内真部館、内真部山城
青森市北部(後潟・奥内・西田沢地区)は、安藤氏(安東氏)に関連する城跡・館跡が集中して見つかっているエリアです。その中から、内真部館跡(うちまんぺだて)と内真部山城跡(うちまんぺやましろ)をご紹介します。
内真部館跡は、奥内から五所川原に向かう県道2号線が新幹線高架橋をくぐり、眺望山に向かって左にカーブするあたりの丘陵で、標高15mの低い台地を利用して館がつくられている。北・西の両面に上幅約9mの空堀を堀り、南西から南および東にかけては切岸(壁面を切り落としたもの)を設けて周囲から区画した、東西100~105m、南北90~95mの正方形に近い形をした居館跡である。
内真部館跡は、背面となる西側は二重堀・高低差3mとなっているものの、全体に要害性に欠け、平時の居館とみられている。また、台地の先端を占地し、段築によって平場を設けて生活面をつくり出す手法は、近隣にある内真部(4)遺跡と共通しており、平安時代末期の居館の構造を踏襲したものとみられる。そして、内真部館跡からは擦文土器が表面採取されており、平安時代後期の集落跡だったことがわかる。古代末期の集落の場所が外浜安藤氏によって継承され、居館として使用されたものであろうとされています。
新青森市史史料編古代・中世から
※ 一般に鎌倉時代の方形居館の規模は、郡荘地頭が一町四方(109m)で、内真部館跡の規模は、郡荘地頭のものに等しい。
なお、青森市が実施した山城分布調査については、別ページに山域ごとにまとめてあります。内真部館遺跡と仮称内真部山城跡は令和4年10月と11月に調査が実施されています。⇒「山城分布調査」
※安藤氏については、別サイトにまとめてあります。⇒「下国安東氏ノート」
※安藤氏に関わる福島城、唐川城に興味のある方は、こちら⇒「十三湊遺跡」
YAMAP コース軌跡と写真
「ヤマップ」を使って、移動したコ−スの記録や軌跡に写真を合わせて、遺構などの位置がわかるようになっている『活動日記』を公開しています。「活動日記」に掲載している写真にカーソルを当てると説明が表示されます。写真をクリックすると、拡大写真になり説明文も読めます。
アプローチ
《 農道口ルート 》
内真部館の東側に回り込んで進む農道がY字に分かれる地点を、左側の山域に近づく道を進む[農道口]。この道は、内真部館を左3/4、右1/4程度に分割している。開けた農地が見える辺りの左側に土塁があるので、そこを進むと内真部館の西側の遺構となる。土塁は内真部館を囲んでいるが、土塁を回り込まずに降りて進むと、内真部山城の麓になる。
内真部山城へは、斜面を左手方向に登ると、尾根筋に壕道がある。そこを上って行く。
《 大手口ルート》 県道2号線から内真部館の脇を進む農道へ降りた辺りで駐車する。少し南に歩き開けた箇所で農道脇の用水路を渡る。林と水田跡(湿地帯)の境を山側に向かって進む。右手が内真部館と内真部山城との間の領域になる。丘陵とぶつかったあたりで灌木地帯(伐採跡地)に少し上がる感じで左折する。山斜面を右手に回り込んで行くと山側に切り込む道に入る。その先が「大手虎口」。
大手虎口を上がると内真部山城の尾根筋に出る。内真部館から西の山斜面を登るよりも、効率的に尾根筋に出ることができる。左折して尾根筋を進み、笹原の間を進み土塁を上がる。山城領域にある池方面に行ことができる。
『新青森市史資料編2』には、次のように記載されいいる。
山城としての施設は、①自然地形を利用して陣所とした場所、②山下につくられた虎口と防御施設、③山下から頂上の陣所に至る途中の壕道の、三つの部分から構成される。
