津軽線津軽宮田駅から南西へ約2.2km、油川駅から北西へ約3.6km、海岸からは約2.4km内陸に入った地点にある。山域は南北に約1.0km、東西に約2.4kmある。標高は136.1m。所在地は青森市飛鳥字山田。
(※山域の西端と標高は、遺構が確認されているエリアと連動する。)

見どころ
東側正面から飛鳥山山頂につながる「壕道」。この壕道の北方中半の「北曲輪」と終端の「高見台」。山頂の「周壕」。山頂の周壕から西方に下る「壕道」。この壕道のふもと終端の沢筋を見下ろす高台と人為的に広げられた沢筋と土塁。
そして、正面口から山頂に登るコース途中の陸奥湾等の景観、山頂周壕からの陸奥湾等景観。
 
YAMAP コース軌跡と写真
「ヤマップ」を使って、移動したコ−スの記録や軌跡に写真を合わせて、遺構などの位置がわかるようになっている『活動日記』を公開しています。「活動日記」に掲載している写真にカーソルを当てると説明が表示されます。写真をクリックすると、拡大写真になり説明文も読めます。
アプローチ《東正面方面》
 国道280号バイパスを北上して、西田沢共同墓地を左手に見て進む。先に進むと国道280号線の「竜飛、外ヶ浜、蓬田」までの距離を表示した、大きな青色道路標識がある。左手に「夏井田町会」の標識あり。そこから左手にある「交差点を示す黄色道路標識」の3つ目を過ぎると、右手に「飛鳥町会」の標識がある。ここを左折し、舗装された農道を新幹線高架橋の方に進む。高架橋をくぐって進んでT字を右、道なりに進んで舗装が切れ、ジャリ道を進む。次のY字路を右に進むと「飛鳥山」の正面にたどり着く。(Y字路を左に進むと飛鳥山の南側へ行き、賽の河原向沢・南口方面となる。)
 山を正面にして、右手方向に瀬戸子八幡宮が位置する。このあたりに駐車できる余裕のあるスペースがある。
 山に近づく道を歩き(約300m)、L字に曲がる角が、正面・山頂に続く「壕道」に向かうコースとなっている。飛鳥山館跡mapへリンク
→ Google map へ リンク。

アプローチ《南斜面方面》
 国道280号バイパスを北上すると、右手に「飛鳥町会」の標識がある。ここを左折し、舗装された農道を新幹線高架橋の方に進む。高架橋をくぐって進むと「ト字標識」があり、先に左手に電柱に沿ったジャリ道がある。水田の先まで進むと道が十字路になるので、右折する。後は道なりに進むと、「賽の河原」にたどり着く。賽の河原向かいが[南口]。その先に「南路口」がある。

アプローチ《北斜面方面》
 飛鳥山館の北斜面に行くには、瀬戸子八幡宮鳥居脇の道を進む方が道がいい。
 国道280号バイパスを北上すると、右手に「飛鳥町会」の標識がある。さらに進み「瀬戸子川」の橋を越え、次ぎに左折できる交差点に「瀬戸子八幡宮」の標柱がある。ここを左折し、舗装された農道を新幹線高架橋の方に進む。高架橋をくぐると、クランクがあって道なりに進む。ジャリ道の交差点があるが、正面が山となり、そのまま進むと「瀬戸子八幡宮」の鳥居が見える。
 鳥居脇の道を進むと頭上に高圧電線が見える。その先で飛鳥館からの道と合流する(北路口付近)。瀬戸子館と飛鳥山館との間の道を進むと「林道左堰線」の標識がある(鶴首峠口付近)。

《 正面・東口から山頂曲輪ルート 》 
 瀬戸子八幡宮の鳥居が川向こうに見える当たりに山域に向かう道がある。そこを進んで、畑への道がL字に曲がる箇所から山に向かって進む[東口]。登り切ると正面に土塁を伴った壕道にぶつかる。左折して登ると伐伐採地に出る。左手方向の斜面を上がる。上がったら右手方向に曲がりブル道を進む。左手に尾根筋が出るので、上がると「山頂曲輪」への壕道がある。登り切ると山頂曲輪の周壕に着く。

《 正面・東口から高見台ルート 》 
 土塁を伴った壕道に合流した地点から、右折して下ると壕道は「北曲輪」の脇を通る。そこを過ぎて「高見台」。高見台を縁に沿って降りると「大手虎口」の広壕道がある。大手口から上がると「北曲輪」となる。
畑への道がL字に曲がる箇所から山に向かって進み、上がり始める辺りから、右手方向に進むと、「大手虎口」がある。

《 山頂曲輪から中央路・東経由、南口(保安路)ルート 》 
 山頂曲輪から山域の東西尾根筋[中央路]にある壕道を下る(西へ進む)。右手に「53番鉄塔」が見えた先で、壕道は保安路とぶつかる。下に向かう保安路に曲がらずに、道向かいの壕道を下る。壕道は南斜面に下っていく。「52番鉄塔」のある広場で、一部壕道は切れるが、すぐ先の壕道を降りると「賽の河原」向かいの斜面に出る。52番鉄塔から保安路を下ると[南口]に出る。

《 北路口から中央広壕道ルート 》 
 飛鳥山館からの道と瀬戸子館脇の道が合流する地点から用水路の脇を進む。上堰頭首口から川を渡って(鉄網板あり)右手方向に曲がると壕道がある[北路口]。先に進んで伐採地で尾根筋に上がりブル道を進む。ブル道が下る手前の尾根筋に入る。後は、北方向に進む尾根筋を進むと、中央広壕道にたどり着く。

《 南路口から南路経由、中央広壕道ルート 》
 南路口(「賽の河原向かい」から西へ約500m)から広い尾根筋を登る。中央尾根筋と合流した地点が「中央広壕道」となる。北路と南路は尾根筋を挟んでほぼ真向かい。

《 53番鉄塔から中央路・中・経由、鶴首路までのルート 》 
 「中央路・東」説明での「53番鉄塔」から西へ進む。頂上曲輪からの壕道は、土塁の南側にあったが、今度は土塁の北側を進む。右手方向に尾根筋斜面が見えてくるので、壕道土塁から離れて登る。最頂部の少し手前に西に延びる斜面がある。その中央を進んでいく。中央尾根筋に拘って進むと小山を越えなくてはならない当たりの左手に壕道の入口がある。その壕道を進むと、「中央広壕道」に入る。
 中央広壕道を過ぎても壕道が続くので、そのまま進むと、中央切通しがある。過ぎると[鶴首路]と合流する。

鶴首峠口から中央路・西経由、西遺構ルート 》 
 林道左堰線の終点標識から少し進むと、左手に伐採地への道がある。その曲がり角を右に回ってから斜面に取り付いて登る。上がって右折すると鶴首峠の尾根筋になる。頂部まで登ると中央路・西と合流する。左折するとすぐ近くに「中央切通し」がある。右折して「136.1ピーク陣地」方向。合流点付近は迷いやすいので、地図と方角を確認のこと。

《 中央路・西から136.1ピーク陣地ルート 》 
 鶴首口峠合流点から尾根筋に沿って西へ進む。1つ目の「中央竪壕」を越え、2つ目の「中央竪壕」が壕道になっているので、そのコースに沿って進む。136.1ピークの手前に壕道分かれがある。尾根方向に登ると「136.1ピーク陣地」となる。

飛鳥山館跡の東方遺構配置図

 飛鳥山館跡の地図と遺構のあるエリアを下図に示します。
「A」は北曲輪のあるエリア。「B」は山頂の周壕=「山頂曲輪」。「C」は壕道終端にある沢筋のエリアです。

 壕道と遺構エリアを〈1〉正面・東口から壕道との合流点、〈2〉合流点から北方向を北壕道、〈3〉北壕道の遺構「Aエリア」、〈4〉合流点口から山頂周壕までを南西壕道、〈5〉山頂の周壕と曲輪「Bエリア」、〈6〉山頂から南側山麓への西壕道、〈7〉西壕道終端近くの沢すじ「Cエリア」、に分けて説明していきます。
※〈番号〉をクリックすると、それぞれの説明ブロックへジャンプします。
 なお、文中で遺構の長さ等を記載していますが、実測と書かれている場合はメジャーで計測した数値です。それ以外はGPSロガーを使って測った距離です。GPSでの距離は目安としてください。