戦時に際してつくられた急ごしらえの城塞らしく、①は自然地形のまま、②③もつくりが粗雑で、鎌倉時代末期の「安藤氏の乱」の際に安藤季久(宗季)が構えた「城郭」の有力な候補地になる遺構である。
内真部の山城は、戦国時代の山城に比べれば非常に素朴だが、「太平記」などの軍記物に記された急ごしらえの城郭の記述とよく符合している。
鎌倉末~南北朝時代の山城がほぼそのままの形で残された可能性が高く、高い価値をもつ遺跡と評価されている。
内真部山城跡は、ふもとにある内真部館跡が「安藤氏の居館・政庁」であるのに対して、その西側(山手)の丘陵にある山城跡です。防衛機能に関する遺構を見ると、内真部城館群の山城の中で最も守りが弱い城跡です。居館の背後にある「逃げ込み城」でしょう。仮に城主がいたまま戦になったとしたら「逃げの一手」だろうと考えられます。
『標高142.6mの後背地である大阪山から東にのびる標高84mの丘上に、濠道と土塁をもつ郭がある。その北東斜面には数条の深くて大きな竪濠があり、それらのなかには沢を利用したものもある。この丘は南北が急な崖をなしており、天然の要害を形成している。とくに丘上の郭の規模は大きい。』
《 内真部館から内真部山城跡へのルート 》
内真部山城へは、内真部館の西側土塁の先に進み、麓から山斜面に取り付く方法がある。内真部館の南側に湿地帯があり、それを背にした辺りとなる。斜面の南側(山に向かって左方向)に頂部へと向かう尾根筋がある。「大手虎口」を上がりきるとこの尾根筋に合流する。尾根筋を上がって笹原を越えるとブル道に出る。右折し、ブル道を進み、池のある開けた場所の手前で尾根筋に取り付いて進むことになる。(現状は、伐採の関係で笹薮となり、尾根筋を通って内真部山城跡の頂部曲輪にたどり着くのは困難である。)
内真部山城の頂部曲輪に行くには、尾根筋に上がらずに麓北側にある池跡の方向に進み、その先の斜面にある中央壕道をたどると頂部曲輪に出る。
《 常花志園口から内真部山城跡へのルート 》
内真部山城跡は、常花志園の池を背にして正面(西)にある山域になる。常花志園の駐車場から南西の「72番鉄塔」方向に進み、鉄塔から山斜面の下辺りまで進むと中央壕道の入口がある。中央壕道を西へ上がると頂部曲輪にたどり着く。
《 常花志園口から山城北斜面遺構へのルート 》
常花志園の駐車場から西へ山に向かって進む。伐採跡地から右手の湿地帯へ降りる。山斜面を左手にしながら山に沿って進むと北斜面の遺構(沢を利用した竪壕)にたどり着く。
****** 調査経過報告 ****************
《内真部山城の麓》
大手虎口から尾根筋に出て、山方向に進むと内真部山城の頂部に向かいます。
(1)虎口
段に沿って南に回り込んで行くと、段が切れるようになっていて上がりやすい箇所がある。上がると左手方向が尾根筋となる。
(2)周回壕道
湿地帯から一段上がると平坦地と平行に山域を移動できる壕道が2段設定されている。
(3)平場状遺構
山城への頂部へと向かう尾根筋の北側(尾根筋の右手方面)に、平場状遺構がある。平場状遺構とは、斜面を平坦にすることによって、段差をこしらえるもの。斜面を登りづらくする効果がある。段差はさほど高くなく、数十センチ程度。
(1)沢を利用した堀
沢筋を掘り込んで堀状に加工している。沢が広く平坦にして、水が満たされている状態。長靴であってどこを渡って行こうかと難儀する。敵の移動を阻害する効果がある。沢を利用した堀は3本設定されている。
頂部に上がって行く壕道は、72番鉄塔から山側斜面の少し西辺りにある。
⇒ 「安藤氏に関わる人物伝 鎌倉~南北朝時代」は、こちら!