飛鳥山館跡の遺構位置図
飛鳥山館跡の遺構位置図 赤線はGPSロガーでの軌跡

〈1〉正面・東口から北方への壕道とのT字合流点まで

 瀬戸子八幡宮の鳥居が川向こうに見える当たりに山域に向かう道があります。道は飛鳥山の北斜面へ進む道と分かれています。そこを山の方へ進んで、畑への道がL字に曲がる箇所から山に向かって入ります[東口]。L字に曲がる角から先に栗畑があります。角から植林地の林の中を進むと、正面が広い沢筋になり笹が広がります。中央沢筋の右手脇の、斜面の下を進むと「壕道」とT字状に合流します。L字に曲がる角の入山地点から壕道までの距離は約200mです。

正面口 道と栗畑への角から林に入る
正面口 道と栗畑への角から林に入る ここから約200mで壕道とぶつかる

正面口 笹の広がる沢すじの右手山側を登る
正面口 笹の広がる沢すじの右手山側を登る

正面口 山側斜面の縁を登る
正面口 山側斜面の縁を登る 右手の一段上にも曲輪に向かう壕道がある

正面口 壕道との合流点付近
正面口 壕道との合流点付近 登り切った地点で壕道に合流する
 

〈2〉T字合流点から北方への壕道

 「T字合流点」を中心に、南西方向に登る壕道(左手)=「南西壕道」と北方に延びる壕道(右手)=「北壕道」として分けて説明します。
 まず、壕道は西側に土塁を伴います。つまり、道を掘った土とその裏側からも土を盛り、土塁が造られています。壕道に立つと人の肩程になり、かつ土塁には灌木・ササが生えているため、土塁の向かい側を見ることはできません。
 このように、頂上の周壕を除き、壕道と土塁がセットになっているのが「飛鳥山館跡」の特徴です。

 (1)北壕道
 「T字合流点」を右折しての「北壕道」は、尾根すじに沿いながら、最終端は向かいに「瀬戸子八幡宮」の位置する丘陵が見える高台に出ます。そこから麓の道路へと降りる道は付けられていません。

 (2)北壕道から降りる壕道
 壕道を進むとすぐに麓に降りる壕道がある。この道は北方向に迂回し、尾根すじの「北壕道」(上)と平行に進むようになり、北曲輪の下部とつながります。

 (3)北壕道から降りる壕道、2つ目
 北壕道を進むと、下に降りる壕道があり、前項(2)の壕道とつながります。
 

北壕道 登山道と壕道合流点付近の土塁
北壕道 登山道と壕道合流点付近の土塁 写真の右手がふもと方向

北壕道 北壕道から分かれ、北曲輪へと向かう壕道
北壕道 北壕道から分かれ、北曲輪へと向かう壕道 写真正面がふもと。壕道は左方向(北)へ迂回する

北壕道 壕道は一段上って続く
北壕道 壕道は一段上って続く 一見、崖のように見える斜面
 
北壕道 壕道の土塁を切っている箇所
北壕道 壕道の土塁を切っている箇所 土塁を低くして越えやすいようにしている。土塁の先は登り斜面。ここからの侵入者を見張る場所であろう。

北壕道 北壕道に出現した猿
北壕道 北壕道に出現した猿 飛鳥山には猿が訪れる。内真部城館群のある山々では自然林が多いためだと思う。

〈3〉T字合流点から北方への壕道 − エリア(A)

 (4)北曲輪
 北壕道を進むと「北曲輪」の上部にあたり、そして(3)で説明した、北壕道から分かれて下の壕道へ向かう壕道の先はに「北曲輪」の下部につながります。
 まず、北壕道の右側(東・土塁の反対側)を上がると、そこに平場があり「北曲輪」の上部となっています。壕道は下り斜面となり、降りたところに、壕道の右側(東)に入れる箇所があります。
 そこを進むと平場になっていて、「北曲輪」の下部です。つまり、北曲輪は2段構造になっています。下の平場を南方向(登山道と壕道の合流点)に進むと、前項(2・3)の壕道と繋がります。
 北曲輪は斜面を切り、平場を造り、軍勢を駐屯できるスペースが確保されていて、飛鳥山の東正面から敵が侵入した場合の砦となっています。切り岸の上の段も平坦地で北壕道に接しているということです。
 平場の長さは約24m。深さは7m程です。
 平場の下は切り岸になっています。切り岸の高さは約2m。切り岸の下部は平坦地になっていて、平場を廻ることができ、幅は約2~3mで、移動しやすいようになっています。

 ※北曲輪形状のイメージはこうです。サングラスを持ってレンズ側を顔に向けます。左側のレンズが入っていません(この部分は遺構なし)。右側のレンズが北曲輪に相当します。フレームの上が北壕道、レンズの方のフレームが周壕です。鼻の部分が北壕道から周壕につながる壕道です。伝わりましたでしょうか?
 
 (5)高見台
 北壕道をもう一度下り、最終地点の「高見台」に着きます。この箇所からは、飛鳥山の北の丘陵に位置する瀬戸子八幡宮方面、飛鳥山から北側の街道筋を見張ることができます。この箇所からでは麓へは、容易に下ることはできません。
 壕道の終点から、ふもとに向かって左右に斜面を切って道をこしらえています。右手方向には、切り岸があり幅約4mの平場をこしらえています。この平場の下も斜面を切り、道を付けていて、この箇所が段築になっています。高見台がある場所は、山の斜面にあたるために平な場所がほとんどありません。このため、人が駐屯するために平場を造る必要があったものと思います。単なる見張り台としては手がこんでいて、飛鳥山の北側にある道に敵が侵入した場合、弓を射かけることができるような軍事拠点の一つであると考えられます。
 高見台の上部の切り岸・平場は長さ約25m。下の斜面の道は約70m。一周すると150m程です。入山地点から北西方向に進むと、高見台の南側の裾に入ることができます。高見台の南側の裾から上部に向かう壕道があります。この道は上端の平場までは通じないで、一段下の横連絡路につながります。
 入山路と壕道合流点から北壕道最終地点の高見台までの距離は約150mです。
 

北壕道 北壕道から分かれ、下の周壕につながる壕道
北壕道 北壕道から分かれ、下の周壕につながる壕道 この道を降りると曲輪下の周壕とぶつかる。降りた地点から左手に北曲輪の下平場につながる。右手に進むと正面・東口の登山道の上に位置する丘にでる。

北壕道 北曲輪頂部の平場の様子
北壕道 北曲輪頂部の平場の様子 北曲輪頂部は北壕道に接していて、土塁の反対側になる。この曲輪上段の長さは実測で約22m、深さは約10m。

北壕道 北曲輪頂部から壕道は下に降りる
北壕道 北曲輪頂部から壕道は下に降りる この斜面を降りた箇所から、北曲輪の底部の平場につながる。この壕道の距離は実測で約10m。

北壕道 北曲輪の底部の平場の様子
北壕道 北曲輪の底部の平場の様子 北壕道の土塁の反対側から上がる。平場は正面・東を向いている。この曲輪下段平場の長さは実測で約24m、深さは切り岸から端までが約7m。
 
北壕道 北曲輪底部の切岸
北壕道 北曲輪底部の切岸 切岸の上部が北曲輪頂部の平場

北壕道 北曲輪から終端「高見台」に向かう壕道
北壕道 北曲輪から終端「高見台」に向かう壕道 壕道は急に下る。道の正面が瀬戸子八幡宮の位置する丘陵となる。

北壕道 終端に位置する「高見台」の平場
北壕道 終端に位置する「高見台」の平場 左手方向が瀬戸子八幡宮の位置する丘陵となる。この高見台から下は急な崖状態で容易に降りることはできない。