⇒ 「安藤氏に関わる人物伝 室町~江戸時代」は、こちら!
⇒ 「安藤氏に関わる歴史年表」は、こちら!
安藤氏山城遺蹟紹介サイト ⇒ 内真部・尻八城塞群 - 尻八館跡 - 大阪山館跡 - 前田蝦夷館跡 - 南方山城遺構 - 湯ノ沢館跡 - 西方山城遺構 - 瀬戸子館跡 - 飛鳥山館跡 - 山城遺構の構造
安東氏歴史・人物紹介サイト ⇒ コンテンツ - 武将伝Ⅰ - 武将伝Ⅱ - 史料・参考文献 - 年表 - 安藤氏の乱 - 系図 - 十三湊
内真部館跡は、奥内から五所川原に向かう県道2号線が新幹線高架橋をくぐり、眺望山に向かって左にカーブするあたりの丘陵で、標高15mの低い台地を利用して館がつくられている。北・西の両面に上幅約9mの空堀を堀り、南西から南および東にかけては切岸(壁面を切り落としたもの)を設けて周囲から区画した、東西100~105m、南北90~95mの正方形に近い形をした居館跡である。
内真部館跡は、背面となる西側は二重堀・高低差3mとなっているものの、全体に要害性に欠け、平時の居館とみられている。また、台地の先端を占地し、段築によって平場を設けて生活面をつくり出す手法は、近隣にある内真部(4)遺跡と共通しており、平安時代末期の居館の構造を踏襲したものとみられる。そして、内真部館跡からは擦文土器が表面採取されており、平安時代後期の集落跡だったことがわかる。古代末期の集落の場所が外浜安藤氏によって継承され、居館として使用されたものであろうとされています。
新青森市史史料編古代・中世から
※ 一般に鎌倉時代の方形居館の規模は、郡荘地頭が一町四方(109m)で、内真部館跡の規模は、郡荘地頭のものに等しい。
なお、青森市が実施した山城分布調査については、別ページに山域ごとにまとめてあります。内真部館遺跡と仮称内真部山城跡は令和4年10月と11月に調査が実施されています。⇒「山城分布調査」
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contents
- 内真部跡
- 内真部山城跡
- 内真部山城大手虎口
- 内真部山城東斜面の遺構
- 内真部山城この他の遺構
- 内真部館と内真部山城遺構図
- ルートと主な遺構
- 内真部山城、麓山域と頂部曲輪
- 内真部山城、北斜面遺構
- 写真アルバム
※安藤氏については、別サイトにまとめてあります。⇒「下国安東氏ノート」
※安藤氏に関わる福島城、唐川城に興味のある方は、こちら⇒「十三湊遺跡」
『ルポ 安部龍太郎の創作世界』~「十三の海鳴り」を歩く~ 内真部城館群
↑ 安部龍太郎さんが斉藤利男先生の案内で、内真部館と前田蝦夷館を視察した時のルポが書かれています。
「十三の海鳴り」の小説の中で、内真部館は安藤季久の居館として登場します。主人公の新九郎も訪ねていきます。
↑ 安部龍太郎さんが斉藤利男先生の案内で、内真部館と前田蝦夷館を視察した時のルポが書かれています。
「十三の海鳴り」の小説の中で、内真部館は安藤季久の居館として登場します。主人公の新九郎も訪ねていきます。
内真部館跡
内真部館跡と内真部山城跡のある丘陵
写真中央の丘に内真部山城跡。内真部館跡は少し右側(北)。内真部(4)遺跡は左端にある。
立地
写真中央の丘に内真部山城跡。内真部館跡は少し右側(北)。内真部(4)遺跡は左端にある。
内真部館・内真部山城跡は、青森市中心市街地の北西、JR津軽線奥内駅から北西へ約2.4km、左堰駅の南西へ約2.0km。海岸からは約2.3km内陸に入った地点にある。山域は南北に約0.5km、東西に約1.1kmある。標高は87.0m。所在地は青森市内真部字山下・左堰字野田。
(※山域の西端と標高は、遺構が確認されているエリアと連動する。)
見どころ