北壕道 高見台の切岸
北壕道 高見台の切岸 斜面を削り移動しやすいようにしている。この前面に平場が造られている。切り岸は壕道の左手と写真の右手に分かれている。
 壕道から左方向(瀬戸子八幡神社側)の切り岸の長さは実測で約6m。壕道から右方向(東・海)の切り岸の長さは実測で約27m。切り岸の前の平場の深さは約5m。切り岸からの高見台全体の深さは約11mだった。

〈4〉T字合流点から山頂への壕道

 「T字合流点」を中心に、南西方向に登る壕道(左手)=「南西壕道」は、山頂まで続いていきます。

 (1)南西壕道は、一度伐採地に出る
 「T字合流点」を左折して登ると約100mで、伐採地に出ます。伐採地は尾根すじの左右に広がっていて、南西壕道はブルドーザーで分断されています。
 伐採地に出たポイントから尾根すじまで上り、そこから山頂方向へと登ると、尾根すじに立木が並んでいます。ブルドーザーに切られて土手状になっているので、そこを上がると壕道につながります。ちなみに、この地点は見晴らしがよく、陸奥湾を眺めることができます。
 ブルドーザーの道に立ち、山頂への壕道入口を左手にすると、右手にも尾根すじがあり、ここにも壕道があります。つまり、南西壕道はブルドーザーにより2箇所分断されたことになります。
 入山路と壕道合流点から南西壕道の伐採地に出るまでの距離は約100mで、そこから山頂への壕道入口までは約80mです。

 (2)尾根すじの南西壕道を山頂へ登る
 右手が土塁、左手が伐採地となっている壕道を登ると約70mで、山頂にある周壕にたどり着きます。壕道との合流点付近は景観がよく、陸奥湾や街並が見わたせます。

南西壕道➀ 登山口と壕道の合流点から山頂へ登る
南西壕道➀ 登山口と壕道の合流点から山頂へ登る 右手が土塁。その先にはふもとから登れるような斜面になっている。現状は伐採地。

南西壕道➀ 正面の開けている辺りが伐採地
南西壕道➀ 正面の開けている辺りが伐採地 写真左手方向は正面・東

南西壕道➀ 壕道と山頂手前の伐採地合流地点
南西壕道➀ 壕道と山頂手前の伐採地合流地点 壕道の土塁が切り取られている。背中側が山頂。この土塁があった頃は、両側の谷すじから敵が侵入してきたら、その正面に行く手を阻む土塁があったことになる。

南西壕道➀ 壕道がブルドーザーで分断された尾根すじ
南西壕道➀ 壕道がブルドーザーで分断された尾根すじ 写真正面斜面から右手に巻いて立木のある尾根すじに登る

南西壕道② 山頂への壕道入口
南西壕道② 山頂への壕道入口  ブルドーザーに切り取られた斜面を踏み上がる。写真の3本の立木の脇が壕道となっている。

南西壕道② 山頂への壕道入口付近からの景観
南西壕道② 山頂への壕道入口付近からの景観 陸奥湾を望み、街道すじまでよく見える

南西壕道② 山頂への壕道
南西壕道② 山頂への壕道 右手が土塁、正面が山頂、左手は斜面。
 

〈5〉山頂の周壕と曲輪− エリア(B)

 (1)山頂の周壕
 南西壕道と周壕の合流点から山に対して、左手方向が伐採された斜面とっていて、ここも景観がよい所です。
 山頂の曲輪への入口「虎口」は、南西壕道と周壕の合流点から山に向かって右手・北方向(西壕道入口方向)にあります。この箇所の壕道は2重になっていて、切岸に近い方の壕道は斜面に沿って軽く上がり、山頂へ曲がって曲輪にたどり着きます。
 もう一つの山頂の曲輪へ入りやすい箇所は、周壕と南西壕道の合流点の反対側にあり、海を左手にみて回ります。逆に、右手に回ると、麓へと下る西壕道の入口があります。頂上への壕道と山頂周壕の合流点から西壕道分岐点までは、約40mです。
 これまで、説明した北壕道や南西壕道は人一人が通れるほどの幅ですが、山頂の周壕はそれよりも広くできています。周壕の長さは約170m、これはメジャーで計測した距離です。
 
 (2)山頂の曲輪
 飛鳥山の山頂=曲輪は平場で、樹冠が薄いため、一面に笹が生い茂っています。山頂の曲輪は、内真部城館群の城跡の曲輪の中でもっとも平坦になっていて、建物が建っていたことも考えられます。周壕に囲まれた曲輪の直径は、西裏口から東正面へ(縦)約40m、海に平行なライン(横)約60m、これはメジャーで計測した距離です。つまり、曲輪は楕円状です。

山頂周壕 山頂への壕道と山頂周壕の合流地点
山頂周壕 山頂への壕道と山頂周壕の合流地点 正面が東・海方向で、この付近も景観がよい。写真中央の左側が山頂へ登る壕道で、右側が山頂周壕。この付近での山頂曲輪の切り岸の高さは約2~1.5m。向かいとなる周壕の土塁の高さは約1.2m。
 
山頂周壕 合流点から北側にある虎口
山頂周壕 合流点から北側にある虎口 右手が海方向、左手が山頂曲輪の切り岸。この箇所は壕道が二重になっている。正面の立木を左手に巻いて山頂曲輪へと入る。

山頂周壕 合流点から南へ回る
山頂周壕 合流点から南へ回る 左手が山頂曲輪の切り岸。右手が海方向。

山頂周壕 山頂への壕道と周壕合流点の裏側付近
山頂周壕 山頂への壕道と周壕合流点の裏側付近 左手方向が広場のようになっている

山頂周壕 山頂の曲輪の様子
山頂周壕 山頂の曲輪の様子  飛鳥山館跡の山頂の曲輪は、内真部城館群の城跡・曲輪の中で、もっとも平坦である。

山頂周壕 山頂の曲輪から見る景観
山頂周壕 山頂の曲輪から見る景観  陸奥湾や町並がよく見える。城として機能していた時代には、見晴らしをジャマする立木はなかったことだろう。

山頂周壕 山頂周壕と西壕道との合流点付近
山頂周壕 山頂周壕と西壕道との合流点付近  正面側の壕道に降りて撮影している。つまり、周壕の高さにはずれがある。

〈6〉山頂の周壕から下る西壕道

 山頂周壕から下る「西壕道」は、地形図にある尾根すじの道とほぼ同じで、尾根すじを下っていきます。土塁は右手(北)に造られています。当初は「壕道が尾根すじをどこまでも続くのか」と思っていましたが、尾根すじから南へと迂回し、ふもとにたどり着くことがわかりました。壕道には、雨水の排水用に谷側に切ってある箇所が2箇所あります。
 ※地形図にある尾根すじの道は使われていなく、途中でブッシュとなり、地図どおりにたどることはできないと思います。ただし、壕道を使えば麓から西へ、2.5km先の標高136.1mのピークまで進むことができます。

 (1)西壕道、53番鉄塔まで 
 頂部を終えると壕道はなだらかになり、進むと壕道の右手に送電線の53番鉄塔があります。壕道は鉄塔保安路と交錯し、その部分の土塁と壕道が2m程切れています。保安路側から見ると土塁の形状や大きさがよくわかります。
 頂上の周壕と西壕道の分岐点から53番鉄塔付近保安路と壕道合流点までは、約1.1kmです。