(※山域の西端と標高は、遺構が確認されているエリアと連動する。)
居館である内真部館、西側の二重土塁、南側の段築。内真部山城の麓にある平場状遺構群、大手虎口とそれに向かう大手道。
YAMAP コース軌跡と写真
「ヤマップ」を使って、移動したコ−スの記録や軌跡に写真を合わせて、遺構などの位置がわかるようになっている『活動日記』を公開しています。「活動日記」に掲載している写真にカーソルを当てると説明が表示されます。写真をクリックすると、拡大写真になり説明文も読めます。
アプローチ
丘陵の外観を見るには、国道280号バイパスを北上して、県道2号線との交差点を過ぎて、「内真部川」を渡る少し行くと「青森市左堰」の道路標識がある。そのあたりの舗装された農道を左折すると、正面に見える丘陵となる。
県道2号線を五所川原方向に道なりに進むと新幹線高架橋をくぐったあたりは、平行して北に進み、その後で山側・西方向に左折していく。内真部館跡は、山側に切り込んだあたりの右手・北方向に位置する。「きんせい橋」を渡って約200mの右手に、坂を下るように右折するジャリ道があり、それを降りた辺りで車を停めて山側の用水路を渡って『大手口』(至る大手虎口)がある。
ジャリ道を道なりに進み、左手に曲がり水田が見えたあたりで駐車できる。水田を右手にして回り込んだ先の山側にある林が「内真部館跡」。道の左手に見える林を「これが城跡?」と不思議に感じながら進むと、山側に入る道があるので左折する。そこを進んで林の裏手にまわるように進むと曲輪・居館の西側の土塁が見えてくる。
県道2号線を五所川原方向に道なりに進むと新幹線高架橋をくぐったあたりは、平行して北に進み、その後で山側・西方向に左折していく。内真部館跡は、山側に切り込んだあたりの右手・北方向に位置する。「きんせい橋」を渡って約200mの右手に、坂を下るように右折するジャリ道があり、それを降りた辺りで車を停めて山側の用水路を渡って『大手口』(至る大手虎口)がある。
ジャリ道を道なりに進み、左手に曲がり水田が見えたあたりで駐車できる。水田を右手にして回り込んだ先の山側にある林が「内真部館跡」。道の左手に見える林を「これが城跡?」と不思議に感じながら進むと、山側に入る道があるので左折する。そこを進んで林の裏手にまわるように進むと曲輪・居館の西側の土塁が見えてくる。
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《 農道口ルート 》
内真部館の東側に回り込んで進む農道がY字に分かれる地点を、左側の山域に近づく道を進む[農道口]。この道は、内真部館を左3/4、右1/4程度に分割している。開けた農地が見える辺りの左側に土塁があるので、そこを進むと内真部館の西側の遺構となる。土塁は内真部館を囲んでいるが、土塁を回り込まずに降りて進むと、内真部山城の麓になる。
内真部山城へは、斜面を左手方向に登ると、尾根筋に壕道がある。そこを上って行く。
《 大手口ルート》 県道2号線から内真部館の脇を進む農道へ降りた辺りで駐車する。少し南に歩き開けた箇所で農道脇の用水路を渡る。林と水田跡(湿地帯)の境を山側に向かって進む。右手が内真部館と内真部山城との間の領域になる。丘陵とぶつかったあたりで灌木地帯(伐採跡地)に少し上がる感じで左折する。山斜面を右手に回り込んで行くと山側に切り込む道に入る。その先が「大手虎口」。
大手虎口を上がると内真部山城の尾根筋に出る。内真部館から西の山斜面を登るよりも、効率的に尾根筋に出ることができる。左折して尾根筋を進み、笹原の間を進み土塁を上がる。山城領域にある池方面に行ことができる。
内真部館跡 西側の切岸 内真部館跡を東側から北側を回って、西側に入ったあたりの切岸。ここらはまだ低い。