 (2)西壕道、52番鉄塔から終端まで 
 この箇所から進むと登りになり、そのピーク辺りから壕道は南へ曲がり麓へと進みます。※「飛鳥山館跡の遺構配置図」で確認してください。
 壕道は送電線の52番鉄塔にぶつかります。ここも保安路により土塁と壕道が2m程切れています。下に向かって、保安路の左手に土塁と壕道があります。そこをたどると沢筋に面した高台に出ます。壕道は高台から滑り降りるように麓まで達します。
 53番鉄塔付近保安路と壕道合流点からふもとの道路まで 約1.2kmです。よって、西壕道は距離約2.3kmです。

 西壕道 山頂周壕と西壕道が連結する箇所
西壕道 山頂周壕と西壕道が連結する箇所 西壕道は山頂の正面周壕とレベルが同じで、一体的に造られていることがわかる。

西壕道 西壕道を下り始める
西壕道 西壕道を下り始める 右手・北側が土塁。山頂部分は急な道。

西壕道 壕道の土塁を越えての反対斜面
西壕道 壕道の土塁を越えての反対斜面  広い道になっている。地図の登山道のコース。

西壕道 壕道の土塁を越えての反対斜面、土塁の高さがわかる
西壕道 壕道の土塁を越えての反対斜面、土塁の高さがわかる 土塁の左側に壕道がある。


 西壕道 53番送電線鉄塔付近
西壕道 53番送電線鉄塔付近 正面が山頂。

西壕道 送電線鉄塔の保安路と壕道の合流点
西壕道 送電線鉄塔の保安路と壕道の合流点 中央の土塁の右側が山頂からの壕道で、左側が保安路。

西壕道 鉄塔保安路と土塁
西壕道 鉄塔保安路と土塁 保安路のために土塁が刈り払いされていて、土塁の形状がよくわかる。

西壕道 52番鉄塔と保安路、そして壕道
西壕道 52番鉄塔と保安路、そして壕道  鉄塔保安路のために、土塁と壕道が切れている箇所。写真の右手に壕道があり、進むと沢筋の高台斜面に出る。

西壕道 鉄塔保安路の始点・終点
西壕道 鉄塔保安路の始点・終点  保安路の標識はない。道に面した部分が刈り払われている。写真の正面頂部まで登り切る斜面は急だが、タラップが設置されている。
 

〈7〉西壕道終端の沢筋−エリア(C)

(1)西壕道の終端の沢筋にある土塁
 この沢筋は送電線鉄塔の保安路のすぐ東にあります。飛鳥沢に面するふもとの道路から見ると、西壕道の終端のすべり降りる部分は、崖のように見え壕道には見えません。
 沢筋は広く、三角形の平場になっていて、そこに沢筋を横断する土塁が造られています。土塁の高さは約1.8m。土塁の幅は約3m。この沢すじの底は人為的に平にして広げているものと考えられ、この土塁の向こう側(山に近い方)の沢すじは自然地形で、比較すると明らかに違いがあります。土塁の端は、水が流れるように切ってあります。弘前大学名誉教授の斉藤利男先生の現地調査では「この土塁で、当時は水を満たしていただろう」と推測されました。
 現状の道路は沢を埋めて平にしてありますので、飛鳥山の南側を進んだとすれば、沢を越えて進むことを選ばす、その沢すじに添って山頂に進むようになると考えられます。

(2)沢筋の東側の高台
 この沢筋の西の崖が西壕道のある丘陵で、沢と道を挟んだ東側に高台があり、切り通しのある道から上ります。弘前大学名誉教授の斉藤利男先生の現地調査で、自動車が通る道の脇にある壕道が見つかり、そこから進むとと切り通しの先につながって高台に上ることができます。高台は広い平場で軍勢を置くのには絶好の地点です。
 
(3)終端の沢筋の先にある遺構
 この土塁の先は広い笹原となっていて、中央に丘がせり出し、沢筋は両側に分かれます。中央の丘部分に下からの曲がりくねった壕道があり、登りやすくなっていますが。頂部にまで続かず途中で壕道は途切れます。この頂部から沢筋を敵が侵入した場合、迎撃するものと思われます。この丘を登ると現状は鉄塔保安路になります。
 両側の沢筋は東側が広くなっています。西側の沢筋は両岸を切り岸のように削ってあるようです。進むと鉄塔保安路にぶつかります。東側の沢筋を進むと中央丘にさほどの困難がなく上がることがわかりました。これらのことから、飛鳥山館の中央尾根筋の壕道からこの丘までのルートは、中世当時からのものと考えられます。

 西壕道の終端は、飛鳥山の南側にあるこの沢筋から敵が侵入した場合に、沢筋の西側の高台からと対岸の東側の高台から、そして正面の土塁から迎撃する砦となっているものと考えられます。 
 ※この沢すじの手前・海側の飛鳥沢側に地蔵尊が立っています。「賽の河原」といって、昔鉱泉を湧かして風呂に入ったものだということです。
 
(4)東側の高台(2)の東にある壕道
 (2)で説明している土塁へ進む沢筋の道から「切り通し」を通って高台に上がる壕道の他に、農道の脇にも壕道があり、前述の壕道と合流します。合流点から農道に沿う斜面を切るように壕道があることに気がつきました。進むと斜面上の高台に出ます。農道を進む軍勢を見張る、攻撃するには絶好のポイントでした。この壕道の終点はちょうど飛鳥山頂から尾根筋に降りるだろう地点となっています。
 

 沢すじ 西壕道の終端箇所
沢すじ 西壕道の終端箇所 この斜面の頂部に壕道がある。

沢すじ 沢すじをダムのように横切る堤状土塁
沢すじ 沢すじをダムのように横切る堤状土塁 この土塁の長さは約20m、幅約3m。高さは約1.8m。この沢すじの底は人為的に平にして広げているものと考えられる。この土塁の向こう側の沢すじは自然地形で、比較すると明らかに違いがある。

沢すじ 西壕道の対岸にある切り通し
沢すじ 西壕道の対岸にある切り通し 西壕道のある崖の対岸の頂部に登りやすいように、尾根すじを掘り下げて切り通しになっている。

沢すじ 西壕道の対岸
沢すじ 西壕道の対岸 この沢すじは正面に土塁、左手に西壕道のある高台、右手がこの写真の高台になっていっていて、敵を三方から撃退できるようになっている。

方形居館跡  

 新発見! 方形居館跡が見つかりました。 
 令和3年(2021)春に地元のMさんから、飛鳥山の麓にある遺構らしい場所を見てほしいということで現地を確認し、それを五所川原市教委の榊原氏らの瀬戸子館調査の折に見てもらったところ、「方形居館跡だ」ということがわかりました。外ヶ浜(青森市~今別町)地区では、新発見になるということです。
 方形居館とは、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武士(支配階級層)の住まい、屋敷跡です。
 武家屋敷の形は方形を基調としており、周囲を土塁と空堀で囲むものでした。一般に、鎌倉時代の方形居館の規模は、郡荘地頭が一町四方(109m)であり、飛鳥山館の方形居館は、山側正面が 76m、縦辺が 66m でした。面積は76×66=5,016㎡で、1,520坪、5反となります。
 飛鳥山館の方形居館の構造は、敷地の正面手前を除く3辺に土塁が設定されています。敷地は山側の土塁方向は高めになっています。山側正面の土塁の外側には堀があり、縦辺の南側にも浅い堀があります。縦辺の北側には堀はありません。正面の東側の辺は段築状に一段高くなっていて、その下には堀はなかったようです。段の高さは、およそ90cmです。
 飛鳥山館の方形居館跡は、飛鳥山山頂の真東に位置します。つまり、建物の背中に山頂が見えることになります。近くにある古代の遺跡としては、「01116-飛鳥(4)遺跡」(縄文後期、平安:散布地)があります。

方形居館跡 山側北角
方形居館跡 山側北角 敷地の縦辺北側と正面山側(奥)の土塁。

方形居館跡 山側の土塁と堀
方形居館跡 山側の土塁と堀 正面山側(奥)の土塁とその奥の堀。

方形居館跡 敷地内部の様子
方形居館跡 敷地内部の様子 居館の敷地は、左手奥の土塁に向けて高くなっている。

方形居館跡 南側縦辺
方形居館跡 南側縦辺 敷地の縦辺南側の土塁と堀。

方形居館跡 南西角から見る全景
方形居館跡 南西角から見る全景 70m四方という居館敷地は、かなり広い。

安藤氏山城群の方形居館3箇所 位置図
安藤氏山城群の方形居館3箇所 位置図
方形居館は、飛鳥山館・瀬戸子館・湯ノ沢館で発見されました。図をクリックすると拡大図が表示されます。

謎の八重館 (舌状丘の遺構)

 八重館と呼ばれる場所は? 
 地元の人には、「飛鳥山付近に『八重館(やえだて)』と呼ばれてきた場所がある。」と伝えられてきました。
 その場所については、以前次のように推測していました。「飛鳥山の海側のふもとに舌状に伸びた高台があります。その場所には300年前には「羽黒神社」がありました。羽黒神社は、現状では海沿いの集落がある方に移転しています。この場所が八重館なのではないか。」しかし、前項で報告したとおり、この場所から真北へ約500m進んだ場所に「方形居館跡」が発見されたことから、以前の推測を取り消します。
 また、かつて明治初期には「八重館村」という村が「飛鳥村の枝村」として存在していたことがわかりました。この枝村の名称は八重館と呼ばれていた「跡」に起因するものだと考えられます。
 もし、八重館と飛鳥山館跡が同時期のものだとすれば、「八重館」が居館で「飛鳥山館」は城館という位置づけでしょう。この地は古代の交易路である「奧大道」の終端に位置しますので、「八重館」は政庁(代官所?)であったことが考えられます。青森市西田沢にある「油川城」の北側に位置し、油川城は八重館とされている場所から目で確認できる距離です。

 ※ 前項で説明している方形居館跡が「八重館」に比定できると考えられます。

枝村、八重館が書かれている古図
枝村、八重館が書かれている古図  書写・木村慎一氏。画像をアップすると原図の所有者等の情報が見えます。

●【舌状丘にある遺構】●

 令和3年10月27日に、五所川原市教育委員会榊原滋高氏が飛鳥山館の方形居館跡を再確認された後に、その舌状丘にある遺構を見てもらいました。舌状丘の南側には細い川(水路)があり、川の向かいは土塁のように高くなっています。その内側に掘があるのです。丘の内部に川につなげるような浅い堀とその隣に土塁がありました。舌状丘の西の半分がまるで掘のように窪んでいて、一区画にされていました。この場所は方形居館跡に関連した建物跡であった場所かもしれません。
 舌状丘の先端部に畑がありますが、そこから珠洲焼きと青磁蓮弁紋茶碗の破片が出土していることがわかりました。榊原氏は鎌倉時代(13世紀~14世紀前半)のものだと同定されました。榊原さんは、遺物の発見から「八重館」は、ここではないかと推定されています。

新たな遺構の発見 飛鳥山館跡の規模は現在把握できているエリアの1.5倍に広がった。

 これまで、飛鳥山館跡は、正面入り口から西壕道まで、稜線で1.0kmほどが遺構エリアとして把握できていました。それが稜線で測ると2.0kmほどまで広がることがわかりました。壕道はその途中の尾根筋で設定されていない箇所もありますが、1.5kmほど、稜線沿いに続いていて、まだ長くなる可能性も出てきました。
つまり、当サイトに掲載している「飛鳥山館跡の遺構位置図」よりも、遺構エリアはもっと広い範囲になり、遺構エリアの広大さでは、内真部城館群の山城で最大となります。

(1)稜線から北山麓に降りる「北路」
 これまで、飛鳥山館の東西の稜線から、北側に降りる道がどうなっているのかを把握できていませんでした。戦後あたりの地図に記載されている歩道をようやくたどることができました。
 飛鳥山にある高圧電線鉄塔保安路北口から山沿いに西へ徒歩5分ほどに「上堰頭首口」があります。そこから尾根筋に稜線を目指しました。
 北路口:頭首口から用水路を渡ってすぐの林に入ると尾根すじへの「壕道」があります。尾根道をたどると3ヶ所ほど「壕道」と合流します。このことから、このルートは築城当時の主用道なことが判明しました。

 次ぎに、新たな遺構を書き留めておきます。詳細は、改めて報告したいと考えています。

(2)「北路」の終点にある広壕道
 北路を進んで稜線に当たる箇所に、北路から見ると巨大な掘に見える幅2.5mほどの壕道があります。尾根裏の広場状の場所は幅6m程もあります。当初は広すぎてブル道かとも思いましたが、両端の方向に進んでみて、壕道なことを確認しました。そして、壕道は長く続いています。中央広壕道の位置は、北緯40度52分11.1秒 東経140度38分32.3秒 でした。

(3)「トリデ跡」
 瀬戸子館の山と飛鳥山との間に、頭首口があり、そこに水系を表示する看板が立っています。その看板に「トリデ跡」と書かれている箇所があり、それを確認しました。狭い尾根筋を断ち切っている箇所が3段あり、その先に平場があります。
 当初は、把握していた飛鳥山館の遺構とあまりにも離れていて、関係性が疑問でした。しかし、前項で説明した壕道がそのトリデ跡近くまで伸びていて、飛鳥山館と一環の遺構であることがわかりました。

(4)稜線から南山麓に降りる「南路」
 戦後あたりの地図では、稜線にある中央広壕道あたりから南山麓に降りる歩道が記載されています。そのコースをたどると(2)で説明した「中央広壕道」につながることがわかりました。この南路から中央尾根筋を越えて北路に入り、飛鳥山館の北斜面麓にたどり着きます。

飛鳥山館全遺構位置図 ルートと主な遺構

 飛鳥山館跡の地図と遺構のあるエリアと入山口を下図に示します。
「D」は〈3段見張り台〉。「E」は〈中央広壕道〉。「F」は〈切り通し〉。「G」は〈井戸跡・駐屯地〉。「H」は〈東の竪堀、西の竪堀・広壕道〉。「I」は136.1mのピーク手前の壕道分かれ。「J」はトリデ跡、のエリアです。
「A・B・C」はこちらを参照してください。[中央路]は、下図ではD~Iまでの飛鳥山館尾根筋の経路としています。 
飛鳥山館跡の遺構位置図
飛鳥山館跡の全遺構位置図 赤線はGPSロガーでの軌跡
 
《 飛鳥山館 》 ルートと主な遺構
入り口 ルート 行程 主な遺構
正面東口 北壕道、南西壕道 高見台~北曲輪~山頂曲輪(東口から上がって合流) 高見台、北曲輪、土塁・北壕道、山頂曲輪周壕
南口(保安路) 西壕道 山頂曲輪~53番鉄塔~賽の河原向かい 西壕道、堤状土塁、切通し
北路口 北路 上堰頭首口~中央尾根筋(中央広壕道)  
南路口 南路 南路口(南口から西へ約500m)~中央尾根筋(中央広壕道)  
  中央路 53番鉄塔~中央広壕道~中央切通し 3段見張り台、中央広壕道、中央屯所、中央切り通し
鶴首峠口 鶴首路 鶴首峠口(林道左堰線終点)~中央路西~136.1mピーク トリデ跡、中央竪壕、井戸跡・駐屯地
  中央路 中央路西(西遺稿)~中央竪壕~壕道分かれ~136.1mピーク 西遺構壕道分かれ、136.1mピーク陣地
 

飛鳥山館 中央・西遺構

 飛鳥山館跡の城館遺構の領域は、東の麓から西方へ約2.5kmに位置する標高136.1mの三角点があるピークまでに広がりました。これまで紹介していなかった、中央遺構と西遺稿について説明します。中央遺構は地形図では飛鳥山の尾根線に歩道(点線)で表示されていますが、中央遺構は標高92mの表示がある位置にあります。飛鳥山館の特徴は壕道にあるのですが、飛鳥山館跡の遺構位置図の領域から中央遺構に向けて、尾根すじにある峠を登り降りしないように、平坦な尾根道と壕道を合わせながら進むことになります。