内真部館跡 西側の切岸 西側の切岸。中央より北側。
内真部館跡 西側の切岸 西側の切り岸。中央より南側。写真の右手方向に、段築で平場をこしらえている。
内真部館跡 西側の切岸 西側の切岸。中央から少し南側。もっとも高い箇所。
内真部山城跡
内真部山城跡は内真部館跡の西にそびえる標高87mの丘陵上に立地し、丘陵の頂部、北西斜面、東側の斜面と尾根筋を利用してつくられた山城である。(地形図でのピークは標高84mと表示されている)『新青森市史資料編2』には、次のように記載されいいる。
山城としての施設は、①自然地形を利用して陣所とした場所、②山下につくられた虎口と防御施設、③山下から頂上の陣所に至る途中の壕道の、三つの部分から構成される。
戦時に際してつくられた急ごしらえの城塞らしく、①は自然地形のまま、②③もつくりが粗雑で、鎌倉時代末期の「安藤氏の乱」の際に安藤季久(宗季)が構えた「城郭」の有力な候補地になる遺構である。
内真部の山城は、戦国時代の山城に比べれば非常に素朴だが、「太平記」などの軍記物に記された急ごしらえの城郭の記述とよく符合している。
鎌倉末~南北朝時代の山城がほぼそのままの形で残された可能性が高く、高い価値をもつ遺跡と評価されている。
内真部山城跡は、ふもとにある内真部館跡が「安藤氏の居館・政庁」であるのに対して、その西側(山手)の丘陵にある山城跡です。防衛機能に関する遺構を見ると、内真部城館群の山城の中で最も守りが弱い城跡です。居館の背後にある「逃げ込み城」でしょう。仮に城主がいたまま戦になったとしたら「逃げの一手」だろうと考えられます。
内真部山城跡の概要
内真部山城跡について、「尻八館調査報告書」には次のように記載されている。 『標高142.6mの後背地である大阪山から東にのびる標高84mの丘上に、濠道と土塁をもつ郭がある。その北東斜面には数条の深くて大きな竪濠があり、それらのなかには沢を利用したものもある。この丘は南北が急な崖をなしており、天然の要害を形成している。とくに丘上の郭の規模は大きい。』
《 内真部館から内真部山城跡へのルート 》
内真部山城へは、内真部館の西側土塁の先に進み、麓から山斜面に取り付く方法がある。内真部館の南側に湿地帯があり、それを背にした辺りとなる。斜面の南側(山に向かって左方向)に頂部へと向かう尾根筋がある。「大手虎口」を上がりきるとこの尾根筋に合流する。尾根筋を上がって笹原を越えるとブル道に出る。右折し、ブル道を進み、池のある開けた場所の手前で尾根筋に取り付いて進むことになる。(現状は、伐採の関係で笹薮となり、尾根筋を通って内真部山城跡の頂部曲輪にたどり着くのは困難である。)
内真部山城の頂部曲輪に行くには、尾根筋に上がらずに麓北側にある池跡の方向に進み、その先の斜面にある中央壕道をたどると頂部曲輪に出る。
《 常花志園口から内真部山城跡へのルート 》
内真部山城跡は、常花志園の池を背にして正面(西)にある山域になる。常花志園の駐車場から南西の「72番鉄塔」方向に進み、鉄塔から山斜面の下辺りまで進むと中央壕道の入口がある。中央壕道を西へ上がると頂部曲輪にたどり着く。
《 常花志園口から山城北斜面遺構へのルート 》
常花志園の駐車場から西へ山に向かって進む。伐採跡地から右手の湿地帯へ降りる。山斜面を左手にしながら山に沿って進むと北斜面の遺構(沢を利用した竪壕)にたどり着く。
****** 調査経過報告 ****************
《内真部山城の麓》
- 新青森市史資料編2 古代・中世には、内真部館の測量図が掲載されている。
- その中に記載されている「池2つ、井戸跡ヵ」の位置がわかった。池は現状水はなく窪地となっている。井戸跡は現状池であり水を湛えている。ただし、測量図に記載されている位置よりも、山側に近いようである。
- S28の地図では、旧森林鉄道路線と常花志園への道の交差点あたりから、内真部山城に続くルートがある。
- このルート上に、はば広の壕道があり、内真部山城の頂部に進む。距離は約400m。
- 上記のルートは、大阪山に上っていく。
《内真部山城の頂部と北遺構》
- 内真部山城の頂部から西に進むと大阪山に続く。具体的には大阪山を南北に貫く、鉄塔保安路にぶつかる。
- 内真部山城の頂部から西に尾根筋を進むと、壕道と付随する土塁がある。このことは、内真部山城は大阪山との連携を考慮した山城であることを示す。
- 頂部から東へ下りて行くと、沢筋に手を加えた竪壕状の「北斜面遺構」に至る。「尻八館調査報告書」には『北東斜面』に遺構があると記載されているが、頂部からほぼ真北に遺構は存在する。
- 竪壕状の沢は3ヶ所ほどある。
内真部山城大手虎口
内真部山城大手虎口は、「内真部館跡と内真部山城跡 遺構図」の左端下に”赤丸”で位置が示されています。内真部館と山城域の後にある土塁の方向、山際を進んでいってもいけますが、県道下の道に「大手道」があり、そこから山に向かって進んで、左折します。山に近づいてから、尾根方向に回り込むような形で設定されています。なかなか広くて立派な造りです。大手虎口へのルートは前述してあります。大手虎口から尾根筋に出て、山方向に進むと内真部山城の頂部に向かいます。
内真部山城 大手虎口 大手道から虎口に入る。正面右側(谷側)は中央を掘り下げた後で土盛りしている。正面左側(山側)は斜面を切ってある。
内真部山城 大手虎口(山側から) 内真部山城の稜線側から大手虎口を見下ろす。正面右側が斜面を切ってある。
内真部山城、東斜面の遺構
内真部館と内真部山城との間には、平らな湿地帯が広がっている。内真部館の領域は土塁で囲まれ、一段高くなっているが、内真部山城の領域も平らな湿地帯よりも高く、段で囲まれている。東斜面からみる山城の構造は、3段のデコレーションケーキのような感じである。東斜面を上がっていくと正面が崖状になっていて、容易にその上に上がれないような構造になっている。2段目に上がるためには、南の尾根筋を上がるしかない。(1)虎口
段に沿って南に回り込んで行くと、段が切れるようになっていて上がりやすい箇所がある。上がると左手方向が尾根筋となる。
(2)周回壕道
湿地帯から一段上がると平坦地と平行に山域を移動できる壕道が2段設定されている。
(3)平場状遺構
山城への頂部へと向かう尾根筋の北側(尾根筋の右手方面)に、平場状遺構がある。平場状遺構とは、斜面を平坦にすることによって、段差をこしらえるもの。斜面を登りづらくする効果がある。段差はさほど高くなく、数十センチ程度。
内真部山城、この他の遺構
農道口から内真部館を通り過ぎた先が畑になっている。畑を過ぎるて山域に入り、右折(北へ)する。その先に沢を利用した堀がある。(1)沢を利用した堀
沢筋を掘り込んで堀状に加工している。沢が広く平坦にして、水が満たされている状態。長靴であってどこを渡って行こうかと難儀する。敵の移動を阻害する効果がある。沢を利用した堀は3本設定されている。
内真部館と内真部山城遺構図
内真部館跡と内真部山城跡 遺構図
(元図は「新青森市史資料編2古代・中世」。一部、現状を書き込み。)
内真部山城跡跡は内真部館の西にある標高84mの丘陵のほぼ全域となる。
(元図は「新青森市史資料編2古代・中世」。一部、現状を書き込み。)
内真部山城跡跡は内真部館の西にある標高84mの丘陵のほぼ全域となる。
| 入り口 | ルート | 行程 | 主な遺構 |
| 大手口 | 大手道 | 大手口~大手虎口~内真部山城尾根筋~内真部山城 | 大手虎口 |
| 農道口 | 農道口~内真部館 | 内真部館 | |