(1)3段見張り台   山頂周堀から南山麓に降りる「西壕道」の稜線から南へ降りる曲がり角付近の西側に3段になっている「見張り台」状の堀道があることがわかりました。斉藤利男先生を案内すると「立派なものだ」ということでした。この尾根筋を降りると、沢にぶつかった所に壕道があり、沢からこの尾根筋を回り込み次の沢筋に進むということがわかりました。
 2023.05.11の市教委分布調査で、この3段見張り台を背にして左手に壕道があり、その壕道は谷の脇を通って上に延びていて、飛鳥山館の中央尾根筋壕道と連結することがわかりました。よって、見張り台の戦略的価値が高まりました。
 この見張り台の頂部は平場となり駐屯できるようになっています。2つの堀があるという構成です。

  3段見張り台
3段見張り台 1段目 左手の頂部は平場。中央が1つめの堀。 

  3段見張り台
3段見張り台 2段目 上の写真の次の位置。切岸と2つめの堀。 

(2)中央遺構へ続く壕道と中央遺構
  山頂から続く「西壕道」は、53番鉄塔の保安路から南斜面に曲がり出し、賽の河原向かいの終点に続くのですが、西壕道と鉄塔保安路付近の壕道脇の土塁は、上と下に道がついている構造になっています。
 下の壕道をたどると飛鳥山の南麓に出て、上の道をたどると西へ進みます。飛鳥山館を縦断する道は、基本的に尾根筋に設定されていますが、中央遺構へ続く壕道は上記の西への壕道、そして前項(5)3段見張り台へと続く道の北脇斜面の下から始まります。
 そして、北路と南路と尾根筋が交わった地点に、中央広壕道があります。
 西壕道と鉄塔保安路の合流点から、中央広壕道への西壕道分岐点までは、距離0.2km、約15分。壕道分岐点から「中央広壕道」までは、距離0.8km、約1時間です。

中央遺構 中央広壕道
中央遺構 中央広壕道 前項で説明した「(1)北路」の終点に位置する。写真左手(北)の土塁の先は広い谷。土塁の高さは約1.2m、壕道の幅は約2.3m。土塁の長さは実測で約100m。

中央遺構 広壕道の東端
中央遺構 広壕道の東端 壕道の北側の土塁の様子がわかる箇所。

中央遺構 広壕道の西端、広場
中央遺構 広壕道の西端、広場 北路の終点。広壕道とぶつかる箇所は、堀り広げられて広場になっている。駐屯地として利用できる。広場の幅は約6m。
 
中央遺構 広壕道の東端
中央遺構 広場下にある平場 前の写真の右手(南)の壕道の下が切り岸となっていて.崖下に平場を造っている。小屋がけして駐屯所としていたのではないだろうか。


(3)西遺構へ続く壕道と西遺稿
  中央広壕道から西に位置する標高136.1mのピーク(三角点あり)まで、壕道は続いていきます。次の交通の要所は左堰林道の終点から尾根にとりついて上った「鶴首峠(呼称)」になり、壕道や尾根道が交錯しています。
 この交差点から東にすぐに「切り通し」がり、その他の主要遺構は西側にあります。
 西側の主な遺構は、「井戸跡」・「平場」、「東の竪堀」、「西の竪堀・広壕道」、「136.1mのピーク手前の壕道分かれ」、「136.1mのピークの陣地」です。
 136.1mのピークを過ぎても道があり、壕道もありました。どこまで道は続くのか把握できていません。
 「中央広壕道」から「切り通し」までは、距離0.9km、約20分。切り通しから「鶴首峠分岐点」までは 距離0.3km、 約7分。その先の遺構の区間は、鶴首峠交差点から井戸跡が0.7km、東の竪堀まで0.5km、西の竪堀・広壕道まで0.4km、そして136.1mのピーク手前壕道分かれまで2.1kmと続いていきます。鶴首峠交差点から136.1mのピーク手前壕道分かれまでの時間は、約1時間かかります。

西遺構 切り通し
西遺構 切り通し 地形図標高92mのピークから136.1mのピークまでの東から1/4地点にある切り通し。飛鳥山館では尾根筋の高い箇所(峠)の脇に壕道を造り高低差がないように道を設定している。

西遺構 切り通し 崖岸から壕道をみる
西遺稿 切り通し 崖岸から壕道をみる 切り通しの北側岸から壕道を深さを見る。

西遺構 井戸跡広場の切り岸
西遺構 井戸跡広場の切り岸 尾根下を切り広げて広場を造っている。写真右(北)が切り岸。この箇所の隣接して「井戸跡」と「平場」がある。駐屯地として利用していたのだろう。

西遺構 井戸跡
西遺構 井戸跡 壕道下(南)にある穴。井戸跡ではないか。この写真の右上に「平場」が設定されている。

西遺構 井戸跡に隣接する平場
西遺構 井戸跡に隣接する平場 「井戸跡」西に隣接して、平場がある。小屋がけして駐屯地にしていたのではないか。飛鳥山館の城館遺構は長大で、造営する際には泊まり込みで工事したと考えられ、宿泊地がなくてはならなかっただろう。

西遺構 東の竪堀
西遺構 東の竪堀 136.1mのピークにたどり着くまでに尾根筋の道が2カ所で断ち切れている。竪堀のようになっていて、斜面の移動の容易ではない。

西遺構 西の竪堀(広壕道)
西遺構 西の竪堀(広壕道) 形状から竪堀と呼んだが、尾根頂部から始まる広い壕道である。この壕道をたどると、136.1mのピークに進むことができる。

西遺構 壕道分かれ
西遺構 壕道分かれ 標高136.1mのピークの手前にある。写真中央の壕道から左手(南)の壕道をたどると、ピークを過ぎてしまう。写真中央の立木から右手に中央壕道がある。

西遺構 壕道分かれの中央道
西遺構 壕道分かれの中央道 この壕道をたどると標高136.1mのピークに行くことができる。この先の壕道は掘り込んであり、両岸から敵を迎撃ができる。今のところ、ここが最終軍事拠点だと考えている。ただし、壕道はこの先にも続いてあることがわかった。
 

飛鳥山館の長土塁 

 飛鳥山館には、壕道を伴った「長土塁」があります。〈2〉-(1)北壕道から、〈5〉-(1)山頂の周壕、そして、〈7〉-(1)西壕道の終端の沢筋にある土塁 と続き、長さは約3kmあって、飛鳥山の南半分を囲むように設定されています。
 2022.11.20に実施された青森市文化遺産課による「山城分布調査、第1次飛鳥山館調査」によって、榊原滋高氏が「北曲輪」の堀切を断ち切るように長土塁が設定されていることから、「長土塁は北曲輪より新しい構造物」である、としました。
 このことにより、長土塁は戦国時代以降の構造物となり、城郭遺構ではなく「野牧」の可能性がより高まりました。瀬戸子館にも、同様な長土塁があり、これを造った時期は、飛鳥山館と同時期と推測されます。

青森市教育委員会文化遺産課(山城)分布調査 

○ 2022.11.20 飛鳥山館
・北壕道から頂上曲輪(高見台、北曲輪、土塁・北壕道、山頂曲輪周壕
・飛鳥山麓の方形居館跡、伝八重館跡
・賽の川原向かいの沢筋(沢筋中央の細尾根にある壕道。沢筋に向かって右手の斜面にある壕道)
 【 新たに確認できた事項 】⇒ 賽の川原向かいの沢筋に向かって右手の斜面に壕道があるが、飛鳥山頂からの南への尾根筋に平場があるのを確認した。
○ 2023.05.11 飛鳥山館
・賽の川原向かいの沢筋の左手の細尾根に降りる壕道を伝って中央尾根、北路・南路との合流地点を過ぎて、鶴首峠と中央尾根壕道との合流地点まで
 【 新たに確認できた事項 】⇒ 中央路(中央尾根筋壕道)に沿って、壕道の上の段に平場があることを確認した。谷筋からの敵の侵入を監視できる防御施設である。

まとめ 飛鳥山館跡の遺構から

 飛鳥山館は長大な城館遺構なため、東遺構(東正面口~山頂周壕道~西壕道)、中央遺構(北路~中央広壕道~南路)、西遺構(鶴首峠~標高136.1mピーク)と注釈してまとめます。

〈 飛鳥山館の主な遺構状況 〉
  • 飛鳥山館跡は「単郭」ではなく、東側山麓に正面・東口方面からの敵に対処する北曲輪がある。また、東北側斜面から侵入する敵に対しては、谷すじの土塁と壕道で砦状になっている。(東遺構)
  • 飛鳥山館跡の土塁と壕道は、伐採のためのブルドーザーにより破壊されている箇所もあるが、山麓から山頂まで続いていて、特に西壕道は鉄塔保安路で一部分断されてはいるが、ほぼ完全な形で保存されている。(東遺構)
  • 飛鳥山館跡は、壕道に土塁が伴っていて、かつ土塁に身を隠れる程大きい。土塁は壕道を掘った分の土だけではなく、壕道の反対側から土を運びこしらえてある。このため、土塁の壕道の向かい側は、平坦になっている。(東遺構)
  • 飛鳥山館の山頂曲輪は、内真部城館群の山城の中で、もっとも平坦でかつ広い。曲輪内に建物があったものと考えられる。(東遺構)
  • 東遺構の壕道は、(1)山頂から北側高台まで続く、(2)山頂から尾根すじを通って迂回し南側ふもとまで続く、(3)山頂の周壕に大別される。壕道はふもと近くの高台で終わることから、単なる通路ではない。
  • 飛鳥山館の中央には、広い谷からの敵の侵入に対処する高い土塁と広壕道(中央広壕道)がある。この箇所は「北路」と「南路」の交わる箇所となっていて、戦略上の拠点である。北路の終点の尾根すじを掘り込んで広場が造られていて、駐屯地に適している。壕道の南下には平場を設定し、宿営できたと思われる。(中央遺構)
  • 鶴首峠の西には、尾根すじの切り岸にして掘り込んだ広場がある。谷側に「井戸跡」と思われる穴があり、その脇に宿営できるだろう平場がこしらえてある。(西遺構)
  • 井戸跡の西には、尾根すじを断ち切った「東の竪堀」がある。その先に「西の竪堀・広壕道」があり、136.1mのピークに続いている。(西遺構)
  • 136.1mのピークの東手前に峠を迂回する壕道と峠に向かう壕道が2線ある。中央の壕道は掘り込んでいて、現状の調査では、136.1mのピークを含めて、ここが最終軍事拠点でと考えている。ただし、その西にも壕道はある。(西遺構)
  • 飛鳥山館跡は内真部城館群の中でも、もっとも長大な城館遺構である。正面東口から最終軍事拠点と思われる標高136.1mのピーク(三角点あり)まで、直線距離で約2.5kmある。もし、縦走するとすれば、片道で7時間程かかる。
斉藤利男弘前大学名誉教授 現地調査のまとめ  
 ※令和2年3月26日に、安藤氏研究の第一人者である弘前大学名誉教授斉藤利男先生の現地調査がありました。コースは東側の「飛鳥山館跡の遺構位置図」でのABC地区です。
  • 瀬戸子館が戦時のために臨時に築城されたものだが、飛鳥山館は平時にあった城のようだ。北曲輪の造りがしっかりしている。
  • 山頂曲輪に至る大手道は、正面・東口登山路の斜面に上り始める前の平らな場所から、北に入り北曲輪の下にある壕道(大手虎口)から北曲輪へ進む【大手口】。それから、尾根筋の壕道の下にある壕道を通って、山頂へ続く壕道へ入ったようだ。
  • 大手虎口に至る山裾に、平場遺構がある(段築。斜面を切って平場と切り岸を作る。切り岸の高さは数十cm)。
  • 登山路と壕道との合流点から北側にある壕道は兵士用の通用路であろう。深さや広さが山頂に通じる壕道と異なる。通用路壕道の方が堀が深く狭い。
  • 山頂の周壕に囲まれた曲輪は、環壕集落だった場所を再利用した可能性がある。
  • 周壕の形状が異なるのと、山頂にたどり着いた合流点から、頂部曲輪への虎口のあたりが二重になっている。内側が環濠集落跡の外周ではないか。
  • 山頂周壕の合流点から南側に2/3周する壕道は堀が甘い。合流点から西壕道(賽の河原向かいへと続く壕道)は堀が深い、かつ高さが一致していない。つまり、作られた時期が異なり、北1/3周する壕道の方が新しい。
  • 飛鳥山館跡の全遺構位置図」での「D」地区にある「3段見張り台」から、飛鳥山館の城塞範囲が山頂部曲輪から東側だけではないことが確認できた。
  • 山頂から賽の河原方面に至る西壕道と土塁は、戦時用としてはこんなに長く高い土塁を造る必要がない。牧場ではないか。
  • つまり、野馬(軍馬)を放し飼いにしていて、壕道と土塁は馬用の柵として利用した「野牧」であろう。
  • 土塁の両側が堀道となっているのも、それが理由ではないか。
  • 仮説ではあるが、軍事城塞と野牧が一体となった山城であるとしたら、極めて珍しく飛鳥山館の価値が高まる。
  • 賽の河原向かいの沢にある土塁で堰き止めた「ため池」は馬の水飲み場としても利用されたのではないか。

〈 飛鳥山館の考察 〉
  • 飛鳥山館跡の壕道から、壕道は単に登り降り、移動する通路というよりは、戦略拠点をつなぐ役割があることがわかる。また、土塁を伴う壕道はそれ自体が軍事施設である。
  • このような壕道は、湯ノ沢館跡の西方山城遺構にある壕道の構造と似ている。また、前田蝦夷館と南方山城遺構には見られない。内真部館跡山城にも高く盛られた土塁のある壕道は見られない。このことから、飛鳥山館跡は湯ノ沢館跡より先か、または同時期に造られたものと考えられる。飛鳥山館は内真部館と内真部山城の次に、造られたのではないだろう。
  • 飛鳥山館の長大な壕道を造営するためには、膨大な日数が必要だったろう。目の前に想定される戦いのために造営したものとは考えられない。これも飛鳥山館が内真部城館群の中で古い城だと考える理由である。
  • 飛鳥山館跡は山域の尾根すじにある峠部分を道として使わずに、通路の高低差をなくすため、徹底して壕道が設定されている。「壕道」の戦略的意味がつかめる遺跡であり、鎌倉期の山城遺構の原型となりうる遺構だと考えられる。
  • 飛鳥山館は山頂周壕の曲輪に立てこもることにこだわらず、敵軍をどんどん西方へ引きずり込むことを戦略とした山城だと考える。安藤軍は壕道を使い敵より早く移動できる。敵軍が壕道を進軍すれば、縦一列となり迎撃しやすい。かつ、壕道の上にある尾根すじから叩くことができる。
  • 飛鳥山館から郡境(東津軽郡・西津軽郡)の中山山脈(津軽山地)を越えることができたであろう。現在の地形図には道が記載されている。
  • 飛鳥山館を麓で包囲することは不可能である。敵軍が飛鳥山館の攻略に時間をかける程消耗し、かつ隣接する「瀬戸子館」の安藤軍から背後を突かれるだろう。
  • 飛鳥山館の意義としては、第一義は内真部城館群の前衛基地であり、街道を見張る役割を果たしたであろう。頂上周壕からの景観からよく分かる。飛鳥山がそれほど高くないことも、見張り台としては好都合であり、山の位置も海に近い。敵が来た際には、この城に敵を引きつけ、その間に他の城の迎撃態勢を整えることも要求されただろう。
  • 「奧大道」の終点に位置することから、交易する人々にとっては、内真部=内末部の玄関口に相当したことと思われる。
◇ 内真部城館群の残された城館遺構
 内真部城館群の最北は「内真部館跡と内真部山城跡」、その南に「湯ノ沢館跡と西方山城遺構」、そして「前田蝦夷館跡と南方山城遺構」が続きます。次は、瀬戸子八幡宮のある丘陵で、「ここには遺構がない。」とされていました。もっとも南が「飛鳥山館跡」になるわけです。
 飛鳥山館の北壕道の終点が「高見台」となり、向かいの瀬戸子八幡宮のある丘の方向を見るようになっていることは、報告してあります。つまり、隣の丘陵との関連性を示唆していると考えられます。
 飛鳥山館と前田蝦夷館は4km程の距離があり、連絡方法をどうしていたのが気になるところです。つまり、その中央にある「瀬戸子八幡宮のある丘陵」に陣地がないことの方が、むしろ不思議だと考えていました。
 2018年の終盤にこの丘陵に「遺構」があることが判明しました。詳しい調査は来春の課題です。この遺構がはっきりすれば、内真部城館群は、安藤氏の居館・内真部館から、奧大道の終点・外浜交易の拠点だったろう飛鳥山館まで、連々と城館・砦があった、ということになると予想しています。
 令和元年に「瀬戸子館」が存在することが確認できました。詳しくは⇒ 遺蹟・瀬戸子館 で報告してあります。