| 常花志園 | 常花志園駐車場~北斜面遺構~内真部山城頂部曲輪 | 竪壕状沢 |
内真部山城、麓山域と頂部曲輪
内真部山城の麓と表現した領域は、「常花志園」の溜め池の真南にある内真部山城の稜線下に位置する。地形的には一段上がった台地状となっている。東側に池跡2箇所(現状窪地)と「井戸跡ヵ」と「新青森市史資料編2」に記載された池がある。池跡の窪地と池は少し離れている。頂部に上がって行く壕道は、72番鉄塔から山側斜面の少し西辺りにある。
内真部山城 麓、北側にある池 『新青森市史資料編2』での遺跡図にある3つの池で現状ここだけが春から夏まで水がある。この池の周りの立木は伐採を免れたため、見つけやすい。遺跡図にある「井戸跡ヵ」としている場所は、この池の東隣にある。現状は伐採した後の木材によって埋まっていて判別が付きにくい。
内真部山城 北側麓にある道 内真部山城の尾根筋には、伐採によって笹が生い茂っている箇所があり、尾根筋をたどって頂部に行くことはできない。鉄塔の近くの麓から山頂に伸びている林業施業道を使うと頂部にたどり着く。
内真部山城 頂部の状況 頂部は自然地形で、特に防御性の遺構はない。削平はしていないが、駐屯や活動にまったく支障がないほどの平らな斜面が大きく広がっている。反対に、頂部稜線から南側は急斜面になっている。
内真部山城 頂部から大阪山への連絡路 この道に平行して壕道が設定されている。この道を進めば上り斜面となり大阪山に続く。
内真部山城、北斜面遺構
北斜面遺構は、頂部曲輪のより高い箇所から北に下りて行くと谷になり、竪壕状の沢が見つかる。遺構がある箇所は広範囲であるため、どこから下りて行ってもいずれかの沢に当たるようになっている。下からだと遺構の手前は広大な湿地帯となっている。入口は広くとも先に行くにしたがってどんどん狭くなり、縦一列でないと進めない。両側斜面は切ってあり、登るにしてもとっかかりを容易に見つけることができない。敵が侵入した場合には、両側の尾根筋から迎撃できる。仮に尾根筋から侵入したとしても、これも一列でないと登ることができず、容易に迎撃できる構造となっている。
内真部山城 北斜面遺構手前の湿地帯 頂部曲輪から尾根筋を北に降りると写真の小山にたどり着く。経路上には、尾根筋を切っている箇所がある。北斜面遺構の前は、湿地帯になっている。
内真部山城 北斜面遺構、沢を利用した竪壕 中央の沢は人為的に平らにしている。その両側は切岸になっている。
内真部山城 北斜面遺構、沢を利用したトラップ 敵がこの沢に侵入したら、正面は崖で両側の切岸は急で戻る他はない。三方の高い箇所から迎撃できる。写真右手上に、上からは伝わって入れる道が設定されている。
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- 三社神社
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- 伊沢稲荷神社
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- 青森海岸記念公園、西田沢小公園
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- 農業・漁業
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- 青森市北部市民センターの「地域マップづくり」の講座受講生と応援隊で、取材した場所や調べたことをまとめました。
西田沢・奥内・後潟の地域の魅力が伝われば幸いです。
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