奧大道 解説

奧大道 おくのたいどう
 中世の東北地方の基幹道路。下野国から白河関をこえて陸奥国に入り,陸奥国を縦に貫く道。
「吾妻鏡」には、次のように書かれている。
 (藤原)清衡、六郡を管領するの最初にこれ(中尊寺)を草創す。先ず白河の関より外の浜に至るまで二十余ヶ日の行程なり。その路(奧大道)の一町ごとに笠率都婆を立て、その面に金色の阿弥陀像を図絵す。
 斉藤利男氏は北奥の奧大道のルートは、現在の東北自動車道路と大差なく、奧六郡から外浜へほぼ最短距離を進むルートであり、青森県側は大鰐から大光寺へと津軽平野の東側を進んで、浪岡から津軽坂(現在の鶴ヶ坂)の峠を通って、陸奥湾岸の外浜大浜(青森市油川)に至る、北方交易の道と説明している。
 なお、内真部館跡の南向かいにある「内真部(4)遺蹟」からは、12世紀第4四半期~13世紀のものと判断される約20個体分の「手づくねかわらけ」が出土している。内真部(4)遺蹟は、平泉藤原氏による外浜支配と対北海道島交易=蝦夷交易の拠点となるような地方政庁、あるいは安藤氏の前身である領主の居館の可能性があると斉藤氏は指摘している。

飛鳥山館へのコース

(1)東口・正面
 アプローチで説明しているコース。頂上周壕から北曲輪へ向かう壕道に入る。

(2)南口・鉄塔保安路
 アプローチで説明しているコースでの、舗装農道を過ぎて、次のジャリ道、Y字路を左に曲がる。農地・水田を過ぎると山道になる。右手が飛鳥山斜面、左手が飛鳥沢。Y字路から約1km進むと左手の沢側に地蔵尊が立っている。そこが「賽の河原」。すぐ右手が西壕道の終端がある沢すじである。駐車できるスペースがある。
 車を置いて西(これまでの進行方向)に進むとすぐに、送電線の鉄塔保安路がある。保安路の表示は保安路に向かって背中側ある。斜面は急だが、一部ステップが付けられている。登ると52番鉄塔がある。保安路は、直線的に最短コースに設定されているため、登り降りがありが53番鉄塔にたどり着く。
 ※52番鉄塔から53番鉄塔へは壕道をたどった方が楽です。52番鉄塔の左手に土塁と壕道があります。
  土塁の北側の方が壕道よりも歩きやすい箇所もありますので、上手に選択しながら、山頂を目指してください。

(3)南路口・南路
 前項南口・鉄塔保安路から、西へ約500m。賽の河原向かいの沢から西に進むと道の左側に廃屋あり。その先の左側の川向こうに廃材を捨てている場所があって、車を止めるスペースがある。そこから少し進むと沢があり、その左斜面の尾根すじを交わすと窪地があり、ここから尾根に取り付く。入山口は、北緯40度52分3.5秒、東経140度38分43.9秒。後は北方向に尾根すじ中央を進んでいく。飛鳥山の中央尾根すじまで登り切った所が「中央広壕道」になる。距離は約2.3km。時間は約50分。

(4)北口・鉄塔保安路
 瀬戸子八幡宮鳥居から西へ約1km、鉄塔保安路を過ぎた先に、頭首工がある。地形図では瀬戸子川が道と交錯する地点。車はここに置くことができる。川を左手に西に進むと飛鳥山の北ふもとにある道とぶつかり橋がある。この橋を渡って飛鳥山の北ふもとに入り、上空の電線が山に入り出す場所に鉄塔保安路がある。登り斜面はきついが頂上が「53番鉄塔」。もっとも短時間で飛鳥山の尾根すじにたどり着ける。距離は約0.4km。時間は下り約15分、上りだと約25分。

(5)北路口・北路
 前項(4)北口・鉄塔保安路で説明した「頭首工」に車をおく。川を左手に西に進むと飛鳥山の北ふもとにある道とぶつかり橋がある。橋を渡らずに右手方向へ、飛鳥山のふもとに沿って土手のようになっている道(北側が川)を進む。土手の終点付近に小さな頭首工があり、そこを渡って林に入る。入ってすぐ右手方向に壕道があるので、それをたどると伐採地になる。そのあたりの林と伐採地の縁を上に上り、尾根筋に出るとブル道がある。ブル道を進み、ブル道が右側に下るあたりの正面の林が尾根筋になる。
 この尾根筋を南に進んでいく。飛鳥山の中央尾根筋とぶつかった場所に「中央広壕道」がある。地形図での標高92mの表示がある地点。距離約1.1km。時間約2時間半。

(6)鶴首峠口・鶴首路(左堰林道)
 瀬戸子八幡宮の鳥居から西へ約2kmに、林道左堰線の看板が道の左手側に立っていて駐車できるスペースがある。前述した瀬戸子山・飛鳥山の道合流点にある「頭首工」から約1kmにあたる。林道は曲がってすぐの橋付近が崩落していて、車では進めない。南へ約20分、距離0.8kmで、左堰線の終点看板がある。その左手に沢があり、沢の右側斜面の尾根に取り付くことになる。看板の右手を尾根をかわして少し進んでから、斜面を登って尾根に上がる。後はそのまま尾根道を南に進む。峠に着いて尾根を少し下がると壕道がある。山斜面に取り付いてから峠までの距離は約0.3km、時間約20分。
安藤氏山城遺蹟紹介サイト ⇒ 内真部・尻八城塞群 - 尻八館跡 - 大阪山館跡 - 内真部館跡 - 前田蝦夷館跡 - 南方山城遺構 - 湯ノ沢館跡 - 西方山城遺構 - 瀬戸子館跡 - 山城遺構の構造
安東氏歴史・人物紹介サイト ⇒ コンテンツ - 武将伝Ⅰ - 武将伝Ⅱ - 史料・参考文献 - 年表 - 安藤氏の乱 - 系図 - 十三湊


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 青森市北部市民センターの「地域マップづくり」の講座受講生と応援隊で、取材した場所や調べたことをまとめました。
 西田沢・奥内・後潟の地域の魅力が伝われば幸いです。
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